第40話 幻想の光、リアルの熱
『5、4、3、2、1……』
カウントダウンがゼロになった瞬間、ステージ上の巨大スクリーンが閃光を放った。
地鳴りのような歓声が、分厚い防音壁を震わせて配信ブースまで届いてくる。
――始まった。
薄暗いブースの中央。
全身を黒いボディスーツとセンサーで覆ったあかりが、軽やかにステップを踏み出した。
その頭部から伸びる太いケーブルは、足に絡まないよう天井のレールから吊り下げられている。
『ごきげんよう、地球の皆様。今宵も、月が綺麗ですわね』
モニター越しに聞こえるのは、デビュー当時の少し高い、おしとやかな声色。
スクリーンの中の『星空ルナ』は、純白のドレスを翻し、可憐に微笑んでいる。
だが、俺の目の前にいるのは、無機質な機械の塊に繋がれた、サイバーパンクな姿の少女だ。
彼女が腕を上げれば、モニターの中のルナが優雅に手を振る。
彼女がヘッドセットマイクに向かって唇を動かせば、ルナが歌い出す。
一曲目、デビュー曲『Moonlight Start』。
王道のアイドルソングだ。
(……すげぇな)
俺は腕を組み、モニターと現実のあかりを交互に見比べていた。
周囲には十数人のスタッフが張り付いている。
3Dモデルのポリゴン欠けを監視する者、音響バランスを調整する者、リアルタイムで表情パラメータを監視・補正する者。
全員がピリピリとした緊張感の中で、完璧な「アイドル」を作り上げている。
モニターに映し出された客席は、白と青のサイリウムで埋め尽くされていた。
それはまるで、夜空の星々をそのまま地上に降ろしてきたかのような、幻想的な光景だった。
二千人の観測者たちが、ルナの指揮に合わせて一斉に光の波を作る。
そのあまりの美しさに、俺は思わず息を呑んだ。
ライブは順調に進んでいく。
二曲目は、アップテンポなポップナンバー。
あかりが弾むようなステップを踏むと、ルナのスカートがふわりと舞い、黄色い歓声が上がる。
短いMCを挟んで、三曲目はしっとりとしたバラードだ。
照明が落ち、スポットライトだけが彼女を照らす。
伸びやかな高音が会場を包み込み、観客たちは静かに光を揺らして聴き入っている。
完璧だ。
どこからどう見ても、清楚で可憐なアイドル。
かつて、この「清楚」は彼女を縛る足枷であり、嘘で塗り固めた脆い仮面だった。
けれど、彼女は一度その仮面を自ら叩き割った。
素の自分を曝け出し、それでも受け入れられたという自信。
そして、素の自分という下地があるからこそ、今ここにある清楚は、完璧な幻想へと昇華されていた。
「デビューしてから、私はこの姿に相応しい自分になろうと必死でした。こんな嘘つきな私を、好きでいてくれてありがとう。そして、ごめんなさい――」
だが――彼女は、その完成された幻想を、自らの手で引き裂こうとしていた。
四曲目が終わり、しっとりとした余韻が会場に満ちた、その時だった。
『……あーもう! 限界!』
急にドスの効いた地声に戻ったルナのMCで、感動的な空気は一気に霧散した。
『中身バレてんのに、今さら猫被って昔の自分を演じるとか……どんな羞恥プレイだよこれ! 自業自得なんだけどさぁ!』
ぶーたれるようなその口調に、客席からドッ、と笑い声が起きる。
観客も分かっているのだ。これが「フリ」であることを。
あかりが合図を送るように、パチンと指を鳴らした。
瞬間、照明が赤く明滅し、ノイズ混じりのSEが響き渡る。
呼応するように、客席の景色が一変した。
それまで会場を埋め尽くしていた清楚な「青」と「白」の星空が、瞬く間に攻撃的な「赤」へと染め上げられていく。
観測者たちもまた、彼女の暴走を待ち望んでいたのだ。
『ここからは――本当の私を出していくよ!』
ルナが、純白のドレスの裾を乱暴に蹴り上げた。 可愛らしい声色は消え失せ、地を這うような唸り声が響く。
『私についてこい!!!』
ジャギッ! 歪んだギターリフが炸裂する。
曲は『Screaming』。
ふと、脳裏にあの日の騒動がよぎる。
この曲は、ウタがスランプの苦しみと世の中への憎悪を吐き出すために、誰のためでもなく書き殴った、剥き出しの感情の塊だった。
