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アロワナの夏

作者: 小崎信裕



   





       アロワナの夏    


                  小崎信裕 




 夏の日差しが印刷工場の外壁を照らしていた。青い空に立山連峰が映え、農業用水の辺に、薄と背高泡立ち草が生い茂っていた。北陸に梅雨の明ける気配があった。私は僅かに雪の残る立山連峰の山肌を窓から眺め、こめかみに走る鈍い痛みに耐えた。朝から偏頭痛に悩まされていたのだ。

 畳敷きの床に仰向けになり、天井を見上げた。

 視界の中でプレハブの天井が動き始め、胃の辺りに不快感が膨れ上がった。それまで経験したことのない体の異変に、私は底知れぬ不安感を抱いた。得体の知れない何者かに取りつかれているような、重苦しい礫が胸の中にあった。東京を出てから蓄積された疲れが、一気に噴き出したのかもしれない。不慣れな仕事が、体を徐々に蝕んでいたのかもしれない。なすすべもなく、私は目を閉じた。

 私が勤めた印刷工場は富山県の小さな町にあった。勤め始めてから三ヶ月が過ぎ、見習い工の私は、印刷版の焼きつけを任された。もちろん簡単なものだけだが、工場長の倉田が私の真面目な性分を認めてくれたのだ。 

 勤め始めた頃は気性の荒い工員達に怒鳴られた。仕事に不慣れな私に落ち度があるのはわかったが、それよりも彼らは、よその土地から来た変わり者の私に冷たい視線を向けていた。この土地はよそ者を嫌がる気質が強いようだった。それゆえ気の滅入ることもあったが、それでも私は何とかうまく立ち回った。日々をやり過ごした。やりすごすしか仕方がなかった。落ちこぼれの自分がたどり着いた場所で更に落ちこぼれる。昔なら他人や自分に腹を立てたものだがすでに私はそういったことを諦めるようになっていた。しかし、この体の異変は特別なものだった。眩暈が起こり、足元がふらついた。現像機の前でこめかみを押さえている私に気がついた倉田が、普段より早めの休憩をくれた。私は作業棟に隣接するプレハブ小屋で体を休めることにした。

 


 そのとき、私は三十五歳だった。境遇は決して良いものとは言えなかった。八年間勤めた会社を辞め、住み慣れた東京を離れた。携帯電話を解約し、友人達と関わりを絶った。今思うと彼らは、人づき合いが苦手な私にいつも理解の目を向けてくれていた大切な友人達だった。特に仲違いをしたわけではないのに関係を断ち切られた彼らが、私に不信感を抱くことは容易に想像できた。憤慨した者もいたはずだった。しかし、私は一人になりたかった。自ら孤独を選んだ。関わった人々を裏切り、流浪の身の上になり、寄る辺なき境遇に浸ることでしか自分を救えないと思った。家族にさえも居場所を教えず、この先どうしていくのか予定を立てることもせず、孤独なまま日々が過ぎることに一抹の安息感を覚えていた。その生活に将来の夢や希望を見出せたわけではない。なるようになる。そう思ってやりすごしたのだ。しかし、その日々は迷宮でもあった。人生には迷宮がある。人は些細なきっかけでそういった迷宮に入り込んでしまう。それは一度入り込んでしまうとなかなか抜け出すことができない迷宮だ。五十歳を越えた今、私はあの頃のことを思い出し、考えに耽るようになった。


 富山には来たのは初めてだった。

 それまで特に興味を抱いた場所ではなく、単なる殺風景な田舎だと思っていた。しかし、この土地に来てその印象は変わった。この土地には美しい田園があり、黒瓦の葺かれた古い木造家屋が連なる独特な風景が広がり、案外それは私の肌に合った。

 富山に来る前は熱海の温泉旅館に住み込んでいた。一年ほどその旅館で働き、仕事に少し慣れてきた頃、縁のあった人のはからいでこの工場に転職した。縁のあった人というのは、旅館に出入りする富山に本社のある置き薬を製造する会社の外交員だった。私が写真の撮影を仕事にしていたことを彼に話したところ、印刷の製版なら経験を生かせるのではないかと、彼が言いだしたのだった。彼と幾度か話すうちに懇意になり、富山で行われている製薬や、それに伴う薬瓶や包装資材の製造について聞き、薬瓶のラベルなどの印刷を請け負うこの工場を知った。工場の経営者は彼の古い友人で、自分が口利きをすればすんなり就職できると、彼は私に転職を勧めた。旅館での雑用に飽きが来ていたこともあり、私はその勧めを受け入れた。旅館の女将は私を引き止めはせず、あんたの好きにすればいい、逃げて逃げて、そのうちにわかってくることもあるんでしょうよと呆れたように言い、月半ばまでの半端な給料を手渡してくれた。厄介者を解雇する手間が省けた、うまく片づいたと思っていたのかもしれない。ともかく私は身の回り品を詰め込んだ登山用のリュックサックを背負い、熱海駅から在来線を乗り継ぎ、高山線で飛騨山脈を越え、不安な気持ちのまま富山駅のホームに降り立った。

  

 私は東京で大学生活を送った。

 決して真面目な学生ではなかった。卒業の年になっても、まともに就職活動をせず、同期の友人達の多くが名の通った企業に就職が決まっていくのにも関心を持たず、結果的には社員十人程の貿易商社に職を決めた。組織の中で歯車になるのが嫌だったのだ。

「鶏口と為るとも牛後と為るなかれ」

 と友人達には虚勢を張った。当たり前な人生を送るなどつまらないことだ、自分はいつか独り立ちして成功するのだと、常日頃から私は友人達にそう語っていた。

 就職してから半年程たった頃、嫌な上司達に渋谷駅前のビアホールに連れて行かれた。酔っ払った一人の上司が、生ビールの入ったジョッキに唾を吐き、ケチャップのついた食べかけのフランクフルトをそのジョッキに入れて私に差出し、飲めと促した。私はそれに逆らうことができず、無理をしてビールを飲み干した。ジョッキのガラス越しに上司の歯型のついたフランクフルトを改めて見たとき、胸のあたりに締めつけられるような感覚が起こり、惨めさがこみ上げてきた。部屋で一人になると涙が溢れ、身震いがした。それから数日後、私は辞表を書いた。考えてみると結局私は、地に足を着けることから逃げていた臆病者で、鶏口にも牛後にもなれないまま、鶏の尻尾になっただけだった。

 それからはアルバイトで食いつなぐ生活を続けた。

 会社の寮だった川崎のマンションを出て、阿佐ヶ谷駅前の不動産屋で家賃一万八千円の風呂なし四畳半の部屋を見つけ、家財道具もほどんどないまましばらく住み着いた。アルバイト代を工面して、駅前の飲み屋で安い焼酎や角瓶の水割りを煽る日々を送るうちに、近所に住む、理屈好きで神経質な自称芸術家達と出会い、彼らの影響で自分にも何か芸術に似たようなことをできはしないかと思ったのが運のつきで、私は自分の人生を複雑なものにしてしまった。

 ある日、私は新宿の中古カメラ店でペンタックスの一眼レフカメラを手に入れた。それからは街の風景などを写真に収めるのに夢中になった。本当は絵画を描きたかったが、自分に画才のないことは以前から気がついており、絵画の代償行為として写真を選び、それには没頭した。

 一応その試みは報われて、結婚式場の写真部に見習いカメラマンとして採用され、婚礼や見合い用の写真を撮影した。ちょうど人手が足りなかったこともあり、半年もしないうちに一通りの仕事をこなせるようになった。毎日、夢中になってカメラのシャッターを押した。フィルムを現像し、肖像写真を完成させた。光の加減によって被写体の顔を美しく表現し、写真を修整した。特に顔の修正は興味深く、その技術の習得には力を注いだ。実物よりも見栄えのいい顔を作る。だからと言って、修正しすぎてはいけない。本人の顔と判別できる限度で、本人以上の顔にする。真実に見える嘘を描く。嘘のような真実を描く。その加減が大切だった。あまり胸を張れるような作業とは言い難いのかもしれない。しかし、その独特の技術を私は芸術だと思った。そう思えたとき、やりがいを得た。ようやく自分のような落ちこぼれにも、地に足をつけた生活を送ることができるのだと思ったとき、足元が崩れた。

 私は職場で同僚の女と係わりを持ち、手痛い目に会った。彼女は美容部に所属していた二歳年下の女だった。別に彼女と男女の仲だったわけではない。幾度か二人で食事をし、電話で話をする程度のつきあいだった。簡単に言えば、私の一方的な片思いだ。彼女が、私の知らない妻子持ちの男と秘密の関係にあることは知っていた。それを彼女が私に話した時点で私の恋が成就する可能性は皆無だった。それでも私は彼女がいつか自分を振り向いてくれるものだと錯覚し、可能性のない恋を吹っ切ることができなかった。彼女に対する情熱と執着心はあった。だからと言って自分から積極的に動いて彼女の心を掴もうとはしなかった。その煮え切らず未練がましい私の姿勢は、あるとき、彼女から一枚の写真を見せられるという結末に繋がった。

 それは彼女の子宮を写したエコー写真だった。子宮の中に小さな球体があり、それが胎児の頭だった。彼女の無垢な笑顔を見ながら、私は自分に失望した。私は、顔も知らない一人の男に恋の決着をつけられた。彼女の見せたエコー写真をには本物の迫力があり、それは私の撮影した写真にはないものだった。胎児には生命の躍動があった。私は圧倒され、男としての自信を失った。そして、逃げた。

 

 目を開けたとき、小屋の天井が煙草の脂でくすんでいるのに気がついた。

 ところどころに黒い染みのようなものがあり、ぼんやりと眺めていると、眩暈は止んだ。

 コンクリート塀で囲まれたこの工場の敷地は広く、二階建ての作業棟と事務室のある棟の間にこの小屋があり、三つの建物は渡り廊下で繋がれている。小屋は主に工員達の休憩室として使われており、昼休みになると工員達が食事を摂るために集まってくる。何の変哲もないプレハブ小屋だが、大きめの窓から見える立山連峰は美しく、眺めているうちに陰鬱な気持ちが少しは晴れる。

 小屋の壁際にサイドボードがあり、その上に大型の水槽が置いてある。

 水槽の中にいるのはシルバーアロワナという南米原産の鑑賞魚だった。

 アロワナは体長がおよそ七十センチ程度ある。銀色の鱗で覆われた体をくねらせて泳いでいる。アロワナは、殺風景な小屋を奇妙な雰囲気に変えているのだった。

 工員達はアロワナが小屋で飼われていることを快く思っていない。気色が悪い、飯が進まないと、あからさまに苦情を言う者もいた。アロワナの体は決して愛くるしいと言えるものではなく、その上、私にとってアロワナの丸い両目はどこかあのエコー写真の胎児を思わせるのだった。そのせいで私はアロワナの目を見るのが怖かった。アロワナを見ているうちにあのエコー写真を思い出し、憂鬱な感情に陥ってしまう。いつか、松山という若い工員の男にアロワナについて尋ねたところ、アロワナを育てているのは事務室で働いている順子だということがわかった。順子は工場の経営者、榎田の娘だった。風変わりなところがあり、工員達とはあまり口を利かないのだと松山は言った。

