1.弟の大きな背中
場違いだ、と。エルザは思う。
平民にも開かれた学園と言えども、入学できるのはほんの一握り。よほど裕福な商人か、都に行けるほどではない下級貴族たち。
本来なら、エルザも、双子の妹二人も、通えるような場所ではない。
それが可能になったのは、ひとえに。
「姉さん、よく似合ってるよ」
ネクタイという装飾を難なく結んで笑いかけてくる、たった一人の弟。なんでも知っていて、何でもできる、不思議な弟。
とても、自分と血がつながっているとは思えないような青年だ。
「でも私……こんなきれいな服、着たことなくて」
「制服っていうんだ。学校に通っている証明として、着なきゃいけない。嫌でもね」
「いやっ、な、わけじゃなくて……その」
もちろん、弟にはわかっているのだろう。昔から、何でもお見通しなのだ。
東洋の偉大な軍人の名前をつけられた、たった一人の弟は爽やかに笑う。
「制服なんて汚してなんぼだから」
「お兄ちゃん!私達はどお?」
部屋に入るなり駆け寄ってきた双子の、アリスとアリア。二人のタックルじみた突進を受け止めて、くしゃくしゃと頭を撫でる。
「うん、ふたりとも、よく似合ってるじゃないか」
「アリス?アリア?どっちのほうがかわいい?」
「どっち?ねえどっち?」
「うーん、それはちょっと、なんとも言えないなあ」
トーゴー、というのが弟の名前だ。家に生まれた唯一の男子に、家族を顧みない父親が珍しく、勝手に決めて興奮気味に可愛いがっていた弟。
二年ほど前は、大人に混ざって水仕事の手伝いに出て、あかぎれだらけの手を擦りながら、隙間風が入ってくる家で眠っていた。
それをすべて変えたのは、弟だった。
ある夜、父親の服を着て家を出たトーゴーは、そのままへそくりとして貯めていた有り金全部をチップに変えて、博打にでた。
カジノで、後々も伝説になるような大勝ちを続けたトーゴーは、不正を睨んだ支配人を逆に言いくるめて自分を売り込み、出納係に収まった。給料はほとんど家に入れて、休日はライバルとなる下級貴族が営む賭博場に出かけて、彼らが破産しかけるほどに儲けて帰ってくる。
しかも、敵を作らないように、儲けの一部をカジノに預けて帰るというスタンスを一貫し、一部の博打打ちは未だに弟に対して頭が上がらないという。
そうこうしているうちに領主の目に留まり、それからはトントン拍子に出世。本来なら、学園に通う必要もないとお墨付きを得ているほどなのだ。
「トーゴー……私達に、無理に付き合わなくても……」
「エルザ姉さん。むしろ僕は、日頃家族と接する時間がないからさ。こう見えて、一緒の学校に通えるの、楽しみにしてるんだよ?」
ぽん、と肩に手を置かれる。弟に触れられるだけで、とくん、と鼓動が早くなる気がする。
「折角通えるんだから、いっぱい甘えさせてよね、姉さん」
「う、うん!頑張る!」
「姉さんは真面目だなぁ」
母さん、行ってくるよ。優しく弟が声を掛ける。少し体が弱い母は、静かに頷く。弟がもたらしたお金が、母の運命をも変えた。
エルザにとって自慢の弟ーーというよりは、眩しい異性、本物の父親よりも父親らしく思える。火照った顔を見られたくなくて、エルザは少しだけ俯いた。