第29話 月の裏側
『――ごきげんよう。地球の皆様。今宵も、月が綺麗ですわね』
画面の中では、銀髪の清楚な美少女VTuberが、ぎこちない動きで一礼している。
トークは拙いが、その不器用さが初々しさとして受け取られ、ひとたび歌えば、凄まじい歌唱力で一気に評価を覆す。
その落差が刺さり、デビューから数週間でガチ恋勢を量産している話題の新人だ。
「……星空ルナ、俺の妹、か」
俺――南雲アリサが自宅のリビングで配信のアーカイブを眺めていると、キッチンの方から母親の美結が顔を出した。
「あら、アリサちゃん。何見てるの?」
「最近流行ってるVTuberだよ。咲夜がキャラデザしたんだ」
「へぇー。サクちゃんの絵なんだ! アリスちゃんと一緒だね。どれどれぇ……あら、可愛い!」
画面の中のルナは、鈴を転がすような声で喋り続けている。
丁寧なお嬢様言葉だが、どこかぎこちなく、言葉の端々に素の調子が滲んでいた。
「……ん? あれぇ?」
美結が小首を傾げる。
「この声……なんか聞いたことあるような……」
「売り出し中の大手箱のVだし、ネット広告とかで聞いたんじゃないか?」
「うーん……そうじゃなくてぇ……誰だったかなぁ……」
美結は人差し指を唇に当てて、真剣に考え込む。
そのときだった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
「はーい!」
美結はモニターも確認せず、ぱたぱたと玄関へ向かう。
来客を疑うという発想自体が、この人にはあまりないらしい。
「――お疲れ様でーす。いやぁ、迷っちゃってぇ」
玄関から聞こえてきたのは、とろけるような甘さと、少し気怠さを含んだハスキーな女性の声だった。
「……えっ? あ、あかりちゃん!?」
「ん? あれ、美結さん? ……え、ここ美結さんの家なの?」
「そうだよぉ! わぁ、久しぶりー! お店辞めて以来だねぇ!」
どうやら知り合いらしい。
俺が訝しげに玄関へ向かうと、そこには強烈な「女の匂い」を纏った人物が立っていた。
緩く巻いた茶髪。
肩から落ちそうなルーズなニット。
そこから覗く、主張の激しい谷間。
全体的に、緩い。
フェロモンをそのまま人の形にしたようなお姉さんだ。
「あれ、子供? わー、かわいい! この娘、美結さんの?」
「うん、私の娘だよ!」
「へぇー。美結さんってこんなに大きい娘さんいたんだ。はじめましてぇ、月見里あかりでーす」
ひらひらと手を振られ、俺は軽く頭を下げる。
「はじめまして。南雲アリサです」
「……おぉ、しっかりしてるぅ」
感心したように目を丸くした、次の瞬間。
「……あ、そうだ! 思い出した!」
美結が、俺とあかりを交互に見た。
「さっきの声、あかりちゃんだ! あかりちゃん、VTuberやってるでしょ!」
「えっ!?」
「ほら、今アリサちゃんが見てた配信。あれ、あかりちゃんでしょ?」
あかりが俺の方を見る。
「あちゃぁ……ばれちゃったかぁ……」
その声質は、間違いなく画面の中の『星空ルナ』だった。
◇
状況を整理すると、こういうことらしい。
VTuberである彼女は、咲夜との打ち合わせのためにこのマンションを訪れたものの、部屋を間違え、隣の我が家に来てしまったようだ。
あかりはソファに深く沈み込み、出された麦茶を、まるでカクテルのようにくるくると回している。
「へぇー。あかりちゃん、今はVの活動一本なんだ?」
「そーです。夜の仕事は、きっぱり辞めました」
そう言ってから、気怠げに肩をすくめる。
「……まあ、人気が出なかったら、また夜の仕事に出戻りするかもしれないですけど」
「でもさ、あかりちゃん有名じゃん。ルナちゃん、だっけ? やってみてよ、あの挨拶。ごきげんよう、地球の皆様……だっけ?」
