46.装備の新調
アスクは手に入れたばかりの大銀貨50枚を手に、アズインと共に町で噂の信頼できる道具店へと向かった。
「銀貨10枚で大銀貨1枚か……。このレートなら、一点豪華主義に走らなければ相当なものが揃うな」
アスクは頭の中で瞬時に計算し、以下の装備を厳選した。
①高級結界付きテント(大銀貨20枚)
物理遮断・隠蔽機能付き。
安全な睡眠は最強の投資だ。
②高断熱魔法の寝袋 (ペア)(大銀貨5枚)
氷点下でも安眠可能。
アズインの疲労回復を優先。
③魔導ランプ・精密コンパス(銀貨8枚)
一級品を揃えて迷宮・夜間対策。
④火打石・保存食セット(銀貨2枚)
魔法に頼らないバックアップ。
⑤獣人族用・軽量強化革装(大銀貨9枚)
アズインの機動力を損なわず、防御力強化。
「支出は合計で大銀貨35枚。残りは大銀貨15枚か。これだけあれば、修行中の生活費に加え、次の冒険への備えとしても十分すぎるほどだ」
アスクはアイテムボックスにすべての品を収納した。新調された衣服に着替えたアズインは、鏡の前で少し照れくさそうにしていた。
「アスク様、この服……すごく動きやすいです。それに、私の体のラインにぴったりで……」
それは獣人族のしなやかな動きを邪魔せず、かつ急所を硬質レザーで守る実戦的な美しさがあった。
アスクは彼女をじっと見つめ、冷静に評価した。
「ああ。似合っている。何より、それで防御力が30%は上がったはずだ。死なれては困るからな」
「はい! 大切にします!」
アズインは嬉しそうに微笑んだ。彼女にとっては「防御力」よりも、アスクが自分のために選んでくれたという事実が何よりの報酬だった。
■■■ザントの元へ■■■
準備を整えた二人は、再びザントの住居へと足を運んだ。
門を叩くと、中から「待っておったぞー!」という、どこか鼻の下を伸ばしたようなザントの声が響く。
「アズインちゃん、その新しい服……実に良い! 実に良いぞ! 動きやすそうで、隙間から見える肌がなんとも……いや、教育的指導のしがいがあるというものじゃ!」
アスクはザントの視線を遮るように前に立ち、アイテムボックスから「手土産」の高級酒(銀貨1枚相当)を差し出した。
「ザント殿。修行の準備は整いました。『水からお湯や蒸気を作る』……その極意、伝授願いたい」
アスクの真剣な眼差しに、ザントは一瞬だけ元A級の鋭い顔を見せ、ニヤリと笑った。
「よろしい。では、地獄の(そしてワシにとっては天国の)修行を開始するとしようか!まずは基本中の基本……『熱の制御』じゃ!」
ザントは指を鳴らし、釜の中の水を一瞬で沸騰させた。
「水魔法の真髄は、氷にする『減速』だけではない。魔力で分子を激しく叩き、熱を生む『加速』。これができて初めて、水魔法使いは『蒸気』という最強の質量兵器を操れるようになるんじゃよ」
ザントはニヤリと笑い、アスクに最初の課題を突きつけた。
「修行の第一段階は、『この大釜の水を、30分間、82℃一定で保ち続けること』じゃ! 1℃でもズレたら、罰としてアズインちゃんにはワシの背中を流してもらうぞ!」
「初っ端からぶっ飛んでるな。エロじじいぃ〜!そんなこと、させてたまるか」
アスクは冷静に、しかし殺気を込めて手のひらを掲げた。
アスクは大釜の前に立ち、水に意識を集中させた。
これまでやってきた「氷結」は熱を奪う作業だったが、今度は魔力を細かく振動させて熱を「与える」作業だ。
「(熱くなりすぎれば抑え、冷めれば振動させる。このフィードバック・ループを維持する。ゲームのパラメータ制御と同じだ……!)」
アスクの額に汗が滲む。隣ではザントが「あ~、もうすぐ83℃になりそうじゃな~! アズインちゃん、タオルの準備はいいかな?」とニヤニヤしながら近づく。アズインは必死にフライパンを構えて自衛している。
「……黙れ、クソジジイ。82.0℃。ここから動かさない」
アスクの魔力が研ぎ澄まされ、大釜の水面が鏡のように静止したまま、完璧な一定温度を保ち始めた。
「ほう……。一回教えただけで『熱の平衡状態』を理解したか。お主……やはりただのFランクではないな」
ザントの目が、一瞬だけかつてのA級冒険者の鋭い光を取り戻した。
こうしてアスクは、水魔法の新たな次元「熱の操作」を学び始めた。
■■■キューちゃんの鉄槌■■■
修行の合間、ザントの塔の中庭で昼食の準備をしていた時のこと。アズインは新しく買った食材を使い、手際よく料理を進めていた。
アズインは、新鮮な里芋を剥き、例の「牛と玉ねぎの甘辛炒め」をライスバーガー風にアレンジしようと奮闘していた。
「アスク様、もうすぐお昼ですよ。修行、頑張ってくださいね!」
薪がパチパチとはぜる良い音と、食欲をそそる醤油の焦げた香りが中庭に広がる。
そこに、修行の監督をアスクに任せて(サボって)、音もなく忍び寄る影があった。元A級魔法使いの無駄に高度な隠密スキルを駆使したザントだ。
