第18話 おっさん、ランドセルを背負う
桜が舞い散る四月。
俺こと南雲アリサは、玄関の姿見の前で、自分の姿を入念にチェックしていた。
鏡に映るのは、学校指定の白いブラウスにチェックのスカート、背中に艶やかな真紅のランドセルを背負った六歳の幼女。
ふわりとした栗色の髪をした、ピカピカの一年生だった。
「……うん。悪くない」
俺は背中の革の感触を確かめながら、独りごちた。
有名メーカーの最高級本革製。お値段、約八万円。
購入する際、俺が自分の稼ぎから出すと言っても、美結は頑として譲らなかった。
『ダメよ。ランドセルは、ママが買うの……これは親の役目なんだから』
その時の美結の、真剣な眼差しを思い出す。
普段はだらしないが、こういう親としての役割は果たそうとする。
それが、南雲美結という人の在り様だった。
ならばせめて安いものでいいと俺が食い下がると、彼女はきょとんとしてから、諭すように言った。
『ママね、難しいことは分かんないけど……高いものは裏切らないってことだけは知ってるの』
彼女は夜の店での経験則を、大真面目に語った。
『一流のものはね、持ってるだけで勇気をくれるし、周りが優しくしてくれるのよ。だからケチっちゃダメ。これはアリサちゃんが、この先ずっとニコニコしてられるための、必要経費なんだから!』
彼女にとってブランド物は見栄ではない。
世間の冷たさから娘を守るための、防具のようなものなのだ。
俺には理解できない価値観だが、親が子を思う気持ちは、痛いほど分かった。
「アリサちゃーん! 準備できたー?」
リビングから、やけに明るい声が響く。
俺はああと短く答え、振り返った。
そこには、淡い桜色のスーツに身を包んだ美結が立っていた。
夜の仕事をしているせいか、どれだけ抑えても隠しきれない華やかさが滲み出ている。
気合を入れて巻きすぎた髪、少し高すぎるヒール、ブランドロゴが主張するバッグ。
一般的な母親像のお洒落とは、どうしても噛み合わない。
仕方ないとも言える。
俺が保育園や幼稚園をスキップした結果、母親として集団行事に参加するのは、これがほぼ初めてなのだ。
美結自身も、そのことを分かっているのだろう。
珍しく、不安そうな表情を浮かべていた。
「ど、どうかな……? ママ、変じゃない?」
確かにどこかちぐはぐだが、どう直せばいいのかは俺にも分からない。
前世の嫁である華なら、適切なアドバイスができたかもしれないが。
「変じゃないぞ。世界一、自慢のママだ」
だから、俺は素直な感想を伝えることにする。
美結の顔が、パッと輝いた。
「ほんと!? えへへ、よかったぁ……!」
彼女は安堵の息を吐き、俺に手を差し伸べる。
「さあ、行こっか! アリサちゃんの晴れ舞台だもんね!」
俺たちは手を繋ぎ、春風の中を歩き出した。
その手が緊張で少し汗ばんでいることに、俺は気づかないフリをして、そっと握り返した。
◇
小学校の校門前は、入学式の看板の前で写真を撮ろうとする親子連れでごった返していた。
そして――残酷なことに、美結の懸念は的中していた。
周囲の母親たちは、判で押したように紺やベージュの落ち着いたスーツ姿。
メイクも控えめで、いわゆる良識ある家庭の空気を完璧に纏っている。
その中で、桜色のスーツに巻き髪の美結は、どうしても浮いて見えた。
「……あら、あの方……」
「ちょっと派手ねぇ……香水もキツいし」
「お若いけど……夜のお仕事なのかしら。父親の姿もないし」
すれ違いざま、遠慮のないヒソヒソ声が、刃物のように鼓膜を差す。
美結の肩が、ぴくりと強張った。
彼女は俯き、握っていた俺の手を、申し訳なさそうに少し緩めようとする。
(……ごめんね、アリサちゃん。ママが一緒だと、恥ずかしいよね)
声に出さずとも、彼女の心の声が、痛いほど伝わってきた。
自分のせいで、娘まで後ろ指を指されるかもという恐怖。
自分が普通ではないのだという、根深い劣等感。
――ふざけるな。
俺は内心で吐き捨て、緩みかけた美結の手を、逆にぎゅっと強く握り返した。
