『猫の情報網と反撃の狼煙にゃ』
翌朝。
閑散としていたバウマン家の領地に、信じられない光景が広がっていた。
「いらっしゃいませー! 本日オープン、癒しの空間『猫喫茶・バウマン』へようこそ!」
ピンク色のフリフリなメイド服に身を包んだエレナが、屋敷の前で元気よく呼び込みをしている。
その隣では、同じくピンクのメイド服を着たミアが、無表情でビラを配りつつ、鋭い眼光で客の財布の中身を計算していた。
「……入場料は前払いです。オプションの『肉球ぷにぷにコース』は別料金となります」
普段は静かなこの場所に、街中から噂を聞きつけた冒険者や町人たちが押し寄せ、長蛇の列を作っている。
彼らの視線の先にあるのは――屋敷の庭に設けられた特設サロンだ。
そこには、昨晩の「お風呂タイム」を経て、ピカピカに磨き上げられた猫たちが鎮座していた。
中でも一番の注目を集めていたのは、中央のソファにドカリと座る一匹の巨猫だ。
「…………にゃあ(なぜ、俺がこんな目に)」
裏社会のボス・ロビン。
だが、その威厳ある姿は、今や見る影もない。
体毛はブラッシングされてフワフワのキラキラ。首元には大きなピンクのリボン。 さらに、フワフワで真っ白なドレスに身を包まれている。
しかし、その凶悪な隻眼と、ファンシーな衣装のミスマッチが、客たちの心を鷲掴みにしていた。
「きゃー! 見てあの猫ちゃん! 顔は怖いのにドレス着てる!」
「なにこのギャップ萌え!」
「このムスッとした顔でフリフリとか、分かってるなぁ店主!」
黄色い歓声が飛び交う。
そして、その最前列で誰よりも興奮している男がいた。
「おおぉぉ……! 素晴らしい……! このふてぶてしさと愛らしさの融合……芸術だ!」
以前、夜のスパイ活動中に出会った、あの「鋼鉄武器店」の強面店主だ。
彼は鼻息を荒くして、ロビンの前に山のような貢物を積み上げていた。
「おい店員さん! この猫ちゃんにプレゼント追加だ! 最高級の猫缶を1ダース!」
「ありがとうございます、お客様」
ミアが満面の笑みで注文を受ける。
ロビンは死んだ魚のような目で遠くを見ていたが、その横で部下のチャドたちが「すげえよ親分! 高級缶詰の山だ!」と腹いっぱい食べているのを見て、ギリギリのところで理性を保っているようだった。
(……くくっ。大盛況だな)
俺は屋根の上から、その様子を見下ろしてニヤリと笑った。
作戦は大成功だ。
猫たちの生活費を稼ぎつつ、街の人間をここに集めることで、ギルド側の監視の目を逸らす。
そんな賑わいの中。
列の最後尾に、ひときわ異彩を放つ一人の女性が並んでいた。
年齢は30代半ば。髪をきっちりとシニヨンにまとめ、銀縁の三角眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな痩身の女性だ。
着ている服も、質素だが仕立ての良い公務員風のスーツ。胸元には、王都の紋章が入ったバッジが光っている。
彼女は眉間に深い皺を寄せ、猫喫茶の様子を睨みつけていた。
「……嘆かわしい。神聖な冒険者の街で、このような軟弱な商売が横行するとは。……風紀の乱れも甚だしいわ」
彼女はブツブツと文句を言いながら、懐から手帳を取り出し、何かを書き込もうとした。
その雰囲気からして、ただの客ではない。役所の監査員か何かだろうか?
胸のバッジをよく見る必要がある。
(……ちょっくら確認してくるか)
俺は音もなく屋根から飛び降り、彼女の背後へと回り込んだ。
そして、トテトテと無防備な足取りで近づき、彼女のスカートに爪を立てた。
「みー(ねえねえ、だっこして?)」
俺は見上げて鳴いた。
その瞬間、脳内に無機質なシステム音が響いた。
《熟練度が一定値に達しました》
《固有スキル【魅了】がLv.2からLv.3に上昇しました》
お、上がったか。
俺は心の中でガッツポーズをした。毎日の猫営業の成果だ。
そして、続けて表示されたログを見て、俺はニヤリとした。
《Lv.3解放アビリティ:【安らぎの香箱】》
《効果:香箱座りをしている間、周囲に精神安定と微量回復のフィールドを展開する》
(……おお! 回復スキル!)
