第9話 天使と料理ととんでもない材料
本話もお時間のあるときにゆっくり読んでいただければ幸いです。
数日後。
魔王城の一日は、相変わらず戦時中らしく慌ただしい。
前線からは小競り合いの報告が届き、
補給路の確認、兵の入れ替え、偵察の指示――
血の匂いは、まだどこにも残ったままだ。
それでも。
ルシアンは、ふとしたところで
「変化」に気づく自分がいることを、認めざるを得なかった。
朝の執務室。
机の片隅には、いつものように朝食の皿が置かれている。
焼いた肉と、黒いパンと、根菜の煮込み。
魔王は書類から視線を外し、
無言でフォークを取った。
一口、二口。
その手が、わずかに止まる。
(……まただな)
最近、妙に「ちゃんと味がする」のだ。
以前の料理がまずかったわけではない。
味付けは十分、腹も満たせた。
だがここ数日は――
肉の火の通り方が、
微妙に変わっている。
固すぎず、柔らかすぎず。
咬んだときに、じわりと脂と旨味が出てくるような仕上がりだ。
根菜の煮込みも、
やけに香りが良い。
どこか清涼感のある香りが混ざっていて、
口に入れると、重たいはずの根菜が
不思議とするりと胃に落ちていく。
そして――
(……目覚めが、軽い)
ここ数日、朝に目を覚ましたときの
頭の重さが違った。
以前は、眠りは浅く、
目を覚ましたときに
どこか疲れが残っているような感覚があった。
今は、
睡眠時間が変わらないにもかかわらず、
目を開けた瞬間、意識がすっきりと浮かび上がる。
それが、今日で三日続いている。
ノックの音がした。
「失礼します」
イオが、書類の束を抱えて入ってくる。
ルシアンは、フォークを持ったまま
何でもないように尋ねた。
「……お前、最近、体調に変化はあるか」
「体調、ですか?」
いきなりの質問に、
イオは目を瞬かせた。
少し考えてから、
くすりと笑う。
「そういえば。
ここ数日、目覚めが良いですね」
「ほう」
「前はもう少し、起き抜けに身体が重かったのですが、
最近は、頭がはっきりしていると言いますか」
イオは、首を軽く回してみせる。
「魔力の巡りも良い気がします。
長時間書類を読んでいても、
以前ほど肩がこらないのはありがたいですね」
「……そうか」
ルシアンは、
自分と同じ感想を持っていることに
内心で小さく頷いた。
偶然、と片付けることもできる。
だが――魔王はそういう「偶然」が続くことを、
あまり信じない。
「食事はどうだ」
「美味しいですよ」
イオは、即答した。
「もともと魔王城の料理はしっかりしていましたが、
ここ数日は、味の重さが減っている気がします。
胃に残らないというか……
食後の眠気が少ないので、
午後の仕事がはかどりますね」
「……なるほどな」
ルシアンは、朝食の皿を見下ろした。
(厨房の連中が、方針を変えたか?)
その可能性はある。
戦況に合わせて栄養の配分を変えることもあるし、
前線からの要望を受けて
「重さ」を調整することもある。
が――。
イオが、少しためらうように口を開く。
「……思い当たる節が、ひとつだけ」
「何だ」
「セラフィナ殿が、
最近、厨房に出入りしている、という噂です」
「……厨房に?」
「はい。
“何か手伝えることはありませんか?”と尋ね、
最初は皿洗いを任されていたようですが、
気づけば、
野菜を切り、
味見をし、
“これ、もう少しこうしたら良さそうです”と
普通に調理の話をしていたとか」
イオは、口元を指で押さえた。
「ただの噂話だと思ったのですが……
陛下の反応を見る限り、
“まったく無関係”とは言い切れないようですね」
「……あいつ」
ルシアンは深くため息をつこうとした――が、その前に。
「失礼しまーす!」
元気な声が、
ノックとほぼ同時に響いた。
「返事を待てと言ったはずだ」
「忘れてました!」
勢いよく扉が開き、
白い羽根と金色の髪が飛び込んでくる。
セラフィナだ。
今日はエプロン姿だった。
天使の衣の上から、
魔界の布で作られたエプロンを丁寧に結んでいる。
胸元には、
なぜか小さなシミが数カ所。
何かを盛大にこぼした形跡があった。
「ルシアンさま! イオさん!
