069 月の光を浴びる聖女と濡れた手の女
エリゼ視点
お泊まり会が始まって数時間。
リューカちゃんは、幼少期に魔術師の偉人達を巡っていた頃の話をしてくれた。
セレナちゃんは、修道女としての基礎を指導してくれたお姉様の話をしてくれた。
みゅんみゅんは、亡き親友ナルルカ・シュプレヒコールとの思い出話をしてくれた
わたしは、これから先に起きて欲しい未来の話をした。
布団という小さな世界の中だからか、わたし達はする必要の無い話、つまりは心のどこかで曝け出したいとは思っていたけど理性が抑制していた少しばかりの秘密を口から溢していた。
そのおかげで、四人が互いに各々の新しい部分を発見するという最高の絆深めコミュニケーションを成功させることができたと思う。
それからは続々と夢の世界へと脱落していった。
まず、話を聞きながらもうつらうつらとしていたみゅんみゅんが寝息を立て始め、次にリューカちゃんが枕に突っ伏し、わたしが現実をおさらば。
最後にセレナちゃんが眠りについた。
それから再び時間が経ち日付が変わった頃。
みんなが寝静まる中、わたしは一人目を覚まして部屋を出た
お手洗いへとね。
まぁ、あれだよ。
慣れない環境がわたしの膀胱を刺激したってこと。
残念ながらこの寮の部屋にはお手洗いを済ます設備が備わっていないらしく、わざわざ廊下の奥の方へ移動しないといけなかった。
誰にもバレないように隠密行動で部屋を出て、静かに廊下を歩く。
大きな窓から月光が差している。
綺麗、そんな簡単で退屈な言葉しか思い浮かばないけど、それで十分なのかも。
共用のお手洗いで用を済ましたわたしは、人気の無いはずの廊下を歩き出してそのまま寮を裏口から出た。
どうやら修道女というのはハンカチを常備している淑女だけがなれるようで、もちろん粛々と怠惰エリゼ・グランデはその類の布を所持していないわけで……。
最悪なわたしは濡れた手を風に当てて乾かしていた。
裾で手を拭くっていう選択肢もあったけど、ちょこっと濡れたナイトウェアで布団の中へ戻るっていうのは最低だ。
裏口扉の先にはちょっとした庭がある。
小さな花畑と白塗りのベンチ。
その直ぐ側には噴水が設けられていた。
ちょっとした庭、と言うのは撤回しないといけないな。
立派な庭だ。
手をバタバタと振りながらその景色を眺めていると、背中の方から音がした。
扉が開く音。
振り向いた先には、神々しい銀髪が靡いていた。
セレナ・アレイアユース。
少女は不思議そうにわたしを観察する。
そして、あぁなるほど、といった表情を浮かべた。
「エリゼさん……ハンカチは持っていて損はないですよ。これ、どうぞ」
わたしがここにいる意味を察してくれたセレナちゃんは、無償の愛でハンカチを貸してくれた。
「ありがとうセレナちゃん! 助かるよ〜」
「いえいえ、聖女として当然のことをしたまでです」
「それで、セレナちゃんはどうしてここへ?」
「月光浴に、と思いまして」
「こんな夜更けに?」
セレナちゃんは「はい」とだけ囁くと、わたしの前へと歩き出した。
建物の影と照らされる庭の境界線を跨ぐと、銀色の髪の毛は月光を弾いて煌めきを放つ。
その澄んだ瞳には穢れが無く、その純白の衣装には純潔が宿っていて、その白い肌には月光が塗されていた。
聖女はひらりと振り向いて小さく薄く笑う。
「庭が星に照らされていて、とっても綺麗ですね」
この言葉は、彼女による願いだった。
直接誰かを頼ることができない聖女は、こうして遠回りな言葉で人を誘う。
それを知っている。
「こんな綺麗な星空があるのなら、わたしも月の光を浴びてみようかな」
キメにいき過ぎたせいで、変な言い回しになった気がするけど良しとしておこう。
わたしとセレナちゃんは噴水の前に置かれた白塗りのベンチに腰を掛けた。
「二人きりになるの、とっても久しぶりだね」
「そうですね。いつ以来でしょうか」
「あの日、星を見にいった夜以来だよ」
「そっか、その日から二人になれたことはありませんでしたね。
ふふっ、とても懐かしくて綺麗な思い出です」
テンペストに所属していたあの頃。
アランとリューカちゃんに虐げられていたあの時。
堪えきれなくなったあの夜に、わたしはセレナちゃんに頼み込んで冬の天体を観測しに連れて行ってもらったことがある。
「美化しすぎじゃないかなぁ。わたし、ゲロぶち撒けた気がするんだけど」
「吐瀉物と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔も綺麗でしたよ」
「ちょ、ちょっと、恥ずかしいよ!! 覚えすぎ!!」
最悪だ。
思い返すとわたしは、全裸で踊り倒すよりも恥ずかしい行いを年端も行かない少女に見せてしまっていた。