 畳で仰向けになったまましばらく動かずにいると、順子が小屋に入ってきた。片手にステンレス製のボールを持ち、扉を開けた順子は、私を見つけると驚いた顔をして一瞬息を飲み、それからぎこちない会釈をし、私の前を通り過ぎた。体を起こし会釈を返した私は、水槽の前に立った順子を後ろから眺めた。

 順子は白いワンピースを着ていた。事務員の着る服としては不釣合いな感じがした。ボールには一匹の黒蛙が入っており、順子はそれを素手で掴み、水槽の中に放り込んだ。一旦、水に沈んだ黒蛙はすぐに浮き上がり、水面で動かなくなった。回遊していたアロワナは敏捷に体をくねらせ口を大きく開き、黒蛙に噛みついた。黒蛙はもがいたが、すぐに呑み込まれてしまった。それまでに何度か見かけた光景だったが、あまり気分のいいものではなかった。

 「ずいぶん、残酷なことをするでしょう。やっぱり嫌ですか」

 背中を向けたままの順子がそう訊いた。

 私は返答に困った。順子が声を掛けてくるとは思わなかったのだ。

「みんないろんなことを言うでしょう。アロワナのこと、みんなが嫌っているのは知ってるんですよ」

 順子が振り返り私を見た。

「どうしてこの魚を飼ってるんですか」

と私は尋ねた。

「これは心裡療法なんです。つまり、生き物を育てることで、自分の性格を改善させて、人格を向上させようとしているんです。私には何かを育てるという気持ちが欠けているんですね。だからこんなことをしているんです。それに私はこの魚が好きなんです。アロワナは、存在が完璧なんですよ。形も美しいし。この魚は、大昔から進化せずにずっとこのままの姿でいるんです。もう変わる必要のない、完璧な姿なんです」

「心理療法に熱帯魚を使うっていうのは初めて聞きました」

「心裡療法の中には箱庭を使うものがありますし、これもその類です。時々水槽の砂を変えたりオブジェを動かすのは箱庭を利用するものに似ています。結局、自分の心の状態が物に投影されることを感じられるなら、方法はいろいろあるんですね。心の投影された状況を自分なりに把握して自分をコントロールするんです」

「難しいですね。でもそれは自分で考えたんですか」

「違いますよ。人に薦められたんです」

「人って、臨床心理士とかですか」

「いいえ、普通に、知り合いから薦められたんですよ」

 そこで話が途切れた。話を続けようとしたが、なぜか言葉が出なかった。少し気まずい空気が二人の間に漂った。順子は私から目を逸らし、水槽にアクリル製の蓋をして、タオルで水槽のガラスを拭いた。

 気まずい空気ができたとき、笑顔を作ってその場を取り繕うことができるならいいが、私は愛想笑いのできる人間ではなかった。私のような人間の多くは、何かと他人から誤解され、不本意な謗りを受ける。順子という、この表情の乏しい女も、同じような経験を重ねた人間なのだろうと私は思った。       

 順子の白いワンピースの裾から少し湾曲した足が覗いていた。

 私はそれに目を奪われた。順子の足は私にエコー写真を見せた女の足に似ていたのだ。あの女の足も少し湾曲しており、右足のふくらはぎには小さな黒い痣があった。順子の足にもそれがないかと、私は無遠慮な視線を順子の足に向けた。順子の足には痣はなかった。それが確認できたとき、不思議な安堵感があった。しかし、私の視線に気がついた順子との間に更に気まずい雰囲気ができてしまい、それに耐えられなくなったのか、順子は黙ったまま小屋から出てしまった。

 アロワナが水槽の中を漂っていた。水草が銀色の体に絡まっていた。ポンプから送られる空気が水の中でいくつもの泡になり、水草とアロワナのしゃくれた顎に垂れ下がる髭を揺らしていた。私は、息の根の止まった黒蛙がアロワナの腹の中で溶けていく様を想像しながら、順子に対する自分の露骨な振る舞いを恥じた。失敗したと思った。すぐに小屋から逃げ出したくなった。思い切って起き上がり、こめかみを右手で押さえながら歩いた。とりあえず顔を洗いたかった。引き戸を開けて外に出て、小屋の前にあるコンクリート製の洗面台の蛇口を捻り、水で顔を洗った。水は生暖かかった。蛇口を更に捻ると洗面台に水が勢いよく爆ぜた。

 そのとき、首に掛けていたタオルを小屋に置き忘れたことに気がつき、しかたなく濡れた両手を振って水を切った。水飛沫がティーシャツを濡らした。すると、背後で、ちっと舌打ちする音が聞こえて私は振り返った。

 そこには、紺色の作業服を着た工員が立っていた。沢村という断裁工で、四十代半ばの男だった。背が高く痩せていて、無精髭を蓄えた顔はどことなく知性的な印象があった。

「すいません」

 私は咄嗟に謝った。沢村は鼻で笑い、頬に掛かった水しぶきを手の甲で拭い、

「威勢のいい手洗いは終わったかい」

と言った。

 不快な言い方だった。

「後ろに立ってるなんて気がつかなかったものですから」

 頭を下げると沢村は首を振り、

「別にいいよ」

と、また鼻で笑った。

 油蝉の声が響いていた。沢村の向こう側に赤レンガで囲った植え込みがあり、数本の向日葵が伸びていた。薄緑の茎の先端に蕾が垂れていた。私が洗面台を譲ると、沢村は洗面台の脇に置かれた干からびて皺の入った石鹸を手に取り、水で泡立ててから、泡を両頬に擦りつけた。私は立ち去るきっかけを失い、そのままぼんやりと沢村を眺めていた。

 「津川君だったね。君、ずいぶん嫌われとるぞ」

 顔についた石鹸の泡を水で流した沢村が言った。君、という言い方が鼻についた。

 沢村は、作業ズボンのベルトに提げたタオルを手に取り、顔を拭った。

「ほとんどの工員は君を嫌っている。生意気だと批評してるな。君はなかなかここに馴染めないと思う。実際、馴染めてないよな。それに、君もここに馴染めないことは最初からわかっていたんだろう。きっと君は常に変わりながら生きていくおかしな人間だね。そう、君はバガボンド、バガボンド。わかるかい。旅の人のことだ。ここの人間は、旅の人には冷たい。でも、案外君のようなもんはどこでもそうなんだろう。どこにも定着できず流れていく。まあ、それでも、俺みたいに物好きな人間がいてね、そういう者に興味を抱くってわけだ。考えてみると、そういう意味で君は少し救われている。君は孤立してないよ。俺は君のことをずっと観察して、君という人間を分析していたんだからね。そして結論が出た。君は幼形成熟だ。きっとその類の生物だろう。大人になりきれない幼形成熟。そういう類の人間がいるんだよ。そういった人間の人生は険しい。しかし幼形成熟にも生きぬく権利がある。もちろん幸福になる希望もある。どうだい、ちょっと救われたかい」

 いきなり唐突なことを言われて私は聞き返した。

「幼形成熟というのは何ですか」

「一つの現象なんだ、幼形成熟はね。それはつまり、ある種の動物において、性的に完全に成熟した体でありながら、未成熟な性質が残る現象のこことを言うわけだ。よく研究対象になるのはメキシコ産の山椒魚だ。日本でもウーパールーパーという商品名で流行したことがある。ウーパールーパーのような生物を幼形成熟固体と呼ぶけれど、彼らの体の特徴として挙げられるのは、環境の変化に対する適応能力と肉体の再生能力が極めて高いことだ。見かけよりタフなんだな。しかし、なぜウーパールーパーにそんな能力が備わっているのかというと津川君、彼らはある意味で一生子供だからだよ。わかるかい、彼らには子供特有の柔軟性があるんだ。これからの時代、人間にとってもこの能力は必要だね。この国はこれから大きな変革期を迎える。そんな時代にうまく適応できるのは、そう、君のような、幼形成熟固体なんだよ」

 私は言葉に詰まった。それに少し腹も立ってきた。沢村の言葉の端々に私に対する悪意の匂いがしたからだ。

「からかっているんですか」

「からかっていない。人間だって幼形成熟固体だという学説はあるんだ。それはかなり古い学説なんだけれど、まあ、人間の進化に幼形成熟という現象が深く関わっているということを主張する人もいるわけだね。どうだい、今、この瞬間も人間は進化している。現在の人間の進化に幼形成熟の影響があるとしたらずいぶん楽しいじゃないか。そうは思わないかい。決しておかしな現象でもないよ、幼形成熟はね」

 この沢村という男は、この工場で働く前、大学の研究室で助手として働いていたのだった。大学では生物学を専攻していたのだが、些細な事が原因で、大学を辞めることになったらしい。沢村のような人間がその後どのような経緯でここで働くようになったのか、私は知らない。しかし、沢村の私に対する無遠慮な物言いから察すると、彼が変わり者と揶揄されるのは間違いないことで、彼もまた、私と同じように、他人とうまく折り合うことのできない不器用な人間に違いなかった。 

「まあ、腹を立てるなよ」と沢村は言った。「君のような人間でもこれからいいことはたくさんあるはずだ。弱虫だからこそ強くなれる。弱虫だからこそ立ち上がれる。バガボンド、バガボンド、幼形成熟、旅の人。まあ、がんばれよ」

 沢村はそう言って私に背を向け、右手を挙げた。取り残された私は、洗面台の前に立ちすくんだ。また偏頭痛が起こり、油蝉の声に混ざって金属音のような耳鳴りが小さく響いた。

 結局、その日は早退し、アパートの部屋に閉じこもった。冷房を利かせたが、湿った空気は部屋に残っていた。小型のテレビに魚津港に現れた蜃気楼が映っていた。女性アナウンサーが弾んだ声で蜃気楼の形状と、堤防に集まった見物人達の様子を説明した。海面に建物が写りこんだような風景があり、それが蜃気楼だった。

 部屋に戻ってからすぐに飲んだ頭痛薬の効果が出てきたらしく、偏頭痛は治まり体は楽になったが、頭の中に順子の湾曲した足がこびりついて離れなかった。自分はまた、女に惹かれていくのだろうという予感があった。