「……ッ、アリサちゃん?」
「大丈夫だよ、美結」
俺は前を見据えたまま、小さく、しかしはっきりと言う。
「美結は何も悪くない。私をここまで育てた、立派なママなんだから」
その事実を、黙らせるほどの形で示してやる。
幸いにも、俺にはそのための手段がある。
「……うん……うんっ!」
美結が鼻をすすり、顔を上げた。
その目には涙が滲んでいたが、もう俯いてはいなかった。
◇
体育館での入学式。
パイプ椅子に座らされた新入生たちは、開始数十分で、もう限界を迎えていた。
ガサゴソと動き回り、あちこちで私語が始まる。
まあ、六歳児にじっとしていろというのは、中々難しいものだ。
中身がおっさんな俺だって、退屈で仕方ないのは事実だし。
「続きまして、在校生代表、お祝いの言葉」
司会の声と共に、六年生の男子児童が壇上に上がった。
生徒会長だろうか。
緊張で声が裏返っている。
「新入生のみなさん、ご入学、おめでとうございます……! 学校は、楽しいところです。お友達をたくさん作って、一緒に、遊びましょう……わからないことがあったら、ぼくたちに、きいてください!」
たどたどしいが、一生懸命で子供らしい挨拶だ。
会場の保護者たちからも、微笑ましい拍手が送られる。
「ありがとうございました……続きまして、新入生代表、挨拶」
自分の名前が呼ばれるのを待ちながら、俺はスッと息を吸った。
なぜか俺が代表に選ばれてしまったのだ。
事前の知能テストで全力を出したのが原因だろう。
「南雲亜璃紗さん」
「はい」
俺は短く、通る声で返事をし、起立した。
スカートのプリーツを払い、背筋を伸ばし、迷いのない足取りで壇上へと向かう。
マイクの前に立つ。
少し高すぎるので、手で高さを調節する。
その手付きがあまりに手慣れていることに、教頭先生が少し驚いていた。
俺は会場を見渡した。
不安そうな美結の顔が見える。
大丈夫だ、任せろ。
お前の娘がどれだけ出来た人間か。ここで見せつけてやる。
「本日は、私たち新入生のために、このような盛大な式を挙行していただき、誠にありがとうございます」
第一声。
VTuber活動で鍛え上げた、活舌の良い、落ち着いた声。
ザワッ……。
会場の空気が一変する。子供の挨拶ではない。
「校長先生をはじめ、諸先生方、ならびにご来賓の皆様、そして在校生の皆様からの温かい励ましのお言葉、身に余る光栄に存じます」
俺は淀みなく続ける。
中身はアラフォーの社会人だ。プレゼンやスピーチの経験など腐るほどある。
さっきの六年生とは、知識も、場数も比べものにならない。
「私たちはまだ、右も左も分からぬ若輩者です。時には道に迷い、皆様にご迷惑をおかけすることもあるかと思います。しかし、この伝統ある学び舎で友情を育み、知識を深め、社会の一員として羽ばたくための礎を……」
――あ、ちょっとやりすぎたか?
横目でチラリと見ると、校長先生が口をポカンと開けて固まっていた。
六年生の生徒会長に至っては、負けた……とばかりに青ざめている。
(……まあいい。これくらいのインパクトがあったほうが、美結の株も上がるだろう)
俺はニッコリと営業スマイルを浮かべ、締めくくった。
「新しい生活への希望を胸に、一日一日を大切に過ごしていくことを、ここに誓います。……令和〇年、四月吉日。新入生代表、南雲亜璃紗」
ペコリ、と優雅に一礼。
その角度は、完璧な45度。
シーン……。
会場が水を打ったように静まり返る。
そして――
パチ……パチパチ……ドッッ!!
割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「す、すげぇ……」
「あの子、何者? 子役のタレントとか?」
「しっかりしてるわねぇ……」
ざわめきの中、俺は涼しい顔で席に戻った。
美結の方を見ると、彼女は派手なハンカチで目元を押さえ、静かに涙を流していた。
その顔は、誰に恥じることもない、立派な母親の顔だった。
(……どうだ美結。自慢の娘だろ?)
