083 それは、叶うはずのない恋の唄
アラン視点
先ほどまで降りしきっていた雨はいつの間にか止んでいて、空には無数の星が煌めいている。
暑すぎない気温に涼しげな夜風。
遠くから聞こえる笑い声は、大通りに並ぶ飲食店帰りの客から発せられたもの。
騒がしすぎず、静かすぎず。
愛を口にするには持ってこいのシチュエーションだろうね。
そして、今僕の目の前には愛する君が立っていた。
背丈は僕の胸辺りほどで、綺麗な銀色の髪の毛を持っている。
一見すると小柄で可愛らしい少女だけど、その仕草と表情には逞しさが詰め込まれている。
慈愛の精神で全てを受け入れられる器を持つその少女。
銀天が誇る聖女、セレナ・アレイアユース。
「セレナ……あの日、僕は君を置いて逃げてしまった。
ずっと、それを謝りたかったんだ。
ごめんなさい、セレナ」
伝えたいことを最小限の情報量で伝えた。
あの遺跡で君とリューカを置き去りにして退散したことを後悔していた。
けど、メイリーとラスカを守るにはそうするしかなかった。
君は聖女の加護で攻撃を受けないはずだからそれを信じていた。
本当はそういう言い訳を口に出したかったけど、同情を誘うことは言わないようにしている。
それは不恰好だから。
視界を支配している聖女は優しく微笑む。
嫌だな、本当に。
自己嫌悪に陥ってしまう。
僕はその笑顔を、今から彼女が口にするであろう言葉を期待してしまっていたから。
「よく言えました」
僕よりも少しばかり若い少女はそう言って、まだ幼さの残る小さな手で胸を撫で下ろす。
とても嬉しそうに。
まるで、僕からの謝罪を待っていたように。
多分、アランという女が他人に対して真摯に向き合えるよう変化することを、君は強く望んでいたんだと思う。
ごめんね、遅くなっちゃった。
「私はあなたを許します。
これは妥協でもなければ、折り合いをつけたわけでもありません。
完全なる許しと受け取ってください」
「ありがとう、セレナ」
「感謝されることは何もしてませんよ。
あなたが大きく変わったから私は許したまでです」
どこまでも優しく、どこまでも厳しい人だ。
少女はしっかりと僕の目を見て、どういう人間かを見抜いている。
罪人か、善人か、許すに値するか。
そういう性質を正確に識別することができてしまう。
そんな聖女様に許された僕は、どうやら極悪人ではなくなったらしい。
そう自惚れかけた瞬間、僕を見つめる彼女の瞳は疑心を孕んだ。
……しっかり罪は償わないといけないな。
「では、帰りましょうか」
そう呟くと、セレナはくるりと振り返り一歩足を進めた。
「……ま、待って!! もう一つ、君に伝えないといけないことがあるんだ」
君は顔だけをこちらに向け、僕の必死さを可愛がるよう悪戯に笑う。
「はい、知っています。今度はきちんとした方法で私に伝えてくださいね」
君のその笑顔で胸が高鳴る。
セレナは僕へ全身を向けて、真剣な表情を見せている。
時間が遅く感じる。
今、自分がどんな風に立っているか気になる。
髪型崩れてないかな。
美少女だけど、ちゃんとメイクしておけばよかった。
服装、ダサくないかな。
……ちゃんと、告白するのはいつぶりだろう。
最近は相手の方から愛を伝えられていたから、すっごく緊張する。
口内から水分が消え失せている。
喉が渇く。
伝えないと、気持ちを。
「セレナ、君のことが大好きだ。僕の手を取ってくれないか」
言えた。
伝えられた。
ずっと想っていたことを言葉にできた。
いつかの日、君に恋に落ちたその時からずっと心に抱えていたこと。
君は、きっと……。
いや、もう聞きたくない。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
心臓が止まってしまえばいいのに。
眩い月が聖女を照らしている。
その少女は、僕の恋に答えてくれた。
「お断りさせて頂きますね、アランさん」
……。
「ありがとう……聞けてよかったよ。
もし、セレナが聖女じゃなかったら、君は『はい』と答えてくれたのかな、なんて」
「……今のは、聖女としての私が出した結論ではありません。
私が口にしたのは、正真正銘セレナ・アレイアユースが出した答えですよ」
「え、それって……」
聖女に生きる君ではなく、少女として心に秘めている君の言葉だった。
「私を困らせたことはお咎めなしです。
だけど私、リューカさんを見捨てた悪党に靡く女じゃありませんので。
だからせめて、もう二度と道を踏み外さないでください。
そしたら、友達ぐらいにはなってあげますから。
……私が本音を言葉にしたことは二人だけの内緒ですよ、アランお姉ちゃん」
はにかんだその顔は、もはや天使だった。
お姉さん呼びは卑怯だよ。
ここぞという場面でこんな巨大な魅力を見せて欲しくなかったな。
ますます君のことが好きになってしまう。
たった今、恋は終わったっていうのに。
「……では、私は宿に戻らせて頂きますね。あの、ハンカチは必要ですか?」
「いやいや、別に振られたからって泣かないよ?
