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060 月光に照らされる二人の一夜

ミュエル視点

 

 フルーリエ率いる騎士団が現場の処理を終えて屋敷を後にした。


 世界が夜に染まり始めている。

 揺れる木々は木漏れ日の代わりに黄昏を通過させている。

 カラスの群れすら居なくなってしまった森の奥。


 私とエリゼハートを名乗るご主人様の片割れは、屋敷の庭に建てられた屋根付きのベンチに座っていた。


 何をするわけでもなく、私達はただ手を重ねている。


 昼の出来事。

 賊に襲われたことがなんだか遠い昔のように感じる。

 なんなら、他人事にすら思える。


 震えるほど、怯えるほど、従属させられてしまうほどに恐怖していたはずなのに、私の中にはその片鱗すら残っていない。

 ただ呆然とした空白が広がっている。


 そのせいで、結局私は傷を負ったのかそうでないのかを自覚できていない。


 でも、何も考えたくないということだけはなんとなく理解していた。


 鮮やかさを失う空を見つめながら、そんなことを考えている。


 すると、隣の少女は突然立ち上がり言った。



「さて、お別れですミュエル」



 そんな気はしていた。

 この時間はいずれ終わると。


 その少女の体は、ご主人様のものだから。



「そろそろエリゼが起きます。

 彼女が落ちている間の記憶は、私がなんとかして辻褄を合わせておきますね」


「そんなことができるのか?」


「ええ、記憶の改竄は得意分野です。

 私が経験した記憶を上手いことエリゼにも埋め込んでおきます。

 ミュエルは、私の存在を示唆させないことだけに注意を払ってください」


「……エリゼハート、どうしてご主人様に存在を知られたくないんだ」


「否定します。私は寧ろエリゼに認知されたい。

 だけど、それは……ミュエル、あなた人に秘密を話させるのがお上手ですね」



 じっとりした目でそう言われた。

 どうやら、まだその真相を聞く頃合いでは無いらしい。



「バレてしまったか。

 エリゼハート、私を救ってくれてありがとう」


「女共を斬り伏せることができたのはエリゼの身体能力あってこそです。

 それに、私も元はと言えばエリゼが作り出した存在です。

 なので、お礼を述べるのならミュエルのご主人様宛にしてください」


「もちろんご主人様にもお礼はする。

 だからエリゼハート、素直に感謝を受け取ってくれ」



 懲りないお人、と呟くと少女は斜め下を見てゆっくりと瞬きをした。

 庭の香りを嗅ぐように鼻から息を吸うと、再び私の目を見つめる。


 その瞳はとても綺麗で、幻想的で、鮮やかで。


 ここでこの少女とはお別れなんだと、そう直感した。



「ミュエル、こんな時に不謹慎ですけどあなたと話せてよかったです。

 さようなら、ミュエル。

 エリゼをよろしくお願いします」



 少女は瞼を閉じた。

 その場でフラフラと上体を揺らしている。



「あ……立ち上がるんじゃなかった。

 ミュエル、支えて……くだ……さい……」



 そう言うと、エリゼハートは眠るように意識を落としてこちら側へと力無く倒れた。