俺は心の中でVサインをした。
これで、周囲の美結を見る目も変わるはずだ。
派手な母親から天才児を育てた母親へと、評価が上書きされたに違いない。
◇
式が終わり、教室へ移動する。
そこは、秩序という概念が消滅した動物園だった。
「ギャハハハ! お前うんこー!」
「ママー! おうち帰るー!」
「戦いごっこしようぜ! 必殺、サンダーボルト!」
走り回る子供たち。飛び交う奇声。
俺は自分の席に座り、悟りを開いた目でそのカオスを眺めていた。
まあ、前世で子育てしてきた身だ。
これくらい日常茶飯事だったから、ある意味懐かしくも思う。
――その時だった。
パサッ。
背後で、軽い風圧を感じた。
同時に、太ももの裏あたりが、ひやりと露出する。
「うぇーい! パンツ見えたー! 白ー!」
振り返ると、鼻水を垂らした男子が、俺のスカートをめくり上げてニヤニヤしていた。
……スカートめくり。
令和の今でも絶滅していなかったのか、この前時代的な愚行は。
(……チッ)
俺は無反応で返しながら、内心で盛大に舌打ちをした。
見られたのは白の女物だ。
不本意だが、制服で男物のパンツを履くわけにはいかない。
TPOを弁えるのが大人というものだ。
だが、それを他人の好奇の目に晒されるのは、また別の話だ。
(……教育が必要だな)
俺はスカートを捲られたまま、ゆっくりと男子に向き直った。
そして、聖母のように慈悲深く――ニッコリと微笑んだ。
「……元気だね。でも、知ってるかな?」
「え?」
俺は首を傾げ、優しく、諭すように言った。
「スカートを捲るのはね、迷惑防止条例違反っていう立派な犯罪なんだよ?」
「えっ……は、はんざい……?」
「うん。痴漢と一緒。お巡りさんに逮捕されて、お家の人も学校に呼ばれて……君、大変なことになるかもね。それでもいいなら、続けてもいいけど?」
俺は笑顔を崩さない。目は笑っていないが。
男子の顔色がみるみる青ざめていく。
もし俺が泣いたり怒ったりしていたら、面白がられていただろう。
だが、条例だの警察だのは、子供にとって未知の恐怖だ。
「ご、ごめんなさいぃぃ……!」
男子は涙目になり、脱兎のごとく自分の席へ逃げ帰っていった。
よし、説得完了。
俺はスカートのプリーツを丁寧に直し、何事もなかったかのように席に座り直した。
「はーい、みんな席についてー! チャイム鳴りましたよー!」
パンパン、と手を叩く音。
担任の佐藤先生が、ようやく動物園の管理に乗り出したらしい。
先生の懸命な呼びかけにより、暴れ回っていた子供たちが、ようやく席に着く。
「それじゃあ、一人ずつ自己紹介をしましょうか。お名前と、好きなものを教えてね」
先生の合図で、元気な挨拶が始まった。
「オレ、田中タケシ! ユーチューバーになる!」
「リカだよ! プィキュアになりたいの!」
微笑ましい。
だが、俺の狙いは一つ――不可侵領域の確保だ。
俺は静かに席を立ち、背筋を伸ばした。
「……はじめまして」
鈴を転がすような、清楚で落ち着いた声。
スカートの端を軽く掴み、優雅に一礼する。
「南雲アリサです。好きなことは読書と、母さんのお手伝いです」
教室が、しんと静まり返った。
さっきスカートをめくってきた男子も、口を開けたまま固まっている。
「クラスのみんなと仲良く、楽しい学校生活を送りたいと思っています……以上です。よろしくお願いします」
完璧だ。
百点満点の出来すぎた新入生。
先生からは手のかからない良い子として信頼され、子供たちからはなんかスゲー奴として
一目置かれるポジションを確立する。
「す、すごいわね南雲さん……とっても立派なご挨拶でした!」
先生が感動したように拍手する。
これで安泰だ。
このキャラを維持しつつ、誰とも深く関わらず、波風立てずに六年間をやり過ごす。
――それが俺のサバイバル戦略だ。
そう、確信していたのだが。
「次は、隣の……一ノ瀬さん?」
呼ばれて立ち上がったのは、長い黒髪の少女。
日本人形のように整った顔立ちに、透き通るような白い肌。
だが、その瞳には光がない。
深い深淵を覗き込むような色をしていた。
「……一ノ瀬詩です」
ボソリと呟くような声。
彼女は誰とも視線を合わせず、興味なさそうに言った。
「好きなものはありません……以上」
ドサッ。彼女はすぐに椅子に座り込み、周囲を拒絶するように窓の外を向いてしまった。 教室がざわつく。
(……なんだ、あいつ)
俺は横目で、その少女――一ノ瀬詩を見た。
ただの人見知りか? いや、違う。
あの目は、この教室の空気そのものをくだらないと見下している目だ。
さらに、その反対側の席。
元気よく立ち上がったのは、茶髪ショートの少女だった。
「私は日向陽菜! 好きなことは木登りと、虫取り! 夢は、えっとぉ……世界征服!」
ニカッと笑うその顔には、制御不能な生命力が溢れている。
どう見ても野生児だ。
右に孤独な天才(推定)。
左に制御不能の野生児。
そして真ん中に、中身おっさんの猫被り優等生。
(……前途多難だな)
俺は小さくため息をついた。
平穏無事な学校生活という計画に、早くも暗雲が立ち込めている気がした。




