『潜入! メイドと裏地下室の秘密にゃ』
豚貴族バロン・ボルクの館は、王都の貴族街の一角にあった。
夕闇に包まれた巨大な屋敷は、その悪趣味な主を反映してか、どこか陰鬱な空気を漂わせている。
俺は、クラウスの肩から音もなく飛び降り、石垣を伝って館の敷地へと侵入した。
『くらうす……ここ……まつ。うらぐち……かくれる。あいず……まつ』
俺は【思考伝達 Lv.1】で、拙くクラウスに指示を送った。
「わ、分かった。でもノワール、危ないぞ! 見つかるなよ!」
その心配はごもっともだが、無鉄砲なクラウスを動かすには、俺の知性と猫の機動力が不可欠だ。
(鍵開けや隠密行動は、猫の得意分野だ)
俺は身体を低くし、夜目と【危機察知】スキルを頼りに、館の裏口から侵入を試みる。
《【危機察知】の熟練度が一定値に達しました》
《【危機察知】が Lv.2 にレベルアップしました!》
《効果上昇:周囲の警戒密度を視覚化し、巡回ルートの予測が可能になります》
(おお、視界にマップが! これは助かる!)
視界に、兵士の巡回ルートが点線で表示される。完璧だ。
無人のはずの裏口の廊下を進むと、正面からカツカツと硬質なヒールの音が聞こえてきた。
(まずい。誰か来る)
俺は素早く物陰に隠れた。
現れたのは、一人のメイドだった。二十歳前後の美しい女性だが、その表情は冷徹で、感情が一切読み取れない。制服もピシッと着こなしており、いかにも隙がない。
(最悪の相手だ。だが、この無表情を崩すことができれば……)
俺は意を決した。
目的のため、プライドを捨てて任務を遂行する!
俺は物陰から、わざとらしくヨロヨロと、弱々しく姿を現した。
そして、顔を上げる。上目遣いで、金色の瞳を潤ませる。
おそるおそる、前足を一歩踏み出した。
「みゃあ……」
喉から絞り出したのは、か細く、か細い鳴き声。
全身の毛並みを最高にフワフワに見せる角度で、その場にぺたりと座り込む。
メイドは無表情なまま、俺を一瞥した。
(くっ! ダメか!?)
だが、次の瞬間。
彼女の冷徹だった表情が、フッと溶けた。
目の奥に宿っていた氷のような光が消え、代わりに熱狂的な輝きが灯る。
「……ふぁあああああああ!!」
メイドは息を呑んだような、抑えきれない興奮を示す声を漏らした。
その声は、一瞬で「冷徹なメイド」から「猫狂いのオタク」へと変わっていた。
「あーら、かわちい猫ちゃんでちゅねぇ! こんなところで、ふらふらしてて大丈夫でちゅか、お腹すいたんでちゅか?」
メイドは両手で俺をすくい上げると、胸に強く抱きしめた。
(チョロすぎるぞ、この世界は!)
彼女は俺を抱きかかえたまま、廊下の隅にあるソファへと向かった。座るやいなや、彼女の冷徹な仮面は完全に剥がれ落ちた。
「あらあら、ごめんなさいね。びっくりさせちゃって。もう、子猫ちゃん! なんて可愛らしいのかしら!」
メイドは俺のフカフカの毛並みに顔を埋め、深呼吸をした。
「うぅ~ん、いい匂い。こんな子がいるなんて知らなかったわ。ご主人様に見つかる前に、家に持ち帰っちゃおうかしら」
(うう、我慢だ。 鍵を手に入れるチャンスを待つんだ、俺)
俺の喉元を熱心に撫でながら、メイドは顔を綻ばせる。
「こんな可愛い子が、こんなところにいるなんて、お腹が空いているに決まっていますわよね? すぐに温かいミルクを準備してあげますからね」
彼女は俺をソファにそっと降ろしたが、別れがたい様子で、鍵束の掛かったフックのある方向へ目をやった。
「鍵は危ないから、あそこに掛けておくわ」
そして、小声で、まるで独り言のように愚痴をこぼし始めた。
「それにしても、ご主人様の趣味が悪すぎて嫌になるわ。この仕事は実入りがいいから辞めたくはないんだけど……。今日の昼間も、市場で少女にひどいことをしてね。あの少女、今は地下室にいるそうよ。一度お預けを食らったから、今夜は相当激しくなるだろうね」
俺の胸は警鐘を鳴らした。
(市場の!? まさか、あの少女の事か!?)
なんという執念深さ。
公衆の面前でクラウスにぶん殴られたというのに、再び連れ去りを決行したのか。
状況が変わった。彼女が傷つけられてしまう前に、手を打たなければならない。
「さあ、可愛い猫ちゃん。ミルクを用意するから、ここに座っててね」
メイドはキーハンガーにかかった鍵束を指さし、急いでキッチンへ向かおうとする。
(時間が、ない!)
その時、遠くから「ピシッ!」という鞭のような音が響いた。
一瞬、メイドの顔が強張り、恐れに変わる。
「あ、始まったわ。あの豚、今日はいつもより張り切ってるわね……。早く回復ポーションを持っていかないと」
メイドは慌てて薬品棚の方へ引き返す。
「回復させながら叩き続けるつもりか? ……なんて外道だ!!」
もう悠長に様子をうかがっている時間は無い。
俺はメイドの腕から器用にすり抜けると、近くにあったミルクの皿(メイドがさっき用意したものだろう)を、派手にひっくり返した。
「きゃあっ! ミルクが!」
メイドがパニックになっている隙に、俺は鍵束を加えて部屋を出た。
『くらうす! きて!!』
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