 子供の頃、父親と東京の街を歩いたことがある。昭和四十八年のことだ。

 父親の勤めていた外資系の会社の運動会が東京の遊園地で行われたため、家族四人で愛知県から東京に出向いたのだった。運動会が終わってから母親と兄は先に帰り、父親と私はしばらく二人で東京を散策した。そのとき連れて行かれた上野の美術館で、印象派の画家達の絵画を見たのが私の最初の芸術体験で、それをきっかけに私は西洋の画家達に憧れるようになった。好きな画家はゴッホやモネで、特にモネが好きだった。モネの「日傘の女」を初めて見たときの感動は今でも覚えている。その感動が「日傘の女」を私の理想の女性像にした。そして私は、心の中で「日傘の女」を現実の女に重ね合わせていった。そしてそれはあのエコー写真を見せた女や、順子にも重なった。

 そう言えばあのとき、美術館を出てから、工場の排水で汚染されて悪臭のする隅田川の黒ずんだ下流から父親とポンポン船に乗り、永代橋の近くまで遡った。深川で生まれ育った父親は、自分の生まれ故郷を私に見せたかったのだ。父親の生まれ故郷の深川を永代橋の上から望んだ。この場所に昭和二十年の三月に空襲があり、夥しい数の焼けた死体が川に浮いたのだと、父親は私に話してくれた。それから父親は欄干にもたれながら川辺の貧相なトタン屋根の平屋を指差し、そこが自分の生家のあった場所だと言った。父親の生家は空襲で焼失したのだった。

「アメリカがみんな奪った」

と父親は言った。

 大学に進学して、再び私が永代橋まで行ったたとき、墨田川には悪臭もポンポン船もなく、トタン屋根の平屋は洗練されたビルに変わっていた。悪臭のなくなったのには助かったが、どこか物寂しいような気もした。


 流浪の身の上になってから、モネ、ゴッホ、ゴーギャンなどの、いわゆる印象派の画家達を身近に感じられるようになった。彼らは住処を変え、創作に打ち込んだ。既製の概念をとことんまで砕き、彼らはそれまでになかった作品を作り上げたのだ。もし彼らが生まれ変わりこの土地に住んだとしたら、更に斬新で素晴らしい作品を描くのだろう。そんな空想に浸れるほど、この土地の風景は美しかった。それは新鮮な驚きだった。立山連峰の荘厳な姿はもちろん、薄緑の水田、神通川の岸辺に咲く草花、浜に漂う蛍烏賊の光、チューリップ畑、魚津港に現れる蜃気楼。絵の題材になるものはいくらでもある。ゴッホはゴーギャンとフランスのアルルで共同生活を送ったが、その頃のアルルと同じように、創作を試みる人間にこの土地は、何か特別なきっかけを与えてくれるような気がする。

 ゴッホと言えば、特筆すべきことはアルルにおける耳切り事件だ。

 ゴッホは晩年、剃刀で自分の耳を切り取った。病院に隔離された彼を、新聞は精神異常者だと報道した。

 ゴッホが自らの左耳を切り落とした理由には諸説があり、心を病んだ人間による異常な行動だと突き放す人も多いが、それだけでは納得できないことが私にはある。芸術家の奇行は決して珍しいことではない。仮にゴッホが精神に異常を来たしていたとしても、その状況をうまく作品に昇華できれば芸術の成功と言える。すべてがくだらないことだと片づけてしまうのはいささか偏狭な考え方だ。狂気の人間の側から見ると正気の人間の行為や常識こそ狂気だ。ゴッホにとって、自分の耳を切り落とすことも必要なことだった考えるのは決して不自然なことではない。また、狂気は一律にその人の人生を破滅に導くわけでもない。再生するため、もしくは現状を打破するための過渡的な現象と捉えることだってできる。そのときゴッホは何かを突破した。誰にも知られず自分だけの方法で何かを発見した。物事を多面的に考察すれば、そんな解釈も可能になる。

 ゴッホの耳切り事件を思い出させる事故が工場で起こったのは、梅雨明け間近の昼下がりだった。あの日、私に無遠慮な言葉を投げかけた沢村が、断裁機で親指の先端を切断したのだ。 

 沢村の親指の先端が断裁機の上にあった。沢村は、安全装置を解除したまま断裁機を操作していたのだった。頻繁に不具合が起こる、旧式の断裁機だった。床に印刷の仕上がった薬瓶のラベルが散乱し、その向こうに沢村が蹲っていた。 

 沢村は右手に白いタオルを被せていて、タオルには真っ赤な血が滲んでいた。

 最初に発見したのは松山だった。松山が一階からチラシ広告の束を二階に運んだとき、沢村の異変に気がついたのだ。松山は息を切らして私と倉田の前に立ち、倉田に沢村の事故を報告した。倉田と私は、作業の手を止め、断裁機のある場所まで急いだ。

 雨が降っていた。どす黒い雲から鈍い雷鳴が起こり、サッシ窓に雨の礫が砕けていた。その音と印刷機の稼動音が重なった。倉田は蹲ったままの沢村に駆け寄り、

「大丈夫か、何があったんだ。しっかりしろ」

と声を掛けた。頑健な体つきをした倉田が沢村の横にしゃがんだとき、倉田の額に浮き上がった汗が頬をつたった。

「すいません、うっかりしてしまって」

 沢村は呆然としたままそう言った。

「痛むか」

「痛みはあまりないです」

「まだ繋がっぞ、前もこんなことがあったがよ。心配すんな」

「もういいですよ」

「馬鹿なことを言うな」

 倉田に促されて松山が氷を入れた洗面器、ビニール袋、輪ゴムを事務室から運んできた。倉田は輪ゴムで、沢村の親指のつけ根を強く締めた。先端の欠けた親指は白く変色した。

 階段を駆け上がる音がして順子が現れた。順子は、手を口で押さえたまま沢村の前に出た。

「どうして」

 と、順子が沢村に震えた声で聞いた。

 沢村は順子から目を逸らし、何も言わなかった。

「安全装置は」

 順子が倉田に聞くと、倉田は落胆したように首を振り、沢村の横顔を窺った。

 松山の、鼻水を啜る音がした。倉田は沢村の指の先端を断裁機の上から拾い、ビニール袋に入れて洗面機の氷で冷やした。

「こうしておけば、大丈夫かもしれん」

 倉田は口元を引き締めた。

 救急車が着き、二人の救命士達が沢村を担架に乗せた。沢村は担架の上で目を閉じた。救命士達は手馴れた様子で担架を運んだ。

 雨は更に激しくなり、作業棟の通用口が濡れていた。事態を知った工員達は印刷機を止めて通用口に集まり、沢村の様子を窺った。沢村と倉田の乗った救急車が門を出ていくのを、私達は見送った。沢村は富山市内の総合病院に搬送されることになった。

 それから私は作業棟の二階に戻り、血のついた床をモップで拭いた。松山は散乱した薬瓶のラベルを片づけた。

 順子は断裁機のスイッチパネルを怪訝な顔をしながら眺めていた。

「なんでこんなことが起こったんですか」

 順子が松山にそう聞くと、松山は溜息をつき、

「仕事入れすぎなんやちゃ。細かい仕事ばっかりで、手間が掛かるから沢村さんは焦ったがいぜ。確認作業で時間が取られていらつくもんに、仕事がたまっと」

 と面倒くさそうに言った。

「そうでしょうか」順子は首を傾げた。「それにしてもあんなに几帳面な沢村さんが安全装置を外して作業するなんて信じられません。解除するのも手間が掛かるでしょうし、誰かが教えたんですか」

「そうかもしれんちゃ。職人っていうのは大体が裏技ってものを持っとっし、誰かに頼んだのかもしれんちゃ。それに沢村さんはぶきっちょなが。仕事遅いしさ、最近は大分困っとったみたいですよ」

 そう言って松山は、崩れた薬瓶のラベルを元通りに積み上げた。


 翌日は晴れて、植え込みの向日葵が一輪だけ咲いた。今年初めて開いた黄色い花弁が殺風景だった植え込みを彩った。私が印刷版を焼きつけていたとき、隣で作業していた倉田が、沢村の指が手術で繋がったのだと教えてくれた。沢村の指は縫い合わされ、指の先端から金属の心棒を差込んで固定されたらしい。沢村はしばらくの間、そのまま病院で療養することになった。

 臨時の朝礼が行われ、工員達は作業棟の一階に集まった。

 榎田が事故について詳しく説明した。還暦を過ぎたばかりの榎田は太った小男で、娘の順子と血の繋がりがあるのは間違いないようだが、顔はあまり似ていなかった。どちらかと言うと他界した母親に似ているのだと、倉田から聞いたことがあった。

 「気をつけてくれないと困る。安全装置は解除するなとあれほど言ったがに」

 額に脂汗を滲ませた榎田は、グレーのスラックスを穿き、半袖の開襟シャツを着ていた。榎田は、事故は沢村の不注意や怠慢が原因で起こったと言う。沢村が作動させておくべき安全装置を自ら解除したのは、断裁すべき印刷物が山積していたとしても同情の余地はない。再びこういった事故のないように注意するよう、工員達に念を押した。

 工員達は神妙な顔したまま榎田の話に耳を傾けていた。松山は口に含んだままのガムを目立たないようにゆっくりと噛んでいた。

「まるで俺が従業員に無茶をやらせているみたいに見える」

 榎田がそう言ったとき、松山が声を荒げた。

「無茶なことをやらせとるやないですか」

 倉田が松山の作業着を引っ張り、榎田の方を向いて頭を下げた。松山はふてくされたような顔をして横を向き、それ以上言わなかった。榎田は松山を一瞥し、鼻であしらうような表情を見せた。

 作業に戻り、倉田と印刷版を仕上げた。倉田はずっと黙ったままライトテーブルに向かい、少し反り返った製版フィルムを慎重に重ね合わせていた。作業しながら、私は松山や倉田の気持ちを考えていた。パソコンが普及し、一般の人々が手軽にそれなりの印刷ができるようになり、町の印刷屋が経営難に陥り、潰れていった時代だった。パソコンの普及は世の中を変え、印刷工場ではパソコンで操作できる作業も増えた分、手作業が減った。効率がよくなった部分はもちろんあったが、そのために生じる歪も無視できなかった。松山の言う通り、工員達が無理をしているのは私にもわかった。沢村の起こした事故も、時代が変化する過程における不可避な出来事だったのかもしれない。それは印刷工場の中だけではなく、微細なことを含めると、この国の様々な場所で同時代的に起こっていたことなのかもしれない。

 倉田は自分が習得した技術がパソコンに取って代わられるのが嫌だった。倉田は手作業が好きだった。何年も掛かって身に着けた自分の技術が反故にされるのが納得できなかった。その気持ちが私にはよくわかった。私も肖像写真の修整が、パソコンで簡単にできるようになってから、自分の技術が無意味になることを虚しく感じたのだ。

