057 私を守るあなたは、一体誰が守ってくれるの?
ミュエル視点
ご主人様の姿をした少女は、自らをエリゼハートと名乗った。
エリゼハート……何を言っているのかはよく分からないけど、ご主人様の中に潜む誰かということだけは理解できる。
「……ご主人様は、多重人格者だと言うのか」
そう聞くと、少女は座り込んでしまった私に向かって中腰になって目を合わせた。
「否定します。
エリゼの中には彼女自身が作りだしたもう一つの心が存在しています。
表に出るはずの無かった無意識領域のその心。
少し前、エリゼの体に奇跡が起きましたよね。
膨大な魔力を使って肉体を再生させたあれです」
よく知っている。
それは、ナルルカが残した『奇跡』と呼ばれる腕輪によってご主人様にもたらされた正真正銘の奇跡。
膨大な魔力を用いることで瀕死状態の体を再生させた治癒術式のことだ。
「肉体の再生と同時に、そこに存在するだけだった心は私を召喚してしまいました。
説明するのが難しいんですけど、エリゼが作り出した人格ではなく、エリゼが作り出した心に宿った人格。というのが私です。
心の代弁者というか、なんというか、まぁそんな感じで私は表舞台に立つことができています」
話についていけない。
言葉の意味はなんとなく理解できるが、信じることができない。
まず第一に、ご主人様が心をもう一つ作り出しているという部分が気に掛かる。
どうして精神を分ける必要があったのか。
ご主人様の過去に何があったのか。
私はご主人様のことを何も知らない……。
「ご主人様でありながらご主人様でないということか。
それで、どうしてご主人様はもう一つの心を作ったんだ?」
「残念ながら私の口からそれを伝えることはできません。
きっと、エリゼはそれを知られたくないはずだから。
ついでに言うと、エリゼは私と言う心を作り出したことに気付いていないんですよ。
だから秘密にしてください、私が今ここに存在しているということを。
そして、エリゼの中にもう一つの心があるということも」
ご主人様は自ら作り出した心に気付いていない……?
無意識の内にもう一つの心を生み出したと。
それはまるで、絶望の淵に追いやられた人間がとる逃避だ。
あんなに明るく振る舞っている彼女がそんなことを。
いや、心を別つからこその今があるのか。
分からない。
ご主人様が分からない。
だけど、私が彼女に向ける感情は変わらない。
目の前の少女に向かって、今最も重要なことを尋ねる。
「私は……貴様を信じて良いのか」
少女は人差し指を唇に当てながら言う。
「うーん、どうでしょう。
私も一応はエリゼ・グランデと呼べなくもないんですけど……そうですね、ミュエルは信じたいエリゼを信じればいいと思います。
無理にエリゼハートを信じる必要はないですよ」
少女は寂しげな表情を顔に宿す。
似ている。
必死で我慢しようとしてるのに、それが表情に現れてしまう嘘の下手さ。
なんだ、あなたもしっかりご主人様なんじゃないか。
「それにエリゼは、私に詰まっている暗い部分をミュエルには見られたくないらしいんですよ。
エリゼソウル的には全然見られて大丈夫、寧ろ好感度爆熱アゲアゲナイトフィーバーエンドレスべろちゅータイム突入だと思ってるんですけどね。
……あの、エリゼソウルに改名していいですか?」
なんだか、少しだけご主人様成分が滲み出てきた気がする。
そして、彼女の言う通りだ。
私はもっとあなたを知りたい。
裏で抱えているものも、過去も、何もかも。
「ハートのままで良いと思う。
……エリゼハート、貴様が表に出てくる条件を聞いて良いか」
「もう、質問攻めにし過ぎですよ。
ま、ミュエルのお願いなら答えてあげちゃうんですけど。
ほら、私ってエリゼが無意識に作り出した安全装置みたいなとこあるじゃないですか。
自殺を止めるためのシステムにすぎない存在っていうかなんていうか……。
だから、そのまんまです。
エリゼがミュエルを助けることができないという現実に絶望して自殺を決意そうになったから、私がそれを防ぎに現れたんです」
「自殺……?」
そんな……。
ご主人様は過去にそこまで思い詰めたことがあるというのか。
その結果、エリゼハートが作り出されたと。
それって、なんて悲しいことなんだ。
私だけでなくいろんな人の役に立ってきたご主人様。
なら、そんな彼女を救ってくれていた者はどこにいるんだ。
誰が、彼女を救うんだ。
「おっと、可愛いお口が滑り散らかしてしまいました。
言及はお控えください。
エリゼに恨まれてしまいますので。