わたしの汚い顔を見るよりも、もっともっと素敵な星空を目に焼き付けておいて欲しかったな。
「鮮明に思い出せますよ。だって、エリゼさんから貰った唯一のお願いでしたから」
言われてみればそうだった。
普段から人の願いを聞くことが多い彼女に、わたしはその一度しか頼ったことがなかったな。
とにかく、かなり恥ずかしい思い出話から切り替えないと。
「セレナちゃん、今日は誘ってくれてありがとう。お泊まりなんていつぶりだろ」
「聖女として当然のことをしたまでですよ。
定義によりますけど入院以来じゃないでしょうか?」
「定義によりすぎでしょ!」
確かに考え方次第では数多の患者と同じ屋根の下で寝ていたわけだけど、あれをお泊まりって呼ぶのなら、毎晩この星に存在する全生物をお泊まりしていると言ってもよくなる。
なんならそう言ってやっても全然良い。
そう、わたし達は常に不特定多数の誰かとお泊まりしているんだ。
そう思うと気分が悪くなる。やめておこう。
……。
……。
「ねぇ、セレナちゃん……ミュエルさんのこと考えてくれてありがとね」
多分、セレナちゃんはミュエルさんが今どう言う状況なのかを察してくれている。
いや、確実に理解してくれている。
彼女ほどに悩みに敏感な人はいないのだから。
「礼を言うならリューカさんへどうぞ。
ミュエルさんの傷心に気付いたのは彼女ですから」
「そうだね……リューカちゃんにはたくさんお礼をしないといけないな。
ずっと貰いっぱなしだから」
かつて墜ちていたわたしを勇気づけてくれたのは紛れもないリューカちゃんだ。
そして、あの遺跡でわたしを救ってくれた三人の内の一人にもリューカちゃんがいた。
今回もそう。
生誕祭の準備に誘ってくれたのはリューカちゃんだった。
対して、わたしは何も返せていないな。
「貰いっぱなし、ということも無いですよ。
きっとリューカさんもエリゼさんにお礼がしたいはずですから」
「そうかな? わたしは何もしてあげれていないけど……」
「そもそも、友達に対して『してあげる』なんて言葉は不適切だと思います。
友達として一緒にいるだけで互いに幸福が訪れているんですから、もっと気楽に考えていきましょう」
「そっか、そうだよね……!」
セレナちゃんの言う通りだよ。
友達には損得も恩も貸しも無いんだ……いや、無いとは言い切れないけど。
ただ、そういう細かいことを気にする必要は無い……いや、無いとは言い切れない。
ああ、もう。
セレナちゃんに説いてもらった直後なのに、どうしてわたしは葛藤しているんだ。
もしかして友達という関係に向いていないんじゃ。
そもそも友達に向いているなんて概念は無いような。
駄目だ、暗い方向へばかり考えてしまう。
こういう癖、治さないといけないんだけどな。
このまま溜め息として不安を吐き出したいけど、セレナちゃんが隣に座っているから堪えよう。
不安の仕草を見逃す彼女では無いのだから。
しばらく無言のまま、二人で景色を眺めているとセレナちゃんが質問をしてきた。
「あの、エリゼさんは自分の話をしたことがありますか?」
「んー、無いかも。どうして?」
「深い意味は無いんですけど、さっきもエリゼさんだけ未来のお話をしていたから」
「んー、重く捉えないで欲しいんだけどさ、わたし、昔のことを思い出せないんだよね」
「……え?」
「テンペストに居たときとか、どうやって育って何に憧れてきたかとかは覚えてるんだけど、ある一定の時期の記憶だけは綺麗に抜け落ちちゃってて。
あはは、おかしいよねこんなの」
なんて笑って見せるけど、セレナちゃんは只々不安そうな顔をしていた。
「あの……私と初めて出会った日のこと、覚えていますか?」
「えっと、アランが宿にセレナちゃんを連れてきた日だよね。
わたし驚いちゃったよ、まさか本当に聖女様を連れてくるなんて」
「え? いや……そこじゃ無いですよ……?
ほら、エリゼさんがあのお二人とパーティを組んでいた時です」
二人……?
誰と誰だっけ。
おかしいな。
知っている気がするのに、思い出せない。
「あれ、いつだろそれ……」
「ほら、金色の髪をした不良なシャウラさんと、清楚の語源といっても過言では無い小柄なカトレアさんですよ。
……あの、思い出せない時期っていうのは、もしかして」
シャウラ……カトレア……。
ああ、そうだ。
わたしが初めてパーティを組んだ人の名前だ。
シャウラちゃんに、カトレアちゃん。
とても大切な記憶なのに、どうして思い出せなかったんだろう。
……。
……違う。
思い出せないというより、思い出そうなんて考えもしなかったんだ。
だって、あの二人とは……。
……。
「あ〜、思い出したよ。あはは、そうだったね。
セレナちゃんとの出会いは、魔獣に襲われているところをわたしが助けたんだっけ?」
「全然違いますよ!
