第39話 星の海、その幕開け
三月某日。
春の陽気が漂う、お台場・東京テレポート駅。
改札を抜けた俺たちは、いきなり「青」の洗礼を受けた。
「うっわー! 見て見てありちー! すっごい人だよ!」
ヒナが興奮して俺の袖を引っ張る。
駅前の広場からZepへ続く道は、星空ルナのイメージカラーである青色のグッズを身につけた人々で埋め尽くされていた。
「この人たちが、みんな『観測者』か……」
――『観測者』。星空ルナを観測する者たち。
痛バッグを持った女子高生、Tシャツを着たサラリーマン、カップル、果ては海外からのファンまで。
ネットの数字としてしか見ていなかった彼らが、こうして実体を持って、熱気を放ちながらそこにいる。
その事実は、いちゲストでしかない俺でも少し武者震いする光景だった。
「……すごい。これ、全部ルナちゃんのファンなの……?」
咲夜が帽子を目深に被りながら、震える声で言った。
「ああ。お前がデザインし、あかりが魂を吹き込んだ『星空ルナ』を見に来た連中だ」
「……うん」
俺の言葉に、咲夜は強くバッグの紐を握りしめた。
夏と冬の祭典以外は、ほとんど部屋に引きこもっている彼女にとって、この光景は刺激が強すぎるのだろう。
しかも、今日は観客としてではなく演者としてやってきたのだ。
正直、プレッシャーにやられないか、俺は少し心配だった。
今日の一行は、俺、咲夜、ヒナ。
そして保護者として美結と、ヒナの母親だ。
「す、すごい人ねぇ……ヒナ、はぐれないでよ?」
ヒナの母親は、ごく普通の主婦だ。
ヒナから「友達の発表会があるから行きたい」と聞いていた彼女は、想像を絶する規模の大きさに目を白黒させていた。
「お祭りみたい! ねえママ、あそこでチュロス売ってる! たこ焼きもあるよ!」
「こらヒナ! さっきお昼食べたばっかりでしょ。これからライブなんだから我慢しなさい」
ヒナの母親が、屋台に突撃しようとする娘の首根っこを必死に抑えている。
ヒナにとって、このイベントは「友達のすごい発表会」であり、同時に「楽しいお祭り」なのだ。
その気負わなさが、俺たちの緊張もほぐしてくれるようで、ありがたい。
会場の裏口にある関係者向けのセキュリティゲートを通過した俺たちは、楽屋と観客席に別れる廊下で足を止める。
「じゃあ、私たちはこっちだから。みんなは席で待っててくれ……また後で挨拶行くから」
「うん! ありちー、さくちゃん、がんばって!!」
ヒナたちに見送られ、俺と咲夜はセキュリティゲートをくぐった。
二人で舞台裏の狭い廊下を歩く。
「いざ鎌倉ってやつだな」
「ここ、お台場だけど……?」
「有名なゲーム配信者がよく使ってる言葉なんだけど……後、歴史の授業で習ったりとか」
「んー、知らない」
「そっかぁ、若い子は知らないかぁ……」
地味にショックを受けてると、咲夜がくすっと笑った。
「変わらないね、師匠は」
少しでも緊張が解けたのならなによりだ。
◇
バックステージの通路は、機材を運ぶスタッフたちの怒号と熱気で溢れていた。
俺たちは「PERFORMER」のパスを首から下げ、一番奥にある大部屋の扉を開けた。
「――お、来たな! 遅いぞ姐さん!」
部屋の中央、メイク用の鏡の前で、全身にモーショントラッキングスーツを着込んだルナが振り返った。
緊張の色は見えない。むしろ、今すぐにでも飛び出して暴れたいといった様子だ。
「悪い。駅前がすごいことになっててな」
「へへっ、でしょ? 今日は最高の祭りにしてやるから!」
ルナがニカっと笑う。
近くに座っていた女性たちが、俺たちを伺っていた。
「あっ、紹介するっす。こちらはうちの事務所の同期たち」
「はじめまして、白雪ネネです」
ゆるふわ系Vである白雪ネネは、黒髪ロングヘアのおっとりとした女性だった。
アバターの雰囲気そのままに、柔らかい空気を纏っている。
「ボクは暁ライラ、よろしくね!」
対して元気系Vである暁ライラは、短髪ショートヘアのスポーティな格好の女性だ。
快活な笑顔が眩しい。
「そして――」
「ヤッホー! メニーカバー三期生、銀槌マリエです! よろしくぅ!」
一際高いテンションで割り込んできたのは、場の空気を一瞬で持っていく派手な女性だった。
業界トップランナーのひとり、登録者数百万を誇る超有名ライバーだ。
配信で聴き慣れたあの特徴的なハスキーボイスが、目の前の女性の口から発せられていることが不思議で現実感がない。
「そして、こちらが箱外のゲストで来てもらったライバーさんっす。こっちが、ママのSA9-YA(咲夜)先生」
「咲夜です、よろしくお願いします」
咲夜がペコリと頭を下げる。
「咲夜先生! 先生の作品読んでます! 大好きです!」
「マリエさんに知っていただけてるなんて……こ、光栄です」
咲夜は感激と緊張でおどおどしながら答える。
「で、こっちが、私の姐さんのAL1-SAさん」
ルナが俺にビシッと指を向けた。
女性たちの視線が、俺に集中する。
身長は百二十センチそこそこの、どうみても小学生な俺に。
「……え?」
マリエの笑顔が凍りついた。
「この小さい子が、あの『AL1-SA』……!?」
部屋中が静まり返り、次の瞬間、「えええええッ!?」という悲鳴が上がった。
特にマリエの反応は劇的だった。彼女は目を見開いて驚愕し、俺を凝視した。
