『没落貴族の晩餐と、忍び寄る悪意にゃ』
山を一つ隔てた隣領。
かつて栄華を極めたヴァイスハイト伯爵邸の食堂は、まるで墓場のように静まり返っていた。
広いテーブルに座っているのは、当主であるヴァイスハイト伯爵と、その息子ガーラントの二人だけだ。
キィ、キィ……。
静寂を裂くのは、ナイフが皿を擦る不快な音だけ。
ガーラントは苛立ちを隠そうともせず、目の前の肉塊にナイフを突き立てていた。
「……硬いッ!!」
ガチャン! とガーラントがナイフとフォークを投げ出した。
彼は口の中に含んだ肉を、ペッ、とナプキンの上に吐き出した。
「なんだこれは! ゴムか!? こんな噛み切れない肉が食えるか!」
「も、申し訳ございません、ガーラント様……」
痩せこけたシェフが、震えながら頭を下げる。
かつて王都の一流店から引き抜いてきた彼も、今や給金すら支払われず、逃げ出す機会を窺っているような目つきだった。
「食糧費が削られておりまして……いつもの牛肉を仕入れることができず、質を下げざるを得ませんでした」
「だからって、これは何の肉だ!?」
「……野生のオークの肉でございます」
「オークだァ!? ふざけんなッ!!」
バシッ!!
ガーラントは皿を掴むと、シェフの顔めがけて肉ごと投げつけた。
脂ぎったソースと硬い肉がシェフの顔面を打ち、床に無惨な音を立てて落ちる。
「俺を誰だと思ってる! ヴァイスハイト家の次期当主だぞ! オークの肉なんぞ豚の餌だろ!」
「ヒッ、ひぃ……す、すぐに片付けます……!」
「出て行け! 顔も見たくない!」
シェフが逃げるように去っていくと、ガーラントは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「……親父、こんな生活はもう耐えられない」
ガーラントの声は震えていた。
「屋敷のメイドは全員解雇。庭師も御者もいなくなった。お袋も『実家に帰る』と言ったきり、連絡すら寄越さねえ」
彼はギリリと歯軋りをする。
「今まで俺を慕って擦り寄ってきていた連中もだ。俺に金がないと分かった瞬間、蜘蛛の子を散らすように消えやがった。……俺の機嫌を取っていた女たちも、今は誰も寄り付かない。みんな俺を笑ってやがるんだ!」
かつて金と権力で周囲を侍らせていた男の末路だった。
金の切れ目が縁の切れ目。彼自身に人望など欠片もなかったという事実が、残酷なまでに突きつけられている。
「……落ち着け、ガーラント」
それまで黙ってワイン(といっても、かつてのヴィンテージではなく安酒だ)をあおっていたヴァイスハイト伯爵が、低く唸るように口を開いた。
その目は落ち窪み、血走っている。
「全ては……あの忌々しいバウマン家のせいだ」
伯爵はグラスを握り潰さんばかりに力を込めた。
「奴らが、我々の富を盗み去ったのだ」
完全に常軌を逸した言いがかりだった。
だが、狂気に蝕まれた伯爵の脳内では、それが真実として構築されていた。
「本来なら、あの『ロートスの森』のダンジョンは、我々が手に入れるはずだったのだ」
伯爵は懐から、古びた一冊の書物を取り出し、テーブルに叩きつけた。
それは、代々ヴァイスハイト家に伝わる、解読不能とされていた古文書だった。
だが、伯爵は私財を投じてその一部を解読させていたのだ。
「この記述によれば、あのダンジョンの深層……第九層の扉には、特殊な魔力鍵が必要だと記されていた。我々はその解法をある程度把握していたのだ! だからこそ、バウマン家を追い落とし、あの森を手中に収めようと画策していたというのに……!」
それが彼らの計画だった。
バウマン家を借金漬けにして土地を奪い、自分たちだけが知る「鍵」を使ってダンジョンの富を独占する。
完璧なシナリオのはずだった。
「まさか、あの田舎者どもが独力で扉を開けるとは……。しかも、あそこにあれほどの富が眠っていたとはな」
窓の外、遠くに見えるバウマン領の方角を見る。
夜だというのに、そこだけ空が明るい。
かつて自分たちが支配していた領民たちが、今やこぞってあちらへ移住し、金を落としている。
「おかげで我々の領地からは人が消え、税収は激減した。……許せん。これは簒奪だ。奴らは我々の未来を強奪した泥棒なのだ!」
自分たちが領民に重税を課し、ダンジョンの取得物に法外な税金をかけて搾取していたことは棚に上げ、伯爵は被害者面で吠えた。
自らの悪政が招いた結果だとは、微塵も考えていない。
「このまま終わらせてたまるか……。あの賑わいも、富も、全て本来は私のものだ」
伯爵の瞳に、どす黒い光が宿る。
彼は引き出しから、裏社会に通じる「黒い手紙」を取り出した。
「……見ていろ、バウマン。すぐにその笑顔を凍り付かせてやる」
その呟きを最後に、会話は途切れた。
床には、ガーラントが投げつけたオークの肉が転がったままだ。
拾う者も、床を拭くメイドも、もうこの屋敷にはいない。
ソースの脂が白く固まっていくその惨めな光景だけが、没落していく彼らの未来を暗示しているようだった。
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