『伯爵の陰謀と、少年の涙にゃ』
バウマン家が「ポーション爆発事件」で大騒ぎになっている頃。
街の一等地にある豪奢な屋敷の一室で、一人の男が不機嫌そうにグラスを揺らしていた。
ガーラントの父、ヴァイスハイト伯爵だ。
彼は執務机に広げた一枚の羊皮紙と、ボロボロの古文書を交互に眺め、鼻を鳴らした。
「フン……。あの豚め、使えん奴だ。バウマン家を借金漬けにして、時間をかけて飼い殺しにする計画だったものを……あっさりと失敗しおって」
伯爵は忌々しげに吐き捨てた。
本来の計画では、もっと時間をかけてバウマン家を追い詰めるはずだった。
だが、豚貴族の失態により、バウマン家が予想外の反撃に出た。これ以上放置すれば、面倒なことになる。
だから――伯爵は計画を大幅に前倒ししたのだ。
「だが、怪我の功名か。……手持ちの私兵団(盗賊)を放ち、強引に周辺を荒らしてやったおかげで、ヴィルヘルムの奴は泣きついてきおったわ」
伯爵は、手元の羊皮紙――つい数日前にサインさせたばかりの契約書を指で弾いた。
そこには、バウマン家が管理するダンジョン『竜の箱庭』の全権を、ヴァイスハイト家に委任する旨が記されている。
「ククク……。あの枯れた初心者用ダンジョンが、実はSSランク相当の『古龍の封印地』だとも知らずにな」
伯爵の横にある古文書。そこには、あの薄暗い洞窟の真の価値――国を買えるほどの魔鉱石と、古代遺物の存在が記されていた。
世間ではゴブリンが数匹出る程度のゴミ山だと思われているが、その最深部には黄金郷が眠っているのだ。
彼はこのダンジョンを独占するために、長年かけてバウマン家を孤立させてきた。
「焦って強引な手を使ったが、結果オーライだ。……これで、あの黄金郷は私のものだ」
伯爵は窓の外、貧乏貴族の屋敷がある方角を見下ろし、嘲るように笑った。
「精々、貧乏生活を楽しめ。お前たちが守ってきた宝は、私が有効に使ってやるからな。フハハハハ!」
◇
一方、その「貧乏貴族」の屋敷、半壊したリビング。
空気は、凍りついていた。
「……権利書がないって、どういうことだよ父様」
クラウスが問い詰める。
父ヴィルヘルムは、脂汗を拭いながら説明を始めた。
「いやな、つい数日前のことだ。ほら、豚貴族の一件があっただろう? あの直後から、急にダンジョン周辺に質の悪い盗賊団が出没するようになってな。冒険者が寄り付かなくなってしまったんだ」
「数日前……? そんな急にか?」
「ああ。わしも困り果てていたんだが……そんな時に、ヴァイスハイト伯爵が訪ねてきてくれてな。『大変だろうから、私が代わりに管理してやろう。盗賊対策も、私の私兵団で引き受ける』と言ってくれたんだ」
父の顔が、パッと明るくなる。
彼は本心から、友人に感謝しているようだった。
「彼は『バウマン家の負担を減らすためだ』と言ってくれた。わしは、なんていい友人を持ったんだと感動してな、その場で契約書にサインをしたんだよ」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の背筋に、冷たいものが走った。
(……待て。早すぎる)
俺の記憶にある「未来(前世)」とは違う。
本来の歴史では、豚貴族の事件は一年後だった。
そして、その後のいざこざで金銭的余裕がなくなり、そこへ野盗が出没して領民からのクレームが相次ぎ……進退窮まった父が権利を手放したのは、もっと先の話だったはずだ。
その結果、バウマン家は名実ともに貴族ではなくなり、職務怠慢として爵位を剥奪され、路頭に迷う運命を辿った。
(……歴史が、早まっている?)
俺たちが豚貴族を撃退し、ポーション販売で反撃の狼煙を上げたからか?
その変化を察知したヴァイスハイトが、強引に「詰み」の手を打ってきたのか。
だとしたら――これはマズい。バウマン家滅亡のフラグが、すぐそこまで来ている。
「…………」
俺が戦慄している横で、ミアが無言で父の手元から契約書の写しを取り上げた。
そして数秒ほど目を走らせ――。
バンッ!