 倉田は、私が工場に来てからずっと製版作業を教えてくれた。またそれ以上に倉田は、木版印刷からグーテンベルクの活版印刷に至るまでの歴史を細かく説明してくれた。その中で私が特に興味を抱いたのはグーテンベルクの印刷した四十二行聖書についての話だった。グーテンベルクの登場によって聖書が安価で流通するようになり、その状況がマルティンルターに影響を与え時代を動かす起爆剤となり、その後ヨーロッパ世界は大きく動いた。活版印刷機の発明は時代を変える技術革新だった。強力で破壊的な技術革新は人類の歴史の中でときどき起こる。今の日本も例外ではない。歴史は繰り返し、人間はいつもぎりぎりの選択を強いられる。

「昔も今も印刷は同じだよ。写真だって原理は同じだ。だから津川にもすぐにわかるようになる。それにこれからはみんなコンピューターがやってくれるようになるから、まあ、楽になるがいぜ」

と倉田は、皮肉を込めた言い方をした。


 昼下がりに、榎田に呼び出された。

 事務室の応接セットに導かれ、ガラステーブルを挟んで革張りのソファーに座り、榎田と向き合った。事務員の三枝恵美という三十代後半の女がグラスに入れた麦茶を運んできて、私と榎田の顔を見比べて笑顔を見せた。恵美は榎田の愛人だった。

 「それじゃ、やってくれるがか」

と榎田は私に尋ねた。

「少し考えさせてください。倉田さんにも申し訳ないですし」

 榎田は私に営業回りを勧めたのだった。得意先を回り印刷物の契約を取り交わすわけだ。私はガラステーブルに置かれた麦茶の入ったグラスを手に取り、居心地の悪さを少しでも和らげようと麦茶を飲んだ。

「製版を続けてもつまらんぞ、今までのは研修やと思え。営業をやったほうが道が開けると思わんか。ゆくゆくは事業を拡げることだってできるかもしれんし。お前、大学を出とんがやろ、もったいないちゃあ」

 私は榎田の話を俯きがちに聞いていた。悪い話ではないと思った。ただ、ゆくゆくという言葉は信用できず、私は早急な返事を差し控えた。人間の、腹の内側はわからない。唾液の混じったビールを私に飲ませた貿易商社の上司も、ゆくゆくという言葉を私に幾度か使った。それからも様々な甘言に翻弄された私は、甘言に耳を塞ぐ人間になっていた。仮に榎田が本心でそう言ってくれているとしても、そんな厚意はふとしたきっかけで消えてしまう。自分に期待を掛けてくれるというのは確かに嬉しいことだったが、大学を卒業したといっても、私は学問を専門的に探求したわけではないし、これといって身についた教養などはない。一流大学を卒業したわけでもない私の学歴などは自分の経歴のささやかな飾り物に過ぎず、何の役にも立たない。まして私はそれまで紆余曲折し、他人の親切に甘えながら生きてきただけの屑だ。いまさら学歴を引き合いに出されても気恥ずかしいだけだった。それに加えて、倉田に対する気兼ねもあった。真摯な姿勢で作業を教えてくれる倉田に対して、いきなり身を翻すようなことをするのは難しかった。

 「まあ、ゆっくり考えろや」

 榎田は、そう言って麦茶を飲み干した。痩せた首の喉仏が動いた。私はそれに釣られてグラスの底に少しだけ残った麦茶を啜った。 

 

 二日たった。

 また偏頭痛が起こり、あまり作業に集中できず、私は小屋で仰向けになった。偏頭痛はいつも午前中に起きた。何かの病気に罹ったのかもしれないと疑ったが、病院に行く気にはなれなかった。私は自分の体力を過信していた。休息すれば、すぐに回復するものだと思っていた。肉体から若さが失われていることに気がついていなかった。

 水槽の中を回遊するアロワナの動きは、いつもより激しかった。無性にそれが気になり、私は起き上がって、右手でこめかみを押さえながら水槽に近づいた。

 じっくりと水槽の中を見たのは初めてだった。

 水槽には白砂が敷き詰められていた。三種類の水草が植え込まれており、パリの凱旋門を模したオブジェが置かれていた。ポンプから送られる空気が水の中でいくつもの泡になり、水面で爆ぜた。順子はこれを自分の心の投影だと言う。水槽のレイアウトは巧みで美しく、安定感があった。それに対して しゃくれた顎に二本の髭を垂らしたアロワナは、凶暴で醜悪だった。美しく聖なる部分と不釣合いの凶暴さと醜悪さが、順子の心の本質なのかもしれない。そんな想像が私を刺激すると同時に、あの日見た順子の湾曲した足が頭に浮かび、一瞬胸が高鳴った。順子に近づきたい。榎田の申し出を承諾し、事務室で働くようになって順子に近づけたら、もしかすると自分の鬱屈した気持ちは晴れるのかもしれない。そんな考えが私の頭を過ぎった。

 正午を過ぎた頃、偏頭痛は治まった。小屋に、数人の工員達がなだれ込むように入ってきて、座卓を囲み昼飯を食べ始めた。松山が競馬新聞を広げて、週末に行われる重賞レースの予想を大声で始めた。作業着の前ボタンを外し、さらけ出した松山の胸元に、ダビデの紋章を模った金色のペンダントが揺れていた。ほとんどの工員達が競馬好きで、昼休みになると大方そういった類の話ばかりなのだった。松山が他の工員達の代理で馬券を買うことになっていて、彼に馬券を依頼する工員はメモ用紙程度の紙に自分の希望する馬券を記入し、彼に手渡した。近くに場外馬券場がないので、松山が行くのは工場から少し離れた場所にあるノミ屋だった。ラーメン屋の店舗の奥に隠し部屋があり、それがノミ屋になっている。そのノミ屋は外れ馬券を一割の金額で買い取る。松山は受け取った金を手数料にしていた。それで採算が取れていた。私は賭け事に興味はなく、工員達が競馬の話を始めると少し離れた位置に身を置くようにしていた。博打は幾度か試みたことはあるが、大きく勝ったことはなく、いつも自分の運のなさに辟易するばかりだった。私が工員達から親しまれないのは競馬をやらないことが原因の一つだと自分では思っていたが、仮にそうだとしても、無理をして競馬につきあう必要などない。博打にしか興味を持たない輩を私は軽蔑していた。

 私は工員達の姿を見ているうちに気持ちが吹っ切れた。彼らは私の関わる人間達ではない。自分とは根本的に異質な人間なのだ。榎田の言うように、このままでは自分の人生は開けない。惰性で生きるのはつまらない。惰性で生きることは、結果的に身の破滅に繋がる。そう思った私は立ち上がり、事務室に向かった。

「そうか、まあ、それがいいがよ。気楽にやられ。仕事はすぐに覚えるちゃ」

 榎田は弾んだ声を出した。

 事務室には、事務机を挟んで順子と恵美が向き合っていた。

 順子は休憩時間にもかかわらずパソコンのキーボードを叩いていた。順子の机は書類が乱雑に積まれていた。それに対して恵美の机は片づいていた。鉛筆立ての隣に小さなパンダのぬいぐるみが置かれていて、近所のコンビ二で買ったらしいパック入りのサラダとサンドウィッチを恵美は黙って食べていた。恵美の両手の爪には薄紅のマニキュア塗られていて、サラダにプラスチック製のフォークを絡めながら、恵美は左手の爪を、何かを確かめるように眺めた。

 窓際の棚に水色の金魚鉢があった。金魚鉢には十匹程の黒蛙が飼育されていた。順子は席を立ち、金魚鉢から一匹の黒蛙をステンレスボールに入れて事務室から出て行った。その様子を横目で見ていた榎田は、私を営業職に配置換えするのを提案したのは順子なのだと、小声で私に打ち明けた。

「最初は沢村を誘うっていう話だったがよ。でも俺と沢村が合わんことを知っとるから順子はそれを言わんようになったがよ。だいたい沢村は屁理屈が多いちゃあ。しかし、どうしてここには屁理屈の多い奴が集まったがか、不思議や。工員なんだから黙って仕事しとりゃあいいがに」

 私には、順子に自分が認められたことの嬉しさがあったが、同時に沢村と順子が一本の線で結ばれるのを感じて動揺した。また自分は横恋慕しているのではないか。また自分は女で失敗するのではないか。もしこれがあの時の繰り返しになってしまったら、自分はまた精神の軌道を狂わすのではないか。人生は繰り返す。そしていつも人生は後手に回るものだ。自分は慎重に行動しなければならない。

 倉田に配置換えについて打ち明けるのには、少し勇気が必要だった。私は事務室を出て、倉田に話すべき言葉を選びながら小屋の前まで歩いた。すると小屋の入り口に順子のパンプスが揃えてあるのを見つけた。気になって小屋に入ると工員達の姿はすでになく、水槽のガラスを磨く順子の姿だけがあった。水槽の隣には空になったボールが置いてあった。

「気を使ってくれたそうで、どうもすいません」

 私は順子に礼を言った。順子は私を見ることもなく首を振った。それから横顔を向けたままこう言った。

「父は、そんなに体が強くないんですよ。十代の頃に大病を患って、一年間療養したんです。若い頃は都会の生活に憧れていたようなんですけど、体のこともあって思い切れなかったんですね。富山に骨を埋める気持ちになってこの工場に勤めたんだって言ってました。父は婿養子なんです。東京に憧れていたから、津川さんのことを気にしていたんですね。津川さんから履歴書が送られてきたときも、父はいつもより真剣に読んでいました。東京で働いたことのある人って、この工場には津川さんのほかに、今までいなかったんです」

「東京の生活は憧れるようなものではないです。僕を含めて田舎者のほとんどは東京に憧れて出てくるんでしょうけど、楽しいのは最初の何年かだけだと思いますね」

「そうでしょうか」

「そうです。憧れるような場所じゃないです」

 順子の横顔が窓から注ぐ日差しで艶めき、私は一瞬、目を奪われてしまった。

「津川さんも、何かやったらいいのに」

 順子がアロワナを見ながらそう言った。

「心理療法をですか」

「ええ、自分の心の平穏を保つために何かをするのはいいものですよ。何でもいいんです。部屋の掃除でも料理でもいいし、生き物や植物を育てるのもいいですね。そうそう、日記をつけるのもいいかもしれません。特に夢日記は、自分の心の深層を探るのにはいいですね。とにかく何かそれまで自分のやらなかったことをやるんです。津川さんは何か悩んでいらっしゃるようですね。そうでもなければ東京を捨ててこんな田舎に来るわけないでしょう」