いま、お時間大丈夫ですか!」
「お前、忙しい時ほどよく現れるな」
「はい! 忙しい時こそ、栄養が大事なので!」
返答になっているようで、なっていない。
イオが、苦笑を堪えながら尋ねた。
「どうかなさいましたか、セラフィナ殿」
「えっとですね!」
セラフィナは腕をぐっと上げ、
どこか誇らしげな顔をした。
「最近、厨房に入れてもらって、
お料理を作らせてもらってるんです!」
「……やはりか」
ルシアンとイオが、
ほぼ同時に小さくため息をついた。
セラフィナは気づいていない。
「それで!
ずっと聞きたかったんです!」
彼女は机の前までつかつかと歩み寄ると、
ルシアンをまっすぐ見た。
「ここ数日のごはん、どうですか!」
「どう、とは」
「美味しいですか!
食べやすいですか!
食べたあと、ちゃんと眠れてますか!」
質問の方向がおかしい。
イオが思わず口を挟む。
「最後の質問が、初めて聞く種類の感想ですね」
「大事なんですよ、睡眠は!」
セラフィナは力説する。
「いっぱい考えて作ったんですから!
ちゃんとお二人に聞きたくて!」
ルシアンとイオが、
一瞬だけ顔を見合わせた。
ならば、正直に答えるべきだろう――
と判断し、魔王は簡潔に告げる。
「……美味い。
以前より、重さが少ない。
眠りが浅い日が続いていたが――
ここ数日は、眠れるようになった」
「っ!」
セラフィナの顔が、ぱぁっと明るくなった。
「むふ〜……!」
胸の前で、両手をぐっと握る。
「それは、よかったです!」
イオも続ける。
「私も、陛下と同じ感想です。
味の重さが減ったおかげか、
午後の集中力が上がりましたね。
目覚めも良いです」
「やった……!」
セラフィナは、その場で小さく飛び跳ねた。
「これは“実験成功”ですね!」
「……実験?」
嫌な単語が聞こえた気がして、
ルシアンの眉がゆっくりと上がる。
「えっとですね!」
セラフィナは胸に手を当て、
どこか誇らしげに説明を始めた。
「ルシアンさまの料理には、
“よく眠れるように”と思って
《夢苔》を使ったんです!」
「…………」
短い沈黙。
先に口を開いたのは、イオだった。
「……《夢苔》、とおっしゃいましたか」
「はい!」
セラフィナは元気よく頷く。
「魔界の壁とか、石の隙間に
もふもふ生えてる、
ちょっと光る苔ですよね!」
「“ですよね”ではない」
ルシアンが、低く突っ込む。
「お前……あれを、食べ物だと思ったのか」
「え? 違うんですか?」
セラフィナは、本気で不思議そうに首をかしげる。
「だって、
摘んだときに、魔力の流れがすごく綺麗だったので。
ちょっと乾かして粉にして、
ごくごく少しだけ煮込みに混ぜたら、
魔力の流れがふわ〜って落ち着く感じがしたので!」
「“感じがしたので”で使うな」
イオも、額を押さえる。
「《夢苔》は、
“触りすぎると眠くなる”から、その名がついた苔です。
誰も、“食べよう”とは思わないので、
料理に入れる発想自体がありません」
「えっ、そうなんですか?」
セラフィナは本気で驚いている。
「でも、ちゃんと魔力も測りましたよ?
毒とか、変な反応は出ませんでしたし」
「どうやって測った」
「こう、触ってみて……」
「感覚頼りか」
ルシアンは、
怒るべきか感心すべきか、一瞬迷った。
「イオさんのほうはですね!」
セラフィナは勢いそのままに、イオのほうへ向き直る。
「最近、ずっと文字を読んでるって聞いたので、
頭が疲れすぎないように
《霞草の根》を使ってみました!」
「…………」
イオの笑顔が、ぴきりと固まった。
「……《霞草》、とおっしゃいましたか」
「はい!」
セラフィナは、またもや元気よく頷く。
「魔力を薄めるのが得意な植物ですよね!
