『生きた素材倉庫と、歓喜する職人にゃ』
バウマン家の屋敷への帰り道。
ガンツのテンションは最高潮に達していた。
「へっへっへ! 夢じゃねぇよな? おい小僧、本当に使い放題なんだろうな?」
「あ、はい……。使い放題というか、なんというか……」
クラウスが引きつった笑顔で答える。
ガンツは酒の入った赤ら顔をさらに紅潮させ、鼻息を荒くしていた。
「龍の鱗に爪! それがありゃあ、俺の理論上の傑作達をいくつも世に送り出せらあ! 伝説の魔剣を超えるのだって夢じゃねぇ! あぁ、早く見せてくれ! その宝の山が眠る倉庫へ案内してくれ!」
「そ、倉庫……ですか。うん、ある意味では倉庫かな……」
クラウスが助けを求めるように俺を見る。
俺はリュックの中から顔を出し、「にゃ(黙って連れて行くにゃ)」と無慈悲に指示を出した。
◇ ◇ ◇
そして、俺たちは屋敷の裏庭へと到着した。
もうもうと立ち込める湯気。
イグニスのブレスで掘られた水路を、大量の熱湯が川へと流れていく。
そして、その源泉のほとりには――。
小山のように巨大な、紅蓮の巨体が鎮座していた。
「……あ?」
ガンツの足が止まった。
彼は目をパチクリとさせ、口を半開きにして、目の前の光景を凝視する。
「……なんだ、ありゃ。随分とデカイ……古龍の彫像、か?」
現実逃避だ。
無理もない。こんな田舎貴族の裏庭に、神話の怪物が寝転がっているなど、酔っ払いの妄想でも出てこない。
だが、その「彫像」は動いた。
『……ん? 戻ったか、ノワール』
ズズズ……と地響きを立てて、イグニスが鎌首をもたげる。
黄金の瞳が、眼下のちっぽけなドワーフを捉えた。
『なんだ、その汚いドワーフは。……また人間が増えたのか。餌か?』
プシュウゥゥ……。
巨大な鼻孔から、熱波のような鼻息が噴き出す。
その熱気を受けて、ガンツの思考がようやく現実に追いついたらしい。
「ひ、ひぃ、ひぃぃぃぃぃッ!?」
ガンツは腰を抜かし、尻餅をついたまま後ずさった。
「こ、古龍!? なんでこんな所に本物がいるんだよぉぉッ!?」
「あ、紹介します、ガンツさん。こちらが素材提供元のイグニスさんです」
「提供元ってレベルじゃねぇぞ!? 生産工場そのものじゃねぇか!!」
ガンツが絶叫する。
まあ、普通の反応だ。
彼は涙目でクラウスに掴みかかった。
「だ、騙したな小僧! 『素材がある』とは聞いたが、『生きてる』とは聞いてねぇぞ! こんなの、鱗を剥ぐ前にこっちの皮が剥がされちまう!」
「い、いえ、ちゃんと契約は済んでますから! ……たぶん!」
「たぶんじゃ命は賭けられねぇ! 俺は帰る! こんな化け物の前で仕事なんかできるか!」
ガンツは脱兎のごとく逃げ出そうとした。
だが、その時だ。
ガリッ、ガリガリッ……。
背後で、硬質な音が響いた。
イグニスが、近くの岩山に背中を押し当て、気持ちよさそうに体を擦りつけている音だ。
『うぅむ……。脱皮の時期が近いのか、背中が痒いな……』
ボロッ。
カラン、カラン……。
岩肌に擦れた衝撃で、イグニスの背中から、数枚の鱗が剥がれ落ちた。
それが岩場を転がり、チャリーン……と、澄んだ音を立ててガンツの足元で止まる。
それは、まだ体温が残る、最高鮮度の「古龍の鱗」だった。
「…………ッ!!」
ガンツの足が止まった。
彼は逃げる体勢のまま、首だけをギギギと動かし、足元の鱗を見た。
太陽の光を反射し、内部に膨大な魔力を宿して輝く、深紅の宝石。
「……なんという……輝きだ……」
ガンツの瞳から、恐怖の色が消えていく。
代わりに宿ったのは、狂気にも似た、職人の執着。
