中谷楓その四
「七年も不倫を続けて、お客様が得たものはありますか」
「…ありません」
「お客様が不倫をすることで、得るものはありません。むしろ失うものばかりです。妻からは慰謝料として多額を奪われます。彼は既にお客様から若い時間を奪い、これからもお客様の時間を奪い続けます」
「彼と一緒に居れるなら、別にいいです」
「それは今、彼と一緒にいるからです。彼が妻を選んだ場合、貴方はもう彼とは会えなくなりますね。そうなった場合、お客様には本当に何も残りません」
彼が自分を選んでくれる可能性があるのか。
きっとないだろう。自分でも分かる。彼と一緒にいたら分かる。
燃えるような熱い思いを寄せてくれているわけではない。妻を捨てて不倫相手と一緒になろうと思う程、熱を持っていない。
すべてを捨ててまで自分を選んでくれる未来など、見えない。
「えぇ、そうですよね。彼はきっと妻を選びますよ。私を選んだりはしないんです。そういう人です」
この七年は、何だったのだろう。
自分を選んではくれない。見ないようにしていた現実。他人に言われて初めて認めることができた。もっと早く誰かに相談していたら、ここまで時間を費やすことはなかっただろうか。
「それでも、好きなんです。私を選んではくれないけど、私は彼を選んだんです。どうしても、彼の子どもが欲しいんです。彼が私の元から去ったとしても、私は彼の子がいれば生きていける」
もう三十五歳だ。七年交際していたら普通は結婚している。付き合い始めた当初は二十代後半で、丁度良い時期だった。結婚を考えるのに、良い時期だったのに。
彼以上に好きになれる人なんて、この先現れないだろう。
「ならば、計画を実行しても良いのではないでしょうか」
「…良いんですかね」
「ふむ、何を躊躇っているのか私には分かりません」
顎に手を当て、あなたの気持ちがさっぱり分からないと言わんばかりの表情で言う。
「お客様は今まで頑張ってきました。七年も時を費やし、努力してきました。えぇ、分かりますよ。失礼ながら、三十五歳という年齢を考えるとその服装は敬遠されると思われますが、しっかりとお似合いです。年齢を聞くまではてっきり二十代だと思っておりましたので、体型維持など努力されたのでしょう。そこまで頑張ってきたのです、報われてもいいと思いませんか」
「…思います」
引っ込んでいた涙がまたあふれ出し、慌ててハンカチを取り出す。
そうだ、頑張ってきた。筋トレも毎日行い、スキンケアの仕方だって店舗で教わって、ヨガも月謝を払い通っているし、料理だって教室に通って学んだ。負けたくなくて、一番になりたくて、選んでもらいたくて頑張った。
何も報われなかったけど。
「子どもが欲しいというのは最後の我儘になりそうですね。しかしお客様にはその権利があると思いますので、是非成功させてください」
悪戯っぽく笑う店員を見て、思わず笑みがこぼれる。
ここに来て、まさか背中を押されることになるとは思わなかった。
葛藤がなくなり、清々しい気分だ。
「ありがとうございます。きっと、成功させます。最後くらい、私だって手に入れます」
お金はある。
一人暮らしで、ヨガと料理と化粧品くらいにしかお金はかけてこなかった。鞄や洋服も、欲しいものはあったけど、不倫をしているということはいつか慰謝料を請求されるということだから、備えていた。
子どもができたらきっと貧乏の母子家庭になると思うけれど、最後の我儘だから。子どもに苦労はさせない。死ぬ気で働くから。だからどうか、許してほしい。
空になったカップをカウンターに置いて、一杯分の料金を払い店を出た。
店に入る前とは違い、随分と気持ちが軽くなった。
スマートフォンからアプリを起動させ、日を数える。その後彼にメールを入れ、約束を取り付けた。
彼に会えるのは、あと何回だろうか。
子どもは授かりものだから、どうなるか分からない。
けれどなんだか、願いが叶う気がした。
最後の我儘、最後の願い。
きっと叶う気がする。
ここへ来てよかった。
大丈夫、きっと大丈夫。
鼻歌交じりにハイヒールの音を鳴らしながら、これからのことを考えて口角が上がった。




