『居酒屋経営とドジっ子破壊神にゃ』
「おい! ビールまだかー!」
「こっちにはロック・リザードのステーキを頼む!」
一階の食事処は、戦場のような忙しさだった。
猫の手も借りたい状況とはこのことだが、俺が手伝うわけにはいかない。
代わりに、あの「最終兵器」が投入されていた。
「おい人間ども! 注文は一度に言え! 聖徳太子ではないのだぞ!」
ホールに響く、可憐だが尊大な声。
そこにいたのは、フリルたっぷりのゴシック・ロリータ風メイド服に身を包んだ、赤髪ツインテールの美少女――人化したイグニスだった。
ちなみにその衣装は、母さんが「まあ! この子、どんな服でも似合うわ!」と目を輝かせ、半ば強制的に着せ替え人形にした結果だ。
本人は「動きにくい!」と文句を言っていたが、ミアへの対抗心から「我も働く!」と言い張って今に至る。
「おい、そこのメイドちゃん! ビール追加!」
酔っ払った冒険者がジョッキを掲げる。
イグニスはツカツカと歩み寄ると、不機嫌そうに仁王立ちした。
『チッ……。我を使い走りにするとは、いい度胸だ。ほらよ!』
ドンッ!!
彼女がジョッキをテーブルに置いた瞬間、凄まじい音が響いた。
テーブルの天板にヒビが入り、ジョッキの取っ手が粉砕される。
「あ」
『む……。またやってしまったか。人間の道具は脆すぎるぞ』
イグニスが悪びれもせずに言う。
これだ。
彼女は人化してサイズこそ縮んだが、中身はドラゴンのままだ。筋力の制御がまったくできていない。
さっきも「ちょっと換気するぞ」と言って窓を開けようとし、窓枠ごと引っこ抜いていた。
普通ならクレーム案件だ。
だが。
「ガハハハッ! すげぇ怪力だ! ねーちゃん、いい腕してるな!」
「その見た目でその暴れっぷり! 最高だぜ!」
「俺のジョッキも握り潰してくれー!」
なぜか客には大ウケだった。
「ドジっ子メイド」ならぬ「破壊神メイド」として、逆に人気が出てしまっている。
イグニスの尊大な態度も、「キャラ作りが徹底している」と好意的に受け取られているようだ。
(……世の中、何が受けるか分からんもんだにゃ)
俺が呆れていると、仕事を終えたイグニスが、ふらふらと俺の方へやってきた。
『……おい、ノワール。疲れたぞ』
彼女は俺の目の前でしゃがみ込むと、上目遣いでジッと見つめてきた。
エメラルドの瞳が、トロンと潤んでいる。
『これだけ働いたのだ。……寄越せ』
「にゃあ(はいはい。給料だ)」
俺はため息をつき、尻尾をイグニスの額にピタリと当てた。
そして、俺の魔力を少しだけ流し込む。
彼女にとって、俺の魔力は極上の「餌」であり、唯一の報酬だ。
『ふにゃぁ……♪』
魔力が流れ込んだ瞬間、イグニスの身体から力が抜け、その場にふにゃりとへたり込んだ。
『はぁ……極楽じゃ……。この濃密な魔力が、凝り固まった身体を芯からほぐしていく……たまらん……』
その瞬間、俺の脳裏に無機質な通知音が響いた。
《対象[イグニス]への【癒し(高濃度魔力供給)】を確認》
《魅了ゲージ上昇……+5%》
《現在値:15%》
(……お?)
俺は思わず耳をピクリと動かした。
相手は古龍だぞ? そんな簡単にゲージが上がるのか?
どうやら、俺の魔力は彼女にとって、想像以上に「効く」らしい。
彼女は目をトロンとさせ、最高のマッサージを受けた後のように、だらしなく頬を緩めてとろけている。
……見た目は美少女なので、なんだか見てはいけない「無防備な姿」を晒している気もする。
周囲の客が「お、おい、あのメイドちゃん、骨抜きにされてるぞ」「猫に癒されて昇天しかけてる……」とざわめいている。
その時だった。
「……ノワ様!!」
厨房の方から、怒気を含んだ声が響いた。
振り返ると、お盆を持ったエレナが、頬をこれ以上ないほどに膨らませて立っていた。
「な、何してるんですか、こんな衆人環視の中で!」
エレナはドスドスと歩み寄ると、とろんとしているイグニスと俺の間に割って入った。
その翠の瞳は、嫉妬の炎でメラメラと燃えている。
「イグニスちゃんばっかりズルいです! 私もいっぱい働いたのに! お皿洗ったのに!」
彼女は俺を抱き上げると、その豊満な胸にギュウッと押し付けた。
「ノワ様の最初の信者は私なんですからね! 魔力はあげられないけど、モフモフされる権利は私にだってあるんだから! 没収です!」
「にゃ、にゃあ……(いや、苦しい! 埋もれる!)」
外ではロビンが子供に揉まれ、中ではイグニスが暴れて餌付けされ、エレナが嫉妬を爆発させる。
ドタバタではあるが、旅館の初日は大成功と言っていいだろう。
俺は騒がしい店内を見渡し、エレナの胸の中で小さく欠伸をした。
(……そういえば、ヴァイスハイト家はこの事態をどう思っているんだろうな?)
次々と運ばれてくる料理と、空になっていく樽。
この光景は、山向こうのヴァイスハイト伯爵家にとっては、悪夢でしかないだろう。
客を奪われ、利権を失い、あちらは今頃、閑古鳥が鳴いて大変だろうな。
だが、同情はしない。
俺たちを……ノワールを無残に殺した罰だ。
(……これは、まだ始まったばかりだ)
俺たちが繁栄すればするほど、あちらの影は濃くなる。
この温かい灯火が、彼らにとっての劫火となるのだ。
せいぜい、指をくわえて見ているといい。
俺は満足げに目を細めると、心地よい喧騒の中でまどろみに身を委ねた。




