第37話 大バカ者たちの集まり
12月。街がクリスマス一色に染まり、華やかなイルミネーションが輝く頃。
俺たちは、その浮かれた空気とは無縁の、冷たく洗練された空間にいた。
都内の一等地にそびえ立つ高層ビル。
その上層階一帯を丸ごと占有しているのが――メニーカバー株式会社だ。
国内最大級のVTuber事務所。
数十人規模のタレントを抱え、配信・音楽・ライブ・グッズ・海外展開までを一社で完結させる、いわば業界の「最高峰」。
所属タレントの名前はネットからリアルまで、目にしない日はないと言っても過言ではない――そんな巨大企業である。
ちなみに業界では、こんな噂もまことしやかに囁かれている。
――本当は社名を「メニーバカー(Many Baka)」にしたかったらしい。
才能も癖もトラブルも抱え込む、大馬鹿ものの集まり。
それを全部まとめて面倒を見る会社、という意味で社長が本気で提案したとかしないとか。
当然、役員や法務から総ツッコミを受け、「さすがに株主に怒られる」「海外展開で詰む」と却下され、今の無難な社名に落ち着いた――という話だ。
真偽はともかく、妙に納得してしまう。
そのくらい、ここには強烈な個性を持った演者が揃っている。
そんな会社の、応接室に俺たちはいた。
「……ええと。それで、本日のご来訪者様は……?」
仕立てのいいスーツに身を包んだ女性社員が、控えめに首を傾げながら、俺たちを見回した。
ソファに座っているのは、同社所属タレントの『星空ルナ』こと、あかり。
その隣には、彼女のメインビジュアルを担当する絵師であり、今回のライブゲストでもある『SA9-YA』こと咲夜。彼女は手慣れた様子で、背筋を伸ばして座っている。
そして、場違いなほどおっとりした美人の母親の美結と――そのすぐ隣に座らされている、小学生の俺。
女性の視線は、消去法で自然と美結へと向く。
「……あなたが、『AL1-SA』さんでいらっしゃいますか?」
「えっ? あ、いえいえ!」
突然話を振られた美結は、慌てて手を振った。
「私は……その、付き添いというか、保護者でして……」
「……付き添い?」
「――はい。『AL1-SA』は、私です」
俺は、胸ポケットを探りながら一歩前に出る。
小さな手で革製の名刺入れを取り出し、滑らかな手つきで一枚取り出すと、相手に向けて頭を下げつつ、腰の位置で差し出した。
「はじめまして。VTuber『AL1-SA』こと、南雲アリサと申します。本日はよろしくお願いいたします」
動きに一切の淀みはない。
角度もタイミングも――完璧だ。
女性は最初こそ面食らって目を丸くしていたが、すぐに気を取り直したらしい。さすがは数々の「濃い」タレントを捌いてきた大手事務所の社員だ。
彼女は姿勢を正すと、手にしていた名刺入れに重ねた自分の名刺を、同じように差し出してきた。
「アリサ様、頂戴いたします」
女性は両手で丁寧に名刺を受け取る。
そして、下にした自分の名刺を両手で差し出してきたので、俺もまた名刺入れの上でそれを受け取った。
「メニーカバー株式会社で星空ルナの担当をしております、篠原理沙と申します。以後、お見知りおきを」
「篠原様ですね。ありがとうございます」
受け取った名刺に、軽く視線を落とす。
メニーカバー株式会社、ライブ・イベント制作部。
制作統括マネージャー、篠原理沙――なるほど、今回の窓口としては納得だ。
一連の「名刺交換」の儀式が終わる。
篠原さんはふぅ、と小さく息を吐き、改めてまじまじと俺の顔を見た。
「……その、アリサさんと言えば大ベテランの個人勢VTuberで、私もよく拝見させていただいておりますが……その、随分とお若いようで驚きました」
