076 あとは任せて、だから今はいっぱい泣いていいよ
エリゼ視点
その日は雲が青空を隠そうと必死に群がっていてね、夏にしては過ごしやすい一日だった。
日差しが無いだけでこんなに快適だったなんて、随分と忘れていた気がする。
夜には雨が降ってきそうだ、なんて話をメイドと交わして、味の分からない昼食を食べて、午後を迎える。
こんな平穏日和だっていうのに、一つだけ問題が発生していた。
誰かに見られている。
ここ一週間、この屋敷は誰かに監視されているみたいだ。
一ヶ月前の屋敷を襲ったあの事件の後、フルーリエなる最低最悪最キモな騎士団長が屋敷の周囲に結界を張ってくれてたらしい。
害ある者を弾く結界。
そのおかげで監視している何者かが敷地に侵入してくるなんてことはないんだけど、はっきり言って最悪だ。
屋敷を囲む林の奥、あるいは魔術の類なのか、とにかくどこかからわたしとみゅんみゅんの営みを盗み見しているっぽい。
何度か突拍子もなく屋敷を飛び出して監視者を探してやろうとしたんだけど、それを察知した相手が即座に退散してしまうという鬱陶しいことが起きた。
どうして監視されているのかは検討すらつかない。
みゅんみゅんのファンはこんなことをしないはずだし……。
リビングの壁一面を覆うガラスの窓から外を眺めていると、家事を終えたみゅんみゅんがやってきた。
「ご主人様」
それだけ言うと、腕を強引に組んできた。
「ちょ、みゅんみゅん! くっつきすぎだよ!」
「私達を見ている愚か者に仲を見せつけてやれば良い」
「ど、どういう理論……?」
相手が何の目的でわたし達を見ているかは分からないけど、多分二人の仲を目にして消えてくれることは無いと思うよ。
ま、甘えてこられるのはすごく嬉しいけど。
結局、今日もその相手を見つけられないまま時間だけが過ぎて行った。
大聖堂で感じた憎悪の眼差しでは無く、ただただわたし達を見ているだけの視線。
こちらからどうすることもできないのなら、今は無視をし続けることにしようか。
やがて陽は沈み、夜がは始まる。
わたしのメイドはお夕飯を作り始め、屋敷の外からは雨が地面に打ち付けられている音が聞こえてきた。
心が安らぐと噂の雨降りしきる環境音。
ああ、これは確かに落ち着くかも。
うるさ過ぎず、静か過ぎない心地の良いバランス。
ぱらぱらと鳴る雨の音。
そして、ぐつぐつと奏でる料理の音。
料理中のみゅんみゅんの大きな背中。
カレーの香ばしい匂い。
誰かに見られているという以外は最高のシチュエーションだね。
こんな日常がずっと続けばいいのにな。
ドンドンドン、と屋敷の扉を叩く音が広い屋敷の中に響き渡った。
「あれ、こんな夜中に誰だろ? ちょっと出てくるね」
「ああ、頼む」
背中越しに返事をするみゅんみゅんを横目に、わたしは玄関口へと向かった。
外は結構な量の雨が降っている。
そんな中わざわざうちへ来るなんて、一体何の用なんだろう。
ただ、少しだけ嫌な予感がする。
屋敷を覗く者、大聖堂で感じた憎悪。
わたしの脳内で不快な点と点が勝手に結ばれていく。
そんな不安を感じながらエントランスへとやってきた。
ドン、ドン、と扉をノックする音は弱まっている。
その音の出どころ、玄関口の手前へ辿り着いた。
向こう側に人の気配を感じる。
全力疾走をしてきたのか、呼吸が乱れている。
扉を開ける。
雨降り注ぐその先には、魔術師がいた。
わたしがプレゼントした杖を力無く抱えてそこにいる。
嵐に打たれながら、リューカちゃんはただ立ち尽くしている。
「エリゼ……セレナ……セレナがぁっ!!」
言葉にならないぐらいに切羽詰まっていることは、彼女を目にした瞬間に理解できた。
雨なのか涙なのか分からない液体がリューカちゃんの頬を濡らしている。
「リューカちゃん……」
「セレナを守らなきゃいけなかったのに、諦めちゃいけなかったのに、あいつの夢、奪われちゃった……。
あたし、止めなきゃ駄目で、でも、アランに連れて行かれて……」
リューカちゃんは途切れ途切れの言葉を必死に伝えている。
その姿が余りにも辛そうで見てるこっちまで苦しくなるから、わたしは雨に塗れた魔術師の手を引く。
わたしは目の前でずぶ濡れになっている少女を抱き寄せていた。
あっと吐息が漏れる彼女の背中を優しく撫でる。
「リューカちゃん、とりあえずいっぱい泣いて。
いっぱい泣いて、それからお話しよう」
「……うん……うん……うっ……ぁあ……」
「大丈夫、大丈夫だからね」
胸の中で泣きじゃくるリューカちゃんは年相応の少女らしく、孤独に努力を積んできた憧れの君もこんな顔をするんだって驚かされた。
リューカちゃんの嗚咽が落ち着き始めたところで、わたしは言葉にする。
「ね、リューカちゃん。お風呂入って美味しいご飯食べよっか。
そしたら全部聞かせてよ。何があったのか、わたしは何をすべきか」
「そんなことしている場合じゃないのよ……早くセレナを助けに行かないと……」
「そんなことしなきゃいけないんだよ。
セレナちゃんなら大丈夫。
わたし達以上に強くて誰にも負けないんだから。
だから、わたしは今一番助けなきゃいけないあなたを助ける。
