082 ヒカリ・ロードナイトは負けを認めない
リューカ視点
ロビーやエントランスを通過し屋外へ出て、膨大な敷地を持つ庭園へ出る。
そうやってあたし達が上層階から地上に降りて来た頃には、もう決着はついていた。
寝転がるアランの腹の上にエリゼが跨っているから、多分喧嘩は終わってるはず……多分。
いや、なんで跨ってんのよ。
「終わったみたいだね〜。アラン様、負けちゃったんだ」
割と煽り性能が高い言葉をメイリーは発していた。
恋人関係が築けてなかったら藻屑になっていてもおかしくないわよ。
それを耳にした三つ編みの女がほんの一瞬だけ敵意を見せた気がするけど、誰も気づいてないからたぶん勘違いだと思う。
「メイリー、ごめんね。心配かけちゃった。
あの、エリゼ……どけてもらえるかな。
この状態はちょっと仲良し的な間違いを交わしていると思われちゃうから」
「ごめん、みんなが来たからどのタイミングで立てばいいか分かんなかったよ」
エリゼは立ち上がると、アランの手を引っ張り上げた。
この感じだと、本当に喧嘩っていう体の改心行為は終わったみたいね。
しかも、アランの考え方を変えただけじゃなくて他の軋轢の方も解消しているような気がする。
随分と仲睦まじくなっちゃって……あたしはまだ、雪辱を晴らせていないってのに。
あたしの隣で立っているミュエルは溜め息を吐きながらその様子を見ていた。
それは相当感情が込められた吐息だった。
「アラン様すっごく変わったね。私が惚れた時よりもずっとずっと良い女に見えるよ。
エリゼ、ありがとう。アラン様を変えてくれて」
「どういたしまして、ラスカちゃん。
多分、朝日が昇る頃にはもっと良い女になってると思うよ。
だけどその時はラスカちゃんが面倒見てあげてね」
「そうみたいだね。甘やかす準備しておかないといけないな」
よく聞こえないけど、エリゼとラスカは小声で会話を交わしていた。
そこにメイリーも混ざって明るい空気を作っていく。
みんな疑問に思ってないのかな。
それとも、知らないフリをし続ける気なのかしら。
……。
エリゼ、あんたは何者なのよ。
パーティの支援役でもなければ、ただの剣士でもない。
最強だと思っていたアランにも勝ててしまうあんたは、なんなの。
あの壮絶な一戦の直後なのに、どうしてあんたは傷一つ付いてないのよ。
そこに、あたしが触れることは許されているのだろうか。
……。
ううん、今はこの不愉快だった事件が終わり始めていることに浸っておこう。
喧嘩後で何故か爽やかそうにしているエリゼとアランへと、銀髪の聖女はズカズカと歩き出した。
「お二人とも、もうこういうことはやめてくださいね?
私を巡って暴力沙汰にまで発展させられるこっちの身にもなってください、まったく……。
特にアランさん。あなたはもっと人の言葉を聞くように」
エリゼは視線を斜め上に外して、アランはしっかりとセレナの目を見て、「ごめんなさい」と謝罪した。
ひとまず、これで事件はあらかた片付いたわね。
あとは、セレナとアランが二人で終わらすだけだ。
そう思っていた。
「まだ……まだ負けてない……」
あたしの側に立っていた誰かは何かを呟いて、動き出した。
その手には、折り畳み式の杖がしっかりと握り込まれている。
「アラン様はまだ、負けていない」
三つ編みの誰かは、エリゼとアランに近づきそう口にした。
「ヒカリ……? どうしたの?」
「うん、アラン様。ここからはお姉さんに任せて」
それだけ言うと、三つ編みのヒカリと呼ばれる女は傍に立っていた聖女を抱き寄せて、跳躍した。
「え?」
誰かがそんな呆気ない声を出していた。
その場にいた全ての少女達が驚いていたと思う。
三つ編みの女はみんなが立っているここから少し離れた場所に着地すると、折り畳み式の杖を振り下ろして格納されていた部分を解放させる。
そして、その杖の先をセレナの首筋に突き立てた。
「みんな!! う、動かないで!! 変な真似したら聖女様に怪我させちゃうかもしれないから!!」
