ふたつのアリス①
長机の上に敷かれた皺一つない真白なテーブルクロスと、そこへ乗せられた幾つもの高級食器。燭台の淡い灯りが飾り立てられた料理を照らす。
「僕の好みは熟知しているものとお見受けしますが、この肉……」
食事を囲む三人の内の一人、刈谷蓮がフォークで刺した肉片を口へ運ぶ直前訝しげに訊いた。
「安心したまえ。君の偏食きらいを知った上で素材調達、調理させている」
此度の食事会を提案した張本人、神長倉宗男が答えた。
「これがその略歴だ」
執事から渡されたレジュメに目を通して刈谷はようやく安堵する。
「身元不明じゃ、素材本来が持つ風味を純粋に味わえない。素材の生まれ故郷。どんな親に育てられたのか。どんな恋愛をしてきたのか。そしてどんな最期を迎えたのか……僕が重要視するのはその点です。やはり神長倉さんの用意する料理は最高だ」
「こちらとしては足が着かない身元不明の方が安全だったのでは?」
味覚のみ追求する刈谷へ意を唱えた彼女だけは、一切の料理に口を付けようとしなかった。
「そもそもなぜ僕らだけが周りの目を気にしなくちゃならないんです? 人間に至っても牛や豚、鳥に鯨、イルカの肉だって食べます。違いはそうない」
「あの子を取り戻すまでは痕跡が残るような行動は慎んだ方が良い。そう思っただけ」
「そこまでだ。私がわざわざ君達を呼び立てた理由は分かるな」
場を仕切る神長倉の一声に、二人は一旦口をつぐんだ。
「我々の共通目標は『我が主』の奪還だ。覚醒の日は近い。しかし我が主の奪還以前にまずは敵を知らねばなるまい。無論ここで言う敵とは魔術師のことだが」
「魔力は僕らの根幹を成し、繋ぐもの。時に味方し、場合により毒となる」
「現在、魔術連合を構成している魔道法政会、その監督下にある管理局、そして魔術学校において唯一、日本には魔道法政会の拠点が存在しない。詰まるところ目標は管理局か、第三魔術学校に絞られる」
「対吸血性体専門の急襲部隊を有する管理局はともかく。魔道の探究者であるいち魔術師は単なる出しゃばりな気もしますがね」
「だが可能性は捨てきれん。魔道に通ずる者としては同じことだ」
「貴女は第三魔術学校の生徒でしょう? 何か手掛かりは掴んでいないのですか?」
刈谷は眉をひそめながら彼女を問い詰めた。
「私だって一生徒。下手に嗅ぎ回ればこちら側であると悟られる」
「リスクに怯えて行動を自重しているのなら、それは弱腰になっていると言わざるを得ないですね」
「そこまでにしておけ。それに手掛かりを得る方法なら幾らでも用意が……」
話の腰を折るように電子メールが一通、手元のスマートフォンへ届いた。
「何かトラブルですか?」
彼女が伺うも、何事もなかったかのように振る舞う神長倉。
「なに、些末な問題だ。研究室から被験体が二体ほど逃げ出してしまったらしい」
「さすがに自力では不可能でしょう。貴方のことだ、わざと逃したのでは?」
神長倉の持つ底知れない権力と財力、主に対して常々抱いている生態解明への探究心。そんな本質を日頃から見抜いていた刈谷は、そこにある計略の一端を想像した。
「単にプロセスが異なるだけであって、もたらされる結果は同じことだ。魔術師を穴蔵から引き摺り出すのには丁度いい」
普段通りの語調で返すと神長倉は、皿に盛られた臓物をワインで流し込んだ。