5@9. 仰ぎ見る天の針
エコロアから遥か東。潮風に魔導の残り香が混じる活気あふれる商業区、ルミナス・ポート。その中心に、理を無視してそびえ立つ巨塔があった。
「時の塔」。
地上から見上げれば、首を痛めるほどの角度でも頂は見えない。雲を突き抜け、星の瞬きにさえ届こうとするそのランドマークは、この街で強者たちが己の限界を刻むための垂直の戦場でもあった。
そこに立っていたのは、大同盟の一角、現在ランキングのトップを独走する『双極の刃』の紋章を肩に刻んだ男――チャンドラだ。
彼は現在、この最大手同盟に「臨時加入」という異例の形で籍を置き、苛烈な冒険者ランキング争いの最前線に身を投じていた。
その第44階層は、並の冒険者なら一歩踏み入れた瞬間に高重力で膝を突き、噴き出す高熱に肺を焼かれる地獄の回廊だ。
「……ッ、空気が重いな。肺の中に鉛を流し込まれたみたいだ」
エコロアからチャンドラに同行している若き冒険者、トムが荒い息を吐きながら呟いた。誠実で心優しい彼は、この地獄のような環境でも、仲間の足元を支えるために必死に魔力を練っている。
「みんな、足元を支えるよ! 『追い風の加護』!」
トムが得意の風属性魔法を放つと、チャンドラを含む周囲の数名を包み込む。だが、この世界の環境下では、一人の魔法で守れるのはわずか6名分が限界だった。
「右翼の6名はトムの風を頼れ! 左翼はワシが引き受ける!」
最後尾で指揮を執るリーダー、マメシャンが叫ぶ。彼は熟練の魔導師として、即座にパーティを分割し、魔法の効果範囲を最適化した。
「『魔導殻』、展開! 陽炎に肌を焼かせるな!」
マメシャンの杖から放たれた半透明の障壁が、別の6名を包み込む。さらに上位の精鋭魔導師がバフを重ね、重なり合う魔法の膜が、ようやくパーティを死の環境から切り離した。
そんな幾重もの魔法の膜が重なり合う後衛陣とは対照的に、最前線で「孤高」を貫く影があった。
「ははっ! 重いね、熱いね! 身体の芯までビリビリくるじゃないか!」
鈴を転がすような、しかし猛々しい声が響く。ランキング1位、ミラ・ソフィアだ。
彼女は双極の刃 に属しながら、実質的には「一人パーティ」として機能する特殊な立ち回りを好む。
彼女の首筋で、不気味な紫の光を放つ「厄災喰らいの魔封石」が明滅していた。
それは周囲のデバフを自身に集約し、強制的に無効あるいは低減する希少な魔導具。マメシャンたちの支援すら受け付けない代わりに、彼女はこの地獄の環境下で、誰よりも自由に、誰よりも速く動く。
「ムサシ、中央はアタシに任せな!」
「ガハハ! 言われなくても任せるぜ、お転婆娘!」
ランキングベスト6の剛腕戦士、ムサシが巨大な長剣で巨蠍の防陣をこじ開ける。衝撃波で舞い上がった砂塵が、吹き出す高熱で瞬時にガラス状に焼け、チリチリと皮膚を刺す異臭を放つ。
その隙間に、黄金の閃光が飛び込んだ。
ミラ・ソフィアだ。重力を「重み」ではなく「踏み込みのバネ」に変えた彼女の聖剣が、魔獣の硬質な殻を紙細工のように切り裂いていく。迫りくる巨蠍の群れを、その圧倒的な「勇者の武力」で真っ向から押し返していた。
「ミソ、突っ込みすぎだ! 左が空いてるぜ!」
その横を、巨岩のような質量で駆け抜ける影がある。ムサシは、身の丈ほどもある超重量の大剣を、羽毛のように軽々と振り回す。一振りごとに衝撃波が走り、巨蠍の殻を粉砕し、飛び散った体液が熱風で瞬時に蒸発して、鼻を突く嫌な臭いが回廊に充満した。
「チャンドラ! 右から来るぞ、仕留めろ!」
ムサシの叫びに呼応するように、影の中から一筋の鋭い殺気が放たれた。