ちらりと横を見ると、ルナがサングラスの奥で肩を震わせて笑っていた。
「……おい、ルナ。俺の外見のこと、わざと隠してただろ」
「そりゃあ、他所様のVの『中の人』の情報なんて話すわけないじゃん? たとえ身内でもさー……でも、りさちーも驚いたっしょ?」
「驚きましたよ!? ルナさん、せめて心の準備というか、外見的特徴くらい教えておいてくださいよ!」
「あっはっは! ドッキリせいこー」
ルナが手を叩いて喜んでいる。
篠原さんは「もう……」と溜息をつきつつも、すぐに仕事の顔に戻った。
そして、隣に座る咲夜に向き直る。
「咲夜先生も、本日はお足元の悪い中ありがとうございます。先日のキービジュアルのラフ、素晴らしかったです。社内でも評判ですよ」
「あ、いえ。篠原さんも調整ありがとうございました……今日は師匠の契約の付き添いですが、よろしくお願いします」
咲夜は落ち着いて頭を下げた。
咲夜はルナの「ママ」として、何度も篠原さんとは打合せしている。
契約も別で終わらせているので、今日はこの後にある別件のために来ているのだ。
「では、本日はAL1-SA様のゲスト出演契約ということで……」
契約自体はスムーズに進んだ。
事前にメールで内容は詰めてある。あとは未成年である俺と、保護者である美結が署名・捺印をするだけだ。
「はい、お母様の印鑑もいただきました。これで手続きは完了です」
篠原さんが書類を整え、微笑む。
これで、ひとまずの用件は終わった。
だが、俺にはまだ交渉したいことがある。
俺は書類が片付けられるのを見計らって、スッと手を挙げた。
「篠原さん。一件、ご相談があるのですが」
「……はい? 何でしょう?」
俺はバッグから、一枚の資料をテーブルに滑らせた。
「今回販売されるグッズのラインナップにある『クリアファイルセット』についてです。ここに、こちらのイラストも加えていただけないでしょうか」
示したのは、今回のライブパンフレットの「ゲスト紹介ページ」用に咲夜が描き下ろした、ルナ・アリサ・咲夜のトリオイラストだ。
「……ああ、このイラストですか」
篠原さんが資料を手に取り、少し困ったように眉を下げた。
「確かに素晴らしいイラストですが、今回はあくまで『星空ルナの一周年記念ライブ』です。グッズもルナ単体のものに絞るという方針ですし、それに、他事務所や個人の方を含むイラストのグッズ化は、権利関係の処理が煩雑になりますので、その……」
パンフレットへの掲載は紹介用として通ったが、収益が発生するグッズとなると話は別だ。
外された理由は理解できる。
「私からもお願いできないかな? 二人は私が無理を言ってゲストに来てもらったんだ。だから、りさちーお願いっ!」
あかりが援護してくれる。
ルナのライブなのだ、主役であるあかりの意向は強い。
そこに、俺は決定打を投下する。
「それと、私と咲夜のロイヤリティは――ロハで構いません」
「……え? ロハ、ですか?」
一瞬、篠原さんが言葉を失った。
「私もそれでかまいません」
と咲夜も頷く。
「どうでしょう? これなら、検討していただけませんでしょうか?」
「は、はい……確かに金銭面と権利面のハードルがなくなるのはありがたいですが……いいのですか? お二人へのメリットが何もないようですが」
「いえ、メリットはありますよ」
俺はふっと目を細めた。
「私たちは普段、個人で活動しています。Zepのような大きい箱でイベントをする機会なんて、今後もう二度とないでしょうから。この三人でステージに立ったという証が、手元に残るのは十分なメリットです」
……というのは、あくまで建前だ。
俺の本当の狙いは、もっと個人的なところにある。
今回のライブには、咲夜の父親を招待している。