「うへぇ、勘弁してくださいよ美結さん。あれ、柄じゃないって自覚はあるんで……」
あかりはそう言って、露骨に顔をしかめた。
少なくとも中の人は、「清楚」を名乗るつもりはないらしい。
「……柄じゃないっていうか、詐欺だろ」
俺は、画面の中の「清楚な天使」と、目の前の「あけすけなお姉さん」を見比べる。
「この見た目と中身で、『銀河から来た清楚な歌姫』は無理がないか?」
「失礼なお嬢ちゃんだなぁ。これでも、Vに関しては真剣なんだよ?」
あかりは脚を組み替えた。
タイトスカートから伸びる脚が眩しい。
「ファンが見てる『夢』ってさ、薄いガラス細工みたいなもんなの。ちょっと触り方を間違えたら、すぐ割れちゃう。それを守るのが、私たちの仕事でしょ?」
「……言ってることと、やってること、矛盾してない?」
「現実は現実、ファンタジーはファンタジー。混ぜるな危険」
あかりは悪びれもせず、ウィンクする。
「私はイメージを大切にしてるの。Vやってる間はちゃんと彼氏は作らないように決めてるし。ユニコーンの夢、壊したくないじゃん?」
「へぇー……じゃあ、あかりちゃん。最近はずっとご無沙汰?」
「ちょっ、美結さん。子供の前っすよ」
「平気よ別に。こんな話、普段からしてるもんねー?」
「ああ。美結の貞操観念の無さについては、耳にタコができるほど聞いてるからな。気にしなくていいぞ」
「しっかりしてると言っても限度があるでしょ……」
「で、どうなの? 干からびてない?」
「……まあ、彼氏は作らないですけど。たまに『ガス抜き』に付き合ってくれる相手くらいは、何人か」
「ほら、やっぱりぃ! あかりちゃんが我慢できるわけないって思ってたもの。私と一緒!」
「一緒かわかりませんけど……まあ、否定はしませんよ」
「だって、あのときもそうだったし。覚えてる? あかりちゃん。あのタワマンでのこと」
「そりゃ、覚えてますけどぉ……勘弁してくださいよぉ」
あかりが嫌そうな、でも少し楽しそうな顔をした。
美結がニコニコしながら、とんでもない爆弾を投下する。
「ある日の朝、私が泊まってた人の部屋から出てきたら、隣の部屋からあかりちゃんが出てきて鉢合わせちゃってぇ」
「……で、その一週間後くらいにまた鉢合わせたと思ったら、今度はお互い『逆の部屋』から出てきたんですよね」
あかりが観念したようにため息をつきながら、自分で続きを語る。
美結は「そうそう!」と手を叩いて笑った。
「あのときは流石にお互い顔を見て笑いましたもんね。『あ、お疲れー』って」
いくらあけっぴろげと言っても、親が『棒姉妹』の話なんて小学生の前でするんじゃない。
その時だった。
ピンポーン。ピンポーン。
再び、インターホンが鳴った。
俺がDiscordで『ルナが隣に誤爆してる。回収頼む』と伝えておいたのだ。
「はいはい」
俺がドアを開けると、息を切らせた咲夜が立っていた。
「すみません、お邪魔します!」
咲夜はズカズカとリビングに入ってくると、ソファで寛いでいるあかりを見て、ホッと息を吐いた。
そして、居住まいを正して丁寧に頭を下げた。
「――はじめまして。神宮寺咲夜です」
「――ッ!?」
あかりが弾かれたように飛び上がった。
先ほどまでの緩い態度はどこへやら、直立不動で頭を下げる。
「さ、咲夜先生!? す、すみませんっ! はじめまして、ルナの中の人やってます、月見里あかりです!」
「あかりちゃん、どうして師匠の部屋なんかに……時間になっても、来ないから心配しましたよ」
「まあまあ。ルナさんも悪気があったわけじゃない。部屋を間違えただけだってさ」
「でも、それにしては、やけに馴染んでない?」
「どうやら美結の知り合いみたいで。昔の同僚なんだと」
「えっ、美結さんの? そうだったんだ……」
咲夜が納得したように頷く。
俺はあかりに向き直り、肩をすくめた。