「あの、えっと、ヒカリさんでしたよね。
こういうことは良くないと思いますよ。多分アランさんも嫌がると思いますから。
今ならまだ間に合います。杖を下ろしてください」
「お願い、黙ってて……アラン様が望んで無いことぐらいは理解してるから」
三つ編みの魔術師は低い声で圧する。
セレナの説得は虚しい結果で終わってしまった。
「ヒカリ、セレナを離してくれ。こんなやり方良くないよ」
アランは三つ編みの女に叫んでいる。
「アラン様、お姉さんに任せてね。必ず聖女様を躾けてみせるから、だから少しの間待ってて」
三つ編みの魔術師はそう言いながら後退していく。
「ヒカリ、やめてくれ……もういいんだ。そんな物騒なことする必要ないんだ」
「駄目だよ、アラン様。諦めるのは良くないから……だからお姉さんが解決してあげる」
体は勝手に動いていた。
この場にいる誰よりも早く走り出していた。
忠告も警告も脅しも無視した。
あたしは杖を抱えて、風を纏って世界を駆ける。
「誰なのよあんたは……せっかくエリゼが頑張って落とし所まで作ってくれたのに……なんでそれを台無しにできるのよ……」
無粋な真似しないでよ。
アランを愛しているメイリーとラスカは、ちゃんとアランとセレナのことを考えてるみたいだよ。
誰だか知らないけど、あんたはアランのことしか見えていない。
いいや、アランのことすら見えていない。
周りを観察する癖をつけた方がいいわよ、見てる世界が狭すぎる。
走り出したあたしに向かって、魔術師は杖を突き出して言の葉に魔力を乗せた。
「っ!! ディア・アクア・アイ・イルミネーション!!」
焦って詠唱もまともに展開できていないじゃない。
それに、その術式なら頭に入っている。
高温の光を水の中に蓄積させて、それを雨のように降らせる魔術。
被弾すれば内包されている光の塊が暴発して辺りを溶かすとか。
確か、魔導学院で習う上級者向けのものだった気がする。
はっ、余計に苛立つわね。
血液が沸騰して気化しちゃいそう。
学院に入る資格すらなかったあたしに対して、よくもそんなインテリ魔術向けてくれたわね。
ぶっ飛ばしてあげる。
「連立も不要、潤いも不要、最果ても不要、目的も不要」
詠唱を口ずさみながら移動する。
相手の展開した水の魔術が、突き出された杖の先から放たれた。
「リューカさん! 私なら大丈夫ですから、だからこの人を傷つけなくてもっ!!」
人質に取られているはずのセレナは健気にも相手の心配をしていた。
それはあたしの魔術に対する信頼と受け取って良いのかしら。
確かにあんたは聖女の力で守られてる。
きっとヒカリという女の魔術は意に介する必要もないでしょう。
だから、これはあんたのためじゃないのよ。
やっぱあたし、まだ暴れ足りなかったんだ。
エリゼとアランはやり合って気持ち良くなったみたいだけど、リューカ・ノインシェリアの心はまだ靄がかかったままだから。
だから、八つ当たりみたいなもんよ。
というか、あたしの心配しなさいよね。
「ただ跪け。過去を紡げ。来るは八と六日前の夜空」
体が軽い。
雨のようにあたしを襲う術式の行先を全て予想できる。世界の速度が遅く感じる。
飛んでくる水の針を躱したその先で、孤独の魔術師は漆黒の杖を向けた。
素質に恵まれ魔導学院に進めた魔術師へと。
「教えて寝かせ、ガブリエルの海」
それは、この世のありとあらゆる情報を脳みそに叩き込む術式。
無差別に選出された知識を対象者へ強引に授ける。
出力を間違えれば脳みそがパンクして廃人にしてしまうヤバい魔術だけど、あたしはそれを極限まで抑えることができる。
多分気絶程度で済むわね。
これならギリギリ暴力じゃないでしょ。
だから安心して良いわよ。
知識が増やせる代わりに、ちょっと頭痛と目眩と吐き気を催すだけだから。
無形の光がセレナの頭上を通過して三つ編みの魔術師へと衝突した。
「あぇ……?」
