30.交渉
今回のエピソードはとても難産でした(^◇^;)
奴隷商館は、都市で最も効率的な人材市場だ。血統や家柄に縛られず、純粋に能力と価格だけで労働力を選定できる。鎖につながれた者たちは、皆一様に疲弊していたが、アスクの目はその奥にある「自分にとっての最適解」を見極めようとしていた。一人の男が前に進み出た。その分厚い手は剣の柄を握るには粗く、だが、農作業には適しているだろう。奴隷商人は彼の腕の筋肉を誇らしげに見せつける。
「いや、いや、いや、そういうのじゃないんだよなぁ。」と心の中に思いながら、アスクは無言で頷いた。
今回、アスクが求めるのは、ただの労働力ではない。チャンドラの試験も兼ねた人材の採用だ。能力やスキル、人柄も含めた全てを考慮しなければならない。
男性フロアには、筋肉隆々とした者たちがそろっているようだった。戦闘では活躍してくれそうだが、細かな雑務を任せるには難しいだろう。足早に抜け出そうと思ったところ、最後に列の端にいる少年へと目を向けた。彼はただ、無表情に床を見つめていた。その瞳の奥に、アスクは微かな光を見つけた気がした。
次に、階段を登り、女性フロアへとむかう。
ガラス張りの壁の向こう側には、薄い装いの女性たちが何十人も座っている。薄明かりの中、場には不思議な空気が漂い、まるで風俗店へと誘うかのような異質さが立ちこめていた。
奴隷商人は自慢げに胸を張った。
「いかがですか。うちの女性奴隷のレベルは高いのです。貴族の方々にもこ好評いただいております。」
アスクは息を飲んだ。しかし、その光景に心を乱されることのないよう、彼は日頃から鍛錬している精神を集中する訓練を思い出し、心を鎮める。彼の視線は一人一人を丁寧に走り抜け、表情の奥に眠る数値を読み取ろうとする。異質な空気に飲まれることなく、アスクは自分の任務を全うする。そして、目の前に並べられた候補者の中から、彼の心を確かに捉えた人物を静かに見つめた。
やがて、候補の中から三名を抽出し、面談の場へと導く。彼は外見よりも内面の真偽を見極める試験官の役割を自覚し、緊張が走るのを感じても、それを表情に出さないように努めた。
アスクは扉を静かに押し開け、薄い香りのする居間に視線を巡らせた。壁の掛け時計が秒針を刻む音だけが静寂を切り裂く。従者を迎えるには、今この場の空気こそが試金石になる。
「初めまして。ボクはアスクと申します。今日の面談は、ボクの冒険と生産の背中を並走してくれる方を見極めるためのものだと思ってください。」アスクは椅子に腰を下ろし、相手の様子を窺う。
一人目の少女が、控えめながらも自信に満ちた物腰だ。獣人らしい鋭い目つきと、ほんのりとした訛りが彼女の言葉に温かさを添える。
「よろしくお願いします。アズインと申します。私は、獣人の血のせいか、体力には自信があります。また、賢さや学びもそれなりにできます。訛りは…気にしないでください?」
アスクは微笑む。「アズイン、君の長所は?」
「はい。耳と尻尾の感覚で、周囲の微かな変化を察するのが得意です。索敵や持続的な任務には向いていると思います。それに、仲間の動きを見て先を読もうとする性格です。頭の回転は遅くないはずです。」
アスクは羊皮紙にメモを走らせる。「生産職のフォローは得意かな?」
「うーん、私の分野は索敵と護衛寄りです。生産の細かな手順や書類整理には少し自信がないです。でも、覚えればすぐ適応します。安全と効率を優先しますので、サポートの役割はきっちり務めます。」彼女は真剣な眼差しでアスクを見つめた。
次の部屋の扉が軽く開く音。二人目の少女が現れた。戦闘には強いが、生産職のフォローは不得手そうな雰囲気だ。
「初めまして。私はミア。戦闘は任せて、モンスターハントは得意よ。」
アスクは興味深く視線を走らせる。「ミア、君の得意分野は?」
