『爆売れポーションと、成金の予感にゃ』
リビングのテーブルには、赤黒く明滅する危険な小瓶――エレナの失敗作が山と積まれていた。
だが、今のミアには、それが宝の山に見えているらしい。彼女は手際よく羊皮紙に「販売計画書」を書き殴っていく。その筆致は、歴戦の指揮官が作戦図を描くように鋭く、迷いがない。
「……商品名は『投擲用爆炎瓶』。ターゲットは、魔法使いをパーティに入れられないCランク以下の貧乏冒険者。売り文句は『使い捨ての魔法』。……勝てます」
ペンを置き、ミアが不敵に笑う。
その様子を見ていたクラウスが、ふと疑問を口にした。
「なぁ、ミア。お前ほどの商才があれば、もっとマシな商売ができたんじゃないか? なんで市場でリンゴなんて売ってたんだ?」
その問いに、ミアの手がピタリと止まった。
彼女はふっと遠い目をして、窓の外――かつて自分がいたスラムの方角を見つめた。
「『信用』と『資本』です、クラウス様。商売において最も重要なこの二つが、孤児の私には欠けていました。どれだけ効率的な販売ルートを思いついても、元手がなければリンゴを磨くことしかできません。店を構える許可も降りず、誰も薄汚れた子供からは高価なものを買わない」
ミアは拳をぎゅっと握りしめる。
「それに、利益が出ればすぐに『大人たち』が暴力で奪いに来る……。それがスラムの経済でした。稼げば稼ぐほど搾取される」
俺も、前世のブラック企業での搾取を思い出し、胸が痛んだ。才能があっても、環境がそれを殺す。この世界も、前の世界も変わらない。
「ですが、今は違います」
彼女はテーブルの上の「爆弾」を指差した。
「今の私には、『商品』と、『後ろ盾(バウマン家)』がある。……ここからは、私の独壇場です。市場の相場ごと、この手で書き換えてみせましょう」
頼もしいを通り越して、少し怖い。
だが、これこそが俺が求めていた人材だ。
「にゃあ!」(くらうす! はんげきかいしだにゃ!)
「お、おう! よくわかんないけど、売ってくればいいんだな!?」
こうして、バウマン家の庭先で、危険極まりない「爆弾ビジネス」が幕を開けた。
◇◇◇
結果から言えば、ミアの予言通りだった。
『投擲用爆炎瓶』は、飛ぶように売れた。
「おい聞いたか? バウマン家の庭先で売ってる『赤い瓶』、あれヤバいぞ」
「ゴブリンの巣穴に投げ込んだら、一撃で壊滅したらしい」
「マジかよ! 魔道具より安いし、これなら俺たちでも扱える!」
噂が噂を呼び、屋敷の前には連日、冒険者たちの行列ができた。
エレナは「失敗しても怒られないなんて最高!」と狂ったように調合を続け、ミアはそれを冷徹に売りさばく。
そして数日後。
リビングのテーブルには、見たこともない量の硬貨が積み上げられていた。
「こ、これが……全部、利益……?」
父ヴィルヘルムが、震える手で金貨の一枚を摘み上げた。
バウマン家の年収を、たった数日で稼ぎ出してしまったのだ。
「うむ! これで雨漏りしていた屋根が直せるな! いや、この際だ、屋根ごと新調するか! ガハハ!」
「あらあら、こんなにいっぱい。ノワールちゃんの餌を山のように買えるわねえ」
両親はすっかり浮かれていた。
無理もない。長年の極貧生活から解放された反動だ。
だが、その中で一人だけ、浮ついていない男がいた。
「……98、99、100……ッ!」
庭の隅で、少年クラウスが、脂汗を流しながら魔力操作の特訓を続けていた。
体内の魔力を限界まで練り上げ、枯渇させ、また練り上げる。地味で、苦しい反復練習だ。
(……金が入ったからって、調子に乗らないのは偉いな)
俺は窓辺からその様子を眺め、満足げに尻尾を振った。
金は力だ。だが、金で買える力には限界がある。
本当に未来を変えるのは、自身の内にある力だけだと、こいつは本能で理解しているらしい。
ふと、俺は思い出した。
(そういえば、エレナやミアのステータスは見たが……肝心の「俺」のステータスを見たことがなかったな)
拾われた当初は魅了ゲージが足りなかったが、あれから数週間が経っている。
一緒に寝たり、アドバイスを送ったり、ピンチを切り抜けたりした。
今のこいつのゲージは、どうなっている?
(確認だ。ステータス・オープン)
《対象[少年クラウス]の魅了ゲージ参照……現在値:23%》《条件達成。アビリティ【能力閲覧】が使用可能です》
(おお、いつの間にか20%を超えていたか! さすが俺、俺のことが好きだな!)