テーブルに契約書を叩きつけた。
「……ヴィルヘルム様。申し上げにくいのですが」
「な、なんだねミア君。そんな怖い顔をして」
「あなたは騙されました。いえ、強盗に遭ったも同然です」
ミアは冷徹に断言した。
「この契約書、『管理委託』と銘打っていますが、内容は実質的な『権利譲渡』です。小さく書かれた特約条項により、管理権だけでなく、所有権そのものがヴァイスハイト家に移転する仕組みになっています」
「え? そ、そんな馬鹿な!? 彼は親友だぞ?」
「さらに言えば、その『盗賊騒ぎ』もタイミングが良すぎます。……十中八九、伯爵による自作自演でしょう。急いでこの契約を結ばせるために、実力行使に出たのです」
「なっ……!?」
父が絶句し、顔面蒼白になる。
信じていた親友が、実は自分を破滅させた黒幕だった。
その事実は、善良な父の心をへし折るには十分すぎた。
「……おかしい」
震える声が響いた。
クラウスだ。彼は拳を固く握りしめ、契約書を睨みつけていた。
「こんな一方的で、バウマン家に不利なだけの契約書……なんで『冒険者ギルド』は受理したんだ?」
クラウスの指摘はもっともだった。
ダンジョンの管理契約は、必ずギルドの承認印が必要になる。ギルドは中立な立場として、不当な契約を監視する義務があるはずだ。
「本来なら、ギルドが『これは不当だ』と突っぱねるべき案件です。それをしていないということは……」
「ギルドもグル、ということか」
クラウスの瞳に、怒りの炎が宿る。
「父様、母様。……僕に任せてください。この借金、そして奪われた権利書……僕がなんとかしてみせます」
「クラウス? あてがあるのか?」
「はい。……ギルドに抗議してきます。こんなデタラメ、通ってたまるか!」
クラウスは席を立つと、制止も聞かずに部屋を飛び出した。
俺もその後を追う。
向かう先は、街の中心部――冒険者ギルドだ。
だが――俺は走りながら、小さくため息をついた。
(……お前はそういう奴だよな、クラウス。だが、正攻法では……)
◇
冒険者ギルド、支部長室。
「だ・か・ら! 帰れと言っておるのだ、小僧!」
恰幅の良いギルド支部長が、執務机をバンと叩いて怒鳴った。
その対面で、クラウスは必死に食い下がっていた。
「おかしいじゃないですか! この契約書を見てください! どう見ても詐欺です! こんなの実質的な乗っ取りじゃないですか! ギルドは中立なんじゃないんですか!?」
「黙れ! 貴族同士が合意の上でサインした契約だ! ギルドが口を挟めるわけなかろう! それに、ヴァイスハイト伯爵はこの街の有力者だ。彼を愚弄することは、この街そのものを敵に回すことだぞ!」
「でも……! このままじゃ、ウチは……!」
「衛兵! つまみ出せ! この子供を二度とここに入れるな!」
支部長の合図で、屈強な職員たちが現れ、クラウスの両腕を掴んだ。
「は、離せ! 俺はまだ話を……!」
抵抗も虚しく、クラウスはズルズルと引きずり出されていく。
最後に見た支部長の顔は、嘲るように歪んでいた。
その目は語っていた。『金も権力もない貧乏貴族が、吠えるんじゃない』と。
ドサッ。
ギルドの裏口から、クラウスは放り出された。
石畳に手をつく。
通りがかる冒険者たちが、「なんだあれ」「バウマン家の子供か」「落ちぶれたな」とヒソヒソ笑って通り過ぎていく。
「……くそっ……くそぉぉ……ッ!」
クラウスは石畳を拳で殴りつけた。
「なんでだよ……。正しいことを言ってるのに……。父様は騙されただけなのに……!」
腐敗した社会という巨大な壁の前では、少年の正義感など、あまりにも脆い。
「…………」
俺は、路地裏の影からその様子を見ていた。
分かっていたことだ。
正面突破なんて、一番勝率の低い手だ。
だが。
泥まみれで泣くクラウスを見て、俺の胸の奥で、静かな怒りが燃え上がった。
(……よく頑張ったな、クラウス)
俺は心の中で、相棒を労った。
お前のその真っ直ぐさは、間違いなく美徳だ。だが、この腐った世界で生きるには、綺麗事だけじゃ足りない。
(……人間には、無理だ。ルールに縛られ、立場に縛られ、正面玄関からしか入れないお前たちには)
俺は音もなく立ち上がり、闇を見つめた。
(だが、俺なら行ける)
俺は「たかが猫」だ。
誰も警戒しない。どんな狭い隙間も通り抜け、誰の懐にも入り込める。
そして何より――俺には、この街の「裏の顔」を暴くための武器(未来知識とスキル)がある。
『くらうす……あとは、まかせろにゃ』
俺は泣きじゃくる飼い主を一度だけ振り返り、そして夜の闇へと身を躍らせた。
奪われたものを取り返す。
そのためなら、泥棒にでもスパイにでもなってやる。
ここからは、猫の時間だ。




