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18.裏切り

二つの島国——セレスティアとヴァルガード。

 かつては大洋を隔て、互いに干渉することのない遠い存在だった。

 しかし数十年にわたる大陸移動と地殻変動により、その距離は年々縮まっている。今では、海峡の幅はわずか百数十キロ。肉眼では見えないが、双眼鏡を覗けば相手国の海岸線がかすかに映るほどだ。


 両国の関係は、表面上は「友好」で塗り固められている。貿易協定、文化交流、外交儀礼——どれも笑顔と握手で飾られる。だが、その水面下では、互いの経済圏の衝突、資源の奪い合い、歴史認識をめぐる軋轢が、静かに燻り続けていた。


 そして今、新たな変化が訪れている。最新の観測データによれば、両国間の海峡はこの一年でさらに数キロ狭まった。もしこのペースが続けば——二つの国は、いずれ衝突する。

 そのとき何が起こるのか。地理的な衝撃だけではない。経済も、政治も、人々の日常も、すべてが形を変えるだろう。


 だが、この事実を日々の暮らしの中で意識する人は少ない。ほんの一握りの人間だけが、近づきつつあるその未来に備えようとしていた——。

カフェの窓から見える通りは、地震の後のざわつきがまだ残っていた。

澪はカウンター席で、温かいココアを両手で包み込んでいる。

タカコはキッチンの奥でコーヒー豆を挽きながら、どこか落ち着いた表情をしていた。


スマホが軽く震える。

何気なく画面を開いた澪の視界に、文字が流れ込んでくる。

《相手国の内部協力者リスト 流出》

ざらつく写真データと名前の羅列。

そして、その中に――高倉貴子の文字とこのカフェの住所があった。


「……嘘、でしょ」

喉が勝手に乾き、心臓が早鐘を打ち始める。

湯気の立つココアの甘い匂いが、急に遠くへ消えた気がした。


「タカコさん……これ、どういうこと?」

声が震えていた。

タカコはゆっくりと顔を上げ、澪の手元のスマホを見て、少しだけ目を細めた。


「……見ちゃったのね」


「私に鍵を渡したのも、その……スパイ活動の一部だったの?

 私を……ヴァルガードに売るつもりだったの?」


タカコは小さく首を振り、澪の隣の席に腰を下ろした。

その声は驚くほど静かだった。


「私は……ヴァルガードの外交官と知り合って、恋をしたの。

 でも、それは偶然じゃなかった。向こうに行ったときに気づいたの――

 これはスパイ養成のための“拉致”だったって」


澪は息を呑む。タカコは視線をテーブルに落とし、指先でマグカップの縁をなぞった。


「逆らえば帰れなかった。訓練が終わって帰国するとき、あの人は……

 あの国に隠されていた“四つ目の鍵”を私に託した。

 あれは、きっとヴァルガードの計画を止めようとした彼なりの反抗だった」


「それからも……私は彼らの命令でスパイ活動を続けた。

 でも、澪……あなたが変わっていくのを見て、私も変わろうって決めたの。

 私は、あなたと一緒にこの国を守りたい。だから……信じて」


――その言葉は、胸の奥にまっすぐ突き刺さった。

嘘を見抜くのは難しい。けれど、タカコの瞳には怯えも偽りもなく、

ただ必死に何かを守ろうとする光があった。

澪は静かに息を吸い込み、心の中で頷いた。

「信じる」と、まだ声には出さずに決めた。


その瞬間、カフェのドアが激しく開いた。

黒いコートの男たちが入ってくる。国家保安安全局の腕章。


「高倉貴子さんですね。同行をお願いします」


二人のエージェントがタカコの両腕を掴む。

澪は思わず立ち上がった。


「待って! タカコさんは――!」


タカコは振り返り、澪を真っすぐに見つめた。

そして、はっきりと、大きく頷いた。


――大丈夫。まだ終わってない。


その目は、決意と信頼で満ちていた。

澪も唇をかみしめ、強く頷き返す。


(分かってる。絶対に、この国を守る)


ドアが閉まり、足音が遠ざかる。

澪はしばらく立ち尽くしていたが、やがてカウンターに置かれたココアを見下ろした。

カップの中の湯気はもう消えていた。


小さく息を吐き、誰にともなく呟く。

「……もう、このカフェに来ることもなくなっちゃったな。

 大切な場所だったのに」


そう言って、澪は静かにカフェを後にした。

外の空気は冷たく、背中に夜の気配が迫っていた。

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