4.AIの試練
二つの島国——セレスティアとヴァルガード。
かつては大洋を隔て、互いに干渉することのない遠い存在だった。
しかし数十年にわたる大陸移動と地殻変動により、その距離は年々縮まっている。今では、海峡の幅はわずか百数十キロ。肉眼では見えないが、双眼鏡を覗けば相手国の海岸線がかすかに映るほどだ。
両国の関係は、表面上は「友好」で塗り固められている。貿易協定、文化交流、外交儀礼——どれも笑顔と握手で飾られる。だが、その水面下では、互いの経済圏の衝突、資源の奪い合い、歴史認識をめぐる軋轢が、静かに燻り続けていた。
そして今、新たな変化が訪れている。最新の観測データによれば、両国間の海峡はこの一年でさらに数キロ狭まった。もしこのペースが続けば——二つの国は、いずれ衝突する。
そのとき何が起こるのか。地理的な衝撃だけではない。経済も、政治も、人々の日常も、すべてが形を変えるだろう。
だが、この事実を日々の暮らしの中で意識する人は少ない。ほんの一握りの人間だけが、近づきつつあるその未来に備えようとしていた——。
翌日。
澪は昨日と同じように机の前に座った。
パソコンの電源を入れると、画面に青年の姿が映る。
「澪、準備はいいか?」
静かな声なのに、なぜか胸がざわつく。
「な、なにするの?」
眉をひそめつつも、目は彼から離せない。
「君の適性を試す。AIを使いこなせるかどうかの、最初の試練だ。」
青年は少しだけ口元を上げた。
その笑い方が、なんだかずるい。挑まれてる気がする。
画面に現れたのは、数字と記号がぐちゃぐちゃに並んだ暗号。
「これを解け。ヒントは……『逆さま』だ。」
「はぁ!? 急にこんなの……私、無理だって!」
(数字苦手だし……やる前から詰んでる)
ふと、ずっと気になっていたことが口をついて出た。
「ねえ……あなた、何者なの?」
青年は一瞬だけ間を置き、澪の目をじっと見た。
「答えは簡単だ。でも、今の君にはまだ意味がない。」
「なにそれ……はぐらかしてるだけじゃん」
「試練を超えれば、少しはわかるかもしれない。」
軽く言ったはずなのに、澪の胸の奥に小さく刺さった。
(……ずるい。そんなこと言われたら、やるしかないじゃん)
渋々、椅子に深く座り直して暗号を睨む。
(逆さま……数字を反転? 文字を上下?)
何度やってもエラー。時間だけが過ぎていく。
「やっぱり無理だよ!」
半泣きで叫んだ澪に、青年は落ち着いた声で言った。
「諦めるのは簡単だ。でも、それじゃ何も変わらない。」
昨日も聞いた言葉が、今はやけに重く響く。
(……何も変わらない? 本当に、私はこのままでいいの?)
澪は深呼吸し、もう一度暗号を見つめる。
数字と記号の並びが、ふと別の形に見えた。
——もしかして、上下じゃなくて前後を逆に?
自然に指が動き、数秒後、画面に「認証成功」の文字が現れる。
「……できた!」
思わず立ち上がってガタッと椅子を倒してしまう。
青年は口角を上げたまま、満足そうにうなずく。
「悪くない。君には素質がある。」
澪は思わず笑ってしまった。
ちょっとだけ——自分のことが好きになれた気がした。