 私は咄嗟にベンチから立ち上がり、ゆっくりと体勢を崩すその少女をそっと受け止め、

 抱きしめる。


 突拍子も無く動かなくなってしまったその体を抱いて数十秒、少女はもぞもぞと頭を動かし始めた。



「ご主人様……」



 声が漏れる。


 離れていた時間は一日にすら満たない。

 それなのに、ご主人様と顔を合わせるのがなんだか久しぶりな気がする。



「あ……れ……わたし、何してたんだっけ」



 私の胸元から声が聞こえた。

 そして、その声がエリゼハートではなく、ご主人様のもの。



「あ……あいつらは、みゅんみゅんを襲ってた、あの女、うぅ、吐きそう」



 苦しそうなその背中を優しく撫でる。

 ご主人様が安心できるように、憎しみを和らげるように。



「えっと、そうだ、わたしが何とかしたんだ、それで騎士が来て……陽が落ちて……。

 無我夢中で動いたから気を失ってたみたい」



 少しばかりの改竄はあれど、記憶の方はエリゼハートと共有しているみたいだ。



「……えと、今わたしが顔を埋めているこの天国はみゅんみゅんだったりする?」


「私の胸だ」


「そっか……ならもう少しだけこのままでいさせて」



 ご主人様は破かれた給仕服の胸元へ顔を埋めて、停止してしまった。

 無言のまま私の背中へと腕を回してあなたは言う。



「みゅんみゅん……わたしからメイドのあなたへ命令です。

 力一杯わたしを抱きしめなさい」


「いや、でも……」


「大丈夫、わたしは頑丈だからみゅんみゅんの全力も少しだけ耐えれるよ。

 我慢しないで、ぎゅっと抱きしめて。

 手を握るように、頭を撫でるように。

 いつかのあの日、星空の下抱き合ったわたし達のように」


「分かった……そこまで言うなら……」



 言われるがまま、私はその小さな体を抱きしめた。

 できるだけ力を入れて、だけど全力は出さないように。


 顎の下にあるご主人様の頭頂部に頬を軽く乗せる。


 冷えてしまった体の内側が温度を取り戻す。


 この匂い好きだ。

 髪の毛の香り。


 同じ洗髪剤を使ってるはずなのに、私とは違う匂い。


 胸の中にいるご主人様が、少しだけ顔を上げた。

 私の耳元に声が当たるようにして言葉を続ける。



「ごめんね、みゅんみゅん。

 わたし、助けるの遅くなっちゃった。

 辛い思いさせてごめんね。

 守ってあげられなくてごめんね。

 ……生きててくれて、ありがとう」



 あ、駄目だ。

 これ、本当に駄目だ。


 何も感じていかった体が突然震え始めた。

 堪えきれない程に涙が溢れてくる。


 そっか、そうだったんだ。


 私、心が壊れかけていたんだ。


 自分を他人のように思って感情から逃げていたのは、精神が狂わないようにと本能が垂らした細い糸によるもの。


 凌辱の痛みを忘れていたんじゃなくて、現実を見ないようにしていただけ。


 朽ちて消滅するはずだったその心は今、ご主人様の抱擁と言葉によって絶命を免れた。


 私を本当の意味で救ってくれるのは、あなただけなんだ。



「ご主人様……ご主人様ぁ!」


「みゅんみゅん……」


「私、怖くて、とても怖くて、聖騎士なのに、動けなくて、戦えなくて!

 肌も見せたく無くて、必死に抵抗したけど、けどっ!