“余計な考えごとをしすぎないように”って思って!」
「それ、どこ情報ですか」
「触った感じです!」
即答だった。
ルシアンが、死んだ目でイオを見る。
「霞草は、
幻覚と眠気を引き起こす薬草だ」
「……ええ、存じております」
「それを、料理に混ぜられていたわけだが」
「……ですが、
セラフィナ殿の“触った感じ”で
調整された量なら――
結果として、私の頭はすっきりしているので、
文句のつけようがないのが悔しいところです」
イオは、心底複雑そうな表情をした。
ルシアンは咳払いをひとつして、
改めてセラフィナを見る。
「聞くが――」
「はい!」
「お前、まさかとは思うが、
俺とイオ以外にも、
何か“余計なもの”を混ぜていないだろうな」
「まさかとは思うが」と言いながら、
完全に「やっている」前提の口調だった。
セラフィナは胸を張る。
「もちろんです!」
「“もちろん”という返事が、一番不安だ」
「お料理は、“食べる人のことを考えて作るもの”ですから!」
セラフィナは、
当たり前のように言った。
「ルシアンさまには、
戦いのこといっぱい考えて、
ちゃんと眠れなくなってるかなって思ったので、
“眠りやすくなるような魔力の流れ”の材料を少し。
イオさんには、
“頭の中だけ動かしすぎないように”って、
魔力をふわっと落ち着かせる材料を少し。
他のみなさんにも、
それぞれ“少しずつ”加えました!」
イオが、固まった。
「……他のみなさん“も”、とおっしゃいましたか」
「はい!」
セラフィナは迷いなく言う。
「“城の中だけ”とはいえ、
食堂で食べてる方、かなりいらっしゃいますよね?」
「そうですね。
兵、使用人、将校、書類係……
日によりますが、
数十人は確実に」
「ですよね!」
セラフィナは、数を数えるように指を折った。
「でも、ぜんぶ
“まったく違う料理”ってわけじゃなくて、
ベースは三種類だけなんです。
そこにちょっとずつ、
材料を足しただけなので!」
「……“ちょっとずつ”」
イオの頬がぴくりと引きつる。
「具体的に、何を?」
「ええとですねー……」
セラフィナは指を折りながら、
楽しそうに挙げていく。
「いつも腰をさすってる兵士さんには、
《火山苔》を少し。
足をよくつるって言ってた使用人さんには、
《雷根》をちょっとだけ。
“目が痛い”って言ってた書類係さんには、
《夜明けの露》を混ぜたスープを。
“最近怒りっぽいんだよな”ってぼやいてた教官さんには、
《青霧の葉》を……」
「待て待て待て待て」
ルシアンが慌てて手を上げた。
「お前が挙げているものの半分は、
魔界では“薬草”として扱われている。
残りの半分は、
“そもそも料理に入れようと思わない”類のものだ」
「えっ、そうなんですか?」
セラフィナは、本日三度目の本気の驚き顔をした。
「でも、ちゃんと、
“どれぐらいなら身体に負担がかからないか”見ましたよ?」
「どうやってだ」
「触ってみて――」
「感覚頼り以外の方法を身につけろ」
ルシアンが額を押さえる。
イオが、恐る恐る尋ねる。
「……それを、何人分」
「ええと……」
セラフィナは指折り数え始めた。
「最初に材料の魔力の流れを見て、
だいたいの量を決めて……
あとは、
大鍋を三つ用意して、
それぞれベースを作って、
盛り付けるときに
“この人にはこれ”、
“この人にはこっち”って
ちょっとだけ加えていったので」
「質問を変えましょう」
イオが、静かに言葉を挟む。
「その作業に、どれくらい時間がかかりましたか」
「ん〜?」
セラフィナは首をかしげた。
「最初に材料を並べて、
魔力の流れを見るのに三十分くらいで……
調理が三十分くらいなので――」
ぱっと顔を上げる。
「一時間ぐらいですかね?」
「…………」
イオが黙り込んだ。
ルシアンも、無言で
セラフィナとイオを見比べる。
魔王城の料理人が、
数十人分の食事を作るのに
どれだけの手間と時間がかかるか。
ルシアンも、概要だけは知っていた。
そこに、
「一人ひとりに合わせた材料の調整」という
明らかに面倒な工程を加えてなお、
全体所要時間を一時間で済ませる。
普通ではない。
「……あの」
沈黙に耐えかねたように、
セラフィナが恐る恐る手を上げた。
「もしかして、
何か、やりすぎました?」
「やりすぎたかどうかと言えば――」
イオが、苦笑まじりに言う。
「“やりすぎている”のは確かですね」
「えっ……」
セラフィナの肩が、しょぼんと落ちる。
「でも」
イオはすぐに続けた。
「結果として、
陛下も、私も、
体調が良くなっているのは事実です。
他の者たちからも、
“最近、目覚めが良い”“身体が軽い”という
報告がいくつか来ていました」
「ほ、ほんとですか!?」
セラフィナの顔がいっきに明るくなる。
「やった……!
