11.灯台の中の影
二つの島国——セレスティアとヴァルガード。
かつては大洋を隔て、互いに干渉することのない遠い存在だった。
しかし数十年にわたる大陸移動と地殻変動により、その距離は年々縮まっている。今では、海峡の幅はわずか百数十キロ。肉眼では見えないが、双眼鏡を覗けば相手国の海岸線がかすかに映るほどだ。
両国の関係は、表面上は「友好」で塗り固められている。貿易協定、文化交流、外交儀礼——どれも笑顔と握手で飾られる。だが、その水面下では、互いの経済圏の衝突、資源の奪い合い、歴史認識をめぐる軋轢が、静かに燻り続けていた。
そして今、新たな変化が訪れている。最新の観測データによれば、両国間の海峡はこの一年でさらに数キロ狭まった。もしこのペースが続けば——二つの国は、いずれ衝突する。
そのとき何が起こるのか。地理的な衝撃だけではない。経済も、政治も、人々の日常も、すべてが形を変えるだろう。
だが、この事実を日々の暮らしの中で意識する人は少ない。ほんの一握りの人間だけが、近づきつつあるその未来に備えようとしていた——。
夢の中の図書館。
澪は例の青年と向かい合っていた。背の高い本棚に囲まれた空間は、今日も淡い光で満ちている。
「澪、これを見てくれ」
青年は手にした羊皮紙を机に広げた。そこには島国同士が寄り添うように描かれた地図と、いくつもの赤い点があった。
「これは――」
「大陸の衝突は避けられない。だが、それを防ぐ方法がひとつだけある。鍵だ。正確には『鍵のかけら』だ。それを集めなければならない」
青年の声は静かだが、奥に熱があった。
「鍵って……どうやって見つけるの?」
「君にアプリを作ってもらう。特別な言語で。名は――Lyrian Script」
「私が……作る?」
「できる。君にはその力がある。これは君の中に眠っていた潜在能力だ」
青年は、地図の一点を指で示した。
「完成したアプリをスマホに入れ、テストコードを実行しろ。地図に赤い光点が出れば成功だ。その光が示す場所に、かけらがある」
目が覚めた瞬間、澪は布団から飛び起きた。
PCの電源を入れると、夢で聞いたURLを打ち込み、Lyrian Scriptの公式サイトを開く。
深い紺色の背景に銀色の文字。中央には古代の鍵を象ったロゴ。
「ダウンロード」ボタンをクリックし、インストーラを保存する。
数秒後、ファイルを開くとセットアップウィザードが立ち上がった。
「カスタムインストール」を選び、言語パッケージとデバッグツールのチェックを入れる。
プログレスバーがじわじわと伸びる。PCのファンが唸り、部屋に微かな熱気がこもった。
完了音が鳴り、Lyrian Script IDEが起動する。黒い背景に銀色の鍵のアイコン――夢で見たままだ。
澪はキーボードに指を置いた瞬間、頭の中でコードが組み上がっていくのを感じた。
trace@point(map, red)
let keyPart = detect();
Lyrian Script特有の記法を指が勝手に打ち込んでいく。
ビルドを実行すると、緑色の文字で Build Success の表示。
続いてテストコードを走らせる。地図の中心に赤い光点が点滅した。
USBケーブルでスマホをPCに接続する。
インストールウィンドウに「Lyrian Tracker」と表示され、進捗バーが一気に右端まで伸びた。
スマホのホーム画面に銀色の鍵アイコンが現れる。
アプリを起動すると、古代風の紋様が描かれた地図と、灯台付近に輝く赤い光点。
澪は深呼吸し、スマホを握りしめた。
反応があったのは旧港の閉鎖された灯台。
(あの人が灯台に行って欲しいって言ってたっけ...)
澪はバスに飛び乗り、港へ向かった。
街頭モニターが視界に入り、ニュース映像が流れる。
「大陸移動で両国合体の可能性、会議は膠着状態」
アナウンサーが険しい表情で原稿を読む。
政府は「慎重に検討中」を繰り返すばかりで、具体策はない。
市民インタビューの声が続く。
「このままじゃ飲み込まれる」
「上の人は何してるんだ」
その時、画面下に赤い速報テロップが流れた。
『ヴァルガード軍艦が領海内停泊』
旧港は錆びたフェンスで閉ざされ、立ち入り禁止の看板が風に揺れている。
澪は柵を越え、灯台へと向かった。
最上階、埃をかぶった机の上に、それはあった。
銀色に輝く金属片――鍵のかけら。
その瞬間、下の階からコツ…コツ…と靴音が響く。
黒いコートの人物の影が階段に伸びていた。
迷う暇はなかった。澪は窓を開け、冷たい海へ飛び込む。
水面が弾け、視界が一瞬暗転する。
かけらを胸に抱き、必死に泳ぎ切った。
夜。再び夢の図書館。
青年が微笑んだ。
「よくやった、澪」
だが、その背後の壁に描かれた地図には、二つの国が一つになった島の輪郭と赤い境界線が浮かび上がっていた。
胸の奥で、何かがざわめいた。