だが、あかりはその不協和音の中に、自分と同じ渇きと、泥臭い色気を嗅ぎ取ったのだ 。
勝手な解釈で汚すなと激昂し、泣いて拒絶するウタ 。
その拒絶ごとねじ伏せ、この曲は私が使うと強奪したあかり 。
あの夜の衝突――互いのエゴをぶつけ合い、天才の聖域を土足で踏み荒らすような共犯関係があったからこそ、彼女の牙は研ぎ澄まされたのだ。
今となっては、それすらも懐かしく感じる。
ウタが書き、あかりが魂を吹き込んだロックナンバーだ。
ブース内の空気が一変した。
あかりがHMDを被ったまま、激しく頭を振る。
天井から伸びたケーブルが、まるで生き物のように跳ね回る。
モニターの中のルナは、黒いロック衣装に早着替えし、スタンドマイクを振り回して絶唱している。
優雅なライブの裏側は、F1のピットクルーのような戦場だった。
◇
『Screaming』を含む激しいロックパートが終わると、会場のスクリーンには新作のMVが流れ始めた。
――休憩タイムだ。
これがVTuberライブの利点である。
生身のアイドルなら着替えや舞台転換の時間が必要だが、VならMVを流している間に中の人が休息を取れる。
「……ぷはっ! み、水!」
HMDをずらすなり、あかりは椅子に崩れ落ちた。
スタッフが差し出したストロー付きのボトルに、彼女はがむしゃらに口をつける。
ごくごく、と喉を鳴らす音。
汗でドロドロになった顔にタオルが押し当てられ、続けて酸素缶が差し出された。
あかりはそれを受け取り、深く息を吸い込む。
数秒。
荒れていた呼吸が、ようやく落ち着いていった。
「大丈夫か、あかり」
「……へへ。問題なし。むしろ、エンジン掛かってきた……!」
息はまだ熱を帯びているが、その目は爛々と輝いている。
「……すごかったよ。正直、震えた。俺の人生の中で一番感動したかもしれない」
「八歳児に言われてもなぁ……なんてね。師匠にそう言われるのが、一番嬉しいよ」
あかりは憎まれ口を叩きつつも嬉しそうに笑い、モニターに映る会場の熱狂を眩しそうに見つめた。
「なんかさ、夢みたいなんだ。こんな大きな箱で、こんなに沢山の人が私の歌を聴いてくれてるなんてさ」
「ああ」
「咲夜先生がいて、ウタの曲があって、同じ箱の同期や先輩、スタッフさんたちが支えてくれて……そして、姐さんが背中を押してくれた。色んな人に支えられて、私、今ここに立ってるんだなって……そう思ったら、なんか泣けてきちゃってさ」
「泣くのはまだ早いぞ。主役は最後まで笑ってなきゃな」
「だよね! ……よし、充電完了!」
MVの終了に合わせて、彼女は再び立ち上がり、力強くHMDを装着した。
『お待たせ! ここからはゲストコーナーだよ!』
呼び込まれたのは、白雪ネネと暁ライラの同期コンビだ。
ブースの袖で待機していた二人が、それぞれゲスト用のHMDを装着し、あかりのいるトラッキングエリアに入った。
『どうもー! 同期の白雪ネネでーす!』
『みんなー! 盛り上がってるー!? 暁ライラだよー!』
画面の中では、ルナを挟んで三人の演者が並んでいる。
まずはトークパートだ。お互いのモデルの動作チェックも兼ねて、軽快な掛け合いが始まる。
『いやー、今日は呼んでくれてありがとね、ルナちゃん! すごい熱気!』
『ほんとほんと! 裏で見てたけど、さっきの曲カッコよすぎてボク鳥肌立っちゃったよ!』
ネネとライラが、興奮気味にルナを褒め称える。
『へへっ、ありがと! 二人とも、はじめての舞台だけど大丈夫そう?』
『バッチリだよ~。ほら、スカートもふわふわ!』
『ボクも完璧! 今日は三人で暴れまわろーぜ!』
三人がわちゃわちゃと動くたびに、客席から「てぇてぇ」という歓声が上がる。
一年間、苦楽を共にしてきた同期ならではの空気感だ。
『こうして三人で大きなステージに立つの、デビュー以来の夢だったもんねぇ』
『だね! 一周年記念で叶って嬉しいよ』
しみじみと語る二人を見て、ルナがふと、改まったトーンになった。
『……そうだね。本当に、ここまで来れてよかった』
『ん? ルナちゃん?』
『あのさ、二人とも……この場を借りて、どうしても言いたいことがあるんだ』
ルナが居住まいを正し、二人に向き直った。
