園部広茂
園部広茂は知り合いの孫から貰った手書きの地図を片手に持ち、やまと喫茶を目指していた。
職場を退職してから二十年近く経つと、労働で社会貢献していたときは不要だった杖が必須になった。
足より細い杖を使いながら、やまと喫茶の前で立ち止まった。
電車を乗り継いで途中までバスを使ったが、バスを下車してからニ十分歩いたため、心臓がいつもより早く動いている。
慣れない土地で、目的地までたどり着けるか心配だったが迷うことなく着いて安堵する。
知り合いの孫が描いた地図は的確で、名門大学へ通う学生は地図も上手に描けるのだと感心した。
店の前で深呼吸し、地図を懐に入れて扉を開ける。
カラン、と小さく鐘が鳴る。
店内には若い男性が一人だけカウンターの中にいた。
腰が曲がってからは、昔より目線が下がってしまい、店内を見渡すが他の客がいるのか分からない。
懐かしいような曲が流れている。知っているような知らないような、そんな曲だ。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
男性は自身の前にある席を指したので、広茂は黙って席に座った。
カウンター席は店員と近く、会話をさせられてしまう席だ。人と関わることが得意ではない自分には向いていない。また、足腰の悪い自分には座りにくい席でもあるため、普段は敬遠している。しかし、今回は店員と話をするために来た。案内された席に大人しく座る。
漸く腰をかけることができた。ポケットからハンカチを取り出して顔に垂れている汗を拭く。
「ご注文をどうぞ」
少し湿ったハンカチをポケットに仕舞うと、色男を連想させるような低い声が聞こえた。
懐に入れた地図を再び取り出し、地図の下に書いてある言葉を読み上げる。
「ホットコーヒー、砂糖二つにスプーン不要」
「承知しました」
皺だらけで腰の曲がっている老爺に不要な会話はないし、表情は変わらない。
寡黙だが、嫌な印象は受けない。きっと昔は仕事のできる男だったのだろう。店員はそう思った。
「出来上がるまでに時間がございますので、雑談でもいかがでしょう」
「雑談?話を聞いてくれると他所から聞いて来たんだが、違ってたか?」
「いえ、時間がありますのでどんな話でも構いませんよ」
「そうか、なら、一つ話を聞いて欲しい。相談にのってくれると有難い。そして、相談する身であるが、他言無用に願いたい」
「業務上知り得たお客様の情報は他言致しません」
「感謝する」
年寄りじみた語尾はなく、しっかりした話し方であるため、仕事のできた男性という印象は一層強くなった。
誰にも知られたくない相談事をするため、人々はここへ訪れる。
この老爺は何を人に知られたくないのだろうか。
老爺から受けた印象として、小さなトラブルというわけでもなさそうだ。それくらいは自分で解決できるだろう。
年老いてからの相談となれば遺産相続、或いは過去のこと。
相談事を推測してみるが、店員にはぴんとくるものがなかった。
「あれは、儂が二十二の頃だった」
過去を懐かしむように目を細め、老爺は語り始めた。




