『回帰と混乱、そしてステータスにゃ』
――熱く、ない?
あの灼熱が、嘘みたいに消えている。
代わりに感じるのは、柔らかな日差しと、干したての布団のような匂い。
(……ここは? 死後の世界か? にしては、身体が重い……いや、軽い?)
ゆっくりと目を開ける。
視界が変だ。
周囲の家具が巨大に見える。天井が果てしなく高い。
「まあ、ヴィルヘルム様! ご覧になって! あの子猫、やっと目を覚ましましたわ!」
聞こえた声に、息が止まりそうになった。
若い頃の母――イザベラ・バウマン。
優しく微笑む姿は、俺の記憶にある病床の姿とは違う。健康的で、美しい。
その隣では、熊のように大柄な男――父、ヴィルヘルム・バウマンが屈託なく笑っている。
(なんで……母さんも父さんも……? もう、この世には……)
混乱した俺の視界に、ふと自分の手が映った。
黒い。
小さい。
柔らかい毛に覆われた――前足だ。
力を入れると、ピンク色の肉球の間から、小さなカギ爪がスッと出る。
(は? 俺の手、これ?)
その時、俺の小さな体がふわりと抱き上げられた。
「やったー! 元気になった! 父様、母様、手伝ってくれてありがとう!」
俺を抱き上げているのは、まだ線の細さが残る、真っ直ぐな灰色の瞳をした少年。
どこか頼りない、けれど希望に満ちた顔。
十四歳の、俺。クラウス・バウマン。
(……は? 俺? 俺が、俺を抱えているんですけど??)
「どうしたんだ、目を真ん丸にして。驚いている顔も可愛いなあ、ノワールは!」
十四歳の俺がそう言って、俺の顔をわしわしと撫でまわす。
(ノワール? ガキの俺が、俺のことをそう呼んだのか?)
混乱する俺をよそに、母さんが優しく微笑みかけた。
「よかったわね、クラウス。森で倒れているのを見つけた時はどうなるかと思ったけれど」
「うむ。お前が三日三晩、必死に看病した甲斐があったな」
父さんの言葉に、俺の思考が再起動する。
森で、見つけた? 必死に、看病?
記憶の彼方にある光景が、鮮やかに蘇る。
雨の日。震える黒猫。俺が初めて「守りたい」と思った小さな命。
(嘘だろ……。これ、俺がノワールを拾ったあの日か!?)
つまり、俺は死んで、十四年前に戻り、あろうことか「ノワール」に転生したってことか?
確かめなければ。俺はチビクラウスの腕から飛び降りた。
着地。スタッ。
完璧なフォームだ。四本足のバランス感覚が凄まじい。
俺はてこてこと壁際の姿見まで歩き、そこに映った自分の姿を見た。
ふわふわの黒毛。大きな金色の目に太くてしなやかなしっぽ。二頭身の愛らしいフォルム。
(……か、可愛い。じゃなくて、俺だ。完全にノワールになってる)
そこにいたのは、未来で俺を庇って死んだノワールが子猫だった時の姿だった。思わず涙がにじむ。
(こんな形とはいえ、また会えたなノワール……ありがとう。だけど……)
絶望が胸をよぎる。この状況はきっと、ノワールが与えてくれた奇跡。だが、こんな無力な体でどうやって復讐を……。
(……待てよ。猫になったということは、種族特性スキルを授かっている可能性がある。未来で俺が扱っていた偵察猫たちも【危機察知】を持っていたはずだ)
(確認してみよう。ステータス・オープン!)
眼前に、見慣れたウィンドウが浮かび上がった。
《術者[ノワール(0歳)]のステータス閲覧》
Lv. 1
種族:黒猫(幼体)
【現在職業】
・愛玩動物(適正:A)
【パラメータ】
STR(筋力):2 (E)
VIT(耐久):2 (E)
AGI(敏捷):12 (C)
DEX(器用):8 (B)
INT(魔力):45 (S)
【保有スキル】
・危機察知 Lv.1
・魅了 Lv.0
(職業、愛玩動物かよ!)
俺は心の中で盛大にツッコミを入れた。
三十年間、人間として必死に働いてきた俺の現在の職業が、適性ばっちりの愛玩動物。
がっくりと肩を落としつつ、下のパラメータに視線を戻した。
【パラメータ】
STR(筋力):2 (E)
VIT(耐久):2 (E)
AGI(敏捷):12 (C)
DEX(器用):8 (B)
INT(魔力):45 (S)
(うわぁ……。筋力2……)
スライムでももう少しあるぞ。ドアノブすら回せないじゃないか。
だが、INT(魔力)の才能値が『S』になっているのは、でかい。
(今は誰も魔力の重要さを知らないが……)
数年後に起きる、世界規模の異変。
それ以降、剣だろうが弓だろうが魔力前提の戦いが必要となる。
未来の俺が弱小ギルドに所属していたのも、魔力が致命的に低かったことが原因だ。
(……だからこそ、このINT『S』は希望の光だ。……で、最後のこれはなんだ?)
俺は、一番下のスキル【魅了】に意識を向けた。
『説明:対象へ癒しを与えることに成功した場合、「魅了ゲージ」が蓄積される』
(癒しを与える……? よく分からないスキルだな。だが、これは間違いなくユニークスキル。……使い方次第では、とんでもない武器に化けるかもしれないかもしれない)
【魅了】スキルにさらに深く意識を向けると、ウィンドウの下に新たな情報が表示された。
・現在の魅了ゲージ:
少年クラウス:0%
イザベラ(母):100%(MAX)
ヴィルヘルム(父):80%
(……なるほど。あの人たち、俺のこと大好きだったもんな)
ふと、胸が温かくなる。この数値は、そのまま両親からの愛情の深さだ。未来では守れなかった家族。彼らの愛が、今は俺の力になっている。
だが、問題はここだ。
少年クラウス:0%
(俺、ゼロかよ!)
拾ってきたばかりで、まだ懐かれていないということか。
だが、スキルを使うにはゲージが必要らしい。Lv.0の現状を打破するには、まずはこいつのゲージを溜めるしかない。
(そのためには、まず最初の癒しの対象が必要だ。……幸い、この家には最高の実験台がいる)
俺は心配そうに見守っている、少年クラウスへと向き直った。
(……よし、まずは『癒し』の一手だ)