これは使える。
この女性、眉間の皺といい、ピリピリした雰囲気といい、激務で相当ストレスが溜まっていると見た。
ならば、このスキルは劇薬になるはずだ。
俺は彼女が呆気に取られている隙に、ヒョイと膝の上に乗った。
そして、前足を綺麗に折りたたみ、しっかりと鎮座した。
――『香箱座り』。
《スキル【安らぎの香箱】発動》
俺の体から、目に見えない温かな波動が広がっていく。
その瞬間。
三角眼鏡が、カッと光り輝いた。
「……っ!!」
彼女は手帳を取り落とし、口元を押さえて膝をついた。
「な、なんてこと……。頭の中のノイズが……消えていく……? 重かった肩が……心が……洗われていくようだわ……ッ! これが、猫喫茶……!」
効果てきめんだ。
長年の激務で荒んだ彼女の精神に、俺の癒し波動が直撃している。
彼女の表情が、氷が解けるように崩壊した。
さっきまでの厳格な態度はどこへやら、彼女は頬を紅潮させ、震える手で俺を抱きしめた。
「……お姉さんを慰めてくれるの? いつも書類の整理に追われるだけの人生を送っている私を? ……優しい子なのね!! もう、一生離さないんだから!!」
完全にキャラが崩壊している。
彼女は周囲の目も気にせず、俺の背中に顔を埋めて深呼吸(猫吸い)を始めた。
「スーーッ……ハァ……ッ! 極上のマイナスイオンだわ……! ああ、こんな天国がこの世にあったなんて……!」
(……うわ、こいつ相当な『猫狂い』だぞ)
俺は若干引きつつも、抱かれながら胸元のバッジを確認した。
そこに刻まれていたのは、『王都・特別監察官』の文字。
……ビンゴだ。
こいつは、地方の役人やギルドの不正を取り締まるために派遣された、泣く子も黙るエリート官僚だ。
(……へへっ。とんでもない『爆弾』が転がり込んできやがった)
この爆弾、上手く使えば支部長を吹き飛ばせる。
俺は彼女の腕の中で、喉をゴロゴロと鳴らしながら、癒しの波動を強めた。
これで彼女は、もう俺(という名の精神安定剤)の虜だ。
その時。
サロンの喧騒の中、食事を終えたチャドが、ロビンの元へ駆け寄った。
彼はロビンの耳元で小さく囁いた。
「……親分。街の連中から連絡がありました。ブツの確保、完了です」
その瞬間。
ファンシーなリボンを揺らすロビンの隻眼に、カッと鋭い光が宿った。
彼はスッと立ち上がり、こちらを見上げた。
『……おい、ノワール。情報が揃ったぞ』
ロビンの視線を受け、俺は監察官の腕からスルリと抜け出した。
「あっ、待って猫ちゃん! お姉さんまだ吸い足りないわ! 精神が! 私の精神が禁断症状を……ッ!」
名残惜しそうに手を伸ばす監察官(爆弾)を放置し、俺はロビンの元へ走った。
ただの客寄せパンダ(猫)はここまでだ。
ここからは、裏社会の流儀を見せてやる。
「にゃあ!(作戦開始だ!)」
俺が号令をかけると同時に、街の至る所から影が動いた。
◇
バサササッ!
屋敷の裏庭に、次々と猫たちが帰還してくる。
口に咥えているのは、紙束や手帳、封筒などだ。
それは、ロビンの号令で動いた街中の猫たちが、ギルドの支部長室の天井裏、床下、あるいはヴァイスハイト伯爵の密使の鞄から抜き取った「動かぬ証拠」だった。
「こ、これは……」
集まった書類の山を見て、クラウスが息を呑む。
ミアが素早く書類を検分し、口元に冷ややかな笑みを浮かべた。
「……ビンゴです。裏帳簿、賄賂の受領書、そしてダンジョンに関する『真の鑑定結果』のメモ……全て揃っています」
ミアは一冊の黒い手帳を掲げた。
「これがあれば、あの詐欺契約を無効にするどころか、ギルド支部長の首を飛ばせます」
「よし……!」
クラウスが力強く頷き、剣を佩いた。
彼はキッと顔を上げ、仲間たちを見渡した。
「行くぞみんな! 反撃の時間だ!」