あくまでゲスト出演ではあるが、娘が描いたイラストだけじゃなく、娘自身のアバターが印刷されたグッズが販売されるとなれば、また少し印象も違うんじゃないか。そう思ったからだ。
篠原さんはしばらく考え込んでいたが、やがてほうっと感心したような息を吐いた。
「……なるほど。わかりました。その条件であれば、上に交渉してみましょう。結果は追ってメールさせていただきますね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、隣で聞いていた咲夜が少し頬を赤らめていた。
「……自分のアバターがグッズになるって、なんか不思議な気分ですね。いつもは描く側だから……ちょっと恥ずかしいです」
「いいじゃん、先生! 一生の記念だよ!」
ルナが茶化す。
篠原さんはそんな俺たちのやり取りを興味深そうに見比べ、そして言った。
「それにしても……先日のコラボ配信も見させていただきましたが、お二人とも個人勢にしておくには惜しいほどのタレント性をお持ちですね」
彼女の目が、スカウトマンの目になった。
「どうです? よろしければ、うちに来ませんか? AL1-SAさんの中身と外見のギャップ、SA9-YA先生の画力とキャラクター性……弊社ならもっと大きなステージをご用意できますが」
最大手からの直々の勧誘。
喉から手が出るほど欲しい人間もいるだろう。
「あっ、それいいねー! 二人ともうちにこよーよー!」
ルナも悪ノリしてくるが、俺は苦笑して首を横に振った。
「いやいや、勘弁してください。私は今のまま、自由気ままにやるのが性に合っていますので」
「私もメインは漫画家でVは趣味でやってますので、すみません」
「ふふ、そうですか。それは残念です」
篠原さんも本気で引き抜こうとしたわけではないだろう。だが、その言葉には確かな敬意が含まれていた。
◇
ルナの名前で借りたメニーカバーの地下にあるレッスン場。
その中で、熱気は最高潮に達していたが、同時に疲労の色も濃くなっていた。
「……はぁ、はぁ……ダメだ、どうしても後半で息が切れて、表情が死ぬ……」
鏡の前で俺が膝をつく。咲夜も床に座り込んで動けない。
技術的には追いついてきた。だが、「アイドルとしてのオーラ」を維持し続けるスタミナが足りない。必死さが顔に出てしまっては、客を楽しませることはできない。
そんな膠着した空気を変えたのは、スタジオの隅で見守っていた美結だった。
「あらあら、みんな顔が怖いわよー?」
美結はのんびりとした口調で近寄ってくると、スポーツドリンクのボトルを俺たちに差し出した。
「ダンスも大事だけど、アイドルさんは『みんなを元気にする魔法使い』なんでしょ? 自分が楽しまないと、魔法はかからないんじゃないかしら」
「……楽しむ、か」
「そうよ。上手く踊ろうとするんじゃなくて、みんな一緒に踊れて『楽しい!』って気持ち、それだけでいいのよ。ね?」
美結の何気ない、けれど本質を突いた言葉。
それでふっと肩の力が抜けた気がした。
俺たちは、いつの間にか「仕事」だと思い込みすぎていたのかもしれない。
「……違いない。俺たちが楽しんでなきゃ、客が乗れるわけないか」
「ですね……! 私、必死すぎて顔が強張ってました」
俺と咲夜が顔を見合わせて笑うと、ルナもニッと笑った。
「ママさんの言う通りだわ。よし、次でラスト! 技術なんてどうでもいい! とにかくハッピーに、あざとく! 楽しむ!!」
音楽が鳴り響く。
俺たちは再び、鏡の前に立った。
『♪~~!』
サビの終わり。この曲最大の難所――三人で中央に集まり、観客に向かってウインクと指ハートを決める決めポーズだ。
(ええい、ままよ!)