やはり、自分自身だからか、あるいは俺の「猫としての魅力」が伝わったのか。
これなら深層情報が見られる。
俺は期待に胸を膨らませ、庭で剣を振るう少年に向けてスキルを発動した。
(見せてみろ、未来の英雄の可能性を! ……【能力閲覧】!)
半透明のウィンドウが、俺の視界に浮かび上がった。
《対象[クラウス・バウマン(14歳)]のステータス》
Lv. 5
HP: 120 / 120
MP: 15 / 18
【パラメーター】
STR(筋力): 18(E)
VIT(耐久): 20(E)
AGI(敏捷): 15(E)
MAG(魔導): 8(G⇒F)※ランクUP
LUK(幸運): 10(E)
【現在職業】
見習い剣士 〈適性:D〉
【転職候補一覧】
兵士 〈適性:D〉
農夫 〈適性:B〉
冒険者(雑用)〈適性:C〉
【保有スキル】
なし(※魔力操作の習熟度、微増中)
【ユニークスキル/才能】
なし
…………。
俺は、ウィンドウをそっと閉じた。
見なかったことにした。
(……うん。知ってた)
オールE。
魔力に至っては……お?
よく見ると『ランクUP』の文字がある。どうやら、連日の地獄の特訓の成果で、最低ランクのGから、F(不可)へと上がったらしい。
(……いや、Fかよ!)
上がったといっても、依然として底辺だ。
エレナの【剣聖(適性A)】や、ミアの【女王(適性S)】を見た後だと、その歩みの遅さが骨身に染みる。
相変わらず農夫の適性が一番高いし、才能欄は清々しいほどの「なし」だ。
農夫の適性が一番高いってどういうことだ。
だが。
俺は再び目を開け、庭で泥まみれになっている少年を見つめた。
才能がないことなんて、俺自身が一番よく知っている。
前世の三十年、俺はずっと「凡人」として足掻き、そして負けた。
けれど、こいつはまだ諦めていない。
才能がないという現実を突きつけられてもなお、歯を食いしばって剣を振り、魔力を練っている。
(……努力、か)
俺はふと思い出していた。
未来の世界――「大共鳴」の後の時代に、一人の男がいたことを。
名を、ゼクス。
世界にたった10人しかいない、至高のSSランク冒険者の一人だ。
奴もまた、クラウスと同じだった。
農民以下のステータス。才能の欄は「なし」。
誰からも期待されず、荷物持ちとして泥を啜っていた男だ。
だが、奴はある日、ダンジョンの未踏破区域で『あれ』を見つけた。
大共鳴後に発見された古代の魔道具――『愚者の天秤』。
それがどんな能力を持っていたのか、正確なことはわからない。
だが、その魔道具には、常人には扱えない致命的な「副作用」があったらしい。
並の冒険者が使えば破滅する。天才が使えば自滅する。
そんな呪われた代物だった。
だが――ゼクスだけは、それを使えた。
彼が「持たざる者(凡人)」であったことと、その副作用が、奇跡的に噛み合ったのだ。
結果、彼は最強へと駆け上がった。
だが、そこからが最悪だった。
力を得た彼は、それまでの鬱憤を晴らすかのように暴走した。
能力の低い冒険者を見下し、横柄な態度を取るようになった。暴力事件があるところにゼクスあり、とよく言われたものだ。
当然の報いとして――彼は恨みを買い、とある冒険者と決闘となった。相手は低ランクで無名の冒険者。
誰もがゼクスの圧勝だろうと思われたが、ゼクスはその決闘によって、あっけなく死んだ。
(……不可解な事件だったが、それは別にどうでもいい。重要なのは、あの『天秤』の在り処は、俺の記憶にあるということだ)
俺は、庭で剣を振るうクラウスを見つめた。
(あれは地道な努力を続けるお前が受け取るべき、魔道具だ)
今はまだ、その時ではない。
だが、いずれ必ず手に入れさせてやる。
ゼクスのようなクズではなく、この実直な努力家が手にした時――その魔道具は、真の英雄の剣となるはずだ。
◇
「……ふぅ。よし、次は魔力循環だ!」
クラウスは額の汗を拭い、振り返った。
だが、窓辺にいたはずの黒猫の姿は、もうどこにもなかった。
扉が少し開いている。一階へ降りたのだろう。
「あいつ、飽きるの早いな……」
クラウスが苦笑し、再び剣を構え直した、その時だった。
「私のノワ様から離れろぉぉぉぉ!!」
ドゴォォォォン!!
一階から、屋敷全体を揺らすような絶叫と破壊音が響いた。