「心理療法なんて僕には難しいです。ちょっと無理だな」

「アロワナに餌をやってみたら」

「蛙をですか」

「そうです」

「いや、僕はいいです」

「怖いの」

「怖くはないけど、そういう気持ちになれないから」

「男の人は残酷なこともできなくちゃだめですよ」

「無理に残酷になる必要はないですね」

「逃げてきたんですね、いろんなものから」

 順子にそう言われて私は辛くなった。しかし、それで順子を遠ざけようとは思わなかった。私は順子に惹かれ、順子の存在は心の中で大きくなり、それから悶々とした生活を送ることになってしまった。


 作業棟に戻った。

 配置替えについて倉田には、簡単な説明をしただけで済ませてしまった。倉田は特に何も詮索してこなかった。ライトテーブルの前で「そうか」と言い、黙ったままルーペを覗いた。倉田は、職人の仕事は阿呆な人間が怒鳴られて叩かれて覚える仕事だと言う。しかし倉田は決して阿呆や馬鹿ではない。彼が何も詮索しないのは、彼がしっかりと地に足をつけた人間だったからだ。倉田は大人だった。生粋の職人だった。成熟し、自分のやるべきことを継続することのできる人間だった。だからこそ私は彼に、自分の素性、経歴を素直に話すことができた。あまり人に馴染むことのない沢村が倉田を信頼していたことも、あの雨の日、断裁機の前での二人の様子から窺い知ることができた。

「鮎釣りをしたことはあるか」

と倉田が聞いた。

「ありません」

「じゃあ、行くか。神通川で鮎が釣れる。友釣りが解禁されとる。鮎の友釣りはいいぞ。一度やったら癖になる。鮎は神経質な魚で、自分の縄張りに他の魚が来ると向かっていくわけだ。それで自分が釣り上げられる。その駆け引きがおもしろいんだ。しかし、鮎のそういうところは、この土地の人間に少し似とるなあ。この土地の人間は外から来る人をなかなか内には入れてくれん。旅の人って呼んでさ。まあ、その旅の人を榎田さんが気に入ってくれたのなら、それでいいんじゃないか。工員達がいろいろ噂をするだろうけど、気にするなよ。津川に興味を持っているだけだ。奴らだって、根は悪い人間達じゃない」

「そうですね」

「俺のことも気にするな、俺は気にならん」

 それから私はやり残した作業を早々に片づけた。倉田との仕事は、それで終わった。結局、私が工場を去るまで倉田と鮎釣りには行くことはなく、日々は過ぎた。

 

 営業回りをするようになってからは仕事に忙殺された。写真と印刷は同じことだと倉田から言われていたが、それはあくまで原理についてで、素人の私はもちろん多くのことを覚えなければいけなかった。事務室での作業もあり、順子や恵美と顔を合わせることが増えた。机に向かっていると恵美は何かと私に話しかけてきた。出身地はどこか、両親は健在か、兄弟はいるのか、好きな食べ物は、酒は飲めるのか。私は恵美の質問に、なるべく丁寧に答えた。出身は愛知県の港町で、両親は健在だが離婚していること、五歳年上の兄がいて、工業地帯の広がる小さな町の保健所に勤めていること、好きな食べ物は麺類で、富山のラーメンには関心したこと、酒は好きだが飲み会は苦手で今までに何回か酔っ払って羽目を外し失敗したことがあるということなどを、私は自嘲的に冗談を交えて話した。恵美はその度に笑い、私が中途半端な薀蓄を披露すると、大げさに感心してみせた。

 以前スナックに勤めていたという恵美は会話がうまかった。順子と違って、周囲の人々と進んで会話を交わす恵美を、嫌っている工員はいないようだった。それどころか特に松山は、用事にかこつけて事務室に来ては恵美に話しかけるのだった。恵美は決して美人というわけではなかったが、女としての華があった。それゆえの人気があった。

 しかし、順子の恵美に対する態度は工員達と違っていた。父親の愛人と同じ部屋で働くことが娘にとって少なからず居心地の悪いものだということぐらい、誰にでも察することができる。順子はあまり恵美を意識しないように仕事をしていたようだった。

「この麦茶そろそろ別のにしませんか」

 ある時、恵美が順子にそう言った。

「どうしてですか」

 順子は聞き返した。

「だってこれ、味が薄くないですか。私ね、こないだスーパーでおいしいのを見つけたんです。今度買ってきますから試してみてくださいよ」

「でもお茶屋さんとは長年のつきあいだから、いきなり断るのはできないですよ」

「お茶屋さんに注文するのは、来客用のだけにすればいいじゃないですか。私達のは別に」

「でも」

と言って、順子は口ごもった。

「なんか飽きちゃったんですよ。お茶ぐらい、いいじゃないですか」

 煩わしそうに恵美がそう言うと、順子は溜息をつき、

「この麦茶は常務が好きだったものだから」

 と、思い切ったように言った。常務というのは順子の、他界した母親のことだった。

「職場に家庭のことを持ち込むのはよくないかもしれませんけど、この麦茶は子供の頃から家で飲んでいたものなんです。私、この麦茶がいいです。それに、お茶屋さんに断るのも気まずいし、麦茶を納品してないのに、誰かが別の麦茶を飲んでるのをお茶屋さんが見つけたら気まずいじゃないですか。それにお茶屋さんに言うの面倒くさいし、私は嫌です」

 順子は少し声高になり、そっぽを向いた。恵美は私のほうを向き、何かを探るように私の顔を覗き込んだ。私は、なるべく表情を読まれないように俯いた。

 結局、麦茶は今まで通りとなった。

 翌日、恵美と私が事務室で二人きりになったとき、恵美が私にこんなことを言った。

「こないだ松山君がね、津川さんは順子さんのことを好きなんじゃないのかって言うの。みんなよく見てるよねえ。でも私さ、松山君が真剣な顔してそんなことを言うから笑っちゃってさ、あんたこそ順子さんのことを好きなんじゃないのって松山君に聞いたら、俺はぜんぜん違いますよって言うのね。松山君、首にペンダントしてるでしょ。あの変な金色のペンダントよ。あれ、おまじないのペンダントなの。通信販売で買ったらしいけどね。たぶんいんちきの。松山君、ペンダントを私に見せて、俺にはこれがあるからきっといい女が現れるって言うの。真剣な顔してね。ちょっと頭がおかしいよ、松山君。まあ、それはいいんだけどね、で、どうなの、本当のところは。順子さんのこと、どう思ってるの」

「別にそんな、どうもこうもありませんよ」

 私は嘘をついた。恵美は私の顔を覗き込んだ。見透かされている自分が恥ずかしかった。

「まあ、ここだけの話だけど、順子さんはね、沢村さんと仲が良かったの。噂が立ったことがあるのね。まあ、たぶん順子さんのほうが一方的に沢村さんを好きだったんでしょうけどね、順子さんってさ、以前、大阪に住んでてさ、事情はよく知らないけれど富山に連れ戻されたらしいよ。たぶん不倫よ、不倫。真面目そうでしょ、あの子。でもあれで案外ね、お酒を飲むと男にだらしなくなるらしいって私聞いたよ。男好きなのよ、結構。だからそれが原因じゃないかな。酒に酔うと意識が飛んじゃうんだって。たまにいるでしょ、そういう女の人。まあ、よく知らないけどね。でも順子さんて、狙い目よ。順子さんのことは私に任せときなさいよ。悪いようにはしないからさ」

 恵美はメンソールの煙草に火をつけ、深呼吸をした。灰皿に置かれた煙草のフィルターに口紅がついていた。フィルターに前歯で噛んだ痕がついていた。  

 私は恵美のそういう他人に取り入るやり方が、あまり好きではなかった。しかし、恵美のこういった手練手管を好み、色香に翻弄され、うまく利用される者がいることは想像できた。 


 植え込みの向日葵がすべて満開になった。

 花弁に一匹の虻がたかっていた。虻は花弁の一枚一枚を、あたかも品定めでもするように着かず離れずに飛んでいたが、そのうちコンクリート塀の向こう側に飛び去ってしまった。

 八月の日差しと湿気が容赦なく体を責めた。汗が吹き出て開襟シャツの背中に滲んだ。

 アロワナには時々、順子に代わって餌を与えるようになっていた。順子の心を覗いた気分になれるということと、順子と共同作業をしている感覚が、私の秘めた喜びになった。

 ボールの中の黒蛙を私は素手で掴む。黒蛙はもがいて私の手から逃れようとする。それを適切な力で阻みながら、水槽の上まで運び、手を離す。自由を得た黒蛙は水面で足を広げ、動かずにいる。下から迫ったアロワナは口を開き、黒蛙を呑み込む。黒蛙の命はそこであっけなく終わる。黒蛙達は自由を奪われた家畜のようなものだった。

 ただ、それにしても疑問だったのは、どうしてこの行為が心理療法になるのかということだった。箱庭療法について調べてみたが、ここで行われているアロワナの飼育とはまったく別のもので、参考にはならなかった。結局、この行為が精神にいかなる好影響を与えるものなのか、私にはわからなかった。仕事中にこんな場所で公然と心理療法を行っているというのも不可解だった。しかし、いくら考えても心理療法の知識のない私に答えを出せるわけはなかった。私はそれについてあまり深く考えず、営業回りに没頭することにした。営業回りは差し当たり順調で、一週間もしないうちに数件の契約が取れた。もちろんそれは私の実力ということではなく、得意先の継続した発注だったのだが、得意先の人々が私を嫌悪する感じもなく、普通に接してくれたことに私は安堵した。偏頭痛と眩暈はときどき起こったが、それはきっと夏の熱気と、不慣れな仕事のせいだと自分に言い聞かせた。


 日々は目まぐるしく過ぎ、三日間の夏季休暇になった。

 八月十三日は自宅であるアパートの部屋に閉じこもった。冷房を効かせ、買い込んだビールやチューハイの缶を開け、ひたすらに飲んだ。酒がうまいと感じたのは久しぶりだった。コンビーフの缶詰を開け、ウスターソースをかけてつまみにした。その部屋は木造二階建てのアパートの一室で、温泉旅館に住み込んでいた頃の生活と比べると少しは快適だったが、隣室に住む若夫婦の睦言がかすかに漏れ聞こえるのがいささか厄介だった。その日の夜も睦言が聞こえたので、それをかき消すためにテレビの音量を上げた。テレビに映る東京の街を見ながら、いつの間にか私は眠ってしまった。

 八月十四日は昼過ぎに起きた。座卓に置いたままの皿やグラスを片づけ、買ったばかりの掃除機で床の埃や塵を吸い取った。シャワーを浴びてから、また缶ビールを開け、テレビを見ながら時間を潰した。仕事以外で全く知り合いのいない私は暇を持て余してしまった。日が暮れると、窓ガラスにへばりついたヤモリの白い腹が見えた。しばらくそれを観察していると、太鼓囃子の音が聞こえてきた。近くの寺で盆踊りが始まったのだった。私には盆踊りを見物する趣味はなかったが、退屈しのぎに少し散策してみる気持ちになり、ジャージ姿のまま部屋を出た。

