068 元聖騎士に枕を投げさせてはいけない
エリゼ視点
星空輝き始めるその狭間で、リューカちゃんによる観客わたし一人の演奏会が幕を閉じた。
その後、修道女専用の大浴場を借りて入浴を済ませたわたし達は、本日お泊まりをさせていただくセレナちゃんの部屋へと移動していた。
部屋の中はダークな木材が床や柱に使われていて、落ち着く雰囲気だった。
修道女の寮というには少しだけ大きい気がする。
その割には、置かれている家具が少ない。
ベッドと質素な机と椅子、それに純白の杖が置いてあった。
というのがセレナちゃんの家具。
それとは別に、アクセサリ系が置かれているローテーブルと大きめのソファがある。
その上には漆黒の杖が寝かされていた。
多分、リューカちゃんが持ち込んだものだろう。
わたしが贈った杖、大事にしてくれてるんだ。
よかった。
「いらっしゃいませエリゼさん! それとおかえりなさい、リューカさん」
ベッドに腰を掛けているセレナちゃんが笑顔で迎え入れてくれた。
白いドレスのようなナイトウェアもとても似合っている。
「お邪魔しまーす……って、ミュエルさんくつろぎすぎでしょ!?」
部屋の中央には大きく敷かれた布団があるんだけど、その布団の上には既にみゅんみゅんが寝転がっていた。大の字で。
「ご主人様、先に失礼している」
とても気持ち良さそうにしながらこちらを見上げている。
クールな顔が崩れる程に脱力してあなたの心には、きっと優しさが注がれてきているんだろうな。
良かった、またミュエルさんの楽しそうな顔が見れる。
「あんた達、お揃いなのね」
リューカちゃんはわたしとみゅんみゅんを交互に見ながらそう言った。
「えへへ、そうなんだよ。二人で買ったんだ」
「そう……」
わたしとみゅんみゅんは同じ店で買った黒のナイトウェア着ている。
それが当たり前になっていてそういうときめきが薄れていたけど、改めてそう言われるとなんだか嬉しくなるね。
「それにしても大っきなお布団だね」
部屋の中央を陣取るそれは、見るからに一般的な布団の範疇から逸脱していた。
空を泳ぐ雲がそのまま落ちてきた、は流石に言い過ぎだけど、とにかく大きい。
大きな体を持つみゅんみゅんが寝転がっているのに、まだ人が三人入れるぐらいの余裕がある。
セレナちゃんはベッドから立ち上がると、そっと布団の上に座った。
「ええ、特別な物を借りてきました。
四人で寝るんですもの、これぐらい大きくないと窮屈ですから」
「え?」
「安心してください。
夏の夜の暑さにやられないように、部屋には気温調節の術式をリューカさんに掛けてもらっているので快適に眠れますから」
いや、そうじゃなくて同じ布団で女の子四人が寝るなんて、ちょっと破廉恥すぎませんか。
みゅんみゅんと添い寝するだけでも睡眠時間が削れに削れると言うのに、そこにリューカちゃんとセレナちゃんが加わったら大惨事だよ。
それとも、わたしが意識し過ぎているだけで、実は普通のことだったりするのかな。
だとしても、わたしがようやく辿り着いたみゅんみゅんの隣に、こうも安易と二人に寝られるのは耐え難いな。
なんとしてでも左から、みゅんみゅん、わたし、リューカちゃん又はセレナちゃんの順番に寝てもらわないといけないね。
「私、今日は疲れたからもう眠たい」
な、早速チャンス到来。
久しぶりに大勢の修道女達とコミュニケーションを取ったために疲れているメイドが一人。
「そっかぁ、わたしも寝ようかな。
ミュエルさんちょっとどけてー、わたしも布団上がりたいから」
「ああ」
そう言うと、みゅんみゅんは大の字になっていた四肢を折り畳んだ。
布団の真ん中のままだ。
や、やっばい。
全然移動してくれない。
強引に転がしてでも布団の端へ追いやらないと!
みゅんみゅんの隣を取られるのは、いくらこの二人であろうと許せないのだから。
「じゃあ私も寝ますね。
ミュエルさん、お隣失礼します」
ズコーっ、という効果音が相応しい程にわたしは布団の上を滑った。
ま、まさかこんなナチュラルに添い寝を成し遂げる聖女様がいるとは。
強い、強すぎるよ。
いや、一言「ミュエルさんの隣はわたしだけだから」って答えればいいんだけど、それは器が小さい女であることの証明だと言えてしまう。
実際わたしは嫉妬が激しめな自覚はある。
けどさ、それを表に出すのは違うじゃん。
みっともないというか、ダサいというか……とにかく駄目。
くっ、セレナちゃんは生涯純潔を宣言しているから許そう。
みゅんみゅんの騎士顔を目にしてその心構えが変わらないことを祈る。
「あたし、枕投げをやってみたいわ」
未だに布団へ上がっていないリューカちゃんは、枕を抱えながらとんでも可愛いことを口にした。
それは、この女女嫉妬的状況を覆す唯一の光。
「いいね、やろうやろう!」
「エリゼさんやる気満々ですね。
私、聖女なので枕投げならぬ枕渡しぐらいしかできませんけど、受けて立ちますよ」
セレナちゃんは袖を捲りながら枕を持ち、布団の上で立ち上がった。
「ミュエル、あんたも立ちなさいよ」
「いや、私は遠慮しておく。
殺してしまうかもしれないから」
枕投げなんていうメルヘンドリームゆるふわな世界観で絶対に出ないであろう単語が聞こえた。
だけど、わたしは知っている。
みゅんみゅんは本当に枕投げで殺人を犯してしまうと思っていることを。
実際、彼女が本気で枕を投げれば重症を追う可能性は十分にある。
「あんた馬鹿ぁ? 枕で人は死なないわよ」
「いや、でも本当に危険だから……」
「あんたみたいなのがいると白けるのよ。
ほら、あたしが完璧に受け止めてあげるから試しに投げてみなさい。
死ぬわけないし、傷にもならないわよ」
「リューカちゃん、やめようよ。
ミュエルさん抜きであそぼ?」
「心配いらないわよ、エリゼ。
それにあたし、輪から外れる人を出したくないの。
ミュエルも一緒に遊んだ方が絶対楽しいわよ!」
リューカちゃんは屈託の無い笑みでそう宣言した。
そう言われてしまうと、言い返す言葉がなくなるな。
みゅんみゅんは、頭を乗せていた枕を掴むと渋々立ち上がった。
「分かった。私も枕投げではなく枕渡しの要領で参加しよう」
枕渡しって何?