雨に濡れて、息を乱して、苦しそうで、悲しそうで、悔しそうなあなたを。
リューカ・ノインシェリアを引っ張り上げないと。
わたしはそうする。
きっとセレナちゃんもそうするから」
「けど……」
それでもまだ渋っているリューカちゃんの頭上に、ふわふわのタオルが飛んできた。
それはゆっくりと落下して彼女の髪を包み込む。
タオルはわたしの後ろから投げられた物で、予想通りわたしのメイドが投げた物だった。
後ろを振り向くと彼女がいる。
料理を終えたみゅんみゅんが壁にもたれかかっていた。
「リューカ、入浴の準備は整っている。さっさと入った方がいい」
未だドジな部分がある彼女だけど、こういうときの手際はとても良い。
胸の中にいるリューカちゃんは、どうしようもなくなってただわたしを上目遣いで見つめていた。
「大丈夫だよリューカちゃん。ほら、あったまって来て」
これからお風呂に入るから無駄かも、なんて思いながら濡れた髪の毛をタオルで拭いてあげる。
優しく包んで、ただ水分を取り除いていく。
「……わかった。けど、これで手遅れになったら容赦しないわよ」
「ひええ、けど大丈夫だから安心して良いよ。
みゅん……ミュエルさん、浴場まで案内してあげて」
「ああ、任された」
みゅんみゅんは肩を震わせているリューカちゃんを浴場へと連れて行ってくれた。
……。
アランがセレナちゃんを連れて行った。
それはリューカちゃんが口にした言葉。
外の世界は雨に染まっている。
傘、用意しとかないとな
☆
「……この服は何?」
屋敷のリビング。
一ヶ月前の事件の後に家具を一新したその場所。
二人暮らしにしては大きめなテーブルを三人で囲んでいる。
お風呂上がりのリューカちゃんはどうやら、わたしが貸し出した服に疑問を抱いているらしい。
彼女が来ていた服は雨に濡れてぐしょぐしょだったから、現在絶賛乾かし中。
だから、仕方なくわたしの服を着てもらっている。
黒で統一されたブラウスとレイヤードスカートの一式。
……フリル多めで、いわゆるゴシックでロリータなわたしの秘匿されし趣味。
「えっと、わたしの服なんだけど……嫌だった?」
「はぁ、あんたこういうのが好きなんだ。
別に嫌じゃ無いけど、ちょっと照れくさいわ」
「そっか、でもすっごく似合ってるよ」
「ありがと……」
リューカちゃんの調子が戻って来たみたいで良かった。
みゅんみゅんが作ってくれたカレーライスを食べながら、わたし達は会話を始める。
「リューカちゃん、そろそろお話聞いてもいいかな。
その、アランがセレナちゃんを連れ去ったってことで合ってる?」
「……その通りよ。
今日の朝、アランは当然教会にやって来た。
本当に突拍子も無くあいつは現れたの。
それで、セレナを連れてくって……だからあたしは力づくでも止めないとって思って、でもアランにあたしの魔術は通用しなくて……」
言葉が出るに連れ、リューカちゃんの熱は上がっていった。
表情の豊かさが裏目に出ている。
その悲しい顔は、見ているだけで苦しくなる。
「だから、あたしは言葉を選んだ。でも、無駄だった。
あいつはあたしを言いくるめた。
セレナの幸せはアランと居ることなんだって、あたしは納得してしまった。
諦めてしまった。
あたしだけは諦めちゃだめだったのに。
セレナの夢を知っている、あたしは……諦めちゃだめだったのよ……」
テンペストにいた頃に比べて、あなたは驚くほどに変化しているよ。
人の為を思える人間になれている。
誰かの夢を守ろうとする人間になれている。
わたしが憧れていたあの頃よりも、ものすごく煌めいている。
誰がモノ言ってんだよって感じの上から目線だけど、それを世間一般では成長と呼ぶらしいよ。
だから、言わせて。
「でも、リューカちゃんはうちまで走って来てくれたよね。
諦めたはずなのに、また立ち上がってる。
だからまだ終わってないんだよ。
これからセレナちゃんを連れ返せばいいんだよ。
それに、結果だけ見たら『諦めてない』って言える……かもね」
「あんたは、褒めるのが上手ね。
ありがと、少しだけ楽になったわ。
……それで、どうしよ。
あたし、これからどうすればいいんだろ。
セレナの居場所も分からないし、どうやって連れ戻せばいいのかも分からない」
「一応聞いとくけど、魔術で探せないの?」
念話もできる、怪我も治せる、炎も出せる、体も強化できる。
そんな何でもありな力なら、行方不明の人間を探し出すこともできそうなんだけど。
「あるにはあるけど、対象者の唾液が必要なの」
「そうなんだ」
何だかとても気持ちの悪い術式な気がする。
魔術が無理となると、ちゃんと頭で考えてセレナちゃんの居場所を探らないといけないな。
とは言っても、実はもう大方予想はついている。
「……セレナちゃんの現在地、多分あの宿屋だよ」
「宿屋?」
「そう、リューカちゃんも馴染みがある場所だよ。
ギルドの目の前に建っていて、上層階の眺めが絶景なあの場所」
わたしも、リューカちゃんも、セレナちゃんもずっとそこで暮らしていた。
「高級宿屋『クレシェンド』」
「は、はぁ!? そんな馬鹿正直に拠点へ戻るわけないでしょ!?