 寺はアパートから歩いて五分程の、小高い丘の上にあった。樹木で覆われた丘には、本堂に続く長い石段があった。私は、雑多な人々が行きかう石段をゆっくりと登っていった。

 石段を半ばまで登ったとき、上から浴衣姿の女が降りてくるのが見えた。それが順子だと気づくのに、さほど時間は掛からなかった。団扇を手に持った順子は少しふらつきながら足元を確かめるように降りてきた。

 順子と目が合い、私は立ち止まった。簡単な挨拶を済ませ順子の顔を見ると、順子の頬がほんのりと赤く火照っているのがわかった。

「踊ってきたんですか」

と私は訊いた。

「いえ、見ていただけです」

「もう、帰るんですか」

「いえ、ちょっと休憩です。中学時代の友達と来たんですよ。町内会のテントで振る舞い酒があって、ほら、子供の頃からの知り合いばかりでしょう。みんな気兼ねないからしゃべりつかれちゃった」

「だいぶ飲んだんですか」

「いえ、少しですよ。私、そんなに強くないので。この向こう側にいいところがあるんですよ。よかったら一緒に来ませんか」

 そう言って順子は石段の下の小道を指差した。私は頷き、順子と一緒に石段を降りて小道を歩いた。しばらく歩いているうちに太鼓囃子の音は遠のき、水の流れる音が聞こえてきた。

「ここから暗くなりますから気をつけて下さい」

と順子は道の脇の緩やかな斜面を眺めて私を促した。斜面には更に細い道が通っていて、月明かりだけを頼りに私達はその道を歩いた。両脇には木々が生い茂り、しばらくすると小さな泉に辿りついた。

「ここです」

と順子が言った。

 丘の湧き水が泉に流れ込み、水面にわずかな波を作っていた。波を月明かりが照らし、その光の上を更に幾筋もの淡い光が明滅しながら漂っていた。それが蛍だと気づくのに少し時間が掛かった。実際に蛍を見たのは、そのときが初めてだったのだ。

「ここに蛍が出るのを、地元の人でもあまり知らないんです」

 漂う蛍の光を、目で追いながら順子が言った。

「こんなにたくさんいるんですね」

「でも、昔と比べると、だいぶ少なくなったんですよ。私ね、子供の頃、八月になるとよくここに一人で来たんです。私、八月六日が誕生日なんですね。わかりますか、広島に原爆が投下された日です。それに八月に誕生日が来るってどういうことだかわかりますか。八月の誕生日ってつまらないですよ。夏休みで、学校がないから友達は誰一人祝ってくれないし、それに八月六日は、朝からテレビに広島の原爆ドームが映っていて、みんな黙祷したりして、何だか憂鬱な気分になるんです。もう少し、楽しい日に生まれたらよかったのにって思ったんですよ。たとえば、クリスマスとか七夕とかね。それでも亡くなった母はいつも私を喜ばせようとして、手作りのケーキを焼いたり、プレゼントをくれたりするんですけど、やっぱり物足りないんです。それで気分を晴らすために、八月は一人でよくここに来ました。夜、こっそり家を抜け出してね。ここでいろんなことを考えるんです。そうすると時間を忘れるんです」

「何だかその気持ち、よくわかりますよ」と私は言った。「僕は三月が誕生日なんです。終業式が終わった三月の下旬です。学年が終わりでクラス替えするから、クラスメート達は僕の誕生日に無関心でね。でもそれほど僕はさびしいとは思わなかったな。それに学年が終わると一つ年を取るっていうのはわかりやすい区分で、合理的な感じがして僕にとっては都合がよかった」

「合理的な感じで都合がよかったって、面白い言い方ですね」

「そうですか。大体僕はいつも気の利いたことを言おうとして、うまく決まらなくて失敗するんです」

「失敗していませんよ」

「そうですか」

「そうです」

 順子の横顔を眺めた。

 月明かりに照らされた順子の頬が笑みを蓄え、弾けるように口元に白く美しい歯並が現れた。私は俯き、黙って泉の風景を眺めた。黙ったまま時間が過ぎていくのが心地よかった。

「沢村さん、どうしてるんでしょうか」

と順子が聞いた。

「倉田さんの話だともうすぐ退院できるらしいんですけど、詳しいことはわかりません。でも、もう工場には戻ってこないらしいですね」

「沢村さんが怪我をした日も言いましたけれど、どうしても私は気になるんです。どうしてこんな事故が起こったんだろうって。松山さんが言うように、ここ何年か印刷物は少量部数の注文が多くなって、ときどき、安全装置を勝手に解除する人がいたんです。でもその度に問題になったので、今では安易に解除する人なんていないと思います。何事にも慎重な沢村さんが安全装置を解除していたっていうのは、自然じゃないような気がするんです」

「どうしてだと思いますか」

「別の理由があるんじゃないでしょうか」

「別の理由って何ですか」

「沢村さんは工場を辞めたかったんじゃないでしょうか。でも、私にはわかりません」

「お見舞いには行きましたか」

「いえ、何だか気兼ねして」

「じゃあ、僕が行きますよ。事故のことだけじゃなくて、沢村さんに対して好奇心があるんです。病院に見舞いに行って、沢村さんに直接聞いてみます。僕も不思議なんですよ。真相を解明したくなりました。それに少しおかしなことを聞いても、あの人なら大丈夫な気がします」

「そうですね」

と順子は言った。

 それから私は順子にアロワナについて詳しく聞いてみることにした。順子は、大阪から富山に戻ってきてからすぐにアロワナの飼育を始めたこと、それを薦めたのは沢村だったこと、最初、十センチ程度だったアロワナは急速に成長し、工員達や恵美に嫌がられたことなどを私に話した。

「沢村さんは相談相手になってくれたんです。あの人は、大切な友達です」

と順子は小声で言った。

 泉を後にして再び小道を歩いた。石段の前で私は順子と別れ、私はアパートに戻ることにした。盆踊り会場には順子の友人達がいる。順子の友人達と会うのは煩わしかった。だからと言って素知らぬ振りで順子と離れ、盆踊りを見るのも不自然な気がした。順子は怪訝な顔をしたが、特に引き止めはしなかった。

 アパートに帰る道すがら、私は沢村のことや、泉で見た蛍について考えた。憧れたものや好奇心を刺激されたものの多くを、私は本や映像でしか見ることができなかった。蛍はその中の一つだった。その他にも、例えば天の川、星の砂の海岸、海亀の産卵、オホーツク海の流氷、イリオモテヤマネコ、たぶんその気になれば実物を見ることなどできたはずの様々な物を、私はいつの間にか心の片隅に追いやってしまった。大人になって、子供じみた好奇心を失うことを賢明だとか無難だとかいう言葉で飾り立てるようになった。しかし、好奇心があるからこそ、この世界は輝く。好奇心があるならパンドラの箱は開けた方がいい。災難は起きたとしても、最後に希望は残るものだ。


 八月十五日、沢村の入院する総合病院に向かった。鉄道で富山駅まで行き、洋菓子の詰め合わせを買ってから市電に乗った。市電の横を右翼の街宣車が大音量で軍歌を流しながら通っていった。

 私は沢村にあらかじめ電話で連絡をしなかった。連絡をすると見舞いに行く気持ちが萎えるような気がしたのだ。沢村が当惑するのは予想がついた。まして、怪我をしている沢村に対して好奇の目を向けるのは悪趣味だ。しかし、沢村は私に好奇の目を向け、私の性格を分析していた。ならばこちらにも大義名分はある。今度は自分が沢村を分析する番だ。

 沢村の病室は六人部屋だった。窓際のベッドに横たわった沢村は、私を見ると驚いた顔をし、それから大げさに笑ってみせた。私は洋菓子の詰め合わせを窓際のカウンターテーブルに置いた。パジャマ姿の沢村は無精髭を剃り、頭を丸刈りにしていた。私は沢村に促されて、折りたたみ椅子に腰を下ろした。

 沢村の右手はギブスで固められていた。左手で体を起こしてベッドに胡坐を掻き、私の顔を見た。

「退屈な生活だから人が来るのは嬉しいものだよ。ただ、君が見舞いっていうのは、何だかおかしいじゃないか」

と沢村は、相変わらず人をからかうような言い方をした。

「わかっています」

 私は淡々と答えた。

「でも、君らしいじゃないか、突然現れたりしてね。大方、誰かに依頼されたか、何かを聞きだしに来たんだろう」

「まあ、そんなところです。ただ、沢村さんとゆっくり話をしてみたいというのも本心です」

「こないだ倉田さんが来てくれてね、仕事のこととか、これからの身の振り方やらを話したよ。俺は工場を辞めて、ここを退院したら長野に引っ越す。工場の仕事はもう無理だ。長野で親戚が寺の住職をやっていてね、しばらくはその親戚の寺で厄介になろうと思っている。いわゆる寺男ってやつになるわけだな。とりあえすそうやって暮らす。情けないが、これも仕方がない」

「いい話なのかもしれませんし、それで暮らしていけるなら問題ないじゃないですか。まあ、それは沢村さんの自由です」

「そう、自由。自由っていうのはいいことだよ。俺は今回の事故によって本当の自由を手に入れるのかもしれないな。憧れや願望というのはね、往々にして自分にとって最も嫌な状況で訪れる。それにしても人生というのはままならないものだね。そうは思わないかい」

「同感です」

 私はそう言って沢村から視線を逸らし、窓の外の風景を眺めた。銀杏の木があり、緑の葉が風に揺れていた。

「俺が以前、大学にいたことは知っているね」

と沢村が訊ねた。私は黙って頷いた。

「俺は研究室で、山椒魚の幼形成熟固体を調べていた。山椒魚の再生能力は医療に応用できるからね。しかし、それ以上に俺が目指していたのは、人間の進化の過程について新説を立てることだった。それは想像以上に地味な研究だったよ。荒唐無稽だと批判もされた。しかし、やりがいがあった。だから、俺は研究に没頭した。人間の進化の過程において幼形成熟という現象が影響を及ぼしているという仮説を証明するのは難しい。なにしろ、それが証明されると既存の進化論を覆すことになるかもしれないんだからね。しかし、苦労するだけの意義はある」

