10話 アーシェの教育①
ラクシャクでは高齢の薬師が何人もいる。
つまり薬師になること自体は難しくないということだ。物分かりもよくて、記憶力も良い若者であり、何より薬師になることへの向上心のあるアーシェになれないわけがない。
そんなことを思いながらルシアンとアーシェは、教育施設の大部屋で向かい合うように座っていた。
「ル、ルシアン様! よろしくお願いします!」
「うん! よろしくねアーシェ」
初めて教育を受けるアーシェは、緊張をしながらも快活な笑顔で元気に挨拶をした。
三人の生徒をラクシャクに沈めたいルシアンは、逆にアーシェに沈められそうになっていた。
ルシアンがあらかじめ用意していた青と黒を基調とした制服に身を纏い、ふわふわの青髪を揺らしながら、太陽のような笑顔を振りまく姿に、癒されまくっていた。父性がくすぐられるのだ。
「今日はどんなことを教えてもらえるんですか?」
「今日は薬草をいくらか持ってきたから、それらを使って薬師の真似事をするよ」
「えぇッ? それってその……お金とかは……」
「僕が東部の森林地帯で適当に取ってきたものだから遠慮なく使っていいよ」
ルシアンは三人を迎え入れるにあたって、それぞれ三人のために準備をしていた。
アーシェに関しては、早くとも二ヶ月以内には薬師として活躍できるようになって、その先へ挑戦してもらいたいからだ。薬師とは建前である。ルシアンが求めるものはまだまだ高いところにある。
「でも……少し遠慮しちゃいます……初めてでそんなものを……」
「僕がアーシェのために取ってきたのに使ってくれないの?」
「ルシアン様が私のために……」
ルシアンはアーシェのことを理解してきていた。
『アーシェのために』、『アーシェと一緒に』などの献身的な言葉に滅法弱いのだ。
いつもの太陽のような笑顔ではなく、ふへへ……という変な声を上げながらニヤけるアーシェに、本格的に薬師の知識を詰め込んでいく。
「アーシェは薬師にとって大事なことは何かわかる?」
「うーん……賢さでしょうか?」
「アーシェ……なんと! 薬師に賢さは必要ありません!」
「えぇっ!? そうなんですか!? 賢そうなのに!」
アーシェは薬師というものをすごい職種だと思っているようだった。そのため薬師になること自体は、難しくないと思ってもらう必要があった。実際に難しくないのだ。
「正解は記憶力だよ!」
「……記憶力ですか?」
「そう。考えるよりも、覚えることが多い職種なんだよ。簡単そうじゃない?」
「覚えるのは得意です! 昨日ルシアン様が私に微笑んでくれた回数は十二回です! 次はウルスラちゃんの九回でした!」
いらない情報を脳に詰め込まれたルシアンは一瞬混乱したが、アーシェの笑顔を見て癒された。
「ア、アーシェはすごいね……それでね、どの薬草にどの効果があるのかを覚えればいいんだよ」
「……なるほど! 確かに簡単そうです!」
厳密には薬草にも煮沸するのか、すりつぶすのか、そのまま使うのかと言った加工方法も覚える必要がある。
「じゃあ早速なんだけどこの薬草の名前わかる?」
ルシアンは自身が採ってきた薬草——ナール草という、すりつぶすと傷薬になる草を指差した。
「はい! ナール草です! あとこっちが……イルミ草で最後の一種がミグリス草です!」
「ッ!? アーシェは天才だ! すごいッ! すごいよッ!」
「えっ?そ、そうかなぁ……」
ルシアンが採ってきた薬草は三種。いずれもよく使うものであり、薬師の基本中の基本の薬草だった。
それを全て言い当てたアーシェに興奮したが、照れているアーシェを見ているうちに、菜草士であるアーシェに草の名前を聞く愚か者だったことに気づいて正気に戻った。
しかしアーシェの気分は上がっているようなので、無理やりこの手法を『褒め殺し作戦』と名付けた。ルシアンは教育者としての格が上がった気がした。
