19.プレート移動の秘密
二つの島国——セレスティアとヴァルガード。
かつては大洋を隔て、互いに干渉することのない遠い存在だった。
しかし数十年にわたる大陸移動と地殻変動により、その距離は年々縮まっている。今では、海峡の幅はわずか百数十キロ。肉眼では見えないが、双眼鏡を覗けば相手国の海岸線がかすかに映るほどだ。
両国の関係は、表面上は「友好」で塗り固められている。貿易協定、文化交流、外交儀礼——どれも笑顔と握手で飾られる。だが、その水面下では、互いの経済圏の衝突、資源の奪い合い、歴史認識をめぐる軋轢が、静かに燻り続けていた。
そして今、新たな変化が訪れている。最新の観測データによれば、両国間の海峡はこの一年でさらに数キロ狭まった。もしこのペースが続けば——二つの国は、いずれ衝突する。
そのとき何が起こるのか。地理的な衝撃だけではない。経済も、政治も、人々の日常も、すべてが形を変えるだろう。
だが、この事実を日々の暮らしの中で意識する人は少ない。ほんの一握りの人間だけが、近づきつつあるその未来に備えようとしていた——。
夜の港は、静かだった。
防波堤の先に立つ灯台が、規則正しく光を放っては消している。
澪はベンチに腰掛け、潮風を浴びながら、胸のポケットに手を当てた。そこには、タカコが託した“四つ目の鍵”が収まっている。
冷たい金属の感触が、彼女の胸の奥をじんわりと締めつけた。
——これで揃った。
けれど、本当にこれで終わるのだろうか。
タカコの笑顔と、あの時の強い眼差しが脳裏に蘇る。
信じて。必ずこの国を救うから——あの声が、潮騒と一緒に耳に残っていた。
不意に、まぶたが重くなる。
(お〜キタキタ!お呼びだぁ)
意識はゆっくりと眠りの底へ引き込まれていった。
——気づけば、澪は再びあの図書館に立っていた。
天井まで届く古びた書棚。高い窓から差し込む光は、外界よりも柔らかい。
奥の机に座る青年が顔を上げ、微笑む。
「来たね、澪」
澪はポケットから鍵を取り出す。
青年の瞳がきらりと光った。
「四つ……全部揃った。これで“扉”は開く。あとは——君の番だ」
「……私の番?」
「そうだ。君はコードが書けるだろう。これから使うのは、この島の古代技術を動かす“制御コード”だ。物理的に鍵をはめるだけでは足りない。プレートを安全に止めるためには、アルゴリズムを組まなければならない」
「イミフなんですけど...」
青年が指を鳴らすと、図書館の中央に光のパネルが現れた。
浮かび上がるのは無数の文字と記号。それらは水面の波紋のように揺れながら、澪の視線に合わせて形を変える。
「Lyrian Script。この島の先人が作った、特別な言語だ。もう使える人間はいない……君を除いては」
澪は目を見開いた。
私が『Fragment Finder』を作った時に使った言語だけど、え〜私しか使える人がいないの!?
青年は、視線をパネルから外し、少し遠くを見るように言った。
「……昔、この島の先人たちは、何度も文明を失いかけた。理由は、地震や火山噴火だ。数十年に一度、大地そのものが牙を剥き、都市も港も、一瞬で消えた」
彼の声は淡々としているのに、その奥には深い哀惜があった。
「彼らは考えた。大地の動きを“制御”できれば、文明は続くのではないかと。そこで造られたのが、地殻変動制御装置だ。プレートの動きを抑え、災害を最小限にする……それが、彼らが生き延びる唯一の方法だった」
澪は息を呑んだ。
「つまり、それが……今も動いている?」
「そうだ。だが、制御の限界は近い。放っておけば暴走し、この島どころかセレスティアとヴァルガード両国の沿岸全てが地震と津波に呑まれる。……そして最近、その装置の一部が、外部から無断で再設定された形跡がある」
「外部から……って、まさか」
青年は小さくうなずいた。
「ヴァルガードだ。やつらは装置を利用し、プレートの動きを意図的に加速させようとしている。衝突が早まれば、政治的にも軍事的にも優位に立てると考えているんだ。だから君のコードが必要なんだ」
指先をそっとパネルに触れると、文字が生き物のように組み合わさり、命令文へと変わっていく。
条件分岐、同期補正、徐々に減速するための比例制御。
脳内のロジックが光の粒になって流れ出し、コードとして形になる。
「このループは……同期信号の監視。ずれたら位相補正して、減速率を計算……」
「その通りだ。急停止は危険だ。蓄積されたエネルギーが暴発すれば、島は壊滅する。だから、ゆっくり……けれど確実に止める必要がある」
澪は集中して指を動かす。
タップするたび、光が弾けて新たな命令が紡がれる。
迷いはなかった。
——これは、私にしかできない。
最後の一行を入力し、確定のジェスチャーを送る。
パネル全体が一瞬強く輝き、静かに消えた。
青年は微笑んだ。
「完璧だ。これを現実で実行すれば、プレートは止まる」
「現実で……?」
「次に目覚めたとき、君は制御中枢へ向かうことになる。その時、このコードが君の武器になる」
澪は四つの鍵を握りしめた。
「絶対に……止める」
「僕も一緒にいる」
潮騒が耳に戻ってくる。
ゆっくりと目を開けると、夜の港がそこにあった。
ポケットの中の鍵は、まだひんやりと冷たく、確かに存在している。
澪は立ち上がり、遠くの海を見つめた。
——明日、すべてを終わらせるために。
それが、タカコへの、そして自分自身への答えだった。