「ほんと、世間って狭いよなぁ」
「……あ、はは。そうですね……」
あかりは愛想笑いを浮かべたが、その瞳は笑っていなかった。
探るような鋭い光を宿して、俺と咲夜を交互に見ている。
「……そういえば」
あかりが俺の前に膝をつき、顔を覗き込んでくる。
「咲夜先生、さっきこの子のこと『師匠』って呼びましたよね?」
「え? あ、うん」
「それに、お嬢ちゃん。先生に対してタメ口だし、その落ち着き払った態度……どこかで聞いたことのあるような……」
あかりが俺の顎先に指を当てる。
「いや、よく知ってる……咲夜ママとよく配信してる、『AL1-SA』の声とノリ、そのまんまなんだけど」
ギクリとする。
あかりは俺の目を覗き込み、確信に満ちた笑みを浮かべた。
「ねえお嬢ちゃんって、もしかして――AL1-SA?」
……ダメだ。
この手の女の勘は、FBIより鋭い。
それに、咲夜への態度を見られた後では、もう隠し通せる段階じゃない。
俺は観念して、小さく溜め息をついた。
「……その通りだ。俺はAL1-SAだよ」
「えっ、マジ!?」
あかりがガバッと身を乗り出す。甘い匂いが鼻をくすぐる。
「うっわ、すごい! 本物のAL1-SAだ! 私ファンなんです! ずっと配信見てました!」
あかりは興奮気味に俺の手を握ったが、すぐに「……あれ?」と眉を寄せた。
「でも待って。AL1-SAって、もう何年も前から配信してるよね? お嬢ちゃん、今いくつ?」
「……八歳だ」
「計算合わなくない……? 二歳とかから配信してたってこと?」
鋭い。
俺は咲夜と顔を見合わせた。
咲夜が「あーあ」という顔をしている。
……まあ、いいか。
Vの世界では中の人の情報を口外するのはご法度だ。
企業Vである以上そのへんのコンプラはしっかり教育されているだろう。
「……信じないかもしれないが」
俺は、真正面からあかりを見据えた。
「俺には前世の記憶がある。中身は、中年のおじさんだ」
「――は?」
あかりがぽかんと口を開けた。
数秒の沈黙の後。
「……マジで? 人生二回目ってこと? 配信で言ってたことは本当だったの?」
「ああ」
「うっわ、すっご……! え、じゃあ、このかわいい女の子があのAL1-SA!?」
引くどころか、あかりはさらに目を輝かせた。
「さすが幼女師匠! やっぱタダモノじゃないと思ってたわー!」
……順応性が高すぎる。夜の世界で生きる女は逞しい。
「私さぁ、ずっと憧れてたんですよ! いつか『姉妹コラボ』したいなって思ってたんですけど、中身がおじさんって聞いてたから、コラボは難しいかなぁ……って思ってたんですけど」
あかりが顔を輝かせる。
「こんな可愛い女の子なら、コラボ問題ないじゃないですか! ね、やりましょうよ! 姉妹コラボ!」
「断る」
俺は即答した。
「えー、なんでですかぁ。ケチー」
「俺の年齢と性別はトップシークレットだ。リスナーに取ってみたらおじさんと絡んでいることに変わりないだろ?」
俺が冷たく返すと、あかりは頬を膨らませた。
「えーっ……じゃあ、咲夜先生を入れた3人のコラボならどうです!? それなら『家族コラボ』ってことで、ユニコーンのお兄さんたちも許してくれますよね?」
あかりが咲夜を見る。咲夜は「え、私?」と目を白黒させている。
……なるほど。この女、緩いくせに、そういうファン心理だけは妙に真面目に計算してやがる。
「……まあ、それならギリギリ考えなくもないけど」
「やった! 言質とったー! ありがと、姐さん!」
あかりはケラケラと笑い、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
緩くて、だらしなくて、でもオタクの夢を守ることには真面目な夜の蝶。
とんでもない「歌姫」が、俺たちの日常に転がり込んできたものだ。




