34.奇襲
アスクは、探知スキルから発せられた微かな波動に、全身の血が一瞬で冷えるのを感じた。
それは、敷地の最も警戒が薄い場所――アズインの部屋の真下にある地下貯蔵庫の換気口からの反応だった。
「まさか、地下から…」
アスクの計画は、敷地を迂回する侵入者を想定していた。だが、敵は彼の警戒を嘲笑うかのように、地面の下という盲点を選んだのだ。
彼はすぐに飛び起き、音もなく自室の扉を開けた。波動を辿ると、侵入者はすでに地下から屋敷内部に侵入し、アズインの部屋がある二階へと向かっている。
アスクは、潜伏スキルを使用して、静かなる速さで階段を駆け上がった。彼の探知スキルは、侵入者の体温の波動を明確に捉えている。その波動は、アズインの部屋の扉に、今、触れようとしていた。
廊下の角を曲がったアスクの視界に、フードで顔を隠した人影が、まさにアズインの部屋の扉に手をかけた瞬間が映った。侵入者は、アスクの警戒を嘲笑うかのように、扉を静かに開け放ち、ベッドで眠るアズインへと、素早く、無駄のない動作で忍び寄る。
アスクは、一瞬の思考も挟まずに行動した。
彼は懐から、即座に効果を発揮するよう加工した特殊なキノコの胞子が入った小瓶を取り出し、床に叩きつけた。
パンッ!と乾いた音と共に、キノコの胞子が閃光のように炸裂し、刺激性の白い煙がアズインの部屋と廊下に一瞬で充満する。
「グッ…!」
侵入者が煙に顔を覆われ、わずかに動きを止めたその一瞬。アスクの指先から放たれたのは、ピンポン玉サイズの、透明な水球だった。
これは、零度以下でも液体の状態を保つ「過冷却」の魔法を込めた水だ。核となる不純物がないため、液体が氷の結晶を作れずにいる状態を利用し、目標にぶつかる衝撃を与えた瞬間に、爆発的な氷結を起こす。
その水球は、狙い澄まされた侵入者の足首の真上に激突した。
キンッ!という音と共に、水球は爆発的に氷結し、侵入者の足首を、まるで鋭利なガラス細工のように瞬時に分厚い氷で覆い尽くした。
侵入者は、予想外の過冷却攻撃に動きを完全に止められ、体勢を崩した。
侵入者が閃光と氷の魔法で動きを封じられたその一瞬。
アスクは迷わず床を蹴り、侵入者の横をすり抜けた。彼はベッドに飛び込むと、無防備に眠るアズインの体を抱きかかえ、そのまま窓へと向かって転がり込んだ。
背後からは、体勢を立て直した侵入者の殺気が迫る。アスクは抱えたアズインを庇う。
「アスク様…?」
朦朧としたアズインの声が聞こえる。しかし、応える余裕はない。アスクは侵入者が氷を砕くであろう時間を利用し、咄嗟にアイテムボックスから編み込まれた不思議な鳥の巣を取り出した。
「これを被れ、アズイン!」
彼がアズインの頭にその鳥の巣を被せた瞬間、巣から透明な光の膜が広がり、アズインの体が周囲の景色に溶け込むように見えなくなった。アズインを抱えていたアスクも効果を発揮して、二人の姿は完全に消え失せた。
この「透明化する鳥の巣」のアイテムは、特定の鳥が魔力を宿した枝で編んだもので、光を屈折させ、透明化する効果を持つ。
床の氷が砕け散る音が背後で響く。アスクは透明化の恩恵を受けながら、アズインを抱きかかえ、開け放たれた窓から屋敷の外へと飛び降りた。レンジャーとして得意とする、予測不能な脱出劇の始まりだった。
奇襲は、誘拐という最悪の結末を迎える寸前で、アスクのレンジャーとしての即応力と、高度な複合戦術により、命懸けの追跡劇へと移行したのだ。
■■■行き先■■■
屋敷から飛び降りたアスクは、透明化の効果が切れ始めているのを肌で感じていた。背後では、追跡者が氷を砕き、すでに追跡を再開しているはずだ。
アスクは荒い息をつきながら、町を見下ろす丘の斜面で立ち止まった。
「アスク様、街道へ出ないと…!」
アズインが不安げに尋ねる。
「駄目だ、アズイン。街道は奴らの待ち伏せがある可能性が高い。」アスクは言い切った。
彼はチャンドラが向かった東の国へ向かう方針は決めていたが、この世界の地理には決定的な知識が欠けている。アスクは、アズインの肩を抱き寄せ、冷静に問いかけた。
「東へ向かうルートはいくつある?この国の主要な地理情報を教えてくれ。大まかでいい。」
アズインは恐怖と混乱で震えながらも、主の問いかけに即座に反応した。
「は、はい!地図は頭に入っています。エコロアから東へ抜ける主要なルートは三つです。」
アスクは耳を澄ませ、遠くの追跡者の足音を警戒しながら、アズインの説明に集中した。
「一つ目は、最短で東へ向かい、イゼール・ランド伯領へ入るルートです。あそこは主に穀倉地帯で人目につきやすいですが、東の国に最も早く辿り着けます。」
「欠点は?」アスクは問う。
「あの伯領は、軍事国家アルメニアと隣接しています。常に緊張状態にあり、国境の警備が非常に厳重です。追跡者に見つからずとも、国境警備隊に捕まれば、身分が明らかになって厄介なことになります。」
「二つ目は、ここから南東に進み、クレイヴァンを通り、サンドレッジ公国へ向かうルートです。公国は東の国と緩衝地帯になっています。」
「追跡者の目が最も向きやすいです。クレイヴァンへ逃げた私たちを最も警戒する道筋かもしれません。」
「三つ目は、西方のウェスト・ゲート領へ一旦向かい、海港から船で東の国へ渡るルートです。船に乗ってしまえば追跡を振り切れます。」
アスクは目を見開いた。最も遠回りではあるが、海を渡ってしまえば追跡者が追いつくのは困難になる。
「ウェスト・ゲート領へ辿り着くまでの危険は?」
「南西へ向かうこのルートは、東へ向かう道筋としては全くの想定外でしょう。追跡者は最初、東の街道を重点的に探すはずです。しかし、領内に入って船を見つけるまで、補給と隠密行動が欠かせません。船賃も必要になります。」
アスクは荒い息をつきながら、町を見下ろす丘の斜面で、追跡者が氷を砕き再開したであろう追跡の気配を肌で感じていた。
「よし、三つ目だ。」アスクは断言した。
「ウェスト・ゲート領へ向かい、船に乗る。東の国へ向かうルートとしては最も遠回りだが、一度海を渡ってしまえば、追跡者の手は届かなくなる。奴らが私たちを捕まえるための資源を考えれば、海を越えてまで追ってくる可能性は低い。」
彼はアズインの肩を抱き寄せた。
「アズイン、ウェスト・ゲート領へ向かう最短かつ人目を避けたルートを案内してくれ。船に乗るまでの間、ボクたちは影のように動くぞ。」
アズインは決意に満ちたアスクの眼差しに、一瞬怯えを忘れた。
「はい、アスク様。南西へ向かいます。この丘を降りて、まずは古い巡礼の道に入りましょう。あれは人の通行が少なく、ウェスト・ゲート領へ比較的安全に近づけるはずです。」
二人は町の灯りを背にし、追跡者が最も想定しない南西の闇へと、駆け出した。
アスクがこれまで培ってきた経験が、この舞台でいかんなく発揮されましたd(^_^o)