ちゃんと効いてる……!」
「そもそも」
ルシアンが低く言う。
「お前、何故そこまで
一人ひとりのことを覚えている」
「え?」
「腰がどうだの、足がどうだの、目がどうだの。
普通、そんな細かいことまで
把握して料理を作る者はいない」
「だって」
セラフィナは、
当たり前のように言った。
「同じお城で暮らしてる人たちだから、です」
「……理由になっているようで、なっていないな」
「えへへ……」
誤魔化し笑いをしながらも、
セラフィナは続けた。
「“今日も腰が痛い”って言ってる人がいたら、
“なんとかできないかな”って思いますし。
“ずっと本を読んでて頭痛い”って言ってる人がいたら、
“少しでも楽になったらいいな”って思いますし。
“最近イライラしてる”って言ってる人がいたら、
“眠れてないのかな”って思うので」
言葉はふわふわしているが、
言っている内容は妙に的確だ。
イオが小さく息を吐いた。
「……セラフィナ殿」
「はい!」
「あなた、自分で思っている以上に
とんでもないことをしていますよ」
「えっ?」
「魔力の流れを“触っただけで”見て、
一人ひとりの体調を覚えて、
それに合わせて薬草と材料を調整して、
一時間で数十人分に反映させる」
イオは、指を折って数えながら言う。
「普通の魔族がやろうとすれば、
準備だけで半日では済まない仕事です」
「え、そうなんですか?」
「そうです」
きっぱりと言い切った。
「少なくとも、
私は真似したくありません」
イオは、心底からの本音で締めくくる。
「それで、料理の感想はどうでしたか!」
セラフィナは、
改めて勢いよく身を乗り出した。
「ちゃんと効いてましたか!?
変な感じしませんでしたか!?」
「変な感じ、か」
ルシアンは少し考え、
率直に答えた。
「《夢苔》とやらを食べさせられていたと聞けば、
本来なら怒るところだが――
今のところ、
眠りは深く、目覚めは軽い。
身体の重さも減っている」
そこまで言って、
ほんのわずかだけ口元が緩む。
「……美味かった」
「っ!」
セラフィナの羽根が、ぱたぱたと揺れた。
「むふ〜……!」
嬉しさが隠しきれない顔になる。
「イオさんはどうですか!」
「そうですね」
イオはおだやかに笑った。
「頭が働きすぎて眠れない夜が、
最近は減りました。
書類の内容も、前より入りやすい気がします。
《霞草》を食べたのは生まれて初めてですが、
いまのところ不調はありません」
「よかった……!」
セラフィナは胸をなでおろし、
ぴょこんと一礼した。
「じゃあ、これからもがんばりますね!」
「ほどほどにしておけ」
「ほどほどにがんばります!」
意味不明な約束を残し、
セラフィナはくるりと踵を返す。
「それでは今から掃除してきます!