「結論は出たんですか」

「いや、出ない。結論に至る前に大学を辞めたんだ」

「原因は何だったんですか」

「ある研究成果を教授に横取りされた。俺はそれに腹を立てた。教授と反目し、研究室に居場所がなくなった。でも俺は大学を去ることをきっかけにして、自分が研究した課題を自分の人生そのものにに生かしてみようという考えに至った。成熟しない生き方をする。精神的に子供のままでいるわけだ。俺は通常の人間の生き方をわざと避けた。そしてそれが俺の哲学になった。普通の人間は向上心を持ち、あたかも坂道を登るような生き方をするだろう。成長とか発展という言葉を胸に抱き、たとえば哺乳類が進化の過程で海から陸に這い上がったように、人間は地位や名声を得るとか金儲けをして大富豪になるとか、言わば虚栄心を満たすために生きる。つまり下から上に行くんだよ。ほとんどの人の考え方はそれだ。俺も昔はそうだったし、それについて下らないとは言わない。人類の発展は、まさしく向上心の賜物だからね。しかし、逆立ちして世の中を見てみろよ。登ることは降りることと同じに見えやしないか。いずれにしてもこの自然界全体と比較すれば、個人の地位の向上や堕落など、芥子粒程の意味もない。そう思えたとき、俺は却って堕落してみたくなった。上から下に動く。高い場所から墜落してみる。自ら堕落してみる。堕ちて堕ちて堕ちて、その先にある何かを見たくなった。だから堕ちた。俺は他人と全く違う方法で、さかさまの人生を歩んでみたかった。さかさまの視点から世の中を俯瞰してみたくなった。そこに真実があるような気がした。俺が工場に勤めたのは、この社会や人間の本質を見極めるためだったんだ。君には俺と似たような性質があるように見えた。だから俺は君に幼形成熟について話したんだ」

 沢村は饒舌になっていた。私は、沢村の怪我の真相について尋ねるきっかけを探っていた。すると沢村は私の表情を探るような視線を向けてこう言った。

「でも君はこんな話を聞きに来たわけじゃないんだろう。一体、何を探ろうとしているんだ。言ってみろよ」

 その言葉で私はきっかけを得た。思い切って沢村に私の推測を話すことができた。

「つまり、僕は本当のことを知りたいんです」 

「本当のことって何だ」

「その怪我のことですよ。僕も沢村さんと似たようなところのある人間なので、妙なことを思いつくんです。僕はこんなことを考えました。沢村さんは自分から好んでその怪我をしたんじゃないのかってね。もちろんそんなことを言うのは失礼なことだとわかっています。でも今のお話を聞いて、僕はその考えに自信を持ちました。つまり堕落ですよ。沢村さんは更に堕落しようとして、自ら事故を引き起こしたんですね」

「違う。これはただの過失だよ。仕事が溜まっていたからね、疲れていたんだ」

「それだけでは安全装置を解除していたことの説明がつきませんね」

「安全装置を外していたのはあの日に限ったことじゃない。自分の技量を過信したんだ」

「そうは思えませんね。それに、もしそうだとしても、あまりにも不注意すぎる」

 私は少し声高になっていた。沢村は私から目を逸らし、黙ってしまった。

 窓の向こうに、数羽の黄色い山鳩が戯れていた。気まずい雰囲気になり、折りたたみ椅子に座ったまま私はしばらく山鳩の動きに目を移していた。

「実際、覚えていないんだ」と沢村が再び口を開いた。「気がついたらああなっていた。でも、そういうことは往々にしてあることなんじゃないのかな。人間は常に意識して行動するものだろうか。もちろんそうじゃないだろう。もう、忘れたんだ。思い出せない」

「狂ってますよ」

 と私は言った。

「そう思うのは君の勝手だ」

 沢村はベッドに横たわり、溜息をついた。

 話はそれで終わった。これ以上、沢村と話を続けるのは難しかった。私は諦め、沢村に非礼を詫びて病室を出た。廊下を歩きながら思考を巡らせた。考えてみると、事故のことを沢村に問い詰めても仕方のないことだった。私は好奇心の赴くままに、自分を抑制することを忘れていた。精神の軌道を逸しているのは自分なのかもしれない。そう感じたとき、心臓の鼓動が高鳴った。私は病院を後にし、帰路についた。

 列車の窓に市街地の風景が流れていた。黒瓦を葺いた屋根の家々が続き、それが終わると田園地帯が現れた。ガラスに映った自分の顔が風景に重なっていた。自分が自分だと思っているのは、所詮この正反対の顔の自分なのだ。私は毎朝、この正反対の自分の顔を鏡で見て、歯を磨き顔を洗い、とりあえず人前に出ても恥ずかしくない体裁を作る。しかし、私は生まれてから一度も自分をじかに見たことはない。鏡に反射した姿を自分だと思い、目で見た世界を、正真正銘の世界だと信じ、歩いているだけなのだ。写真や映像で見た自分も実像ではない。実像などどこにもないのだ。この世はすべて虚像、蜃気楼。もしかすると逆立ちをした人間の方が、ずっとこの世界を正確に把握しているのかもしれない。沢村の言葉が頭の中を駆け巡った。私は目を閉じて時間の経つのを待った。


 夏季休暇は終わり、私は再び仕事に追われることになった。溜まった作業をこなし、ライトバンを運転して印刷物の束を配達し、できるかぎり多くの契約を取るように努めた。孤独な仕事だったが、その方が自分に向いていると思った。元々、人と人との関わりを楽しめないのだ。仕方がない。

 ある日、私は工場の正門の脇に立ち、農業用水の辺に群生する背高泡立ち草を眺めていた。私はこの北米産の外来植物がいつも気になる。子供の頃、小児喘息を患った私は父親から背高泡立ち草の花粉が喘息の原因だと教えられていた。それで私はこの植物を嫌ったのだ。背高泡立ち草の黄色い花を見ると、私は口と鼻を手で覆った。大人になってから、父親が私に教えたことは間違いだということがわかった後でも、私はこの花が好きにはなれなかった。しかし、人は嫌悪感があると却ってその対象を意識するようになることがある。私は背高泡立ち草を見つけると、注意深く観察した。そのときも例外ではなかった。

 気になったのは、私の子供の頃に見た背高泡立ち草と比べて農業用水の辺のそれは、いくらか背丈が低いということだった。私は何かの本で、このような近年の背高泡立ち草の変化について読んだことがあった。この雑草は、周囲の植物の成長を抑制させる化学物質を放出する。周囲の植物を押さえ込んで自らの繁殖を促してきたわけだ。しかし、その科学物質はある一定の基準値を超えると背高泡立ち草の成長を阻害してしまう。それによって背高泡立ち草は自ら繁殖を押さえ込み、その一方で在来種の薄などが再び繁殖し始める。背高泡立ち草の背が低くなったのは自らの毒による自傷作用だ。自らの力によって自らを抑制してしまったわけだ。人間にもこういった類の者がいる。能力や影響力があるからこそ、周囲に存在感を発揮するが、結果的にその存在感が仇になり、苦渋の人生を歩む者。皮肉な結果というのは世の常で、それが人間の恨みつらみに繋がり悲劇または喜劇を生み出す。それは人と人との間のことに限らず、国と国との間でも同じことが起こりえる。農業用水の水のせせらぎを聞きながら、私は背高泡立ち草と人間の共通した愚かさ、悲しさについて考えていた。

「すいません」

 と背後から声が掛かった。振り返ると、野球帽を被り半ズボンを穿いた男の子がいた。男の子は小学校の低学年ぐらいに見えた。不安げな表情をしたまま細い目で私を見上げていた。

 男の子から少し離れた所に、痩せぎすの中年男が見えた。私が会釈すると痩せぎすの男は、ばつの悪そうな顔をして軽く頭を下げた。

「どうしたの」

 私は男の子に尋ねた。

「おっちゃん、ここに三枝っていう女の人いるがけ」

「いるけど、どうして」

「ならいいが。おっちゃん、その人、よく知っとんがけ」

「よく知っているってほどじゃないけど、まあ、普通かな」

「あ、そう」

「ここで何してるの」

「あの人と二人で、鯰を見とったが。橋の下にいっぱいおって、髭が見えとんがよ」

 痩せぎすの男は、農業用水を覗き込んでいたが、さりげなくこちらの様子を窺っているようにも見えた。

「あの人は君のお父さんかい」

「違う。知ってる人」

「そうか」

「うん、おっちゃん、ありがと。助かるわ」

 男の子はそう言って私から遠ざかると、痩せぎすの男に何かを告げた。私は正門から工場の敷地に入ったが、二人のことが気に係り、正門越しに二人を見た。痩せぎすの男がしゃがみ、頷きながら男の子の話に耳を傾けていた。

 すると、いきなり「あかんやろ」と低い声を掛けられた。声のする方向を見ると、そこには松山がいた。

「あれは恵美さんのストーカーやちゃあ」

 松山がそう言った。

「ストーカーですか」

「そう、最近、この辺をうろうろしていて、恵美さんのことを嗅ぎ回っとる奴や」

「でも、子供連れでストーカーっていうのは変ですよ。もしかして、恵美さんの家族の方じゃないんですか」

「知らん。でも、あまりここの人のことをわけもわからんもんに話すのはよくない。ここにはいろんな素性のもんがおるもんに。口が軽いのはだらや。お前はだらや」

 軽率だったと、そのときやっと気がついた。

 熱海の旅館で働いていたときも、従業員に電話が掛かってくることがあり、そういった場合は、本人に簡単には取り次がないという暗黙の了解があった。もちろん旅館にもよるのだろうが、雑多な人間達が身を寄せる職場には複雑な事情を抱えた者もいて、安易に電話を取り次いだだけで、そういった者の生活を破綻させる危惧があった。自分の身を隠す必要のある者は案外多い。私だって知人との縁を断ち切った流浪の身の上なのだ。普通ではない。私はそういったことを忘れていたのだ。

 松山の、首に掛かった金色のペンダントが日差しを反射して眩しかった。眉間に皺を寄せた松山は顔を近づけてきて、私の胸倉を掴んだ。

「おい、調子に乗るなよ。いつか言ってやろう思っとったが、お前、大学出とるやろ。大学出が何しとんがよ。もっといい会社に入ったらいいがじゃないけ。俺は中卒や。高校中退じゃ。お前を見とるとむかつくがよ。人を見下しやがって。目障りじゃあ、胸糞悪いじゃあ。こういうところはなあ、だらなもんが、だらあだらあ言われて怒鳴られて叩かれて一人前になるがいぜよ。お前は適当に涼しい部屋におって、工場のことなんて、なあんもわからんがやろ。客の所に行っていい加減なことを言っとんがやろ」

 何も言い返せなかった。「すいません」という一言だけが口からこぼれ出た。松山の右手に掴まれた開襟シャツが捩れたままだった。松山の言うことは正しかった。私は何者にもなれず、彷徨っているだけの屑だった。それを柔軟性と言えば聞こえがいい。しかし、その実体は便器の蓋にもなれない男なのだった。だからこそ、他人の気持ちがわからない。だからこそ、自分の能力によってやり遂せることしか手を出さず、易々とできることだけをやり、そこに安住の地を見つけると調子に乗り始めるのだった。