パーティ19名。マメシャンの精密な魔法支援、ミラ・ソフィアの勇猛な突撃、そしてムサシの圧倒的な破壊力。それら最強の要素が絡み合う44階層で、彼の狙いはただ一点。
より高い階層制覇による名声の獲得、そして、「Sランク冒険者ライセンス」。
(……このライセンスが、国を造る『礎』になる)
チャンドラは、熱風に焼かれる喉の奥で、静かに野心を燃やした。
Sランク。それは単なる強さの証明ではない。国家間に干渉できる絶大な発言権と、未踏の領土を自領として開拓できる「王の資格」に等しい。
(エコロアの民を、もう二度と飢えさせはしない。他国からの襲撃に怯え、略奪に涙する日々も終わらせる。……俺がこの手で、鉄壁の守りを誇る大国を築くんだ)
そのために、彼は『双極の刃』という巨大な組織に身を置き、そのノウハウを、強さを、貪欲に吸収していた。
「……了解だ」
チャンドラが踏み出す。トムの風に守られながらも、彼の剣筋は誰よりも冷たく、鋭い。
鼻腔を突くのは、蒸発した魔獣の体液の嫌な臭いではない。己の刃が空気を切り裂き、魔力を励起させた時に生じる、オゾンに似た冷徹な金属の香りだけだ。
「剛撃――」
抜刀。
視界を焼くミラの光と、ムサシが巻き上げる砂塵。その混沌を「点」で貫き、チャンドラは巨蠍の核を一息に滅ぼした。
「……やっぱり、チャンドラさんとミソさんは別格だ。見てるだけで、肌がピリピリするよ。……ねえ、チャンドラさん。Sランクを取ったら、本当に故郷を救えるのかな?」
トムが風を維持しながら、不安と期待の混じった声で呟く。
「救うのではない。……創り変えるのだ、トム。誰も手出しできない、最強の盾となる国をな」
チャンドラは返り血を拭うこともせず、さらに上へと続く螺旋階段を見上げた。
「……44階か。まだ通過点だ」
マメシャンが後方で魔法の軌道を調整しながら、満足げに目を細める。
「君が入ってから、塔の攻略速度が3割は上がったよ。ミソやムサシとも、いい具合に噛み合っている」
「俺は、ただ登るだけだ。組織の効率には興味はない」
彼の視線は、現ランキング1位のミラ・ソフィアや、歴戦のムサシさえも超えた先――雲を突き抜け、時間の概念すら崩壊するという「時の塔」の頂点へと向けられている。
「おいおい、そんなに急ぐなよ! 終わったらルミナス・ポートの酒場でおごってやるって言ってるだろ!」
ムサシが豪快に笑いながら、血振るいした剣を肩に担ぐ。ミラ・ソフィアも聖剣を収め、不敵な笑みを浮かべてチャンドラの背中を見つめていた。
「……今は、その時じゃない」
チャンドラは、窓のない塔の壁の向こう、遥か西の空を想う。
そこには、自分とは別のやり方で「道」を切り拓こうとしている、一人の冒険者がいるはずだ。
最強の魔導師、最強の勇者、最強の戦士。それら最高峰の仲間たちに囲まれながらも、チャンドラの心は孤高のまま、さらなる高みへと刻まれていく。
大同盟『双極の刃』の進撃は、この「時の塔」を揺るがすほどの激動を、世界に予感させていた。
■紅蓮の戦姫と黄金の籠
ルミナス・ポートの「時の塔」が空を突く東の果てなら、中央に位置する軍事大国アルメニアは、大地の底へとその野心を伸ばしていた。
「――遅い。鉄火場なら、今の振りに首が三回飛んでるわよ」
鋭い金属音が洞窟内に反響する。
アルメニア直轄のとあるダンジョン中級層。薄暗い空間で、一振りの巨大な戦斧を羽毛のように軽々と振り回していたのは、燃えるような赤毛をなびかせる小柄な少女――アイラだった。
彼女は今、アルメニアが国を挙げて育成している「戦姫候補」の筆頭。その愛らしい外見に反し、剣、槍、斧、弓……戦場に転がるあらゆる兵装を、手に取った瞬間にプロ以上の練度で使いこなす固有スキル『万軍の器』を有している。