土砂降りの雨に打たれてずぶ濡れになった私の元に颯爽とエリゼさんがやってきて、身につけていた服を譲ってくれたのが出会いです!」
「あれぇ……そんなことあったっけ……」
「その後、『わたし、雨避けれるから!』って自信満々にピースサインしたと思ったら、とんでもない速さで街中を駆けていったじゃないですか。下着姿で。
その時から、私より聖女精神旺盛な人がいるんだ、ってずっとエリゼさんに憧れてるんですから」
う、嘘でしょ。
そんなポジティブ元気っ娘だった記憶一切無いんだけど。
ていうか、どう考えても狂ってる露出狂に憧れちゃ駄目だよ、セレナちゃん。
「わたし、そんなヤバい女だったんだ。でも……思い出せないや」
初めてパーティを組んでいた頃の記憶が一切出てこない。
なんでだろ、とても楽しくて、大事な思い出なのに。
……。
じゃあ、二つめのパーティは……。
……。
……。
……。
思い出してはいけない。
……。
……。
……。
「あの、大丈夫ですかエリゼさん?」
可憐でありながらどこか涼しい声が聞こえて我に戻る。
セレナちゃんが心配そうにわたしを覗き込んでいた。
「無理に思い出すのはやめておきましょう。
きっと、何か理由があって記憶が曖昧になっているんですよ。
それに過去より未来を見た方がきっと楽しいと思います。
先ほど布団の中で話してくれたように」
「うぅ、ごめんね。記憶能力雑魚女で……」
「ああっ謝らないでください。
もう部屋に戻りましょうか。
眠る時間が減ってしまいますので」
わたし達はベンチから腰を上げて、寮の中へと戻った。
廊下には未だに眩しい月光が差している。
採光が良くてとても明るい。
その幻想に彩られた通路をゆっくりと歩きながら、わたしは貸してもらったハンカチを胸の前へ持ってきた。
「ハンカチ、洗って返すね」
「いいえ、気にしないでください。
それに私、ハンカチそれしかないので、その、持って帰られると困ります」
「あ、そうなんだ。じゃあ返すね。
ちょっとだけ気になるけど……」
「大丈夫ですエリゼさん。
私、エリゼさんの中古品なら気になりませんので」
「あはは、中古品って言い方はちょっと……」
そうこう話している内に、セレナちゃんの部屋の前までやってきた。
さて、もう一眠りキメますか。
ドアノブに手をかけて、音を立てないよう慎重に扉を押す。
すると、扉を開けた途端にわたしの手が誰かに引っ張られた。
「うえぇ!?」
この手の大きさは……みゅんみゅんだ。
思い切り部屋の中へと引っ張り込まれて視界が暴走する。
訳もわからないまま顔が床へと衝突しそうになったが、柔らかい何かがクッションとなって万事休す。
どうやらわたしは布団へと引き込まれたらしい。
だけど、さっきまで寝ていたそれとはまるで感触が違う。
まずこの顔を包んでいるクッション。
これは、あれだ。
天国だ。
どう考えても柔らかい胸の間に顔が埋まっている。
となれば、わたしが乗っているこの全身を包み込むようなものは……。
みゅんみゅんの肉体だ。
つまり、わたしは今みゅんみゅんの上で伏している。
とりあえず深呼吸をしておこう。
「ご主人様……私の側を離れないでくれ……」
「ごめんね、お手洗いに行った後セレナちゃんと話し込んじゃった」
「……今夜はこのまま寝るぞ」
「うそ!? じゃ、じゃあ遠慮なく」
物理的な観点から言うときっと寝心地は良くないだろう。
だけど、感情的な観点から言うと絶頂睡眠間違いなし。
……いや、感情が爆発して眠れない可能性もあるけど。
ぎゅっ。
視界がみゅんみゅんバストで埋まる中、誰かがわたしの左手を握った。
「え、だ、誰かわたしの手握ってる?」
「まぁここは私の部屋ですから、偶発的に何かを握ってしまっても問題ありませんよね」
犯人はセレナちゃんだった。
そして、それを聞いたみゅんみゅんはわたしの腰に手を回して抱き締め始める。
も、もしかしてだけど、妬いてくれているのかな……。
ぎゅむむっ。
今度は右手が握られた。
この場でそれができる少女はただ一人。
「あ、あたしもなんか色々とあれであれだし……ね?」
眠っていたはずのリューカちゃんは、ごにょごにょ言いながらわたしの右手を握っていた。
それを聞いたみゅんみゅんは、わたしの体に足を絡めてきた。
なんだこの状況。
興奮して寝れなさそうなんだけど。
これまで押しつけられていた負の運命がお礼をしてくれているのだろうか。
いや、そもそもこれまでの人生が落ちすぎなんだ。
たまにはこれぐらい幸せなことが起きてもいいのかもしれない。
その夜、予想に反してわたしは驚く程ぐっすり眠りにつくことができた。
世界に愛されているんじゃないかって、錯覚したからなのかな。
ありがとう……みんな……。
……。
ちなみに翌朝、みゅんみゅんの胸元はわたしのだらしない口から溢れたよだれでベトベトになっていた。
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