あ、夢苔と霞草は、
ちゃんと分量守ってるので安心してくださいね!」
「その言い方が一番不安だ」
「だいじょうぶです!」
だいじょうぶではなさそうな元気な声を残し、
セラフィナは勢いよく執務室を飛び出していった。
廊下の向こうに、
ばたばたと羽根と足音が遠ざかっていく。
扉が閉まったあと、
執務室にはしばし沈黙が落ちた。
先に口を開いたのは、イオだった。
「……あの子、
何気なく、とんでもないことをしますね」
「ああ」
ルシアンは椅子にもたれ、
机に置かれた空の皿に視線を落とした。
「魔力の感覚、
観察力、
記憶力、
段取り。
どれも、下級の事務方天使とは
思えぬレベルだ」
「ですよね」
イオは苦笑する。
「治癒魔法も、
日常レベルの傷に関しては、
城の医師より早く正確です。
それに加えて、
今度は料理と薬草の調整」
イオは、真顔になった。
「……どうして天界は、
あの子を“下っ端”のままにしておくのでしょう」
その疑問には、
ルシアンも同意せざるを得なかった。
「上にとって、扱いづらいのだろう」
「扱いづらい、ですか」
「ああ」
ルシアンは短く言う。
「命令以上のことを勝手にやり、
だが結果は出してしまう。
忠実に命令だけをこなす兵より、
よほど便利だが――
“上から見れば”
目障りでもある」
「……皮肉ですね」
「神のやり方は、昔からそうだ」
ルシアンは肩をすくめた。
「だからこそ、
あの天使は、今ここにいる」
そう言ったその直後だった。
ドオオオオン!!
「きゃあああああああ!」
城の外のほうから、
盛大な音と悲鳴が響いた。
ルシアンとイオが、
同時に眉をひそめる。
「……今のは」
「中庭のほうですね」
イオが、魔力の揺れを確かめるように目を細めた。
「爆発……ではなく、
何か大きなものが倒れた音です」
「嫌な予感しかしないな」
ルシアンは立ち上がり、
窓から外を覗いた。
中庭の一角。
大きな植木鉢――
城の景観のために置かれた、
巨大な岩と魔樹の鉢植え――が、
横倒しになっている。
土が盛大にぶちまけられ、
植えられていた樹が、地面に傾いていた。
そのそばで、
翼とエプロンを土まみれにしたセラフィナが、
必死に樹を支えようとしている。
「すみませんすみませんすみません!
ちょっとだけ、根っこの下のほこりを取ろうとしたら……!」
慌てて駆け寄る兵士たち。
「何でほこりを取るだけでこうなるんだ!」
「すみませんーーっ!」
中庭はちょっとした騒ぎになっていた。
その光景を見下ろして、
ルシアンは、ふっと小さく笑った。
「……あれが原因だろうな」
「原因、ですか」
「天界で出世できない理由だ」
ルシアンは、
倒れかけた樹を必死に支えようとして
逆に下敷きになりかけている天使を見ながら言う。
「どれだけ能力が高かろうと――
ああも盛大にドジを踏まれては、
上に置いておけまい」
「それは……」
イオも、窓の外を見て、
くすりと笑った。
「否定しづらいですね」
ルシアンの横顔は、
どこか楽しそうだった。
怒鳴りつける気配はない。
呆れ半分、
面白がり半分――
そんな色が混ざった、柔らかい表情だ。
イオは、その顔を横目で見て、
ふと、思った。
(……陛下は、気づいておられるのでしょうか)
以前より、
笑うことが多くなっていることに。
戦況の報告だけを見ていた頃には
決して浮かばなかったような笑みが、
今、
魔王ルシアンの口元に
自然と宿っていることに。
イオは、小さく息を吐き、
こっそりと同じ方向を見ながら、
静かに微笑んだ。
天使セラフィナが、
今日もどこかで転びながら、
誰かの役に立とうとしている。
その事実が、
魔王城という戦時の砦に、
少しずつ、確かな変化をもたらしている――
そのことを、
誰よりも近くで見ているのが、
ほかならぬ魔王本人であることを、
イオは知っていた。
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