三つ編みの魔術師は無様な声を漏らし、セレナを手放して後ろに転んだ。
そして驚くべきことに、直前まで人質に取られていた聖女様は魔術師が転ぶ寸前に下敷きになるように大地へ飛び込んだ。
セレナはそのまま背中で魔術師を受け止める。
「ぐへぇっ!!」
背中とお腹をぺっちゃんこにされる勢いで、魔術師の全体重を担った聖女様は汚い声を出していた。
露出の少ない衣服で隠れてたけど、セレナをクッション代わりにしているその三つ編み女は割とグラマラスなスタイルをしている。
多分平均的な女の子より重いと思う。
こう言う時に聖女の加護が発動しないのはなんでなのよ……。
すかさず駆けて来たアランは、すぐにヒカリという女を引き上げて地面へと座らせた。
「セレナ、大丈夫かな?」
「……!」
聖女様はうつ伏せで寝転びながら親指を立てていた。
大丈夫そうだ。
安堵したアランは、辛うじて意識が残っている魔術師の手を取る。
「ヒカリ……ごめんね。僕のためを思ってくれてだよね。
でも、駄目だよこんなやり方は」
「ごめんなさい。お姉さん、アラン様に喜んで欲しくて……」
「うん、ヒカリの気持ちは理解できる。だけど、僕はもうこんな方法じゃ絶対に喜ばないよ」
「うぅ、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
泣き出してしまった三つ編み女をあやしながら、アランはエリゼやあたしの方をチラチラと申し訳なさそうに確認している。
特にエリゼには気後れしてそうね。
せっかく良い感じだった雰囲気を壊されたわけだから。
ほんと同情するわ。
こんな空気の読めない女の尻拭いをしなくちゃいけないなんて。
だから無性に腹が立つ。
アラン、あんたがそういう女なのは理解している。
何人も何人も恋人を作って、全員に愛を注ぎ続ける狂人だってことを。
「何綺麗に終わろうとしてんの。女の子一人拐っておいて無傷で帰れると思うなよ」
それに、この三つ編み女がしでかしたこともあたしは理解できてしまう。
きっと昔のあたしなら同じことをしていたはずだから。
アランに捨てられずあんたの席に座っているのがあたしだったら、全く同じことをしていたと思う。
好きな人の負けなんて認めたくないのも同じだ。
その上で、あたしはこの女に下す。
だって、今のあたしはもうあんたとは違うから。
あたしの大事な人を傷付けようとしたから。
「あんたがまず謝んないといけないのはっ……セレナでしょ!!」
殺意を拳に乗せて魔術師の顔面に叩き込んだ。
理性のタガはぶっ飛んでいた。
セレナが連れ去られた朝の時点で、あたしの怒りは限界に達していたんだ。
でも感情で動いても悪い方向にしか進まないと思った。
だからエリゼに協力してもらって、ここまで来たのに……。
それをお前は台無しにした。
許さない、許さない、許さない。
この魔術師をぶっ殺す。
……。
ただ、問題が発生した。
三つ編み魔術師の顔面を勢いよく殴った手が……とんでもなく痛い。
力任せに拳を殴りつけるのが良くなかったんだと思う。
ちゃんとした握り方だったり、掌底を叩き込めばこんなことにはならなかったんだ。
……今日のところは一発で済ませといてあげるわ、インテリ魔術師女。
あたしは目頭に涙を溜めながら怒りを抑えることにした。
てがいたい……。
どうしよ、骨にヒビとか入ってたら……。
あたしの諸刃の拳を受けた三つ編み女は鼻血とか鼻水とか涙とか、とにかくいろんな液体を出しながら、倒れているセレナと視線を交わした。
「ぅぁ……すみません、聖女様。お姉さん、あなたを傷付けるつもりはなくて……。
もう、どうしていいか分からなくて、うぅごめんなさい、ごめん……なさい……」
「分かっています。大好きな人を喜ばせたかったんですよね。
ただその方法を間違えてしまっただけですから、今日のことは省みて二度と道を踏み外さなければ良いんです。
ほら、お顔を治療しますので近くに来てください」
そう言って、あたしが殴った顔を治療し始めた。