「ヒッヒッヒ……。アズインちゃん、一生懸命な後ろ姿もまた格別じゃのう。どれ、少し肩が凝っておるようじゃから、ワシが魔法の手(物理)で優しく揉み解して……」
ザントが鼻の下を伸ばし、アズインの細い肩にそのシワシワの手を伸ばそうとした、その時だった。
アズインの肩にちょこんと乗っていたキューちゃんが、カッと目を見開いた。邪な「霊気」を瞬時に察知したのだ。
「キュゥ!!(メッ!)」
キューちゃんは、ザントの指先がアズインに触れる直前、まるで電光石火の早業でザントの鼻の頭を「ツンッ!」と鋭い嘴で突っついた。
「あだっ!? は、鼻が……!」
「キュッ、キュキュッ!(ダメな大人です!)」
キューちゃんはアズインの肩から飛び上がり、ザントのハゲかかった頭の上をパタパタと旋回しながら、今度は後頭部をペシペシと翼で叩き始めた。
「わ、わかった! 悪かったから! キューちゃん、そんなに怒らんでも……痛いっ、そこはワシの急所(魔力点)じゃ!」
ザントはかつてのA級の威厳など微塵もなく、小さな精霊獣に追い回されて中庭を逃げ惑う。その様子は、まるで孫に叱られるおじいちゃんのようだった。
釜の温度を一定に保つ修行を続けていたアスクは、その騒ぎを横目で見て冷たく言い放った。
「ザント殿。キューちゃんは嘘や邪心を見抜く。あんまりしつこいと、次は俺が『お湯』ではなく『熱湯』を浴びせるぞ」
「ひ、ひどい仕打ちじゃ……。ワシはただ、親愛の情を……あいたっ! また突っつかれた!」
アズインは、キューちゃんの獅子奮迅の活躍を見て、クスクスと笑いながら料理を盛り付けた。
「ふふ、ありがとうキューちゃん。ザント様も、ちゃんと座ってお待ちくださいね? 今日は里芋たっぷりの特製スープもありますから」
「……食べる! ワシ、大人しく待つ!」
キューちゃんに後頭部を占拠され、時折「キュッ!」と警告の突っつきをされながら、ザントはしょんぼりとテーブルについた。
最強の元A級魔法使いも、アズインの守護神となったキューちゃんには、形無しだった。
■■■ドラム缶風呂■■■
ザントの塔での次なる修行はドラム缶風呂。理論を叩き込まれたアスクに課された次の試験は、実用を兼ねた「完璧な湯加減の管理」だった。
ザントは中庭の隅から、どこから持ってきたのか年季の入ったドラム缶を引きずり出した。
「若いの、仕上げじゃ。このドラム缶に温水を満たし、アズインちゃんが極楽じゃとのぼせるような42℃の適温にするのじゃ。火は一切使うな。お主の魔力だけで熱を生め!」
アスクは集中を研ぎ澄ませた。これまでの分子振動訓練により、今や水中に均一な熱を伝える術を心得ている。
「……完了だ。アズイン、入っていいぞ。今までの疲れをしっかり癒すと良い」
アスクが手のひらから魔力を注ぎ込むと、温水が心地よい湯気を立て始めた。
「わあ……! 本当にお湯になってる。アスク様、ありがとうございます!」
アズインは即席の脱衣所で着替えを済ませると、温かい湯にそっと身を沈めた。
「ふぁあ……幸せです……。アスク様の魔法、とってもポカポカします……」
アズインが極楽気分に浸っているとき、再び「壁の向こう」から不穏な気配が漂う。
「ヒッヒッヒ……。修行の成果を確認するのは師匠の務め……。どれ、ワシの研ぎ澄まされた視覚(千里眼)で、お湯の対流を直接観測してやろう……」
ザントは壁のシミにでもなったかのような隠密術で、のぞき窓ならぬ「隙間」へにじり寄る。その鼻息は、すでに元A級のそれではなく、ただの危険な老人だった。
しかし、そこには鉄壁のセキュリティが配備されていた。アズインの入浴を見守るために、梁の上に陣取っていたキューちゃんだ。
「……キュピーン!」
キューちゃんの両目が、闇夜を照らすサーチライトのように鋭く発光した。
ザントが隙間から覗こうとした瞬間、キューちゃんは、ザントのハゲ頭へ急降下する。
「キュキュキュッ!(不浄なり!)」
今度は嘴で突っつくのではなく、短い足を器用に使って、ザントの頭髪を雑草をむしる勢いでブチブチと引き抜き始めた。
「痛い! 痛い痛い! やめてくれキュー殿! ワシの残り少ない『魔力の触覚(髪の毛)』が全滅してしまうっ!」
「……ザント殿。アズインの悲鳴が聞こえたら、次はドラム缶ごと氷漬けにして、この塔のオブジェにするぞ」
大釜の温度管理を続けながら、アスクは振り返りもせずに冷徹な通告を放った。
「アスク様ー! キューちゃんが何かと戦ってる音がしますけど、大丈夫ですかー?」
湯船の中からアズインののんびりした声が響く。
「気にするな。ただの害虫駆除だ」
キューちゃんは、這々の体で逃げ出すザントの背中に最後の一蹴りを見舞うと、何事もなかったかのように「キュ~♪」と可愛らしく鳴いてアズインの元へ戻っていった。
修行一週間。アスクの魔力制御が「上級」へと到達する日は近い。




