第283話 鈴村家のお話 4
大晦日から三が日、鈴村家に香織が帰省していた。
その帰省を心待ちにしていた香織の母幸子は、それこそ山のように積み上がったお見合い写真を手に、満面の笑みで待ち構えていた。
「うわ、勘弁してよ」
香織は、積み上がった釣り書きを見て思わず後ずさる。その後、幸子とのやり取りは親戚をも交えて中々に熾烈を極めた。しかし、今年の香織は例年の年末年始とは違い、強気の発言で他を圧倒する。
「ミナミベレディーが凄く強いの! こんな有力馬に騎乗させてもらって引退何て考えられない!」
「何言ってるの! 年齢を考えなさい! もうじき30歳になるわよ!」
「大丈夫、何とかなる!」
「何とかなるならこんなに心配しないわ! あなた放っておくとずっと結婚しないわ!」
香織は自分の事を知り抜いている母の追及を苦戦しながらも何とか躱し、言質を取られる事無くアパートへと帰って行った。そんな香織の後姿を見送った幸子は、リビングで寛ぐ夫の正敏に向かって文句を言う。
「もう、今年こそ何とかお見合いをさせようと思ったのに。あなたも少しは応援してください!」
腰に手を当てて自分を見下ろす妻に、正敏は思わず苦笑いを浮かべる。
「去年GⅠを2つも勝ったんだ。今年もその馬の主戦騎手らしいからな。そうそう簡単に引退するなんて言えないさ。その馬が引退するまで1、2年は引退出来ないんじゃないか?」
「そんなこと言ってたら一生結婚できないわよ! とっくに適齢期は過ぎているんですから!」
プンプンと怒りを顕わにする幸子に正敏は思わず肩をすくめる。しかし、幸子の怒りが治まらないのは年末年始に親戚一同が集まった事にも起因した。
この年末年始に於いて香織の結婚などよりも興味をそそられる話題があったのは幸いであった。香織の騎手としての昨年の収入は、GⅠを勝利したという事もあり気にするものが続出した。尋ねたのは何も兄の幸一だけではない、集まった親戚一同が興味津々であった。
何せ家族を含め親戚一同其処まで競馬に興味のある者は一人もいない。集まった親戚の中には、香織が重賞、それもGⅠを勝った事をまったく知らなかった者もいたし、そもそもGⅠという物を理解すらしていない者も多かった。
「競馬なあ。まあ、程々にするんだぞ。女の子だからな」
「そうよねぇ。そんな事より香織ちゃんに良いお話は無いの? ほら、そろそろ年齢がね」
集まる親戚達にとって競馬の勝利などよりも、結婚への心配の方が強く話題の大半を占める。
ここで悪意や嫌味などがあれば家族も本人も反発できるのだが、どの親族も真剣に心配してくれるだけに中々に居辛い環境が出来上がってしまう。
「えっと、昨年は凄く充実した一年で、今年も主戦を務めさせてもらったミナミベレディーと活躍する積りなので」
「馬主さんや調教師の先生などに対して責任もあるので。やっぱり馬にも愛着があってですね」
「ミナミベレディーっていう馬なんですけど、すっごく可愛くて。頑張り屋さんで……」
必死に言い訳と、如何にミナミベレディーが可愛いかを口にする香織ではあったが残念ながらそれが通用するメンバーでは無かった。
「せっかく皆さんが良さそうなお相手をご紹介してくれるのに」
幸子はその時の事を思い出し、ぶつぶつと呟きながら机の上に置かれたお見合い写真を片付け始める。その声を聞こえていないふりをして正敏は息子へと話しかけた。
「幸一、お前も余り妹の収入を尋ねる物じゃないぞ。お前は昔からそういう所がある」
「判ってるよ。でも知りたくなるって。GⅠを2勝してるし、重賞だって上位入着してる。騎手の取り分は5%なんだろ? 結構稼いだんじゃないかな」
昔からお金の事に細かい息子の言葉を無視しながら、娘の事を思い浮かべる。そんな事を考えながら息子と話をしていると、思いもしない言葉が飛び出して来た。
「母さんが居なくなったから言うけど、あいつも気のすむまで騎手すれば良いんじゃない? 最初に騎手になるって聞いたときは、こいつ馬鹿な事言い出したなって思ってたけど」
「ん? 珍しいな」
普段の言動からは考えられない発言に思わず幸一を見る。すると幸一は苦笑いを浮かべながら自分を見ていた。
「前はさ、普通に進学して、大学を出て、結婚した方が楽だし何をとち狂って騎手なんかを目指すのかって理解出来なかったんだ。こっちは早いうちから苦労して勉強して、寝るのも遊ぶのも我慢して勉強頑張って、それでようやく慶早行って。それなのに香織は好きな事をして、結局親父の会社入るんだろ? そう考えると何か納得できなかった」
幸一の言葉には納得できるものが有った。ただ、それは今の状況でも変わらないはずだが、何か心境の変化でもあったのだろうか。
「今も騎手の何が良いのか解らないけどさ。それでも、自分の愛馬と言える馬と巡り会って、頑張って愛馬と一緒にGⅠを勝った。
元々GⅠを勝てるはずのない馬で勝てたっていうのもロマンがあるなって思えて、正直ちょっと羨ましくなったんだ。あいつが騎手を選ばなければ、そんな未来も無かったのかなって。まあ色々と考えさせられたんだよ」
「お前の口からロマン何て言葉が出るとは思わなかったな」
正敏の言葉に、幸一は普段見せた事も無い照れたような表情を浮かべる。
「まあ、自分には絶対に無理な選択だよ。どうしても先のリスクを考えちゃうからさ」
「そこは私の遺伝だな。香織は明らかにお母さんの血だろう」
「まあ、確実に婚期は遅れるだろうな。あいつ、あれでも中学時代にはモテてたんだけどな」
「ほう、初耳だが、まあ遅れるだろうな」
二人して笑っていると、釣り書きを片付けに行っていた幸子が戻って来る。そして、二人の様子に目くじらを立てる。
「貴方達、また香織の事を笑っているの? まったく困った子よね。いつまでも夢を見てたって駄目なのに、幸一もそこをちゃんと話しなさい。あの子だって私より貴方の言葉の方が伝わるでしょ?」
「いやあ、俺は避けられてるから。何やかやと俺も口五月蠅いからさ。そこは父さんの方が適任じゃないか?」
「香織が私の言葉をを聞く訳無いだろう。そもそも、今騎乗しているミナミベレディーが引退するまで駄目だろう」
二人の言葉に、幸子の機嫌が次第に悪くなっていく。
「今のお馬さんが引退するのって2年以上先の話なのでしょ? そんなに待ってたら貰い手が居なくなりますよ! 子供だって高齢出産になるとリスクが上がるのに。貴方達ももう少し真剣に考えてください!」
「そう言ってもなあ。主戦騎手でGⅠを2勝しているんだろ? 騎乗ミスとか惨敗とかしないかぎり主戦は代わらないって。あいつが騎手辞めてまで誰かと結婚するって想像できない」
「あなたは香織が可愛くないの! あなたの妹でしょ!」
幸一の言葉に、幸子の怒りがさらに爆発するのだった。
鈴村さんのお家の話を書いていたら、このお話は改訂版の方だったと気が付きました。
うん、改訂版が主戦場? になってない閑話なので、これはちょっと困りました。
兎に角、書いたお話を投稿しない訳にもいかなくて、問題は後で考えましょう(ぇ