「そこまで知ってたらあとは簡単だよ! ナール草はすりつぶすと傷薬になるし、イルミ草は煮沸してお茶にすると胃薬になって、ミグリス草はどんな使い方をしても整腸薬になる」
アーシェには薬草の種類、加工方法、効能を紙に書かせている。書物を買っても良いが、学んだものはこうして自分で書き記す癖をつけて欲しかったからだ。
これはいずれ自分で研究をするようになった時に役に立つのだ。それに学んだ成果物が、手元に残るのはアーシェの気持ちを上げてくれるだろう。寝る前に読み直すだけでも習熟度は変わってくる。
「……書き終わりました!」
「じゃあ早速薬を作って欲しいんだ。僕、腕を怪我してるんだよね」
「え、え? どこですか? 早く見せてください!」
「え? ちょ、ちょっと! アーシェ?」
無知より一回聞く。百回聞くより一回見る。百回見るより一回経験する。
そのことを心情にしているルシアンは、ただアーシェに経験を積ませようと腕に切り傷を作ってきたが、アーシェが見たこともない怖い顔で、押し倒す勢いで詰め寄ってきたので混乱していた。
「どこですか? 見せてください」
「ここだよーほんと少しの切り傷だよ?」
「どこでどんなふうに怪我したんですか?」
「ちょっと……ね?」
いつもの快活さは無く、淡々とした尋問に戸惑ったルシアンだったが『あれ? これ診察だ!』と思い至り、『アーシェは本当に優秀だ』と喜んだ。
「ちょっとってなんですか……もしかして私に練習させるために怪我したんですか?」
「……経験するっていうのは上達するんだよ?」
察しがいいのなら、隠すつもりもなかったルシアンは少しかっこつけた物言いをした。
その言葉を聞いたアーシェは無言でナール草をすり鉢ですりつぶし始めた。チラりとみたアーシェの表情は暗い愉悦を感じているように感じた。
(え? なんか喜んでない? いや、そんなアーシェは癒しの……いや絶対喜んでる。あんまり良くない笑顔してる)
「ルシアン様……こんな強引なことをされても私は嬉しくありません。危ないことはやめてくださいね?」
ようやく口を開いたアーシェはルシアンの傷口に薬を塗りながらそう言ったが、口元が明らかにニヤけていた。
(え? 喜んでない? やっぱり喜んでるよね? 嬉しがってるよね?)
「……う、うん、ごめんね? 初めての生徒の初めての教育だから、張り切っちゃったんだ……」
「ルシアン様……」
手当を済ませたアーシェはルシアンの傷口を見ながらボソッと呟いた。
大部屋の窓から見える外はいつのまにか夕暮れへと変わっていた。
「も、もうこんな時間だし、今日の教育はここまでにしよっか。明日はまた違うことをするよ」
アーシェの雰囲気に少しドロっとしたような何かを、感じ取ったルシアンは今日は切り上げるよう伝えた。
「ルシアン様……私の一日目はどうでしたか?」
「すごく進んだと思うよ! 飲み込みも早いし、実際に僕の傷の手当てまでして! アーシェは天才だよ!」
アーシェの質問を受けたルシアンは、教育者としての格を示すために『褒め殺し作戦』を敢行した。
「ルシアン様……私ご褒美が欲しいです……」
「ご褒美……な、何が欲しいの?」
ルシアンが幸福製造機であるなら、アーシェは空気清浄機だったはずが、今はじっとりとした夏の暑さを鬱陶しく感じた。
「……頬を撫でて欲しいです」
「……えっ!? そんなこと? いいよ!」
可愛らしいご褒美のおねだりに応えたルシアンは、アーシェの頬を左手で包み込み、親指で優しく撫でた。
やけに雰囲気が重かった事でとんでもない要求を覚悟していたルシアンは、んふっんふっと変な声を上げて喜ぶアーシェに微笑んだ。
教育初日は、無事にアーシェは薬師へと近づき、ルシアンも幸福製造機へと近づいた。




