第15話 父親と名乗るインベーダー
※前の14話ですが、更新日12/28 17時~22時頃まで本文の途中が大幅に抜けたミスがありました。お手数ですが該当される方は再度前話ご確認いただけましたら幸いです。お手数をおかけします。
ピンポーン。
無機質なチャイムの音が、張り詰めた空気を切り裂いた。
「は、はーい!」
美結が弾かれたように玄関へ向かう。
鏡の前で何度も笑顔の練習をしていたその顔は、今は恐怖と期待が入り混じった、泣き出しそうな表情で歪んでいた。
ガチャリ。ドアが開く。
「……よお、美結。久しぶり」
入ってきたのは、海藤健二という三十代半ばの男だった。
痩せ型で、色素の薄い茶髪を少し長めに残し、安っぽいスーツを着崩している。
かつてはバンドマン崩れでモテたのだろう。目元には確かに人を惹きつける愛嬌のようなものが伺える。
……腐った果実のような、甘ったるい愛嬌が。
「い、いらっしゃい健二くん。どうぞ、上がって」
海藤は「お邪魔しますよ」と革靴を脱ぎ、ズカズカとリビングに入り込んできた。
その視線が、部屋の中を舐め回すように動く。
大型テレビ、高級ブランドの加湿器、美結のバッグ。
値踏みだ。
久しぶりに会った元恋人の家に対する感慨ではない。
空き巣が金目の物を探す目つきだ。
そして――その視線が、ソファに座る俺に向けられた。
海藤が目を細める。
「へぇ……これが、俺の……」
俺と目が合う。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
(……こいつが)
俺の身体の遺伝子の半分を提供した男。美結を孕ませ、認知もせずに逃げた男。
「私と健二くんの娘、アリサだよ」
こいつと血が繋がっているという事実だけで、吐き気がする。
「初めまして、だね……パパだよー」
海藤が膝をつき、目線を合わせてくる。
作られた笑顔。目の奥が笑っていない。
俺を見る目は、我が子を見る目ではなかった。
同情を誘うための道具か、あるいは美結を繋ぎ止めるための鎖か。
「……」
俺は無言で、美結の後ろに隠れるフリをした。
怯えている演技ではない。本能的に距離を取りたかったのだ。
「ごめんね、人見知りで……」
「いいっていいって。突然パパだなんて言われても、驚くよな……これから時間をかけて、本当の家族になっていけばいい」
海藤は立ち上がり、美結の肩に馴れ馴れしく手を置いた。
美結がビクリと震えるが、拒絶はしない。
「座ってくれよ。話したいことが山ほどあるんだ」
海藤はソファの真ん中にドカッと座り、出されたお茶を一口飲んだ。
そして、堰を切ったように語り始めた。
「美結……本当に悪かった。あの頃の俺は、若くて、バカだったんだ」
懺悔の時間だ。
夢を追いかけていたこと。
怖くなって逃げ出してしまったこと。
だが、片時も美結と子供のことを忘れたことはなかったこと。
「俺もさ、お前と別れてから色々あってさ……色んな女を見たけど、やっぱり、俺にはお前しかいないって気づいたんだよ」
ペラペラと、よく回る舌だ。
美結はそれを、砂漠で水を飲むように必死に吸収している。
彼女が一番欲しかった言葉。「愛している」「必要だ」「お前だけだ」。それらを的確に並べている。
「俺も心を入れ替えてさ、今は事業を立ち上げて頑張ってるんだ……これからは俺が、二人を守りたい」
海藤が美結の手を握りしめ、真剣な眼差しで見つめる。
「美結。俺と、やり直してくれないか? 三人で、一緒に暮らそう」
「……っ!」
美結の瞳から、涙が溢れた。
これだ。彼女が夢見ていた「普通の幸せ」。
パパとママと子供がいる、当たり前の家庭。
それが今、目の前に差し出されている。
(……上手いな)
俺は冷めた目で観察を続けていた。
いきなり金の話はしない。
まずは「家族」という甘い夢を見させ、美結の警戒心を完全に解く。
一緒に住もうという提案も、家賃を浮かせて美結のヒモになるための布石だろう。