「嘘でしょ……!? おじさんじゃなかったの?」
「はじめまして、AL1-SAの中の人やらせていただいてます」
「やらせていただいてます、じゃないわよ! 私、学生の頃からAL1-SAの動画見てたんだけど……!?」
「……芸歴だけは長いので」
俺がやれやれと肩をすくめると、彼女たちは顔を見合わせた。
マリエが震える指で俺を指す。
「ってことは……なに? この見た目で、実年齢はもっと上ってこと?」
「いわゆる『合法ロリ』ってやつ!?」
同期二人が色めき立つ。
活動期間と外見の矛盾を解決するには、それしか答えがないと思ったのだろう。
「すごっ……!」
「ねえ、お肌ぷにぷにじゃん! 手ェ出してもセーフなやつ?」
マリエが興味津々といった様子で、俺のほっぺたをふにっと摘んだ。
俺はそれを手で払い除け、冷たく言い放った。
「アウトなので手を出さないでください。未成年ですし、みなさんより歳下なので」
「……えぇー……」
彼女たちは心底残念そうな、あるいはドン引きしたような顔をした。
「私、Vやろうと思ったきっかけのひとつが、AL1-SAさんだったんだけど……」
「中の人がこんなんで申し訳ない」
「いや、全然! むしろ興味を持ったわ。今度コラボしましょう!」
「先輩ずるい! 私もしたい!」
「え、ボクも! ボクもコラボしたい!」
わちゃわちゃと盛り上がるお姉様がた。
「……いや、私がバ美肉だと思われてるのは知ってますよね? 人気Vの皆さんがおじさんと絡んだら、ファンが泣きますよ」
「なんで!? アリサちゃん、こんなにかわいいのに……!」
「中の人の年齢と性別は公にしてないので。オフレコでお願いしますね……?」
俺は、ゆったりマイペースで配信できればそれでいいのだ。
◇
開演十五分前。
本番前にどうしても顔を出しておきたくて、俺と咲夜は慌ただしく二階の関係者席へ向かった。
あかりには「すぐに戻る」と伝えてある。
重い防音扉を開けると、眼下に広がる客席の熱気が、ドッと押し寄せてきた。
その最前列に、周囲とは明らかに温度の違う、重苦しい空間があった。
「……ふん。騒々しい場所だ」
黒瀬厳一郎だ。
隣には美結たちも座っているが、厳一郎だけは周囲の空気を凍らせるような仏頂面で腕を組んでいる。
そして、その横には――
「……音響設計は悪くない。だが、低域の定位が少し甘いな」
目を閉じて空間の残響を確認している、一ノ瀬響。
その隣には、どこか居心地が悪そうにしているウタの姿もあった。
「ご挨拶が遅れました」
咲夜が声をかけると、厳一郎はゆっくりと振り返った。
「……わざわざこんな喧騒の中に呼び出すとはな」
「来てくれて、ありがとうございます……父さん」
咲夜は、厳一郎の威圧感に怯むことなく、持っていたトートバッグから一つの「物」を取り出した。
今回のライブグッズの一つ。
咲夜が描き下ろしたキービジュアルが刷られた、A4のクリアファイルだ。
「これ……受け取ってください」
「……なんだ、これは」
「私の『仕事』です」
咲夜は、ファイルを父の膝の上に置いた。
そこには、星空の下で歌うルナの姿が、圧倒的な描き込みと色彩で描かれている。
「今日、この会場にいる全員が、この絵を見て集まってくれました」
厳一郎は、無言でファイルを見下ろした。
指先で、ツルツルとしたプラスチックの表面をなぞる。
紙ではない。キャンバスでもない。
それでも、そこには確かに咲夜の魂が宿っていた。
「……騒々しい場所だ」
厳一郎は、もう一度そう言った。
だが、その声色には、先ほどまでの刺々しさはなかった。
「だが、それだけの熱気が、この舞台にはあるということだろう」
彼はファイルを膝に置いたまま、鋭い視線を咲夜に向けた。
「見せてもらおう。この熱狂の中でお前が何を成したのか……お前の『仕事』とやらを」
「……はいっ! 精一杯、やります!」
咲夜が深く頭を下げる。
すると今度は、響がふと視線を外し、会場の天井付近を見上げた。
「……随分と、勝手が違うものだな」
「え?」
俺が反応すると、響は薄く笑った。
「普段、私が立っているステージとは空気がまるで別物だ。電子の映像に、光る棒……私にとっては、不思議な光景だよ」
世界を回る現役の指揮者である彼にとっても、これは未知の舞台なのだろう。
そして、彼は隣に座る娘――ウタに視線を向けた。
「詩……新曲、楽しみにしているぞ」
「……っ、プレッシャーかけないでよ」
ウタがバツが悪そうに顔を背ける。
素直じゃない親子だが、そこには確かな信頼関係が見えた。
「この異質な空間で、詩の曲がどう響くのか……楽しませてもらうよ」
「ええ。期待していてください」
俺は気負わずに肩をすくめ、短く返した。
背後で客席の照明が落ち、どよめきが起こるのが聞こえた。
◇
配信ブースに戻った時、会場はすでに暗闇に包まれていた。
地鳴りのような歓声。
無数のペンライトが、星の海のように揺れている。
「……行くよ」
あかりが、マイクに向かって呟いた。
ステージ上のスクリーンに、カウントダウンが表示される。
『5、4、3、2……』
俺と咲夜は、モニター越しにその瞬間を見守った。
伝説の一夜が、今、始まろうとしていた。
クライマックスなので気合入れて書きなおしたのと、本業が忙しくて遅れました。
当面の相棒はブリジュラス予定です。ありがとうございます。




