第5回
「2階、東館端の書斎から入ります。その脇にある階段が一番人目につきませんから。とりあえず、2階端2つ目の部屋へ向かいましょう」
「任せる。俺はこの屋敷のことは全く知らないからな」
周囲に気を配りながら木々の作る闇にまぎれ、佳織のあとをついて行く。侵入自体には、さほど苦労はしなかった。
壁に配置された警備員を気絶させ、バイクを足場にメダルで壁を乗り越える。測ったところ、交代時間は20分毎。その前に用事は終わると彼女は言っていた。なんでも、自室に置いてある盗聴器を設置してくるのだそうだ。
またうさんくさいことを。
俺は彼女の言葉なんか、半分も信じちゃいなかった。
なぜわざわざあんな電話をかけなければいけないのか。(そりゃ、こうして侵入する際の撹乱という役には立っているし、取引場所を伝えることで警察の数を減らすこともできるわけだが)彼女の自宅なのに、わざわざ忍びこむなどというまねをしなくてはいけないのか。
反応が見たいのであれば、どこかに潜伏して時が過ぎるのを待てばいいんだ。誘拐騒動はすっかリマスコミに流れてしまっている。わざわざ忍びこんで盗聴器を設置し、内部から探ろうとしなくとも、十分情報は得られるはずだ。
それを操るための電話程度なら、俺だって真面目に手を貸してやってもいい気になったし。
嘘だと分かっていながらこうして俺がつき合ってやっているのは、俺がしなけりゃ何も考えずにホイホイついて行くと言い出しかねなかった和彦のためだ。
まったく、あの単細胞生物は。いいかげんもう少し進化したらどうなんだ。おかげで俺は、要らぬ気苦労ばっかりするはめになって……。
「……ちょっと待った」
茂みを出て向かい側の壁へ行こうとする、彼女の腕を掴んで引き戻す。直後、足元近くをサーチライトが横切っていった。間一髪だ。
「いくら薄くなった館の警備を補うためとはいえ、ああやってただ通りすぎていく光が何の役に立つのかしら?
犬は犬舎に押しこまれているようだけれど、鎖でつながれた犬のほうがよっぽどマシだわ。それともこの事件との関わりを探られるのをいやがって、どこの者も手出しを控えるとでも思っているのかしら……」
などとぶつぶつつぶやいて、さっさと歩いて行く。
このお嬢さんは。
まったく、ひとを巻きこんでおきながらそれをすまなそうにしたのは最初だけ。こちらが引き受ければそれ以降は引き受けたそちらの責任だとばかりに強いてくる。
そのとおりだが、妙に高圧的なのが気にくわない。
まあこちらに下心がまるでないわけではなし。長くつき合う気もないからいちいちとがめはしないが。
「ここです」
芝生を渡ったあとは壁づたいに進み、行き当たった部屋を差して言う。窓からそのままこの庭へと出られるようになった、一面式だ。
来る途中、買っておいたテープを貼ってガラスを砕き、剥がす。面白いように破片が取れる。難なく窓を引き開け、いざ踏みこもうとした俺を、不意に彼女の手が止めた。
「高槻さん、入るのはまだ待ってください。窓と扉の所には、床50センチの高さで警報機が設置されているんです。普段は切っているのですが、こんなときです。一応確かめてみますので……」
言って、メダルを持った彼女が1人で中へ入ったときだ。
想像もしたくなかったアクシデントが、突然起きた。
こちらへ近付いでくる足音が、左横にある扉の向こうから聞こえてきたのだ。
「!」
互いを見合う。近付く神経質な足音(ヵツカツという硬質的な踵の音といい、おそらく女性のヒールだろう)は、すごい勢いでやってくる。警報機のスイッチを確かめるどころかカーテンへ隠れるのがやっとで、俺は急いで窓を元に戻すと闇にまぎれるように壁へぴったり身をつけた。
それとほとんど同時に扉を開け、すべりこむようにして入ってきたのは、やはり女だった。
暗い室内へ入ったというのに明かりもつけようとせず、まっすぐ左にあるデスクへ行き、端に腰かける。ちょうど、佳織の隠れたカーテンの真正面、俺から斜め前の位置だ。
月光も届かない闇なので背後の本棚らしい影と混じつて細部まではよく見えないが、ジャラジャラと装飾品だらけの右手を伸ばして腰元を探り、ポケットから何かを取り出すと、耳の辺りへ押しあてた。ぼんやりと光っている板状の何か。どうやらスマホのようだ。
電話をかけにきたのか。
……わざわざ人目につかないというこの書斎で、明かりもつけずに?
それを不思議がるのは俺ばかりではないらしい。カーテンの端から目をやりながら、佳織も難しい顔をしている。
そんな俺たちの前で、女はひそめた声で、つぶやく。
「……私よ。ばかな警察のせいで連絡がなかなか取れなくて……ええ、そう。でもどういうこと? 20億ですって? 場所も、方法も、全然違うじゃないの。やけに遅いと思っていたら、あなたたち、まさか――え? なに? 違う? 何が違うの、だって電話が――」
「それは私ですわ、お義母さま」
話がかみ合わず、すっかり困惑している女の言葉を遮ったのは、佳織だった。
カーテンから姿を現し、窓を透かせて入ってくる月光に顔を照らさせて、本人であると知らせる。
「佳、織……さん?」
「私が、あるお方の手をお借りして、仕組んだことです。お騒がせして申し訳ありませんでした。そのことは後日、私自身の口で皆さんにお詫び申し上げますわ」
「では……ではあなたは、無事だったというのね?」
確認するようにつぶやきながら、ゆるゆるとスマホを机に伏せるように置いて立ち上がる。
まだ誘拐されているとばかり思っていた娘が突然目の前に現れた動揺が抜けないのか――それとも自分の仕組んだ誘拐であると知られたことにおびえてか――女は横に回ると一歩踏み出そうとして前方によろめき、机上に手をついた。
「ええ」
対照的、と思えるあざやかな声で、にこやかにほほ笑んで佳織は肯定する。
「そ、そう。良かったわ、無事で。心配していたのよ、お父さまも、お兄さま方も。もちろん、私もよ。みんな、あなたが辛い思いをしてはいないかと、心配して……。
でも、どうしてちゃんと門から帰ってこなかったの? そう、どこから入ったの? どうしてこんな――」
もしや、先の会話内容が聞こえなかったのだろうか? 部屋の端と端だし、声をひそめていたから、聞こえなかったのかもしれない。それなら、まだごまかせる――そう思ったのか、好意的な笑みを見せる佳織にほっとしながらも、沈黙を恐れるように震える声をのどの奥から押し出す。
そんな女に、佳織はあのバッジを見せた。彼女を襲った男の胸元から転がり出てきた、金のバッジだ。
バッジに落としていた目が女へと向いたとき、きっと女も悟れたに違いない。佳織の向けた笑みが好意だなどととんだ間違い――むしろ、正反対を意味するものであることを。
「すぐ分かりましたわ。表に彫られた麒麟は周臣の紋。当家の裏の仕事一切を引き受けてくれる一族の持ち物でしたもの。
そして今、だれが仕組んだことなのかも、お義母さま、あなたのおかげでこんなに早く知ることができましたわ」
あくまで優雅に、上流階級の者である気品をわずかも崩さず佳織は流暢に告げる。
背後からの月明か’りに照らされたその横顔はまるで蝋人形さながらで、はたから見ているこちらの背筋が寒くなるほど豪胆な非難だった。