『デビュー当時、私が勝手に暴走して、二人にはすごい迷惑かけたと思う。清楚キャラが被っちゃって、やりにくくさせちゃったと思う……本当に、ごめん!』
ルナが深々と頭を下げる。
台本にはない、アドリブの謝罪だったのだろう。ネネとライラのアバターが、一瞬驚いたように止まった。
数秒の間。
けれど、二人は笑ってその肩を叩いた。
『何言ってんの! ルナちゃんのおかげで、私のキャラが際立ったんだし感謝してるよ?』
『そうそう! ボクたち同期じゃん。水臭いこと言わないでよ!』
『……っ。二人とも、ありがと……!』
湿っぽいのはそこまで。
三人は顔を見合わせ、頷き合った。
『それじゃあ、同期の絆、見せつけちゃいますか!』
曲は、三人お揃いのユニット曲。
ポップで可愛い振り付けだが、フォーメーション移動が激しい。
狭いブースの中で、天井のケーブルが絡まないよう、三人が巧みに位置を入れ替える。
互いの呼吸だけで動きを合わせるその技術は、伊達に同期としてやってきていないことを証明していた。
◇
曲が終わり、ネネとライラがトラッキングエリアから出てきた。
スタッフがすぐさま二人のHMDを回収し、アルコールシートで手早く清掃を始める。
ゲスト用のHMDは三台しかない。
それをローテーションで回しているのだ。
「お疲れ様です! あとはよろしくお願いします!」
「ルナちゃんを頼みますね!」
汗だくの二人は、笑顔で親指を立て、そのまま控室の方へ消えていった。
俺と咲夜は、スタッフから手渡されたばかりのHMDを受け取り、無言でスタンバイに入る。
その間にも、ステージは止まらない。
次のゲストが、すでに呼び込まれていた。
『さあ、この店には、最高の常連客も来てるんだよねぇ?』
ジャズピアノのBGMと共に、ステージ上のセットがバーカウンターへと切り替わる。
――『Bar星空』の開店だ。
『お邪魔するわよん。……あら、いいお客さんがいっぱいじゃない』
HMDを装着した銀槌マリエが、艶めかしく来店する。
ブース内では、マリエの中の人が、あかりの肩に手を回すような動作をしていた。
現実では、黒いボディスーツ姿のお姉さん二人が絡んでいるだけの光景だ。
だが、モニター越しには、退廃的な色気がはっきりと立ち上っている。
『それにしてもルナちゃん、今日の3Dモデル、気合入ってるわねぇ。特にお胸が』
マリエが、ルナの胸元を指先でツンツンと突く。
『ちょ、団長! どこ触ってるんですか! セクハラで訴えますよ!』
『えー? 減るもんじゃなし。ほら、物理演算の確認♥』
会場がドッと沸いた。
ひとしきりトークで温めた後、二人はしっとりとしたバラードをデュエットする。
背中合わせで歌う二人。
その光景を、ブースの端で見つめながら、HMDを抱えた咲夜がごくりと喉を鳴らした。
「……次、だね」
咲夜の顔色は蒼白だった。
手のひらには、何度も書いたのだろう、「人」の文字の跡が残っている。
「ビビるなよ、咲夜」
俺は彼女の背中を、バチン! と強めに叩いた。
「い、痛っ……!?」
「あいつらが最高のバトンを繋いでくれたんだ。アンカーが転ぶわけにはいかないだろ」
顎でブースの中央をしゃくる。
歌い終えたマリエとあかりが、笑顔でハイタッチを交わしていた。
マリエはエリアから出るなりHMDを外し、俺たちにウインクを投げてくる。
「あっためといたわよ。カマしてきなさい!」
そして、あかりがマイクに向き直った。
『さて……次が、最後の、そして特別なゲストです』
会場が、水を打ったように静まり返る。
『私の原点であり、私の恩人。……そして、大好きな家族』
あかりの視線が、ブースの袖にいる俺たちを捉えた。
『準備はいい? ――おいで、AL1-SA姐さん、SA9-YA先生!』
俺と咲夜は、同時にトラッキングエリアへと踏み出す。
天井から降りてきたケーブルを、スタッフが手早く接続した。
「トラッキング正常。いつでもいけます!」
その声を合図に、俺たちは顔を見合わせ、頷き合う。
そして同時に、HMDを装着した。
視界が暗転する。
現実の薄暗いスタジオが消え去り――。
『リンク・スタート』
心の中でそう呟いた瞬間、俺は光に包まれていた。




