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58. 温泉地への分岐点

ポート・マーリスの重厚な石造りの門をくぐると、潮風と共に活気ある市場の喧騒が一行を包み込んだ。だが、馬車の車輪が悲鳴を上げるたびに、アスクは現実的な「仕事」の段取りを頭に浮かべていた。

「ルーク。この後の動きなんだが……」

アスクが切り出すと、ルークは深く頷いた。彼はすでに、街の空気から次の商機を読み取っているような鋭い目をしている。

「分かっているよ、アスク。私はまず、この『至宝の果実』を馴染みの商人に引き渡し、新同盟ギルドの設立資金を確定させてくる。……君たちは、アズインの持っている『針』を持って、真っ直ぐ提督府へ向かってくれ。あとの合流は、港の宿『潮騒の亭』でいいかな?」

「了解です。クロエ、ユノー、行くぞ。……アズイン、その針、失くすなよ?」

「はいっ、しっかり握りしめてます!」

ルークと別れ、傷だらけの馬車を見送ったアスクたちは、儀仗兵に先導されるまま、街の高台にそびえ立つ提督府へと足を踏み入れた。



■提督府

「……信じられん。二十年だぞ。まさか、あのような街道の川底に眠っていたとは」

豪華な装飾が施された応接室。港湾提督は、アズインが差し出した真鍮の針を震える手で受け取り、何度も何度も紋章をなぞっていた。その目は、一国の権力者というよりは、失った息子を想う一人の父親のそれだった。

「礼を言う。……何でも望みを言いたまえ。金か、名誉か。それとも私の権限で叶えられることなら何なりと」

アスクは一歩前へ出た。疲れで重い体に鞭打ち、チャンドラのいる東部都市として最も重要な「ルート」の確認を急ぐ。

「提督、感謝のお言葉、恐縮です。……オレたちは、ここからさらに東の海を渡り、次のルミナス・ポートへ向かう必要があります。東への定期船、あるいはチャーターできる船を手配していただけないでしょうか」

その言葉が出た瞬間、提督の顔から穏やかさが消え、苦渋に満ちた影が落ちた。

「……東への船か。すまないが、今は一隻も出せん」

「出せない? 提督の権限でもですか?」

アスクが眉をひそめる。

「権限の問題ではない。……物理的に不可能なのだ。現在、東の海域は『黒霧の海賊団』によって完全に封鎖されている。現在、Bランクのクエストが発動されている。王国が動くAランクに指定されるにはまだまだ時間がかかる」

「Bランクのクエスト、ですか……。それも王国が動くAランクに指定されるギリギリのラインを突いていると」

アスクは提督の言葉を反芻し、喉の奥で苦い唾を飲み込んだ。

『黒霧の海賊団』。

彼らは狡猾だった。王国軍が本格的な討伐隊を編成せざるを得ない「国家の危機(Aランク)」には至らない程度に、それでいて民間の流通を完全に麻痺させる絶妙な匙加減で暴れている。

「奴らは頭が良い。軍を差し向ければ霧に紛れて消え、商船が通れば容赦なく喰らう。……我らが誇る艦隊ですら、三度退けられた。近づく船を片っ端から海の藻屑にしているのだよ」

提督は重い溜息をつき、窓の外、夕闇に沈み始めた東の水平線を見つめた。そこには不自然にどす黒い靄が立ち込めている。

「……物流は完全に死に体だ、アスク君。東への航路は、今や『死の海』なのだ」

アスクは思考を巡らせる。東へ行かなければ、この旅の真の目的は果たせない。だが、海賊による封鎖。それは「事故」というにはあまりに巨大で、人為的な壁だった。

「……船が出せない、か」

アスクは窓の外、港に停泊したまま動けない無数の船を見下ろした。


「さて、礼を言う、嬢ちゃん。……いや、恩人殿とお呼びすべきかな」

提督は傍らの重厚な机の引き出しを開け、小さな革袋を取り出しました。中から取り出されたのは、ずっしりとした重みを感じさせる、混じりけのない黄金の輝き。

「これは私個人の感謝の印だ。取っておいてくれ」

提督の手からアズインの手のひらへ、チャリン、と小気味よい音を立てて三枚の金貨がこぼれ落ちました。

「わぁ……! キラキラしてて綺麗ですね、アスク様!」

アズインは屈託のない笑顔で金貨を掲げます。アスクはその輝きを横目で見て、即座に脳内で換算を行いました。

(金貨三枚……! 一般的な運送依頼なら十回分、至宝の果実の損失分なんて、これ一枚で余裕でお釣りが来る。アズインの『拾い物』が、ここまでの実益を生むとはな……)

