第43話 九年後の約束
桜の季節がやってきた。
散り際の淡いピンクが、校庭をふわりと舞っている。
俺たち――南雲亜璃紗、一ノ瀬詩、日向陽菜の三人は、小学三年生になっていた。
三年生からはクラス替えがあり、残念ながら三人とも別々のクラスになってしまった。
教室はそれぞれ違う。新しい顔、新しい席、新しい人間関係。
けれど――放課後、秘密基地で過ごす時間だけは、変わらなかった。
俺とウタは今日も、新しいクラスの喧騒から秘密基地へ逃げ出してきた。
使い古した机を挟み、紅茶を飲みながら、ゆっくりとした時間を過ごしている。
どたどたと慌ただしい足音がして、ドアが開いた。
「ねーねー! タイムカプセルやろー!」
勢いよく飛び込んできたヒナが、いきなりそう提案した。
「今日、先生が言ってたの。私たち、もうすぐ九歳になるから『半分大人』なんだって!」
今の法律は十八歳が成人だから、九歳が折り返し地点ということになる。
俺が「大人」に戻るまで、あと半分を切ったということか。
「だからね、未来の自分に手紙を書いて、宝物と一緒に埋めるの!」
「……そんなことするの聞いたことないけど。ドラマの中だけの話じゃない?」
ウタが呆れたように紅茶をすする。相変わらず冷めているが、その手には既に文庫本が握られておらず、ヒナの話を聞く体制にはなっているようだ。
「俺が子供の頃は割とやってたな。学校行事で埋めた記憶がある」
俺が懐かしむように言うと、ウタが眉をひそめた。
「で? それ、掘り出したの?」
「……いや、どうだったか。埋めたこと自体忘れて、そのまま校庭の土になったような気がする」
「……なんか、それってさみしいわね。今の私たちの想いは、消えちゃうってこと?」
「人は今の気持ちを持ち続けられるわけじゃないってことさ。引っ越したりすることもあるし、遠方に進学してる可能性もある」
「でも、まあ。今はスマホもあるし、そこまで心配しなくていいんじゃないか?」
「……そうね。今からスケジュールアプリに入れておけば、忘れずには済みそうね」
「よし! じゃあ缶を探そう! 中身は濡れないようにビニールに入れて!」
ヒナ隊長の号令で、準備が始まった。
タイムカプセルには、俺が以前、差し入れで持ってきた高級クッキーの空き缶が採用される。
それぞれが、未来の自分への手紙を書く。
ヒナは迷いなく、極太のマジックで。
ウタは万年筆を取り出し、静かに、丁寧に。
そして、俺は――。
ペンを握ったまま、少し考え込んだ。
九年後。
十八歳になった南雲アリサ。
その時、俺という存在は、どうなっているのだろうか。
今より「女らしく」なっているのだろうか。
今はまだ、男女の違いをそこまで強く意識せずにいられている。
だが、それも長くは続かない。
二次性徴が訪れ、体は否応なく大人の女性へと変わっていく。
思春期を迎え、女性ホルモンが分泌されるようになる。
思考は、体が作り出すホルモンの影響を受けるという。
男だった前世では、年齢を重ねるにつれて、意識せずとも女性の体を求める思考へと変わっていった。
――今の俺も、同じように。
体に引きずられる形で、思考や人格が、少しずつ変質していくのだろうか。
女として、男を好きになる日も来るのかもしれない。
……それが、少しだけ怖かった。
VTuberとしては、どうだろう。
『幼女師匠』なんて呼ばれているが、十八歳にもなれば「幼女」の看板はさすがに厳しいか。
もっとも、バーチャルでリアルの年齢を公表しているわけでもない。
ガワ――アバターを変えない限り、俺はいつまでも幼女師匠として、ネットの海を漂い続けることもできるのだろう。
そんなことを考えて、思わず苦笑した。
そして、ふと。
前世の娘たちのことが、脳裏をよぎる。
俺が死んでから、もうすぐ九年。
上の娘――柚希は、十四歳。
中学三年生になっているはずだ。
高校受験という、人生で最初の大きな岐路。
志望校はもう決まっているだろうか。
塾に通い、夜遅くまで机に向かっているのだろうか。
下の娘――麻友は、十三歳。
中学一年生、入学したばかりのはずだ。
急激に変わる環境と人間関係に、苦労していないだろうか。
彼氏……は、二人ともまだ早い。
変な男に引っかからないよう祈るばかりだ。
二人とも、幸せに暮らしているだろうか。
俺は大事なときに傍にいられなかった。
華――お前は、ちゃんと笑っているか。
知りたい。
俺は、夫としても、父親としても、責任を放り出してしまった失格者だ。
それでも。
九年後――俺が成人し、一人の大人になったなら。
もう一度だけ、前世の家族の「今」を確かめたい。
そして、もし俺にできることがあるなら。
ほんの少しでも、力になりたい。
それが、他人となった俺にできる、せめてもの償いだから。
俺は静かにペンを走らせ、書き上げた手紙を、そっと封筒に入れた。
◇
夕暮れ時。
ヒナが持ってきた園芸用のスコップを使い、旧校舎の裏にある大木の下に穴を掘った。
「ここなら忘れないね! 秘密基地の窓から見て、三本目の木の下!」
ヒナが泥だらけの手で缶を置く。
俺たちは土をかけ、しっかりと踏み固めた。
「ねえ……九年後って、どうなってるのかな?」
作業を終え、ウタがポツリと呟いた。
「私たちは一八歳。高校を卒業して、大人になってる」
「うーちゃんは、すっごい作曲家になってるよ! 私はねー、世界中を冒険してる!」
ヒナが笑う。
ウタも、「あんたならやりそうね」と笑い返した。
「だったら、英語を勉強しないとな」
「うー、がんばる……」
俺が突っ込むと、ヒナが顔をしかめる。
そして、二人の視線が俺に向いた。
「そういう、アリサは?」
「俺か? ……そうだな」
俺は土で汚れた手を見つめた。
「俺は……お前らと、笑って酒でも飲めたら最高だな」
俺がしみじみと言うと、ウタが冷ややかな目で突っ込んだ。
「……あんたねぇ。一八歳でお酒飲んでたら逮捕されるわよ?」
「え?」
「成人は一八歳になったけど、お酒は二十歳からよ?」
「……あっ」
しまった。
俺の中では、まだ「成人=酒」という認識のままだった。
「そ、そうだったな……」
「じゃあ、十八歳でここを掘り出すときは、ジュースで乾杯しましょ……それで、二十歳になって『はたちの集い』とかがあったら、その時はまた集まって……お酒で乾杯、ね」
ウタが苦笑交じりに提案する。
「おう、いいな。二年くらい、どうってことないさ」
「うん! 二回もパーティーできるね!」
ヒナもニカっと笑う。
「じゃあ、一八歳と二十歳。この場所で会いましょ……約束よ」
茜色に染まる空の下。
俺たちは小指を出し合った。
「「「ゆびきりげんまん、嘘ついたら……」」」
幼い声が重なる。
18歳になったら、ここで会おう。
その時まで、この缶と俺たちの絆は、この土の中で眠り続ける。
帰り道。
長く伸びた三人の影が、並んで揺れていた。
これが、俺たちの「子供時代」の終わりの始まり。
次にこの蓋を開ける時、俺たちはどんな「大人」になっているのだろうか。
(第2部・完)
第2部完結になります。
仕事の締め切りや手つかずの確定申告が終わるまで、しばらく更新はお休みとさせていただきます。
引き続きよろしくお願いします。
※よろしければブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
ここまで読んでくださってありがとうございました!