 まだ、ご主人様にも見せたこと無かったのに……なのに……。

 穢れてはないけど、それでも私、汚されて気がして……やだ、やだよ。

 こんなの嫌だよ……」



 ああ、あの日もこんな風に私は泣きついていた。

 百合咲き誇るあの教会で、星に照らされながら私は泣いていた。


 あの夜ご主人様は、ナルルカを恐れていた私を救ってくれた。


 またか、また私は泣きじゃくることしかできないのか。



「ごめんみゅんみゅん。

 わたしが家を出なかったら、こんな思いさせなくてよかったのに……。

 ごめんね。わたし、謝ることしかできないや。

 でも大丈夫。みゅんみゅんはどこも汚れてないよ。

 すごく綺麗でかっこよくて可愛いわたしのメイド。

 ……もう絶対に離さない。

 これからは必ずわたしが守ってみせるから、もう二度と悲しい涙は流させないから。

 今日という一日をわたしで塗り替えてみせるから。

 だから、絶望に溺れないで、眩い日差しを見てあげて。

 また明日、笑い合えるように二人で生きていこう」



 子供のように震える私を宥める言葉を囁いてくれた。


 私の弱さを受け入れてくれる。


 私の未来を思ってくれている。


 それから、私は震えるだけ震えて、泣けるだけ泣いた。

 一時間か二時間か、自分でも分からないほどご主人様の頭の上で過ごしていた気がする。


 もう、一生離れたくない。

 死んでも離れない。


 あの夜よりもずっと近くにご主人様を感じる。

 これからはより近くに、ずっと側に……。


 緩い風が吹くと、同時に抱擁が解かれた。


 ご主人様は少し後ろに下がると、その顔を私に見せた。

 とても優しくて愛しいその顔は柔く笑っている。



「もう一つ命令しようかなぁ。ねぇみゅんみゅん、膝枕してあげる」



 それだけ言うと、ご主人様はベンチに座った。

 ばたばたと自分のふとももを叩いているのは、さっさと頭を乗せろと催促しているのだろう。


 少しだけ恥ずかしいが、私は従うことにした。

 なんだか立場が逆転している気がする。


 スカートを少し持ち上げてベンチへ横たわり、頭をご主人様の太ももへ乗せた。

 私の大きな体はベンチの横幅に収まらないため、膝を折り曲げる



「ごめんね、ちょっと行儀悪いことさせちゃってるかも」


「ここには私とご主人様しかいないんだ。そんなこと、気にしなくていい」



 ご主人様はふとももの上で寝転ぶ私の顔を見下ろしていた。


 長めの前髪が垂れて額が露わになっている。


 いいや、それだけじゃない。


 細く剃り上げられた眉毛も、魅力的なまつ毛も、綺麗な瞳も、艶のある唇も、今だけは全部私のものだった。


 そして、私もご主人様のものだ。



「みゅんみゅん……きれいだな……」



 髪を撫でながらあなたは呟いた。



「ありがとう、ご主人様」



 ありとあらゆる感謝をその言葉に乗せてあなたへ贈った。





 ☆





 その日の夜更け。


 庭から屋敷へ帰った私達は各自入浴を済ました。

 ご主人様は一緒に入ろうと提案をしてくれたが、私は断ってしまった。


 二度と離れないと誓った直後に離されてしまったな。


 ただ、体を晒すのが少しだけ怖い。

 昼の出来事が脳裏を過ぎってしまいそうだから。


 その後は二階のバルコニーで、騎士団の子が持ってきてくれたスープやパンを食べた。

 本当はキッチンやリビングできちんとした食事を作った方が良いのだけど、私は当分あの部屋に入れそうにない。


 その代わり、ご主人様は星の見えるこの場所へ私を連れてきてくれた。


 いつもと違う場所で食事をするという行為が新鮮で、料理もより美味しく感じることができた。


 これからは屋敷のいろんな場所で食事を取っていこうかな。

 きっと、その方が思い出に残るから。


 食事の後、歯を磨き終えた私達は各々の自室前に来ていた。


 部屋が隣同士とはいえ、ご主人様と離れるのが少し怖いな。

 せめて今日だけでも、なんとか誘えないかな。


 一緒に寝ようと。


 でも、流石にそれは問題があるか。

 これまでのスキンシップとは違い、同じ寝具で寝るという行為は明らかに一線を画している。


 だから、頼めるはずもなく……。



「ご主人様、おやすみなさい」



 扉に手をかけてそう言った。


 すると、ご主人様はなんだかそわそわしながらこちらをチラチラと見始める。



「あの、みゅんみゅん、一旦そこで待ってて」



 それだけ言うと、颯爽と部屋の中へ入っていった。


 どうしたんだろう。

 何か見せたいものでもあるのだろうか。


 なんて考えているうちに、ナイトウェア姿の少女は部屋から出てきた。

 大きな枕を持って。


 いや、そんなまさか。

 だとすると、私に都合が良すぎるような……。



「みゅんみゅん……今日はさ、一緒に寝よっか」


「な、ど、どうしてそんな急に」


「心細くて寝られないんじゃないかなって思ったんだけど、迷惑かな?」


「いや、寧ろ私がお願いしようとしていたところだ」


「そっか、なら良かった!

