中島裕子その三
裕子が話終えると同時に、店員がカップに入ったコーヒーを差し出した。湯気が出ているのでホットだと察し、ゆっくり手をカップに添える。
苦そうだなと恐る恐るカップに口を付けて一口呑み込むと、想像していたよりも甘かった。これなら全部飲めそうだと安堵し、カップを置いた。
「連れ子同士、仲良くないのですね」
「はい。仲良くなれる方法があれば、アドバイスが欲しいです」
「ありません」
「…え?」
「仲良くなる方法など、ありません」
断言する店員を凝視し、開いた口が塞がらない。
「真美ちゃんが改心すれば仲良くなれるでしょうが、いつ改心するか分からない。両親が貴女の代わりに伝えたところで、無駄でしょうね」
「それは、はい」
「貴女が考えるべきは、仲良くなれる方法ではなく、どう逃げるかです」
「逃げるんですか?家族なのに?」
「家族だからです。貴女は真美ちゃんと衝突したいわけではないでしょう。ならば、逃げるべきです」
落ち着いた声で、なんともないようにさらっと逃げることを勧めてくる店員に、裕子は混乱した。
真美ちゃんと衝突はしたくない。だって、家族だ。家族の仲を壊したくはない。だからといって、逃げるとはどういうことだろう。逃げる方法を考えるなんて、家出をしろと言っているのか。
顔色を変える裕子を見て、店員は言葉を続ける。
「あぁ、家出のことを言っているわけではありませんよ。例えば、そうですね、高校受験は家から遠くて偏差値の高いところにする、とか」
「遠いところ…」
「遠ければ家にいる時間も少なくて済みますし、偏差値が高いとなれば真美ちゃんは通えないでしょう。宿題を写すくらいですから」
「確かに、真美ちゃんはあまり頭は良くないです」
「でしたら、良い案だと思いませんか。朝早く家を出て高校に通い、授業が終われば部活をして夜に帰宅する。夜道は危ないですが、電車で通えばあまり問題はないでしょう」
裕子は想像した。
真美ちゃんが起きる前に起床し家を出て、夜に帰宅する。今よりも関わる時間が減り、どうしようと考えることもなくなる。更に大学受験をするなら、受験のため部屋に籠って勉強をすれば話すこともない。もし勉強の邪魔をすれば両親も良い顔はしないだろう。
学校の成績表を見て、父は自分に期待をしているようだった。真美ちゃんと自分には大きく差があるため、きっと遠い高校を希望しても反対はしないだろう。
裕子が黙りこんでいると、店員は口角を上げる。
「中学は色々な子が通っていますからね、高校からは環境を変えることをおすすめします。頭の良い高校へ行けば、そこに通るだけの頭脳を持つ生徒が通います。真美ちゃんが通えない高校に、真美ちゃんのような生徒はいません」
「でも、良い高校へ行って良い大学へ行って、良い会社に入れたら、今度は真美ちゃん、私にお金を求めてきませんか。この前そんなドラマを見ました」
仲良くなりたいと言っていたのに、将来は金を毟り取ってきそうだと話す裕子を見て、店員は笑いが込み上げてきた。
本気で心配している様子の裕子は、店員の笑いを助長させる。
「こほっ、もしお金を求めてくるようでしたら縁を切れば良いのですよ」
「縁を切るの!?駄目だよ!」
「何故です?お金がないのは自分の責任ですよ。なければ稼げばいいだけの話です。正当な理由でお金を求めてくるのであれば渡せばいいと思います。しかし、そうでないならば渡す必要はありませんよね」
「でも、家族なんだから、縁を切るのは」
「お客様、優しさは時に不要です。家族だから家族だからと何でも許していては、搾取されるだけです。搾取されて不幸になった場合、誰が責任をとってくれますか?真美ちゃんがどうにかしてくれますか?違いますね、自分で責任をとるしかないのです」
話が飛躍しすぎではないか。真美ちゃんのせいで不幸になるとは限らない。けれど、店員の言う話が現実に起こりそうで、否定はできなかった。
真美ちゃんのせいで自分が不幸になっても、真美ちゃんは助けてくれないだろう。両親がいれば助けてくれるだろうが、ずっと生きているわけではない。
真美ちゃんのせいで自分がどん底に落ちたとして、真美ちゃんはきっと何でもない顔をしていることだろう。
そして泣き縋ったとして、真美ちゃんはどう思うか。あぁ、もう鬱陶しいなと思うだろう。もういいや、妹なんて。そう思って、縁を切ってしまうのではないか。
自分が縁を切らなかったばかりに不幸になり、逆に縁を切られてしまう。
被害妄想だろうか、考えすぎだろうか。
「優しさは大切ですよね、思いやりは大切です。しかし、常に大切というわけではありません。時と場合を考えてください」
「…そうですよね」
道徳の授業では、人を思いやる気持ちを教えてくれる。
真美ちゃんを思いやる気持ちばかり持っていたが、どうやらこれは違うようだ。
学校の先生と両親以外に、大人と話す機会がなかった。目の前の店員は大人であるが、両親や先生とは違うことを言う。
先生が言うことが正しいと思っていたが、なんだか店員の言うことが正しいような気がしてきた。
思いやりだの道徳だの、それを守って自分が不幸になったとして、自分の代わりに責任をとってくれる人はいない。先生が責任を負ってくれるわけでもない。自分が負わねばならない。
そう思うと、すっきりした。
学校は教えてくれるものであり、選択して責任を負うのは自分だ。
ならば、自分が思うようにやらねば損だ。
喫茶店に入る前と比べ、なんだか価値観が一気に変わった。
知らない人に話をしたからだろうか。随分と肩の荷がおりた。
「家に帰って勉強します。そして家から遠い高校へ通います。決めました」
「おや、私の案が採用されたみたいですね」
「はい。考えたんですけど、やっぱりそれが一番だなって。真美ちゃんが嫌いなことに変わりはないし、少しでも会う時間が減ったらいいなーって」
「応援します」
「ありがとうございます」
カップを空にして喫茶店を出た。
店員は笑顔で見送り、店の奥で猫が鳴いた。
その日の帰りに参考書を買い込み、高校受験の勉強を始めた。
両親は驚いていたが同時に喜んでいた。勉強に打ち込む姿を見て、真美ちゃんは馬鹿にしていたが無視を決め込みひたすら勉強した。
二年後に偏差値六十五の高校へ入学し、数年後は県外の国立大学法学部に進学した。