 松山は開襟シャツから手を離し、私を突き飛ばすと地面に唾を吐いた。それから足早に私から離れていった。日差しに熱せられた地面にへばりついた松山の唾の塊に、赤蟻がせわしなく群がった。

 翌日、痩せぎすの男と男の子をコンビニで見かけた。二人は私に気がついたようだったが声を掛けてはこなかった。男の子と目が合ったが、私は知らぬ振りをした。男の子の目元が、恵美に似ているような気がした。

 

 数日後、恵美が姿をくらました。恵美の机の上の書類はそのままにしてあり、特に変わったところは見受けられなかったが、鉛筆立ての隣に置かれていたパンダのぬいぐるみがなくなっていた。携帯電話は通じず、痺れを切らせた榎田は、とうとう警察に電話を掛けた。何らかの犯罪に巻き込まれたのではないかと考えたのだ。警察に連絡するのはいささか早急ではないかと私は思ったが、万が一のこともあり得るとも考え、止めなかった。榎田は順子の前で動揺を隠さず、順子はその様子に呆れたように溜息をついた。

 順子が金庫を確認し、現金が十万円程度足りないことがわかった。順子はそれを榎田に報告し、恵美が金を持ち出したのではないかと言ったが、榎田は取り合わなかった。榎田にとって恵美は常に何事に対しても被害者で、哀れな、庇護する必要のある女なのだった。恵美がそんなことをするわけはない。他人に猜疑心を抱くのはよくない癖だと、榎田は順子をなじった。

 私は恵美とあの二人連れとの関係を疑った。あの二人と恵美に何らかの接触があり、それをきっかけに恵美は消えたのではなかろうか。痩せぎすの男が恵美に危害を加えたのかもしれない。あの痩せぎすの男と子供は、恵美にとって、一体どんな存在なのだろうか。あの二人連れが親子ではないというのにも違和感があった。

 私服の警察官が工場に来て、恵美の素性を暴露した。警察では恵美の行動を監視していたのだった。警察官によると、恵美は結婚詐欺の常習犯だった。榎田はそれを信じなかった。恵美はそんなことを仕出かす女じゃない、それは何かの間違いだ、恵美の身に何か起こったら大変だと首を振った。

 警察官は顔に深い皺が刻み込まれた男だった。警察官は応接セットのソファーで項垂れる榎田の頭を眺めながら話を続けた。

「大体がこういう犯罪に引っかかる人は自分が騙されとることに気がつかんがです。みんな同じです。女に同情して金を貢いで、金を使い果たして、それでも女が自分に惚れとると錯覚しとんがですよ。客観性を持たなくちゃいかんがです。自分は男を軽蔑しとるがに、男は自分に夢中になるから罪を重ねるがですよ。やめられんがです。馬鹿にすればするほど相手が貢ぐわけです。騙す側にとっては堪えられんぐらいの快感なんですよ。世の中には、反則が癖になった人間がおるんです。そこに規則があるから破りたくなる。騙せる相手がいるから騙す。盗めるから盗む。自分が得をすればそれでいいんです。罪悪感など微塵もないがです。普通の人間の理解の外で生きとんがですよ」

 榎田は黙ったままでいた。警察官は榎田が被害に合っているものだと決めつけていた。そのために話がうまくかみ合わないのだった。榎田は恵美を心配しているだけだった。榎田は深く溜息をつき、それから警察官と事務室を出た。いらついたような顔をした順子が私の隣にいて、「情けない」と呟いた。順子は麦茶の入った水差しを冷蔵庫から取り出してグラスに注ぐと一口飲み、それから椅子に腰を下ろした。結局、恵美の捜索願いを出すことはなく、人々を震撼させるような事件も起こらず、夏は終わった。


 植え込みの向日葵が萎れて、花弁が茶色に変わった。

 九月になっても日差しは強く、体に堪えた。疲れを溜め込むことで、また偏頭痛と眩暈の起こるのが怖かった。

 恵美からの連絡はなく、あれから痩せぎすの男と子供の姿を見ることもなかった。榎田は意気消沈し、口数が少なくなった。順子は恵美のやり残した仕事を抱え、せわしなくパソコンのキーボードを叩いた。工場は何事もなかったかのように稼動し続け、工員達は黙々と作業した。

 沢村は退院し、長野に移り住んだ。私と倉田は沢村に頼まれて引越しを手伝った。沢村の右手には包帯が巻かれており、荷物を運ぶことなど無理だったのだ。治療も終わっていないのに、何も慌てて住まいを引き払うこともないと言う倉田に、沢村は何度も頭を下げた。部屋から沢村の家財道具を引越し屋のトラックに積み込み、私と倉田は沢村を駅まで送った。

「あんた、これから坊さんにでもなるのか」

 駅のホームで倉田が沢村にそう聞いた。沢村は丸刈りの頭を手で撫でて、

「それもいいですね。でも、そんなものに自分がなれるかどうか。何をやっても中途半端ですからね。ただ、弱虫には弱虫の道があります。うまくできているもんですよ、世の中って奴は」

と言い、笑った。

 列車に乗った沢村を見送った。

「怪我をしても何の補償もない、工員は弱者や」

 遠ざかる列車を見ながら、倉田はそう愚痴った。

 アロワナには何度も黒蛙を与えた。しかし、やはりこれが心理療法になるとは思えなかった。黒蛙を殺すことには無感覚になり、アロワナの目を見ても、それがあのエコー写真の胎児に見えてくることもなくなった。慣れたのだ。いろんなことに違和感を覚えなくなった。日々は人を変えてくれる。変化するからこそ、日常の煩わしさをうまくやり過ごしていける。

 その年はオーストラリアのシドニーでオリンピックが開催された。私と順子は、連日繰り広げられる競技で活躍する日本選手について語り合った。順子が特に喜んだのは、女子の柔道で日本選手が金メダルを獲得したことで、順子がスポーツについて快活に話すのが私にとっては興味深く、楽しかった。仕事は山積していたものの、こうして日々は穏やかに過ぎ、このままこんな時間が続けばいいと暢気に考えていた頃、アロワナが死んだ。

 アロワナは畳の上で硬直していた。

 アロワナには水面から飛び上がる習性がある。その習性によって、アロワナが自ら死を招くことがある。それを案じて順子は水槽の蓋を必ず閉めていた。しかし、水槽の蓋は、サイドボードに立てかけてあった。蓋はそれなりの重量があり、アロワナの飛び上がった勢いで蓋が外れたとは思えなかった。誰かが嫌がらせのためにアロワナを水槽から出したのかもしれないと私は疑った。そして、アロワナが水槽から飛び出すのを想定し、誰かが蓋を外したということも考えてみた。しかし、それはアロワナの特殊な習性を知る者にしかできないことだった。

 小屋の出入り口に松山のペンダントが落ちていた。私はそれを不審に思った。松山が何かを知っているのではないかと勘ぐり、私はそれとなく松山に聞いてみた。私からペンダントを受け取った松山は、「知らん」と言ってそっぽを向いた。そのまま松山は私に背を向け、去っていった。それ以上詮索するのは、お互いの確執を深めるだけのようで、私は諦めた。

 順子はポリバケツにアロワナを入れて事務室に運んだ。硬直したアロワナがポリバケツの中で斜めに突き立っていた。銀色の鱗が所々剥がれていた。順子がアロワナを農業用水に流すと言うので、私達は仕事を早々に切り上げた。私は事務室に鍵をかけてアロワナの入ったポリバケツを持ち、順子と正門を出た。ポリバケツを持ったまま群生する薄を足で掻き分けながら、私は農業用水の縁まで降り、アロワナを水の中に投じた。順子は何も言わず両手を合わせ、アロワナが流れていく様を目で追った。アロワナの銀色の体は遠ざかり、やがて見えなくなった。

 それから私と順子は農業用水に掛かる小橋を渡り、丘に続く道を歩いた。丘には公園があり欅の大木が立っていて、その近くに古ぼけたベンチがあった。ベンチに座り工場を眺めると、作業棟のガラス窓が西日を反射していた。

「いろんなことが起きますね」

と順子が言った。

「またアロワナを飼えばいいじゃないですか」

「もういいんです、心理療法なんて。アロワナなんてもう飼いません、私には生き物を育てるなんて大体が無理なんです。母性に欠けるんですよ。きっと女らしくないんですね。だから人とうまくいかないんです。恋愛もうまくいかないんです。それで、自分の性格を変えれば少しはうまくいくと思って、今までもいろんなことをしたんです。私だって普通に恋愛をして結婚をして子供を産んで、幸せになれると思ったんです。心さえ変われば自分の運命は変えられるって。でもね、最近は面倒になっていたんです。私はきっと変われない。幸せを掴む女でもない。このままで一人で何の変哲もない人生を送るんだと思うんです。他人はきっとそれをつまらないと思うでしょうし、私だって自分の人生を決して意味のあるものだと思いません。でも、それでいいんです。だって、意味のある人生なんてあるんでしょうか。性格がいいってどういうことなんでしょうか」

 順子は立ち上がり欅の下まで歩き、私を振り返った。風が順子の長い髪を煽り、順子の口元に微細な笑みが浮かんだ。私は順子に歩み寄り、思い切って手を握った。順子はそれに抗わなかった。

「違いますよ。変われない人間なんていないし、少しずつでも改善すればそれでいいんですよ。自分の未来は自分で作る。無意味な人生なんて一つもない」

 私は順子の目を見つめた。私に手を握られたままの順子は俯いた。それから溜息をつき、急に私の手を解いた。

「そう、あなたは変わるでしょう」

順子はそう言い、小走りで丘を降りていった。白いワンピースが遠ざかっていく。「日傘の女」は私を拒絶し、逃げていった。順子の湾曲した両足を後ろから見ながら、私は一人、取り残されてしまった。もう一度ベンチに腰掛け、空を見上げた。

 空が青かった。抜けるように青かった。それを見ているうちにこめかみに鈍い痛みが走り、激しい眩暈に襲われ視界の中で風景が時計回りに回転し始めた。メニエール病に罹ったのかもしれない。そう思ったとき、足が地面にめり込むような感覚があった。地面がまるで寒天のような弾力を帯び、体が宙にに浮き上がったような気がした。意識が薄れていく中で、順子のことを考えた。もう少しうまく順子に接することができたのではないのか。やはり自分は失敗している。何かを間違えているのだ。しかし、それにしても事務員が白いワンピースを着て仕事をしているなんて、どうかしている。まして顔料インクで汚れた印刷工場の中だ。白いワンピースはありえない。自分は夢でも見ているのだろうか。この風景の回転も、本当は夢の中の出来事なのではないか。しかし、とりあえずこの眩暈が治まるまで、私はこのベンチに座っているしかない。まあ、なるようになる。難しいことは、また明日にでも考えればいいのだ。私は目を閉じ、そのまま眠ってしまった。





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