だが、完璧な演技に見えても、綻びはある。
こいつはさっきから、チラチラと時計を見ていた。
そして、俺に対しては、最初の挨拶以来、一度も話しかけてこないし、視線も合わせない。
興味がないのだ。美結という「財布」にしか用がないから。
「……嬉しい。私、ずっと……」
美結が海藤の肩に寄りかかろうとする。
完全に落ちた。そう確信したのだろう。
海藤の口元が、微かに歪んだ。
「ああ、俺も嬉しいよ……やっと、本当の人生が始められる」
海藤は一呼吸置き、さも「ついで」のように、あるいは「些細な障害」のように切り出した。
「でもな、美結……その『新しい生活』を始めるにあたって、ひとつだけ問題があるんだ」
「え? 問題?」
「今の事業のことなんだが……ちょっとしたトラブルに巻き込まれててな。このままだと、俺たちの未来が閉ざされちまうかもしれないんだ」
――来た。
たっぷりと時間をかけて信頼させ、未来を提示し、最後にそれを人質に取る。
詐欺師の常套手段だ。
「この子が小学生になる前に、安定した生活基盤を作りたいんだ……美結、少しでいいんだ。協力してくれないか? 将来のためだ」
「えっ……で、でも、私……」
「あるだろ? こんな良いマンションに住んでるんだから……百万、いや五十万でいい。来月には倍にして返すから」
海藤が握った手に力を込める。
美結が揺らいでいる。
「子供のため」「将来のため」という言葉は、母親にとっての殺し文句だ。
(……もう、十分だな)
俺はスマホを握りしめた。
咲夜への合図を送る準備はできている。
だがその前に――
俺は、三歳児の仮面を被ったまま、海藤の前に進み出た。
最後に一つだけ、確認しておきたいことがあった。
「ねえ、パパ?」
「……あ? なんだよ」
海藤が、水を差されたことに苛立ちを隠さずに俺を見た。
俺は俯き、スカートの裾をぎゅっと握りしめて言った。
「うち……おかね、ないの」
「え?」
「ママ、いつもいっしょうけんめい、はたらいてるけど……食べるものも、あんまりなくて……」
俺は上目遣いで海藤を見た。
「パパが、おかねくれるの? おいしいごはん、たべさせてくれる?」
美結が「えっ、アリサちゃん?」と驚いて俺を見るが、俺は無視して海藤を見つめ続けた。
さあ、どう出る。
「金がない」と言ったら、この男はどう反応する?
海藤の眉がピクリと動いた。
一瞬、舌打ちしそうな顔になり――次の瞬間、ねっとりとした視線を美結に向けた。
品定めするような、いやらしい視線だ。
「……そっかぁ。お金、ないのかぁ」
海藤は、ニタリと笑った。
「でも大丈夫だぞ、アリサちゃん。ママは美人だからなぁ……もっと上手な稼ぎ方がある」
「え……?」
美結がキョトンとする。
海藤は美結の太ももに手を這わせ、耳元で囁くように言った。
「俺、いい仕事知ってるんだ。美結は、すごく人気が出ると思う……簡単な『接客』をするだけで、大金が手に入るんだ」
――ああ、ダメだこいつ。
コイツは今、自分の子供の前で、母親に「身体を売れ」と言った。
風俗か、あるいはもっと劣悪な何かか。
自分は働かず、美結を食い物にして生きていく。その宣言だ。
更生の余地なし。情状酌量の余地なし。
俺の中で、裁判官のハンマーが打ち鳴らされた。
「……そっかぁ」
俺は小さく呟き、ふっと笑う。
幼児がするような表情ではない。
――有罪判決は、下った。
他人を容赦なく切り捨てる、酷薄な大人の笑みだ。
「ダメだな、お前」
「……あ?」
声色が変わったことに、海藤が怪訝な顔をする。
俺はソファの上に立ち上がり、汚物を見るような目で海藤を見下ろした。
「おい咲夜。始めろ」
指を鳴らす。
同時に、リビングの大型テレビが青白く光った。
――さあ、断罪の時間だ。
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