「これが本物の『古龍の鱗』。しかも最上級品の赤色……。市場に出回ってる干からびた化石とはわけが違う……。生命エネルギーそのものが結晶化してやがるッ」
彼は震える手で鱗を拾い上げ、頬ずりをした。
「あったかい……。これだ、俺が求めていたのはこれなんだ……!」
『……ん? 貴様、我の垢を持って何をしている? 気色の悪いドワーフだな』
イグニスが不審げに顔を近づける。
巨大な顎が、ガンツの目の前にある。
普通なら失神する距離だ。
だが、今のガンツは「変態」の領域に足を踏み入れていた。
「おい……トカゲの大将」
ガンツは、うっとりとした顔でイグニスを見上げた。
「背中、痒いんだろ? そこ、もうちょっと右に浮いてる鱗があるぜ?」
『む? ……ああ、そこだ。そこがムズ痒いのだが、手が届かぬ』
「へへっ……なら、俺が取ってやろうか?」
ガンツは懐から、商売道具のノミとハンマーを取り出した。
「俺は石を削るのだけは得意でな。アンタの硬い鱗の隙間に刃を入れて、痒いところをピンポイントで『掻いて』やるよ。……その代わり」
彼は舌なめずりをした。
「取れた垢は、全部俺が貰う。……いいな?」
『ほう……?』
イグニスは目を細めた。
『よかろう。やってみろ、ドワーフ。……ただし、下手に傷をつければ、その手ごと食いちぎるぞ』
「上等だ! 俺の技術を見せてやらぁ!」
ガンツは恐怖など微塵も感じさせない動きで、イグニスの尻尾から背中へと駆け上がった。
そして、浮きかけた鱗の隙間にノミを当て、絶妙な力加減でハンマーを振るう。
カーンッ!
『ふぉおッ……♡』
イグニスの口から、艶めかしい声が漏れた。
『そこ……っ! そこだ、やるではないかドワーフ! あぁ〜、数百年分の痒みが取れるぅ〜……』
「へへっ、いい声で鳴きやがる! この素材の弾力、硬度、たまらねぇ! 最高だ! 一生触っていたい!」
カーン! カランカラン!
カーン! ボロッ!
ガンツがハンマーを振るうたびに、イグニスが気持ちよさそうに喉を鳴らし、最高級素材が雨のように降り注ぐ。
先ほどまでの「捕食者と餌」という緊張感はどこへやら。
そこにあるのは、奇妙な一体感だった。
「…………」
俺は、その光景を呆れた目で見つめた。
まあ、結果オーライか。
俺はクラウスの足をつつき、「確認しろ」と合図を送った。
「あ、うん……。おーい、ガンツさーん!」
クラウスが背中の上のドワーフに向かって声を張り上げる。
「契約条件には満足してくれましたかー? 本当にウチで働いてくれますかー?」
「…………」
返事はない。
ガンツは「すげぇ!」「美しいッ!」とブツブツ呟きながら、一心不乱にハンマーを振るっている。
完全に自分の世界に入り込んでいて、こちらの声など届いていないようだ。
「……あの様子じゃ、聞こえてないみたいだね」
クラウスが困ったように肩をすくめる。
だが、俺は満足げに髭を揺らした。
「にゃあ(構わん。あの様子を見れば、答えを聞くまでもないにゃ)」
あのドワーフは、もうこの場所(素材の山)から離れられない。
鱗一枚でこの熱狂ぶりだ。
「温泉宿を作れば、もっと珍しい素材をやるぞ」と餌をぶら下げれば、死ぬ気で図面を引くに違いない。
「にゃん(よし、労働力の確保は完了だ。今日は帰って寝るぞ)」
俺は大きくあくびをすると、屋敷の方へと歩き出した。
背後からは、軽快なハンマーの音と、古龍の低い鼻歌がいつまでも響いていた。
こうして、バウマン領の温泉宿計画は、最強にして最高の職人を迎え入れることで、大きく動き出すことになったのだった。




