『商売繁盛と、動けない守り神にゃ』
翌朝。
バウマン領は、領地が始まって以来の……いや、この国の歴史に残るほどの熱気に包まれていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい! ダンジョン産ロック・リザードの串焼きだよ! 精力がつくよ!」
「お土産に『温泉饅頭』はいかが! 香霊木の蒸篭で蒸した絶品だよ!」
旅館へと続く一本道には、数多くの出店が立ち並び、香ばしい匂いと威勢のいい声が響き渡っている。
かつては閑古鳥が鳴いていた貧乏領地とは、まるで別世界だ。
噂を聞きつけた冒険者や商人、そして近隣の貴族たちが、こぞってこの「黄金の温泉郷」へと押し寄せているのだ。
俺は屋敷の屋根の上から、その光景を呆然と見下ろした。
(……いや、いくらなんでも人が多すぎないか?)
確かに温泉は良いものだが、昨日完成したばかりだぞ?
なんで隣国の商人まで来てるんだ?
俺は不思議に思い、首をかしげた。
「不思議そうですね、ノワール様」
背後から、涼やかな声がした。
振り返ると、完璧なメイド服に身を包んだミアが立っていた。
彼女は懐から「銀縁の眼鏡」を取り出すと、慣れた手つきで装着し、クイッとブリッジを押し上げた。
……ちなみにそれ、ただのガラスが入った伊達眼鏡だ。「商談の時はハッタリが重要です」と言って、彼女が形から入るために愛用しているアイテムである。
「にゃあ?(お前の仕業か?)」
俺が前足で眼下の人混みを指すと、ミアはすべてを察したように頷いた。
「はい。少々、広範囲に『種』を撒いておきました」
ミアは淡々と説明を始めた。
「まず冒険者ギルドには、『Fランクダンジョンで希少な鉱石が発見された』という情報をリーク。商工会には『古龍の加護を受けた奇跡の温泉、万病に効く』という噂を流し、貴族のサロンでは『今、バウマン領の温泉に行かないのは流行遅れ』という空気を醸成しました」
彼女は伊達眼鏡の奥の瞳を細めた。
「人は『得をする』情報と、『特別感』に弱い生き物です。……少し背中を押すだけで、勝手にここまで転がってきてくれますよ」
(……恐ろしい女だにゃ)
俺はドン引きして、ジト目でミアを見た。
彼女は元々「女王」の器だ。人の欲望をコントロールすることにかけては天才的だ。
「それだけではありません。今回、最も大きな収益の柱となるのは、ダンジョンの『魔鉱石採掘』です」
ミアは手元の帳簿を開き、一枚の契約書の写しを俺に見せた。
「魔鉱石の採掘に関しては、冒険者たちと特殊な契約を結ぶことで、バウマン家に利益が永続的に落ちる仕組みにしております」
「にゃ?(契約?)」
俺が小首をかしげると、ミアは契約書を俺の目の高さに合わせて広げた。
「はい。内容は以下の通りです」
【ダンジョン採掘利用規約】
1.鉱石を掘る場合には、バウマン家と採掘権の『月額契約』を結ぶこと。
・1人当たり:月額金貨5枚。
・ギルド単位(団体割引):月額金貨70枚。(ただし20名を上限とし、超過する場合は1名につき金貨+3枚)
2.採掘した鉱石の価値の25%を『税』としてバウマン家に納めること。
3.すべての鉱石をバウマン家に納品し、手数料(25%)を引いた残り75%分の現金をその場で受け取ることも可能(即金買取サービス)。
4.ダンジョン内での採掘道具は、安全管理のため『バウマン家で用意したもの』を使用すること。
「にゃ、にゃあ……(おいおい、月額金貨5枚って高くないか?)」
俺は「1」の項目を肉球で叩き、大げさに仰け反ってみせた。
冒険者からすれば結構な出費だ。誰も契約しないんじゃないか?
