3.二つの島国
二つの島国——セレスティアとヴァルガード。
かつては大洋を隔て、互いに干渉することのない遠い存在だった。
しかし数十年にわたる大陸移動と地殻変動により、その距離は年々縮まっている。今では、海峡の幅はわずか百数十キロ。肉眼では見えないが、双眼鏡を覗けば相手国の海岸線がかすかに映るほどだ。
両国の関係は、表面上は「友好」で塗り固められている。貿易協定、文化交流、外交儀礼——どれも笑顔と握手で飾られる。だが、その水面下では、互いの経済圏の衝突、資源の奪い合い、歴史認識をめぐる軋轢が、静かに燻り続けていた。
そして今、新たな変化が訪れている。最新の観測データによれば、両国間の海峡はこの一年でさらに数キロ狭まった。もしこのペースが続けば——二つの国は、いずれ衝突する。
そのとき何が起こるのか。地理的な衝撃だけではない。経済も、政治も、人々の日常も、すべてが形を変えるだろう。
だが、この事実を日々の暮らしの中で意識する人は少ない。ほんの一握りの人間だけが、近づきつつあるその未来に備えようとしていた——。
澪は、古びた机に頬杖をついたまま、青年の声を聞いていた。
低くて落ち着いた声は、どこか耳に心地いい。
「この世界には二つの大きな島国がある。セレスティアとヴァルガードだ。」
青年は机の上に広げた古地図を、指先でゆっくりなぞった。
その指は細く、節の形まで美しい。
セレスティア——澪が暮らす国。
穏やかな気候と海に囲まれ、長い間、平和を保ってきた。
白い砂浜、青い港町……子どものころに家族で出かけた景色が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
一方のヴァルガードは、荒々しい山々と厳しい冬を持つ国。
天然資源は豊富で、歴史的にセレスティアとは折り合いが悪い。
青年は、手元の端末を軽くタップした。
地図上で、二つの島の間の海がゆっくりと狭まっていくアニメーションが浮かび上がる。
青かった海が、徐々に色を失い、やがて一本の細い線になる。
「……最近、大陸移動によって急速に距離を縮めている。」
青年の横顔が淡い光に照らされる。
まつ毛の影が頬に落ち、澪は思わず見入ってしまった。
「国境が近づけば、衝突は避けられない。」
静かな言葉なのに、胸の奥がひゅっと冷たくなる。
澪はそっぽを向き、わざとらしく肩をすくめた。
「そんなの、私に関係ないし……」
声が少しだけ震えてしまったのは、自分でもわかった。
青年はふっと微笑んだ。
その笑みは、優しさと、どこか試すような色を帯びている。
「そう思うのは自由だ。でも、君の中に流れる血が、必ず君を動かす。」
「……血?」
澪は思わず聞き返す。
「その話は、もう少し先でしよう。」
青年の瞳が、図書館の光を映してきらめいた。
まるで深い海の底から、何かをこちらへ引き寄せてくるような眼差し。
胸がどくん、と音を立てる。
でも、澪はそれを打ち消すように、机の木目をじっと見つめた。
その日、澪は不安と、どうしようもない好奇心の両方を抱えて、夢から目を覚ました。