第28話 星空に響くウタ
季節が巡り、俺たちも小学二年生になった。
教室の階が一つ上がっただけ――それだけの変化のはずなのに、子供の世界では大きな出来事だ。
新入生が入ってきて、廊下のざわめきが増え、教室の空気もどこか落ち着かない。
そんな春の、ある昼休み。
俺たちはいつものように、旧校舎に作った通称『秘密基地』に集まっていた。
「……ふむ」
俺は持参したタブレットを膝に乗せ、昨晩行われたあるVTuberのデビュー配信のアーカイブを再生していた。
銀髪に、星屑を散りばめたような瞳。
俺のママである咲夜がデザインした新人――『星空ルナ』。
画面の中で、彼女は背筋を正し、深く一礼する。
『――ご、ごきげんよう。地球の皆様。今宵も、月が綺麗ですわね……』
設定は「銀河の果てから来た深窓の令嬢」。
そのロールプレイを守るためだろう。
中の人は、必死にお嬢様口調を作っている。
だが、その声はどこか硬く、息継ぎのたびに、ほんのわずかな震えが混じっていた。
「ねーねー、アリサちゃん。なに見てるのー?」
俺が難しい顔をしていたせいか、ヒナが背中からひょいと顔を覗き込んできた。
「ん? これか。昨日デビューしたVTuberだよ。星空ルナって娘」
「へー! 見たい見たい!」
俺はタブレットを少し傾け、ヒナにも画面が見えるようにした。
動画の中では、美少女アバターが、ぎこちない笑顔のまま丁寧に言葉を選んでいる。
「わぁー! キラキラで可愛いー!」
ヒナは素直に感嘆の声を上げたが、数秒もしないうちに首を傾げた。
「……でもさ、この子、ちょっと震えてない? あと、喋り方が変。なんか……本、読んでるみたい」
子供の直感は、容赦がない。
ヒナの目には、ルナが「演技」に全神経を注いで固まっているのが、はっきり映っているらしい。
動画の中で、ルナが歌い始めた。
選ばれたのは、誰もが知る無難なアイドルのバラード。
『――♪』
第一声が響いた瞬間、俺は思わず唸った。
「……上手いな」
お世辞抜きで、レベルが高い。
さっきまでのポンコツなMCが嘘のように、発声は安定しているし、高音の伸びも綺麗だ。
音程は揺れず、息の流れも整っている。
咲夜の描いた「清楚な美少女」というガワに、この歌唱力。
これなら人気が出るのも納得だ。
俺は素直に、「完成されたコンテンツ」だと感心していた。
だが、横にいたヒナの反応は少し違った。
「わぁー、綺麗な声! ……でも、んん?」
ヒナは目を輝かせた後、すぐに小首を傾げた。
「どうした、ヒナ」
「うーん……なんか、窮屈そう?」
「窮屈?」
「うん。なんかね、小さい箱に入ってさ、ぶつからないように縮こまってる感じ! もっとドーンって、手足を伸ばせばいいのにー」
ヒナはそう言って、両手両足を大げさに広げてみせた。
理屈ではなく、体で違和感を感じ取っているらしい。
そして、もう一人。
一ノ瀬ウタは、画面を冷ややかに見下ろしたまま、ぽつりと言った。
「……退屈ね」
その一言は、ヒナの感覚よりも、ずっと冷徹だった。
「え、退屈か? これだけ歌えるのに」
「ええ。上手いわよ」
ウタは淡々と頷く。
「ピッチもリズムも教科書通り。減点法なら、満点に近い」
それだけ言って、興味を失ったように視線を外す。
「でも、それだけ。誰にも嫌われないように、綺麗に整えられただけの音……そんなの、聴いててあくびが出るわ」
三者三様の評価だった。
上手い。綺麗。破綻もない。
――なのに、どこにも引っかからない。
胸に残るはずの余韻が、最初から用意されていないような気がして、俺も違和感を覚えた。
ウタは画面から視線を外し、窓の方へ戻ろうとして――ふと、立ち止まった。
「……Vtuberなら、この娘より気になるのがいるわ」
「へえ。誰だよ」
「同じ絵師が描いてる……『AL1-SA』ってやつ」
一瞬、思考が止まった。
心臓だけが、やけに大きな音を立てる。
「……っ」
慌てて唾を飲み込み、視線を逸らす。
「どうしたの? ありちー?」
ヒナが、不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「な、なんでもない!」
慌てて誤魔化す俺をよそに、ウタは遠くを見るような目で呟いた。
「あの娘は……自分に嘘をついてない気がするから」
「……どういう意味だ?」
「ガワは作り物。でも、中身は自由。言いたいことを言って、やりたいことをやってる……ちょっとだけ、羨ましい」
羨ましいと言われて、嬉しさより先に、胸がちくりと痛んだ。
……今の俺は、嘘をついたまま、ここにいる。
◇
その日の放課後。
俺は、ルナについて話すために、咲夜のマンションを訪れていた。
「……はぁ……ルナちゃん、どうしたものかしらねぇ」
リビングで洗濯物を畳みながら、咲夜が大きく溜め息をつく。
話題は当然、デビューしたばかりの『星空ルナ』だった。
「この前ね、事務所の担当さんと打ち合わせしたのよ。そしたら、担当さんがこう言ってたわ。『ルナちゃん、真面目すぎるんです』って」
「真面目……?」
「ええ。事務所としてはね、元バンド女子のラフさと、私の清楚っぽい絵のギャップを狙ってたらしいの」
咲夜は苦笑しながら、スマホのチャット画面を俺に見せた。
そこには、「もっと崩していいよ」という言葉に対する、あかりからの返信が並んでいる。
ルナ:『滅相もございません! 神宮寺先生の美しい絵を、私の薄汚い言動で汚すわけにはいきませんわ!』
ルナ:『清く、正しく、美しく! 事務所の看板に泥は塗りませんわ!』
「……文面まで、完全にロールプレイだな」
「でしょ? 『無理しないで』って言えば言うほど、『実力不足ですみません!』って、自分を追い詰めちゃうのよね……」
咲夜は困ったように眉を下げた。
「私の絵が縛りになってる、というより……あの子が、私の絵を縛りにしちゃってるのかもしれない」
俺は黙って頷いた。
事務所は、あかりの「野生」を買った。
だが彼女自身は、「理想のルナ」という幻影に怯え、
自分の手で自分を檻に閉じ込めている。
誰のせいでもない。
強いて言うなら、それは――誠実すぎるがゆえの、自縄自縛。
咲夜の言葉を聞きながら、胸の奥に、昼休みに感じた違和感が静かに重なっていく。
綺麗で、正しくて、でもどこか息苦しい――あの歌。
嘘で塗り固めた歌姫。
嘘を見抜く天才少女。
そして、その両方の事情を知りながら、正体を隠して生きる俺。
この歪な関係が、ひとつの「音」で繋がる日は、
もう、すぐそこまで迫っていた。
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