だって、一国の有名人を拐ったのよ?
そんな街中に知れ渡っている自分のテリトリーに帰るなんて……ありえ……なくないのか……?」
そう。
アランは自分の拠点に帰らなければいけない。
「セレナちゃんを独占するためには、悪意を持ってはいけない。
だからアランは逃げられないんだよ。
姿を暗ました時点で、それは後ろめたさの証明になってしまうから。
だからきっと、アランとセレナちゃんまだあの宿にいるはずだよ」
聖女の頼まれたことは断れないという特性を利用しているのなら、アラン側にも厳しい制約が課せられる。
縛りは色々あるけど、特に順守しないといけないのはそのお願いが善い行いでなければいけないということ。
聖女を頼ることができるのは基本的に善人だけ。
だから、アランは心の底から善人を演じているはずだ。
「助かったわエリゼ、あんたのおかげで居場所は突き止められた。
けど、どうやって連れ返せば良いんだろ。
アランを説得する方法を、セレナをより納得させる方法をあたしは知らない……」
簡単だよ、リューカちゃん。
説得も納得も必要ない。
分かり合う必要もない。
無理矢理改心させてしまえばいいんだよ。
「わたしが……アランをやっつけるよ」
「……ん? あんた、何言ってんの?」
「わたしがアランをボコボコにする。
それでセレナちゃんを解放してもらうよ」
対面に座っているリューカちゃんは、スプーンですくって口の前まで持って来たカレーライスを、食器に落とした。
「いや、あんた……マジで言ってんの……?」
「うん、マジ」
「はぁ……いや、エリゼが自立人形倒しちゃうぐらい強いのは知ってるわよ。
だけど、それでもアランに勝てるなんて信じられない」
「えー嘘だー。
だって、わたしを信じてくれたからここに来てくれたんでしょ?」
「そ、そうだけど! だって、あんたが戦ってるとこなんて見たことないし」
「大丈夫だよ、きっと」
わたしは料理を口に運ぶ。
味はしないけど、とても温かいのだけは分かる。
いっぱい食べて、力つけとかないといけないな。
だけど、そんなわたしを悲しげに見ているあなたと目が合ってしまった。
「ご主人様、戦うのか……」
「うん……ごめんね、心配させちゃった。
でも大丈夫。わたし、ちょっとだけ強いから」
みゅんみゅんはとても不安そうな表情をしている。
そうだよね……あなたは暴力沙汰を嫌悪している。
だから、本当はわたしもこんなやり方しちゃいけない。
そんなのは理解しているんだ。
けど、アランを言い聞かすには暴力以外の方法が無い。
彼女は、力を信じて、力で生き抜いてきた少女だから。
「だったら、私も連れて行ってくれないか。
何もできないけど、足手まといになるかもしれないけど……だけど」
「もちろんミュエルさんには付いて来てもらうよ。
だって、わたしのメイドなんだから」
みゅんみゅんは少しだけ口角を上げて、微笑んでくれた。
あなたの前で、あなたが嫌う戦いをしてしまうのは、嫌だな。
それだけが、心残りだ。
そうして、わたし達は夕飯を済ませた。
「ミュエル、ご飯おいしかったわ。ありがと」
「口にあったようで何よりだ」
この二人もだいぶ打ち解けてきたみたいだね。
好きな人同士が仲良くなってくれるの、嬉しいな。
そうして、わたし達三人は屋敷を出た。
ぬるい雨はまだ空から落ちて来ている。
わたしは、メイドは、魔術師は、黒い傘を掲げて林道を歩く。
目指すべき場所は都心部の高級宿屋。
……。
ねぇアラン、君はそんな人じゃなかったはずだよ。
セレナちゃんの信念を、人の夢を潰してでも自分の愛を実現させる女じゃなかったよね、
また、あの頃のあなたに戻ってくれればいいのに。
わたしをパーティに誘ってくれたあの頃の優しいあなたに。
わたしはそう願っている。
……。
だけど、この夜だけは無礼講を。
わたしはお前の過ちを悉く殺す。
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