どこまでも聖女ね、この子は。
その治療中に、ヒカリと呼ばれていた三つ編みの魔術師は、ようやくあたしの放った術式が効いてきたらしく、脳みそをオーバーヒートさせて気絶した。
その隣で、アランがあたしを見ていた。
「リューカ……」
まるで芸術作品のような綺麗な顔を目にして、かつてのあたしがあんたに向けていた強大な感情を思い出していた。
今となっては塵すら残っていない憧れと理想と恋のダイヤモンド。
あたしをどうでもいい人間に分類していたあんたにとっては、不快で下衆で無様な炭の塊だったんでしょうね。
あたしはそれを自覚できるまで成長したらしい。
「アラン、あたしを許さなくて良いわよ、あたしもあんたを許さないから」
「……それじゃあ、駄目だよ。それだと、僕達は一生このままだ。
こんなことを言える立場じゃないのは分かってる。
だけど、言わないといけないんだ。
リューカ……君を騙して、君を犠牲にしようとして……すまなかった」
あたしとアランのいざこざの始まりは、あんたの嘘だ。
そんなセリフ、初めに吹っかけて来たあんたが言えたことじゃない。
枕詞で自省見せびらかせばなんでも言葉にしていいと思うなよ。
だけど、あんたの言う通り一生このままってのもなんだか疲れるから、ちょっとは乗ってあげるわ。
それに、あんたの恋人殴っちゃった負い目もあるし。
「……許さないわよ、今は。
あたしの恋心を弄んで、あまつさえ殺されそうになったんだから、あたしはアランを許せない。
けど、誰かが言ってたわ。
人は人を許せない、そこに存在するのは妥協だって。
どこかで折り合いをつけ、許したことにするらしいわよ。
だから、気が向いたら妥協してあげる」
ヒカリという女を治療し終えた聖女様が、きらきらした目でこちらを見ている。
やめてくれ。
遺跡で説いてくれたセレナの言葉を引用したわけだけど、そんな目で見られると途端に恥ずかしくなってくる。
「ありがとう、リューカ。僕は君に償い続けるよ」
ちょっと改心しすぎじゃないかしら。
エリゼ、あんた一体どこまでアランに影響与えてたのよ。
いや、流石に気持ち悪いわ。
「あんた、それ本心でしょうね?」
「もちろん。美少女な僕はもう嘘を吐く必要も無いからね」
身の丈ほどある漆黒の杖をアランのお腹に向けてフルスイングする。
多分あたしの物理攻撃はこの鉄壁女には効かないだろうから、できるだけ全力で体重を乗せるように振るった。
「おごっ!? な、なんでぇ……?」
「美少女ならこれぐらい我慢しなさいよ。
とりあえず今のはあたしの恋を弄んだ分の反撃ね」
「わ、分かった……残ってる分はまた明日以降にお願いしたいかな」
見た目以上に満身創痍気味みたいね。
とりあえず今日は一発にしといてあげよう。
涎垂らしながら気絶決め込んでる三つ編みむちむち魔術師を背負って、あたしは立ち上がる。
「これぐらいにしといてあげるわ。ほら、あんた達さっさと行くわよ」
心配そうに周囲を取り囲むように見ていたエリゼ達に移動を促す。
アランとセレナを除く全員が帰路につき始めた。
あたしも後に続く。
すると、背中から声が掛けられた。
「やりすぎですよ、リューカさん」
「はいはい、ごめんなさいでした」
「けど、ありがとうございます。助けてくれて」
「べ、別にあんたを助けたわけじゃないから。
今のはただの八つ当たりだし。と、とにかく気にしないでよね!!
……さ、セレナ・アレイアユース。アランが待ってるわよ」
ここからは二人の時間だ。
これでようやく全てが終わる。
あたしは振り返ることなく、宿へと歩みを進めた。
……。
背負っている三つ編み魔術師の柔らかい体のせいで、変な性癖が目覚める前に部屋に戻らないと……!!
あと、殴った反動でボロボロになった右手治してもらえばよかったかも、痛い。
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ありがとうございます!




