園部広茂その三
父親の訪問を知ってから一か月が悔過した頃、儂は新しい職場に少しずつ慣れ、早く帰れる日もあった。
以前勤めていた電気屋より会社の規模が大きく、仕事にやりがいも感じていた。
その日は繁忙期を過ぎた頃、急ぎの仕事もなく昼で帰る同僚も数人いたので自分も昼で帰らせてもらったときだった。
帰宅すると、一か月前を思い出させるような声が庭から響いた。
また来ているのか、と庭へ向かっていると、男の怒鳴り声と女のすすり泣く声が聞こえた。
妻の声が震えていることに気付くと、思わず走っていた。
「何をやっているんだ!」
普段から怒鳴り声は上げない方だ。
しかし、今回ばかりは声を荒げてしまった。
それもそのはず、父親は梅子の髪を引っ張り、引きずっていた。地面には梅子が数メートル進んだ跡が残っている。顔は涙と鼻水で濡れていて、いつも微笑んでいる梅子の面影はない。
「い、いや、これは」
「梅子、大丈夫か?」
男を押しのけて梅子の様子を見るが、外傷はないようで安堵した。
衣服についている砂を払い、家の中にいるよう伝えると、小走りで駆けこんだ。
「いい加減にしてくれ。渡す金などない」
「ないなら作れば良いだろう!あの嫁はまだ若いんだから、いくらでも金になる!」
「どういう意味だ」
「分かるだろ、女は体を使えば稼げるさ!」
下品なことを「良い提案だろう!」と笑いながら言う男を、自分の父親だと認めたくはない。
「自分が働けばいいだろう。梅子に労働はさせない。自分が作った借金は自分で返せ。人に返させようとするな」
「それがよぉ、体調は悪いし雇ってくれるとこなんてねえんだ」
「ならば日々鉄でも集めて売ればいいだろう、やり方なんていくらでもある。子どもでもそうやって稼いでいる。言い訳ばかりするな、見苦しい」
吐き捨てるように言い、近所迷惑になるからと無理矢理追い返した。
その後すぐ梅子に聞くと、労働を強いられたようで拒否したところ髪を引っ張られたようだった。
なおも頷かない梅子を見て、父親は怒り地面に引きずっていたのだろう。
「もう会うな。来ても放置しておけ」
早々に縁を切らねば、気づいた頃には遅くなっている可能性がある。
父親を追い返したその日の夜、また父親は訪れた。
酒に酔っているようで、酒瓶を持ちながらふらふらと赤い顔をしてやってきた。
梅子には家から出るなと伝え、玄関の外で話をする。
「くっそぉ、お前の嫁は非常識だ!」
目は虚ろで梅子の悪口を言い始め、じっと立つこともできないのか足は徐々に庭へと近づき、野菜植えてある畑に入ってそのまま壁にぶつかった。
壁に寄りかかることで動きは止まったが、口は止まらない。
「お前よぉ、あの嫁がそんなに良いか。向こうの両親には言うなと言われていたがな、何で貧乏なあの嫁をお前に嫁がせたか分かるか。あの女はよぉ、弟の嫁だったのさ。弟がもう要らねって言うからよぉ」
何を言っているのか分からなかった。
父親の弟は、ここから随分離れた土地にいると聞いたことがある。会ったことは少ないが、父親同様まともな人間ではない。そんな叔父は数か月前に他界したと聞いた。
「あいつは真面目なお前を嫌ってたからな、自分のお下がりを渡して高笑いしたかったんだろうよ。あの女の家は貧乏だからな、縁談を申し込まれて断れなかったんだろう。父と子ほど離れた相手に娘を渡して、とんだ変態家族だぜ」
本当かどうかは分からない。きっと自分は梅子にこのことを一生聞かないだろう。
「あの嫁に子どもを生ませて子連れの状態でお前に渡したかったみたいだが、何せ妊娠しねえの何のって。子どもを生めない女は要らないってよ、お前にあげたわけだ」
ただ、酔ったこの男が嘘を吐くとは思えない。恐らく、真実なのだろう。
梅子は、強い女だ。そして、優しい女だ。
そんな梅子が物のように扱われることは、許せない。
「かっかっか。この話、この辺の人にも言おか考えてるんだぜ。あー、金さえあればなー」
脅しているつもりなのだろう。
梅子の名誉を守らねば。この男さえいなければ。
「だからよぉ、あの嫁に労働させても問題ないだろ」
自分で自分を温厚だと思っている。
だから、ここまで怒りで我を忘れたことなんてなかった。
気づけば父親はその場で息絶えていた。儂の手には血まみれの石があった。畑とそうでない部分の境界線として置いていたものだった。
息絶えた父親を見て驚き、焦り、罪悪感があったが、それも一瞬だった。やっと終わった。それが一番大きく心を占めていた。
野菜を植えていない畑の隅を深く掘り起こし、血まみれの石ごと父親を埋めた。
もし梅子が野菜を植えることになっても、ここまで深くは掘らないだろう。
梅子に父親は帰ったと伝えた。
父親から聞いた話は聞かなかったことにし、梅子と今まで通り過ごした。




