第2回
淡い栗色のふわふわ髪と、少し青味がかった白磁器の肌をした品のある、まあ、いわゆる美少女だ。
くっきり二重の少々きつめに整った顔といい、てっきり俺たちと同じか上だと思ったら名前の横の数字は15。
あれでまだ15ってことは、ずいぶん大人びた表情をする子だな。
志尾 佳織、か。
「へえ。ああいうのが和彦の好みなのか」
目だけ戻しておどけて言ったら、それだけで和彦は真っ赤になってうろたえた。
図星だ。
「ちゃ、茶化すなよっ。そんなんじゃないってっ。ただ、誘拐されて大変だなってっ」
額まで赤くなって、何言ってんだか。
あわててラーメンすすって、食べるのに熱中しているフリをする。無理してるのが見え見えだ。
俺の分を運んできたおばさんの背中越し見た画面はもう次のニュースへ移っていて、これ以上和彦をからかうことはできそうにない。それでも新たな情報が入ったとかで、また映りはしないかと見続ける俺に、今度は何を感じとってか、
「……無事だといいな」
まるで俺の考えていることを見抜いたようなロ調で、ボソッとこぼしてきた。
――まったく、こいつは。要らないことにばかり頭を使うもんだから、いつまでたっても馬鹿が治らないんだ。他人のことを考えるよりまず自分のことをしろ、自分のことも満足にできないくせに他人のことに首をつっこむなと、一体何度教えれば覚えるんだ、このばかは。小学生でももう少し学習能力があるぞ。
「さあな。助かろうが助かるまいが、俺には関係ないさ」
投げ出すようにそれだけ言って、箸を割った。直後、
「そんなっ……!」
がばっと顔を起こして深刻な目で見てくる。やつに、それ以上余計なことは口にするなと睨みを入れたのだが、それでも納得できてないという目で見てきたため、俺は仕方なし、さらに言葉を継ぎ足さなくてはならなくなった。
「いいか? 俺たちには関係ないんだ。俺たちは単なる一般市民、あっちは世界屈指の大金持ちの娘。
べつに、彼女1人死んだからって地球はおろか明日にも俺たちの生活がどうこうなるってわけじゃない。
いいな? 納得したらさっさと食え。伸びるぞ」
「だって、おまえ……」
「食わないならそっちのも俺がもらってやる」
ふざけたっぷりに箸を幽すと和彦も取られまいとして手元へ気を戻したから、この件はそのまま立ち消えたんだが……。
本当に、そう思っていたんだ。このときは。
朝起きて、学校へ行って、戻って、夕飯食って寝る。
卒業してどこかの会社に就職したりとか、それなりの相手と結婚したりとかで多少色はつくが、周り中にいるその他大勢とたいして変わりのない、変わり映えしない日常をおくって人生を終えるのだろうとの予想が安易につく俺たちと、物心つく前からハイソサエティな知識・教養を専属の教師によって学び、一流の中から更に厳選された究極の者ばかりで構成された取り巻きを連れ、ゼロが5つも6つも並ぶ物しか身につけない、娘。
一生涯口をきくどころか出会う可能性もない、全く別世界の相手だと思ってたのに。
つくづく予想っていうヤツははずれるためにあるのだと思い知らされた出会いが、ほんの数十分後、俺たちのためにわざわざ用意されていたわけだ。
◆◆◆
それは、ちょうど家と学校の中間位置にある橋の下にさしかかったときだった。
和彦いわく『1000円以下の物』を4つほど注文して泣かせた俺は、かなりの上機嫌でちらほらと星の出始めた空を見上げ、和彦はようやく小使い日直前のサイフの痛みから立ち直ったのか、横の川を渡ってくる冷たい夜風に目を細めていた。
「でさ、河井のやつ、ものの見事にコケてんの」
「ドジだな。まさかおまえは続かなかったんだろ?」
「ったりまえー」
家でだれかが待っているわけでもなし。特に急ぐこともなく、車道を外れて土手を下りて、静かな川縁を歩く。
話題は、今日学校で起きたたわいのないものばかりで、コロコロよく変わったが途切れない。ひとしきりはしゃいで前に出た和彦の首に腕を回して絞めるまねをしていたら、突然上の車道を走っていた車のライトが当たって流れた。
「おい。あれ、危なくないか?」
「ああ、蛇行してやがる。あんな細い道で――」
こっちは斜面だし、外れたらアウトだぞ、とか言ってる側から車は土手との境に施されたガードレールに3度ほど接触して火花を散らしたあと、急ブレーキをかけて止まった。直後、後部座席から制止の手を振り切るようにして人影が飛び出す――と言うより、転がり出る。
「酔っぱらいかあ?」
月が雲間に隠れた中、2人して目をこらす。
長い髪とスカートの影から察するに女性らしいその人影は、立ち上がる前に運転席から出てきた人影に二の腕を掴まれ、無理矢理起こされたあと、何か、頭ごなしに言われていた。
言い返し、逃れようとする彼女のもう片方の腕を、後部座席から続くように降りてきたもう1人がつかんで、頭をわしづかみにし、強引に車内へ押しこもうとする。
「違うな……」
つぶやき終わる前に、俺たちは互いに声をかけあったわけでもないのにどちらともなく走り出していた。
土手を一気に駆け上がり、ガードレールを飛び越えて車道に出ると走る。
さすがにここまで来ると、何を言ってるのか分かった。
「は、離して! 離しなさい! この――」
手で車のフレームをつかみ、必死に抵抗する少女を2人がかりで後部座席に押しこもうとする男たちに向かって彼女がその先何を言いたかったのかはともかく、それ以上続ける必要がなかったのはたしかだ。
その言葉を男たちが聞き終わる前に、俺の肘が男の後頭部にめりこんだのだから。
「! あ、あなたは――」
彼女の向こう側にいたもう1人が、そんな奇妙な敬語で俺の出現に驚く。だが、驚きに硬直していた手を再び動かすよりも早く、背後に回りこんでいた和彦の鞄の角が後頭部へと決まった。
「……うーん、いいのかなあ」
ぽりぽり鼻頭を掻き、眼鏡を正しながら足元に倒れている2人を見つつ、和彦がなんとも頓狂な言葉を吐く。
「話も聞かずに勝手に悪人扱いしちゃったけど」
「したあとで何を言う。もう遅いって。
あんた、大丈夫か?」
とりあえず、前後の状況が聞ける唯一の相手である、女性に声をかける。後部座席に腰をおろして、まだ突然現れた俺たちへの警戒が抜けない顔をしたその少女がはたしてだれなのか。
女性は、車の中をのぞき込んだ俺を見て、目を瞠り、一瞬俺をだれかと見間違えたようで狼狽した言葉を発した。
「……る兄さま? どうしてここに――あ、違う……」
「あんた……」
『もしかして』なんて間抜けな言葉は必要なかった。
絶句する。
雲間に隠れてぼやけた月の光にすら艶々と照るなめらかな肌。肩からこぼれたふわふわの栗色の髪に大人びた眼差し。
先のTV画像から抜け出した、どころか、その数倍は確実に美しい、等身大の美少女がそこにいた。