「……いいんですか、提督。我々はあくまで道中で拾ったものを届けたに過ぎませんが」

アスクが確認するように問うと、提督は静かに首を振りました。

「私にとっては、この港の全財産にも代えがたいものだ。……それと、この街にいる間、お前たちの滞在費はすべて私が持とう。宿へは私から使いを出しておく」

「……至れり尽くせりだな。アズイン、それはお前の手柄だ。大事に持っておけよ」

アスクがそう言うと、アズインは「はいっ! これで美味しいもの、みんなで食べられますね!」と、報酬の重みよりも仲間と囲む食卓を想像して目を輝かせていました。




提督府を後にしたアスクたちは、重い足取りで約束の宿へと向かった。

宿の一角、ランプの灯りが揺れるテーブルでは、すでに商談を終えたルークが、上質なエールを片手に待っていた。

「……お帰り。その顔を見る限り、提督との話は手放しで喜べる内容じゃなかったようだね」

ルークは椅子を勧めると、アスクたちの報告を静かに聞いた。アズインが「針」を返して感謝されたこと、そして、東への船が止まっている事実を。

ルークは指先でグラスの縁をなぞり、鑑定士特有の鋭い視線で空を見つめる。

「……東への航路は、完全に死んでいるな」

提督府から戻ったアスクの報告を聞き、ルークは意外なほどあっさりと、そして冷徹に状況を切り捨てた。彼はエールのグラスを置き、地図を広げる。

「Bランクで据え置かれ、王国軍すら出し抜く海賊か。……アスク、『不可能なルート』に固執して全滅するリスクは冒さないはずだ。違うかい?」

「……ああ。背に腹は変えられないなぁ」

アスクが少し意外そうに答えると、ルークは不敵に微笑み、地図の左下――南西方向を指差した。

「なら、私たちの予定に付き合わないか。東が閉ざされているなら、今は無理にこじ開ける時期じゃない。私の目的は、あくまで『四大大同盟』に比肩する人材の確保だ。……次は、ここを目指す。南西にある広大な温泉都市、エターナル・フロウだ」

「温泉地……? 観光に行くわけじゃないよね」

「もちろんだ。エターナル・フロウは今、各地から傷付いた戦士や、才能を持ちながらも燻っている『訳あり』の連中が集まる巨大な溜まり場になっている。そこなら、私の『鑑定』が欲している次なる有力な冒険者ランカー候補が必ず見つかるはずだ」

ルークの瞳には、海賊への憤りよりも、新たな「原石」を見つけ出そうとする野心の方が強く宿っていた。

ユノーが身を乗り出し、豪快にエールのジョッキを置いた。

「あそこの温泉は最高だぜ。戦士の傷を癒やすって有名でよ。アリの体液でボロボロになったこの身体には、願ってもねぇ行き先だ!」

「エターナル・フロウ……。絶え間なき流れ、か。いい名前ね」

クロエも、手入れを終えた愛剣を鞘に納め、わずかに口角を上げた。

「激戦続きで筋肉が強張っていたのは事実よ。……それに、あそこなら腕の立つ流れ者も多い。ルークの言う『人材確保』にも理があるわ」

「ほっほっほ、あそこの湯は魔力の回復にも良いと聞く。ワシのような年寄りには、冷たい街道よりよっぽどありがたいわい」

トッポが杖を傍らに立てかけ、満足げに髭を撫でる。

アスクは、東の海から南西の街道へと瞬時に思考を切り替える。

(東の封鎖という『事故』を回避し、目的達成のために最短の迂回ルートを選ぶ……。ルークの判断は経営者として正しい)

「分かった。東の海賊に無駄死にするよりは、南西の温泉地で戦力を整える方が良い」

「決まりだね。3日後に積荷の積み込みと馬車の補強を行い出発する。アスク……目的地は、心身の再生と新たな出会いの街、エターナル・フロウだ!」

ルークの宣言に、一行は一斉にジョッキやコップを掲げた。


「さて、事務的な話も済ませておこうか。アスク、明日、冒険者ギルドに行って、君たちの報酬の手続きをしよう。差し引いた分を含めても、ざっと銀貨500枚といったところだ」

ルークが手帳を閉じながら淡々と告げた。アスクはその数字を脳内で素早く弾き、納得の表情を浮かべる。

「ああ、十分な報酬だよ。あの状況で九割以上を届けられた対価としては妥当だ」

ルークの淀みのない「査定」には、感情に左右されない経営者としての冷徹さと、現場の苦労を正確に見抜く公平さが同居しており、アスクはそこに強い信頼を感じていた。

「へへ、銀貨500枚か! これだけあればエターナル・フロウで一番いい湯船に浸かれそうだな!」

ユノーがまだ見ぬ銀貨の山を想像して、景気よく指を鳴らす。

「ユノー、あんたはすぐ酒代に消えるでしょ。……でも、確かに。あの地獄のようなアリの大群を切り抜けた対価としては、十分すぎるわね」

クロエも、手入れを終えたばかりの愛剣を傍らに置き、満足げに頷いた。彼女の瞳からは、街道での張り詰めた緊張が少しずつ解けていくのがわかる。

「ほっほっほ、ワシも新しい薬草の種が買えそうじゃわい。アスク、お主の采配のおかげじゃな。無事にここまで辿り着けたことが何よりの報酬よ」

トッポが穏やかに笑い、杖の頭をトントンと叩く。

「……みんな、ありがとう。次は一枚も減らさず、もっとスマートに届けてみせるよ」

アスクは仲間の笑顔を見渡し、改めて「エターナル・フロウ」への旅路を、より完璧なものにしようと決意を固めた。


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