『市場の少女と、再会した災厄にゃ』
向かったのは王都で最も賑わう市場だ。
クラウスの肩に揺られながら、俺は久しぶりに市場の活気を感じていた。
八百屋の親父の怒鳴り声。肉屋の香ばしい匂い。
その一つ一つが、錆びついていた記憶の扉を叩く。平和だ。だが、この平和が仮初めのものであることを、俺だけが知っている。
その時、俺の視線が、市場の片隅に座る一人の少女に釘付けになった。
地面にゴザを敷き、わずかなリンゴを並べている。
薄汚れてボロボロの服を着ているせいで目立たないが、その容姿は異質だった。
月明かりのような金色の髪。
そして、湖の底を思わせる深緑がかった青い瞳。
年齢は十六歳くらいだろうか。今は満足に食事も摂れていないのか、痛々しいほどに痩せ細っている。
だが、その骨格やパーツの配置は整っており、栄養をつけて磨けば、国が傾くほどの美女になるであろう「原石」の輝きを秘めていた。
(……あの子は)
何か、記憶に引っかかる。
ただの貧民街の娘じゃない。その瞳の奥にある、鋭利な光。どこかで見覚えがある。
(……だめだ、思い出せない)
俺は、クラウスの耳元で小さく鳴き、【思考誘導 Lv.2】を送った。
(あの子が気になる。話しかけてみろ)
Lv.2の精度は抜群だった。
クラウスはふと足を止め、少女の方を見た。
「……あの子、一人でリンゴを売ってるのか?」
彼は憐れみを感じたのか、少女の前に立つ。
「リンゴを一つ、ください」
少女は警戒心に満ちた目でクラウスを見上げると、細い腕でリンゴを一つ掴み、おずおずと差し出した。
「……銅貨、一枚」
かすれた声。だが、芯のある声だった。
クラウスが代金を支払うと、少女はリンゴの籠を抱きしめ、すぐにその場から駆け出した。
その瞬間、事件は起きた。
ドォォン!!
少女が駆け出した路地に、一台の豪華な馬車が猛スピードで飛び込んできたのだ。
ここは馬車進入禁止のエリアのはずだ。
馬車は急ブレーキをかけ、少女の目の前で砂埃を上げて急停止した。
「キャッ!」
少女は驚いて尻餅をつき、持っていたリンゴを地面にばら撒いてしまった。
馬車の扉が乱暴に開き、中から一人の男が降りてきた。
丸々と太った体型に、脂ぎった顔。高価だが趣味の悪い服。
その男の顔を見た瞬間、俺の頭の中に警報が鳴り響いた。
(バロン・ボルク! あの豚貴族だ!)
男は怒りに顔を真っ赤に染め、地面に座り込む少女を、汚いものでも見るように見下ろした。
「貴様、俺の道を遮るとは何事だ! この馬車は急いでいるのだぞ! 貴様ごとき野良犬が道を汚すな!」
貴族は怒鳴りつけると、少女を汚いものでも見るように見下ろした。
少女は恐怖のあまり後ずさった。その拍子に、持っていたリンゴの籠に足を取られ、そのまま露天の屋台に無様に突っ込んだ。
「ひっ……!」
少女は顔を歪ませ、突っ込んだ屋台の中で、リンゴがさらに散乱し、踏みにじられる。
それを見たクラウスが、怒りに震え始めた。
「な、なんてことを……! あいつ!」
クラウスが飛び出そうとする。
だが、俺は反射的に彼の首筋を前足で強く押さえつけた。
(だめだ! クラウス!)
俺は全力で思考誘導を発動した。
俺の脳裏に、鮮明な記憶がフラッシュバックする。
そうだ、思い出した。
――過去の歴史では、ここで正義感に駆られた俺がこの豚貴族をぶん殴った。
そのせいで逆恨みされ、下級貴族だったバウマン家は少ない所領を取り上げられてしまう。病弱だった母さんはその心労で死に、父さんは多額の借金を背負う。
それが、バウマン家没落の決定的な要因となったのだ!
(ここで手を出してはいけない! ここで我慢すれば、母さんも父さんを死なずにすむ!)
俺は全身の毛を逆立てて、必死にクラウスにしがみついた。




