『豚貴族の暴挙と、炸裂する鉄拳にゃ』
貴族の暴力は続く。
「おい、鞭を持ってこい! 家畜用の強力の奴をな!」
兵士がハッと畏まり、馬車から屈強な革製の鞭を取り出す。
観衆がざわつくが、誰も貴族に逆らおうとはしない。
「おい、誰か俺様に文句のある奴がいるのか? この貧民どもが!」
怒号に、観衆は黙り込む。
俺もまた、沈黙した。
これでいいのだろうか。
目の前の少女を見捨てることで、俺の家族は守られる。それは合理的な判断だ。未来を知る俺だからこそできる、最善の選択だ。
だが……。
(俺は、どう思っている?)
俺は、見上げた。
隣にいるはずの、十四歳の俺の顔を。
少年の瞳には、燃え上がるような怒りの炎が宿っていた。全身が震え、今にも飛び出しそうだ。
(ま、待て待て待て! 落ち着けクラウス! ステイ! ハウス!)
俺は必死に【思考誘導 Lv.2】を連打した。
だが、クラウスの足が、ジリッと地面を削る。止まらない。
(くそっ、Lv.2でも足りないのか! 言葉にして伝えなければ、こいつは本当に破滅する!)
俺の焦燥に応えるように、脳内で通知音が鳴り響く。
《【思考誘導】が Lv.3にレベルアップしました!》
《新アビリティ【思考伝達】Lv.1が解放されました!》
(思考伝達!? よし! これだ!)
『まつ……たたく……だめ! いえ……おわる!……かあさん……しぬ!』
ノイズ混じりの、途切れ途切れの声。
だが、その意味は確かに届いた。
クラウスの足が、ピタリと止まったのだ。
「誰だ……!?」
クラウスは驚愕に見開かれた目で周囲を見回し、そして肩の上の猫を見た。
「え?……ノワールが? ノワールが喋ったのか!?」
彼の顔は驚きで固まっていたが、声の内容がその驚きを一瞬で上書きする。
「……母さんが……死ぬ……?」
届いた。理解した。
彼の顔から血の気が引いていく。最悪の未来を知らされ、恐怖と葛藤で拳が震えている。
これでいい。これで止まるはずだ。
だが、その時だった。
「ほう……。その目だ……! その反抗的な目、ゾクゾクするぞぉ!」
バロン・ボルクが、抵抗する少女を見下ろし、ねっとりとした声を上げた。
彼は手に持った鞭の柄で、少女の顎を強引に持ち上げ、覗き込む。
「気に入った。貴様、屋敷に来い。俺がじっくりと『教育』してやる」
「……っ!? い、嫌……!」
少女の顔色が蒼白になる。
「おい、馬車に乗せろ」
ボルクが顎でしゃくると、兵士たちが少女の細い腕を乱暴に掴んだ。
「嫌ぁぁっ! 離して! 誰か、助けてぇぇぇ!!」
少女が半狂乱で暴れる。
だが、大の男たちに引きずられ、抵抗虚しく馬車へと連行されていく。
その瞳が、絶望に染まりながら、近くに立っていたクラウスを捉えた。
――助けて。
声にならない叫びが、聞こえた気がした。
その瞬間。
クラウスの瞳に、覚悟の炎が宿った。
彼は迷いなく豚貴族に向かって突き進んでいく。
『ば、馬鹿野郎! やめろぉぉぉ!』
俺はさらに強く念じた。
制止の命令!
《【思考誘導】が Lv.4にレベルアップしました!》
Lv.4の強制力が、彼を縛り付けようとする。
だが。
ブチィッ!!
何かが、千切れる音がした。
それは俺のスキルか、それとも少年の理性のタガか。
フッと、俺が乗っていたた肩の感触が消えた。
俺は宙に浮いた体で、スローモーションのように見た。
未来の絶望も、スキルの束縛も、全てをただの「正義感」だけでブチ破り、疾風のように駆け出していく少年の背中を。
(あ、これ止まんねえやつだ。そうか、そうだったな。……昔の俺ってそうだったよな)
『正しいと思うことをする。それが、男としての生きる道だ』
父さんの口癖。
おれは、そういう父さんを誇りに思っていた。
そのことを、どうして忘れていたんだろう。
「その手を下げろ、豚野郎!!」
全力の鉄拳が、バロン・ボルクの脂ぎった頬に、吸い込まれるようにクリーンヒットした。
―――ドゴォッ!
素晴らしい音だ。実にいい音がした。
俺は遠くへ吹っ飛んでいく豚貴族を見送りながら、きらりと涙を光らせた。
(……ああ、終わった。すべて終わったんだな)
歴史は繰り返された。
いや、違う。
あいつは「知らずに」殴ったんじゃない。「全てを知った上で」殴ったんだ。
その馬鹿げた覚悟の分だけ、前回より数倍いいパンチが入ってしまった。事態は最悪だ。
……だが、不思議と、悪い気分ではなかった。