だが、ミアは俺のジェスチャーを見て、涼しい顔で首を振った。
「ご心配には及びません、ノワール様。1~3の条件は、冒険者側から見れば『トントン』か、あるいは『お得』に見える絶妙な設定です」
ミアは伊達眼鏡を光らせて解説した。
「魔鉱石は高価です。一つでも掘り当てれば、月額費の元はすぐに取れます。それに、『3』の即金買取は、換金の手間を省きたい冒険者には魅力的なサービスです。彼らは喜んで契約するでしょう」
「にゃぅ(なるほど。で、バウマン家は手数料で儲けるわけか)」
俺が納得して頷くと、ミアは「ふふっ」と含みのある笑みを漏らした。
「……それもありますが、本当の狙いはそこではありません」
ミアの声が、一段低くなった。
彼女は、契約書の最後の一行――**『4.採掘道具はバウマン家で用意したものを使うこと』**を指先でトントンと叩いた。
「この4つ目の条件。……これがミソです」
「にゃ?」
「指定の採掘道具。……当然、あのガンツ様の工房で作られた特注品です」
ミアの口元が、三日月のように歪んだ。
「市場価格より5割ほど割高な値段設定ですが、素材にはイグニス様から頂いた『古龍の鱗の削りカス』を微量に混ぜ込んだ特殊合金を使用しています。その頑丈さと切れ味は、既存のツルハシとは比較になりません」
彼女はうっとりと帳簿を撫でた。
「硬い岩盤も豆腐のように掘れる魔法の道具……。一度使えば、冒険者はもう他の道具には戻れません。消耗品である替え刃も、メンテナンス費用も、全てこちらの言い値で飛ぶように売れるでしょう」
そして、ミアは俺を見て、極上の笑顔(悪魔の微笑み)で言い放った。
「ふふふ、ぼろ儲け。……ふふふ、ぼろ儲けですよ、ノワール様」
(……こいつ、完全に悪徳商人の顔だにゃ)
俺は戦慄し、思わず後ずさった。
ガンツの技術と、イグニスの素材、そしてミアの商才。
この三つが組み合わさった今、バウマン領の経済は無敵かもしれない。
「さて、そろそろ開店の時間です。……守護神の様子を見てきましょうか」
ミアはスンッと真顔に戻り(伊達眼鏡の位置を直して)、屋根から降りる準備を始めた。
俺も慌てて後を追う。
◇ ◇ ◇
旅館の入り口。
そこには、立派な門構えと共に、この宿の警備主任が鎮座していた。
裏社会のボス猫、ロビンだ。
灰色の長い毛並みを持つ、巨大なメインクーン。
隻眼の傷跡が光るその姿は、本来なら誰もが道を譲る「歴戦の猛者」の風格を漂わせているはずだ。
だが、今は……。
「わーい! おっきな猫ちゃんだー!」
「すっげー! ふかふかだー!」
子供たちだ。
近所のガキんちょたちが、ロビンの背中にまたがり、尻尾を引っ張り、もふもふの腹に顔を埋めている。
「…………」
ロビンは、死んだ魚のような目で虚空を見つめていた。
その巨体ゆえに、子供たちにとっては格好のジャングルジムと化しているのだ。
「おーい、猫ちゃん! 動けよー!」
「こらっ、尻尾を引っ張っちゃダメだぞ!」
子供が無邪気にロビンの古傷をペタペタと触る。
普通なら爪を出して威嚇するところだろう。
だが、ロビンは動かない。
ただじっと耐え、されるがままになっている。
(……あいつ、子供には手を出さない主義だからな)
強面だが、弱きものには優しい。それがロビンという男だ。
結果、最強の門番であるはずが、ただの高性能モフモフ遊具として消費されている。
俺が近づくと、ロビンが僅かに残った右目を動かし、俺を見た。
『……ノワールか。……見ろ、この屈辱を』
「にゃあ(ご愁傷さまだにゃ。でも、お前のおかげで家族連れの評判は上々だぞ)」
俺が慰めるように前足を上げると、ロビンは『フン』と鼻を鳴らした。
『つまらんことを言う暇があるなら、このガキどもを何とかしろ。しっぽが痛くてかなわん』
そう言いながらも、背中に乗った子供が落ちないように、そっと体勢を低くしてやっているのを俺は見逃さなかった。
……強く生きろ、ロビン。お前の犠牲は無駄にはしない。
さて、外の守りは完璧(?)だ。
問題は中だ。
俺は旅館の中へと足を運んだ。