 ふふ、ちょっとだけ恥ずかしいけど、お邪魔させてもらうね」



 扉を開けてご主人様を部屋へと招く。


 たいして目新しい家具やインテリアが飾られているわけでもないこの部屋は、なんの面白みも無いかもしれないな。


 あるのはご主人様に買ってもらった洋服がクローゼットに掛けられているぐらいだ。


 私達は月が照らす暗い部屋の中、ベッドの前まで歩みを進めた。

 が、ここからどうすれば良いのか分からない。


 二人で寝たことが無いから、作法を知らない。

 例えば同時に入るのか、順番に入るのか……とか。


 些細でくだらないことを考え込む前に、ご主人様が言葉にしてくれた。



「みゅんみゅん、お先にどうぞ」


「あ、ああ。分かった」



 たじろぎながら、私はベッドの奥へ上がりそのまま布団へと入り込む。

 そして、次にご主人様が入ってきやすいように布団の手前側を持ち上げた。



「じゃ、じゃあ入るね。お邪魔しまぁす」



 ご主人様は自室から持ってきた枕を頭の方へ置くと、ゆっくりとベッドに上がり込む。

 すらりとした脚が布団の下へ突き進んでくる、


 そうして私の目の前に背中が現れた。


 入浴後だからか布団の中にご主人様の良い香りが一気に充満する。


 そして、体温を感じる。

 気持ちの良い温かさが伝播してくる。


 目の前にご主人様を感じる。

 実際そこにいるのだから、当然といえば当然なんだが。



「あはは、ちょっとだけ暑いね。汗とかかいちゃうかも」


「構わない。ご主人様の汗なら気にならないから」


「ええー、喜んでいいのか分かんないよそれ。

 あ、あの、もしかしてだけど……みゅんみゅんこっち向いてる?」


「ああ、ご主人様の後頭部が見える。

 ご主人様はこっちを向いてくれないのか?」


「え、ええ〜……じゃあそっち向くよ?」



 部屋の内側へ向けていた体をくるりと返した。


 化粧もしていないのに頬が紅く染まっている。

 潤いのある肌と唇、艶めいた頭髪、星空を写すその瞳。


 どこか色っぽさを感じる表情はとてもいじらしくて、天使だと錯覚してしまいそうだった。



「おっきいなぁ、みゅんみゅん。

 えへへ、視界が全部みゅんみゅんだよ」


「ご主人様の視界を奪えるなんて、至極光栄だな

 ……あれ、ご主人様、私に何かしたか?」


「何もしてないけど?もしかして、臭い!?」


「いや、そんなことはない。ご主人様はいい匂いしかしないから安心してくれ。

 そうじゃなくて、ベッドで一緒に就寝という一大イベントなのに、ミジンも緊張していないんだ。

 それが気になって……」


「えぇー!それってわたしに魅力が無いからとか!?」


「そういう訳では無いんだ。

 ただ、言葉にするなら……人生で一番安心できている気がする」


「ああ、そういうことね。それなら良かったよ。

 みゅんみゅんを安眠させるっていうわたしの任務は達成できそうだから」


「ありがとう、ご主人様。私のことを思ってくれて」


「どういたしまして、わたしのみゅんみゅん」




 意外にも、私の精神は深海のように落ち着いていた。


 最愛の人と同じベッドで寄り添うように寝ているというのに、興奮も戸惑いも堪える必要がないぐらいに冷静でいられる。


 昨日の今日でそんな気分になれないというのもあるんだけど、そういう欲に対する嫌悪感とはまた違う気がする。


 この感覚は……。


 そっか、私があなたに向けるこの感情は勘違いでもなければ妥協でもないんだ。


 だから、純粋な愛が私の中に生まれている。

 だから、欲情よりも安心が勝っている。


 一緒にいるとすごく落ち着く。


 時には鼓動も早くなるし、食べちゃいたくなることもある。


 あなたを喜ばすために料理も上達した。


 あなたにだけは弱音を吐ける。


 あなたとずっと一緒にいたい。


 私はこの感情を表す言葉を知っていた。


 ううん、きっと誰でも知っているんだ、この煌めきを、ときめきを……。




 ミュエル・ドットハグラは、エリゼ・グランデに恋をしている。




ブックマークや評価を入れて貰えると凄く嬉しいです!

そうして頂くと、多くの人に物語を読んでもらえる機会が増えるみたいなので、お手隙でしたらよろしくお願いします!


これまでにブクマや評価を入れて下さった方々、そして誤字脱字を報告して下さった方々、いつもありがとうございます!

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