『裏庭ダンジョンの攻略にゃ』
深い、深い、地の底。
そこは、光の一切届かない暗黒の世界だ。
(……憂鬱だ)
巨大な闇の中で、赤き意識が不快げに身じろぎをする。
我は、岩盤から染み出す僅かな魔力を啜って生きていた。
だが、この地の脈はあまりに貧弱だ。
泥水のように薄く、ただ命を繋ぐだけのもの。
こんなものは、生きているとは言わない。ただ死んでいないだけだ。
終わらない飢え。虚無。
数百年もの間、我は微睡みの中で、ただゆっくりと朽ちていくのを待っていた。もって後数十年。奴らの傀儡となれば直ぐにでも力を取り戻せるが……それだけは出来ない。魂を売り渡してまで生きる意味などない。このまま、古木のように朽ちてゆく方がまだマシだ。
――そんなことを考えていた時、ふと鼻先をくすぐる香りがあった。
(……なんだ、これは?)
それは遥か頭上。
我の寝床(深層)よりも上から漂ってくる。
この枯れ果てた土地には不釣り合いなほどの、甘く、濃密な香り。
脳髄が痺れるような、純粋な魔力の波動。
(……美味そうだ)
理屈はない。
ただ、その「ご馳走」を口にしたいという強烈な衝動だけが、錆びついた巨体を突き動かす。
ズズズ、と地響きを立てて、怪物が動き出す。
獲物は、中層にいる。
◇◇◇
「――ハァッ!」
クラウスの気合と共に、剣がゴブリンの首を跳ね飛ばした。
ドサリ、と緑色の小鬼が沈む。
「ふぁ~……」
俺は大あくびを一つ噛み殺した。
定位置はここ、クラウスの背負うリュックの中だ。
顔だけをひょっこりと出し、揺れる背中に身を任せている。
周囲を見渡せば、まばらに冒険者の姿がある。
だが、どいつもこいつも装備はボロボロで、死んだような目をしている。
ここ『竜の箱庭』はその大袈裟な名称とは裏腹に、「枯れたFランクダンジョン」と呼ばれている。稼げない負け組か、駆け出しの新人しか寄り付かない場所だ。
そんな中、クラウスたちの動きだけが洗練されている。
当然だ。俺が鍛えているのだからな。
《ピロン》
脳内で軽快なシステム音が鳴り響く。
《スキル【魂の税収】発動》
《取得経験値の10%を徴収しました》
《レベルが7にアップしました!》
これだ。
俺はニヤリと髭を震わせた。
先日、魅了レベルが4に上がった際に習得したパッシブスキル、【魂の税収】。
魅了した相手が敵を倒すと、その経験値の一部が自動的に俺にも流れ込んでくる。
(働かずして強くなる。これぞ猫の生き様、不労所得だ)
俺がリュックの中でぬくぬくしている間に、勝手にレベルが上がっていく。
この体でどうやってレベルを上げていくか悩んでいたが、このスキルはその悩みを解決してくれた。
「はぁ、はぁ……。よし、このエリアの掃討完了だ」
クラウスが剣を納め、額の汗を拭う。
その呼吸は荒い。
「クラウス、大丈夫? かなり消耗しているみたいだけど……」
エレナが心配そうに駆け寄る。
「ああ、平気だよエレナ。でも……剣に魔力を込め続けるのは、やっぱりきついな。MPが空っぽだ」
クラウスが苦笑する。
彼は今、俺の指示で、攻撃のたびに剣に魔力を纏わせる訓練を行っている。
この時代では、一般的な戦闘法ではない。わずかに上昇する攻撃呂のために魔力を消耗するのは「燃費が悪すぎる」と馬鹿にされる行為だ。
だが、一年後に来る「大共鳴」の時代では、魔道具を使いこなすための必須の技術となり、見直される戦闘法だ。今のうちに体に覚え込ませておかなければならない。
(とはいえ、さすがに限界か)
貧乏なバウマン家には、高価なマナポーションをガブ飲みする余裕はない。
ふらつくクラウスを見て、俺はリュックから這い出すと、彼の足元にすり寄った。
「ん? どうしたノワール。心配してくれてるのか?」
「にゃーん(無理すんなよ)」
俺は彼の足に体をこすりつけ、尻尾を巻き付ける。
その瞬間だった。
《対象[クラウス・バウマン]への【癒し(献身)】を確認》
《魅了ゲージ上昇……条件達成》
《固有スキル【魅了】が Lv.5 にレベルアップしました》
お、上がったか!
と、思った直後。さらにシステム音が続く。
《新アビリティ【魔力譲渡】が解放されました》
(魔力譲渡?)
説明文が脳裏に浮かぶ。
――自身のMPを、接触した対象に分け与えるスキル。
(なるほど……俺の膨大な魔力を、他人にパスできるってことか)
俺は日向ぼっこをする傍ら、魔力の鍛錬を欠かしていない。そのおかげで、MPの総量は桁外れに増えている。使い道がなく持て余していたが、これをクラウスに流せば……。
(さらにクラウスの魔力の鍛錬が出来るってわけか。やってみる価値はある)
俺は意識を集中する。
体内の魔力タンクの蛇口を捻り、接触している足へと流し込むイメージ。
ブワッ、と淡い光が俺とクラウスを包んだ。
「――っ!? な、なんだこれ……力が、湧いてくる!?」
クラウスが驚愕の声を上げる。
顔色が瞬く間に良くなり、枯渇していた魔力が満タン――いや、溢れるほどに回復していく。
「凄い……ノワール、お前が魔力を分けてくれたのか?」
「にゃう(便利だろ? もっと働くにゃ)」
俺は得意げに喉を鳴らした。
これでMP切れの心配はなくなった。今後のパーティー戦闘の戦略にも幅が出そうだな。
そうこうしているうちに、俺たちは目的の場所にたどり着いた。
第九層の最奥。
そこには、分厚い埃と苔に覆われた、巨大な扉が鎮座していた。
数百年もの間、誰も開こうとしなかった「開かずの扉」。
学者たちが匙を投げ、他の冒険者たちが「ただの壁」と嘲笑って通り過ぎるその先こそが、俺たちの目標地点だ。