俺は羞恥心をかなぐり捨てた。
脳内のリミッターを解除し、鏡の向こうに数千人のサイリウムの海を幻視する。
俺は今、アイドルだ。
バチコーン! 渾身の力でウインクを飛ばし、指で小さなハートを作る。
「「「キメッ!」」」
三人の動きが、完全にシンクロした。
肩が触れ合う距離。互いの体温、荒い呼吸、激しく脈打つ心臓の音が、一つのリズムになって聞こえる。
1秒、2秒、3秒。
完璧な静止。
曲がフェードアウトし、スタジオに静寂が戻る。
鏡の中の三人は、汗だくで、髪も乱れていたが――その目は、ギラギラと輝いていた。
「……」
ルナがゆっくりと息を吐き、ニカっと笑った。
「…………合格」
その一言で、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れた。
「……っ!」
「……はぁぁ~」
俺と咲夜は、示し合わせたようにその場に崩れ落ち、リノリウムの床に大の字になった。
天井の無機質な蛍光灯が、今はどんなステージの照明よりも眩しく、美しく見えた。
「やった……できたぁ……」
「マジで死ぬかと思った……」
全身の筋肉が悲鳴を上げている。けれど、胸の奥から湧き上がるこの熱い塊はなんだろう。
達成感。高揚感。そして、仲間と一つのものを作り上げたという、確かな手応え。
「最高だったよ、二人とも」
あかりがタオルで汗を拭きながら、俺たちの間にドカッと座り込んだ。
「先生、根性あるね。最後の方、すごくいい感じだった!」
「えへへ……美結さんの言葉で、なんだか吹っ切れました……」
「姐さんも……完璧に『アイドル』だったわ。あのウインクで何人か死ぬね」
「うるさい。俺が死ぬ。記憶から消してくれ」
スタジオの隅で、美結が「ふふ、みんなキラキラしてて素敵よー」と拍手している。
俺たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
汗臭くて、ボロボロで、最高に気分が良かった。
◇
「「「かんぱーい!!」」」
ジョッキとグラスがぶつかり合う軽快な音が、個室に響いた。
場所はスタジオ近くの焼肉屋。
地獄の特訓を終えた俺たちの目の前には、極上のカルビやロースが網の上でじゅうじゅうと音を立てていた。
「んん~っ! 生き返るぅ~!」
ルナが大ジョッキのビールをあおり、白飯を片手に肉を頬張る。
咲夜も今日ばかりは遠慮を捨てて、幸せそうな顔で箸を進めていた。
「美味しい……! 運動の後の焼肉って、こんなに美味しいんですね……」
「だろ? これのために生きてるようなもんだよ」
俺もノンアルコールビールで喉を潤しながら、焼けた肉を皿に取った。
隣では美結も「ぷはーっ! 美味しいわぁ」と生ビールを空けている。
「それにしても、今日は濃い一日だったな」
「本当ですよぉ。大手事務所に行って、契約して、グッズまで決まって、死ぬほど踊って……」
咲夜がしみじみと呟く。
「夢みたいです。私の絵がグッズになって、私がルナちゃんと一緒にステージに立つなんて」
「夢じゃないって。現実に契約書にハンコ押したし、明日は筋肉痛確定だし」
ルナがケラケラと笑い、俺の方へ肉を追加で乗せてくれた。
「でも、姐さんの交渉術にはビビったわ。『ロハで構いません』とか、どこの大物Pだよ」
「結果オーライだろ。咲夜の親父さんへの手土産もできたしな」
「ふふ、お父さん、びっくりするだろうなぁ」
咲夜が嬉しそうに微笑む。
その顔を見ているだけで、あの場で強引に交渉した甲斐があったというものだ。
「よし、追加注文するぞ! 今日は俺のおごりだ!」
俺がメニュー表を手に取って宣言すると、網をつついていたルナが呆れたように箸を止めた。
「はぁ? 何言ってんの。小学生にたかる大人とかナシでしょ」
「いや、契約金も入る予定だし、今日くらいは……」
「ダメダメ。ここは『主役』である私に任せなさいって。ねえ、美結さん?」
ルナが水を向けると、美結もにこやかに頷いた。
「そうねぇ。アリサちゃんは子供だから、まだまだ大人に甘えちゃいなさい」
「そういうこと! ……すいませーん! 上カルビ追加で! あと生中もうひとつ!」
店員を呼ぶルナの姿は、実に頼もしい。
俺は、財布を鞄に戻した。
「……じゃあ、ご馳走になるよ。ありがとな」
「おうよ! その代わり、家でも復習して完成度高めておいてよね! 感覚忘れないように!」
網の上で踊る炎。
笑い合う仲間たち。
窓の外には、冬の夜空が広がっている。
契約は完璧。
グッズも決まった。
パフォーマンスも形になった。
肉を噛みしめながら、俺は心の中で小さくガッツポーズをした。
(……今日は、最高の一日だった)
心地よい疲労感と満腹感に包まれながら、俺たちの夜は更けていく。
最高のライブになる。
そんな確信と共に、俺は最後の一口を飲み干した。