「……はぁ、はぁ……。さすが候補生、バケモノじみた成長速度だ……」
「アイラ様、もう勘弁してください。正式に『戦姫』の称号を拝命する前に、俺たちがスクラップになっちまいますよ」
周囲に転がっているのは、各国から「手厚い報酬」を求めてアルメニアに帰化した腕自慢の冒険者たちだ。この国は、才能ある若芽には金と資源を惜しみなく注ぎ込む。だが、その恩恵を享受するには、彼女という「最強の原石」を磨き上げるための「生きた標的」になる覚悟が必要だった。
アイラは斧を無造作に放り投げると、空間から取り出した短剣を指先で弄んだ。
彼女の瞳には、この世界の住人にはない特異な冷徹さと、どこか遠くを見つめるような寂寥感がある。
ダンジョン内の空気は重く、湿っている。鼻を突くのは、切り伏せた魔物の腐肉が放つ酸っぱい臭いと、湿った岩肌にこびりついた苔の生臭さだ。
(……レベル、スキル、ダンジョン攻略。まるで出来の悪いゲームのど真ん中に放り込まれたみたいね)
彼女もまた、この世界の理の外から「ゲームマスター」として呼び出された一人。
だが、彼女はまだ知らない。同じ空の下に、地道に進むアスクの存在を。
(私以外にも、このクソみたいな『役割』を押し付けられた奴はいるのかしら。……もし会えたら、この世界のエンディングの書き換え方を相談したいものだけど……まあ、今は生き残るのが先決か)
アイラの狙いは、冒険者ギルドの最高位、「Sランク冒険者ライセンス」。
この世界において、その証は単なる名誉ではない。あらゆる制約を無視し、世界の深部にアクセスするための「マスターキー」に等しい。
(さっさとSランクを剥ぎ取って、この茶番じみたクエストを『クリア』してやる。……こんな湿度100%の暗がりに、いつまでも居られるかっての)
彼女は一人、北の冷たい風を渇望しながら、自身の置かれた「駒」としての立場を自覚していた。
「素晴らしい。今日も一段と冴えておられる、戦姫候補殿」
ダンジョンの出口で一行を待っていたのは、豪華な絹の服を纏った男。アルメニアの政務を司る大臣、ヴォルガスだった。
彼はへつらうような笑みを浮かべながら、アイラに黄金の装飾が施された水袋を差し出す。
「貴女が真の『戦姫』へと至る日を、我が王も心待ちにしておりますよ。……ああ、他国の連中が羨ましい。これほど至高の武力が、間もなく自分たちの国境を蹂躙する『死神』へと成長しているとも知らずに、のんびりと温泉にでも浸かっているのですからな」
ヴォルガスが細い目をさらに細めて笑う。
アルメニアが冒険者に支払う「手厚い報酬」――その原資は、近隣諸国への侵略と略奪によって賄われる予定の「未来の戦利品」だった。
アイラは大臣の言葉に返事もせず、冷めた目で銀貨が詰まった袋を受け取った。
「……大臣。私はあんたの侵略ごっこに付き合ってるわけじゃない。ただ、この国が一番効率よく自分を鍛えられる場所だからここにいるだけよ」
「っ……くっくっ、それで構いませんとも。望むままに暴れ、望むままに強くなりなさい。貴女が完成した暁には、我がアルメニアの『正義』は成るのですから」
ヴォルガスの背後には、報酬に目を眩ませた他国出身の冒険者たちが軍団を成している。
その刃は、魔物ではなく、平和を享受する隣国たちの国境へと向けられていた。
アイラは独り、銀貨の詰まった袋の重みを感じながら、まだ見ぬ「同胞」の気配を求めて空を仰ぐ。
アルメニアの軍靴の音が、南西の温泉地「エターナル・フロウ」を目指すアスクたちの旅路に、いずれ暗い影を落とすことになるとは、今の彼女もまだ予感していなかった。
ミラ・ソフィア → 通称、ミソさん
ユノー → 通称、ゆのっちさん