「剣とスキルの調和よ。敵の動きを先読みして斬るのよ。ダメージを最小限に抑えつつ、仲間を守れるわ。ただ、細かい段取りや材料の並べ方、運搬の話は苦手かも。現場での手伝いは苦痛にはならないけど、細かな作業は負担になると思う。」
アスクは記録を取り直す。「生産のフォローもそこまで難しい作業は要求するつもりはないから、大丈夫だよ。」
第三候補、少し暗めだが真面目に取り組みそうな少年。
「僕の名前はカイル。口下手ですが、責任感は強いつもりです。報告と約束を守ることを最優先にします。」
その声は震えていたが、彼の言葉には嘘偽りない真摯さが感じられた。アスクは、ただ頷き、言葉を続けた。
「生産職の技術は持っているの?」
カイルは、力強く頷いた。
「はい。薬草の知識なら、少しだけ。」
彼のその言葉に、アスクの脳裏に一つの考えが浮かんだ。戦闘で負った傷を癒す薬、毒物への解毒剤。それらは冒険者にとって、剣や魔法と同じくらい重要だ。
「わかった。ありがとう。」
アスクは立ち上がり、カイルを見送った。
「……決めました、チャンドラさん。」
アスクは意を決して、控え室の扉を叩いた。中では、チャンドラが何やら考え事をしているようだった。彼はアスクの顔を見ると、ふっと笑みを浮かべた。
「ほう、決まったか。では聞こう。」
「はい。アズインがベストだと思います。」
アスクがはっきりとそう告げると、チャンドラは満足そうに頷いた。
「アズインの固有スキルは見れたか。」
チャンドラは穏やかな口調で、しかし強い意志を秘めてそう語った。
「いえ、ただ何か特別なスキルを持っているのはわかりました。」
チャンドラは頷くと、奴隷商人と交渉の場へと向かった。
「チャンドラ殿、本日はようこそお越しくださいました。ご足労いただき、誠にありがとうございました。さて、本日は三名程、お気に召されたようでございますね。」
奴隷商人は深々と頭を下げ、丁重に挨拶した。彼の身なりは整い、言葉遣いも丁寧だ。だが、その目は獲物を品定めする鷹のようだった。
「結構だ。回りくどい口上は聞き飽きた。早速本題に入ろうではないか。」
チャンドラは冷たい目で男を見つめ、静かに言い放った。彼の言葉には、一切の無駄がなかった。
「おっしゃる通りでございます。では、早速。このミアは、ご覧の通り容姿端麗でございます。加えて、武芸もございます。今後の冒険者としても必ずやお役に立てるかと存じます。つきましては、価格は大金貨十枚を提案させていただきます。」
男は淀みなく、娘の価値を語った。まるで、美術品を鑑定するかのようだった。
「大金貨十枚、か。高いな。」
チャンドラは男の提案を冷静に受け止め、ただ一言、そう言った。
「とんでもない。ミアの価値を考えれば、むしろお安いくらいかと存じます。」
奴隷商人は自信に満ちた笑みを浮かべた。
チャンドラは値下げ交渉をすんなりと諦め、次の候補者のアズインの話に持っていく。
「わかった。では、次の獣人族のアズインはどうだ?」
奴隷商人は一瞬バツの悪そうな顔をした。それをチャンドラは見逃さなかった。
奴隷商人は先日、訪問したエージェントに大金貨5枚を提示して、即決しなかったことを気にしていた。
「価格は大金貨四枚を提案させていただきます。」
「そうか。残念だな。大金貨三枚ならばすぐに出せるのだが。」チャンドラは再び、男の提案を切り捨てた。
「……さすがでございます、チャンドラ殿にはお見通しでございますな。では、アズインの価格は大金貨三枚と金貨三枚でいかがでしょうか?これが、私の最大限の譲歩でございます。」
「よし、わかった。交渉成立だ。」チャンドラは快諾した。
「ありがとうございます。それでは、さっそく、契約書を……」
二人の間で再び交渉が始まった。アスクはそれを横目に、心の中で感謝と、これから始まる新たな日々への期待を胸に抱いた。この選択が、きっと正しい道だと信じて。