それに、美少女たる僕はハンカチ程度常備しているし」
「そうですか。なら、私は行きますね」
セレナは庭園を歩き出した。
そして、僕の視界から姿を消した。
あーあ、終わっちゃった。
案外呆気なく振られちゃったな。
でも、これで良かったかも。
断られるのは分かってたことだし、覚悟もできていた。
というか、もし僕の告白が受け入れられたらそれはそれで問題だしね。
うん、だから僕は大丈夫。
セレナやリューカに酷いことした僕は、悲しむ権利なんて……ないんだから。
だから、泣くな。
加害者である僕がここで泣いちゃうのは、ずるいよ。
でも、今は誰も見ていない。
だから、少しぐらいは……。
「うっ……ふぅ……ん……ぐずっ」
苦しい、痛い、涙が溢れてくる。
本当は嫌だ。
君を諦めるなんて本当は出来ないよ。
だって、こんなに胸が締め付けられてるんだもん。
「やだよぉ……こんなの、痛い、痛いよ。うぅ……ぐすっ……ひぐっ……うぁあ」
もしかしたら、どこかで道を間違えていなければこの恋は成就したのかな。
そんな後悔で胸がいっぱいだ。
「もう、さいあくだよ……うぅ……ばか、ぼくのばかっ!!」
大声で泣きじゃくれば楽になれるのに。
耐えるような嗚咽しか出てこない。
ほんと、君はどこまでも慈愛に満ちてるよ。
泣き出す僕を案じてこの場を去ってくれたから。
どっちがお姉さんなんだか。
叶わないと知っていた未完の恋を棺へ詰めて、傷跡から流れる感情で燃やし星空へばら撒いた。
でも、その恋はしっかり君へ届いた。
最初から言葉で伝えればよかったんだ。
回りくどいアプローチをかけずに、ただ口にするだけで良かったのに。
馬鹿だな、僕は。
溢れ出す涙は頬を覆い尽くす。
それを拭う布を取り出すため、ポケットに手を突っ込んだ。
「ひぐぅ、うぅ……ハンカチ無いしぃ……」
☆
冷静さを取り戻した頃。
部屋の窓ガラス直さないとな、なんてことを考えながら宿へ戻っていた。
涙で目元が腫れてたらどうしよ……。
流石に泣いてたってバレたくはない。
顔が元通りになるまでもうちょっと夜風に当たっていようかな。
そんなことを思いながら庭園を歩く。
庭園を抜けて宿の入り口が見えて来たところで、物陰から誰かが出てきた
「うわあああああっ!?」
「えええええええぇっ!? って、あ、ごめん。驚かせちゃったね」
二つ結びの少女、エリゼ・グランデだった。
「な、何!? なんで部屋に戻ってないんだよっ!!」
「あー! アラン泣いてたの?」
最悪だ。
今一番会いたくない人間だよ、こいつは。
セレナぐらい人の心を察して欲しいな。
「泣いてましたけど? ほら、貴重な僕の泣き顔だよ。記念に写真でもどうかな?」
変に嘘を見繕うのも負けた気がするので、真実を伝えておいた。
エリゼはただ首を横に振る。
そして、少しの間が空いた。
とても心地の良い風が吹く。
夜が更けてきたばかりで、空には満天の銀河が彩られている。
「アラン、失恋は初めて?」
「……二度目だよ」
「そっか」
「ま、生憎僕はめちゃモテ女だからね。好きな女は全員手に入れてきたんだ。
だから、久しぶりに苦しい……かも」
「どんまい」
「何? 第二ラウンド始めようか? ていうか本当に何しにきたんだよ、君は」
「……あれから昔のこと思い出しちゃってさ。もうちょっとだけ、二人で話したいなって」
「はぁ……呆れた。話し相手なら君のメイドに頼んでくれ。
僕はご覧の通り傷心中だよ。できればラスカとメイリーに代わってくれないかな?」
「ミュエルさんとはまだ昔話はできないんだ。だから、ね?」
「エリゼ、君ずいぶんお喋りになったね。出会った頃の冷徹さが綺麗に失せてるよ。
まぁ、こっちの方がなんだか君らしいけど」
「そりゃお喋りにもなるよ……ずっとアランに嫌われてたから……。
でも、今日仲良くなれた気がするから……だから、お話したいな。
あ……でも、アランはわたしとの思い出なんて忘れてるか……たはは」
うっ、急に刃を突き立てないでくれ。
失恋直後の僕にその言葉はキツすぎる。
それにしても、まさかここまで鈍感だったとは。
エリゼとの思い出なら、悔しい程脳に焼き付いているよ。
「僕、女の子との会話は一言一句覚えているんだ。
相手が意中の女であろうと、興味の無い女であろうとね。
まったく、しょうがないから付き合ってあげるよ。
目の腫れが引くまでの間だけだからね?」
「うん、ありがと。
ねぇ、アラン……わたしを劇場に連れていってくれた日のこと覚えてる?」
君は僕以上のたらしだよ、エリゼ・グランデ。
ただ、長話にはならないように抑えないといけないな。
君のメイドに何を言われるか分からないからね。
ブクマや評価を入れてくれたり、いいねをくれる方々のおかげで更新を続けられています。
ありがとうございます!