「その意気よ。ほら、あたしに枕を投げてみなさい。
芸術的に受け止めてあげるから」
「いくぞ……」
そう言うと、枕を下投げでリューカちゃんの方へ飛ばした。
……。
みゅんみゅんは軽く枕を放つつもりだったんだと思う。
わたしの目から見ても、極限まで力を削ぎ落としていることが分かるほどに脱力しているのが分かった。
だから、ここまでは安全で軽い枕が投げられるはずだった。
それがやってくるまでは、安全なはずだったんだ。
殺傷能力なんてあるはずも無かったんだ。
「へっぐちゅはぁ!!」
とても愛おしいくしゃみが世界に発生した。
それはわたしにとっても、みんなにとっても初めて耳にするみゅんみゅんのくしゃみだ。
佇まいとのギャップに心が撃ち抜かれる。
しかし、そんな柔らかな世界観とは対極に位置する砲弾がみゅんみゅんの手から放たれていた。
くしゃみの衝撃で、一瞬だけ枕に力を込めてしまったんだ……。
風を切り裂き音の速度を越える弾丸がリューカちゃんを穿つ。
バァン、という音と同時に魔術師の少女は吹き飛ばされた。
枕に飛ばされる彼女を目で追うことしかできない。
そのまま壁に激突したリューカちゃんは、大きく開脚させた両足を天井に向けながら転んでいる。
後転の途中で時間を停められた様なその格好は、とても恥ずかしくて羞恥一直線なんだけど、そんなことを考えてはしゃいでいる余裕は無い。
だって、みゅんみゅんの力をまともに受けてしまったんだから。
いくら柔らかな枕とは言え、元聖騎士の力が乗ったそれを受けてしまったんだ。
常人なら全治数ヶ月の怪我を負ってしまうはずだ。
止めるべきだったんだ。
リューカちゃんは生誕祭で演奏を披露しなくてはいけなかったのに、これじゃあそれも……。
セレナちゃんは目を見開き口元を両手で押さえている。
みゅんみゅんは、やってしまったという怯えた顔をしながら、ゆっくりとわたしの方へ顔だけを向けてきた。
でも、そんな顔をされてもわたしは何もできないよ。
ただ不規則に首を振って、今のは事故だからと伝えることしかできない。
リューカちゃんが死んだのは、みゅんみゅんのせいじゃないから……。
「ぶはぁ!!」
驚くべきことに、枕に吹き飛ばされた少女が息を吹き返した。
天井の方へ上げていた両足を下ろすと、リューカちゃんただ一言。
「……撤回するわ……枕投げでも人は死ぬ」
そう言った。
苦笑いを浮かべているリューカちゃんの周囲には、魔力で構成された魔法陣がいくつか展開されている。
威力を逃がす術式や、単純な防御術式、そして枕や壁を保護するための術式まで、ありとあらゆる魔術を一瞬の内に展開していた。
良かった無事で、良かったリューカちゃんが最強魔術師で……。
「あ、あの……枕投げはやめにしてもう布団入りましょう。
ほ、ほら、恋の噺をする方が楽しいんじゃないですか?」
セレナちゃんは安堵と緊張を交えた声色でそう言った。
「そうだね! そうしよう! ミュエルさんも眠そうだし!」
そう言いながら、わたしとセレナちゃんは枕を頭の方へ置き、すぐさま眠れるような態勢をとる。
「そうね……もう寝ましょう。今のでどっと疲れたわ。
ミュエル、安心して良いわよ。あたしは無傷だから」
みゅんみゅんは胸を撫で下ろしながら息を吐き、そのまま倒れ込むように布団に入った。
ちゃっかりみゅんみゅん、わたし、リューカちゃん、セレナちゃんの順番で並ぶように仕向けることに成功した。
そして、他愛も無いお話を繰り広げながら寝床につく。
リューカちゃんが隣で寝ているの、新鮮だな。
「枕投げって……こんなにやばかったのね……」
眠る直前、リューカちゃんが震えながらそう呟いたのを耳にした。
多分今夜のあれは枕投げなんて可愛いものじゃなくて、枕撃ちだとか枕殺しと呼ばれる類のものだと思うよ。
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