って言っても、エリゼは私のことを知らないんですけどね、ははは……しくしく」
そんなことを言われると、私もこれ以上問いただすことができない。
本当はもっと深くまで情報を聞きたかったが、それはご主人様自ら語ってくれるいつかの日に期待しよう。
「聞かなかったことにはできないが、言及は避けよう。
代わりにもっとあなたのことを聞かせてくれ。
どうして魔族の匂いがするのか、その刀は何なのか」
「げっ、私臭います!?」
「……割と」
「がーん。……はぁ、そう言うことですか。
ミュエルが私に対して過剰なまでに不信感を抱いていたのはそれが原因ですね。
私も深くは分からないんですけど、私は」
そう言いかけたところで、エリゼハートの背後に不快な気配を感じた。
彼女の後方には部屋の出入り口があるだけ。
なんだ、この感じ。
まだ何か残っているような、何かを見逃してしまっているような。
そうだ、思い出せ、
私は足音を聞いたじゃないか。
五人分の足音を。
エリゼハートの背後から、床が軋む音が聞こえた。
倒れている家具に隠れながら、何者かがやってきている。
おそらく、それは盗賊の残党だ。
私を凌辱した四人とは別に、屋敷内を捜索するために別行動をしていた女がいたんだ。
「ごしゅ、エリゼハートっ!!後ろに、まだ残党が!!」
彼女は、ただ頷く。
分かっていると言わんばかりに優しく笑う。
直後、少女の背後から首を狙って跳躍する黒装束の女が現れた。
その手にはこれまでの盗賊と同様に短剣が握られている。
「死ねええええええ!!」
「お馬鹿、アドバンテージを捨ててまで叫ぶ必要はないでしょう」
それだけ言うと、少女は肘打ちを相手の顔面に叩き込み、その威力を活かす自然な流れで回転蹴りを側頭部に食らわせた。
洗練されたその動きは素人のそれでは無く、明らかに武術を心得ている者の動きだった。
それも、正統な型ではなく、乱暴な喧嘩を経験として積み上げてきた奔放なモノ。
明らかに体に染み付いていた綺麗な攻撃。
エリゼハートを名乗る者というよりは、ご主人様自身が慣れ親しんでいるであろう体術に見えた。
ご主人様、あなたは一体……。
少女は蹴り倒した女の頭髪を雑に掴んで持ち上げる。
細い指に艶やかな髪の毛が絡みついている。
そして、残党の耳元へ口を運ぶ。
「ほら、ご覧ください貴女の大事なお仲間です。
あーあ、皆死んじゃった。貴女がいない間に死んじゃった。
貴女のせいで死んじゃった。
でも仕方ないですよね。
エリゼの宝物にキズを付けたんですから。
欲に忠実な獣具合は非常にユニークだと感じます。
だけど、相手が悪かった。
絶対に手を出してはいけない女を弄んじゃった
残念、だから貴女も死ぬの。
直接傷をつけていないであろう貴女も死んじゃうの。
眼球に細い針を刺しましょう。
爪を剥がしましょう。
関節を反対側に曲げてみましょう。
肺を水で満たしましょう。
尿道も肛門も焼いてあげましょう。
歯を一本一本丁寧に強引に抜いてみましょう。
嗚呼、もう貴女は楽しい人生を送れない。
笑われて、一人で生きていけなくて、可哀想で、非道で、笑えちゃう」
「ひぁ、ああ、あああああああ!!
嫌だああ、わ、わたしは、死にたくないぃ!
なにも、なにもしてないから!!
おねがいしますぅ」
「そうですか……なんて言うとでも?
屋敷に土足で上がった時点で死ぬ運命なんですよ」
そう言うと、少女は刀をゆっくりと後頭部へ突き刺した。
じわじわと刃を進め、やがてその鋒は女の鼻から飛び出る。
飛び出してくる刃が目に見えるように、わざとそう突き刺したんだと思う。
叫び続けていた女はいつの間にか喉を閉ざしていた。
少女は刀を女から抜き取ると、掴んでいた頭部を捨てる。
「殺したのか……」
「まさか、さっきも言ったでしょう。
エリゼを殺人鬼にはさせないって。
……命を奪えば、きっとミュエルの痛みも私の苦しみも少しだけ晴れるでしょうね。
だけどミュエル。 あなたは、自分が背負っている十字架をエリゼには背負わせたくないはずです」
その通りだ。
私は、自分が背負う膨大な罪悪感をご主人様に背負ってほしくはない。
だから、彼女に死んでも殺めてほしくもない。
私のような不能になってほしくはない。
「そうだな。こんな思いをするのは私だけで良い」
「ほんとかっこいいなぁ……。
こほん、安心してください。
ここで倒れている女は全員無傷です。
ただ気を失っているだけですよ」
「その刀は一体何なんだ?」
「先に前の質問に答えましょうか。
私から魔族の匂いがするのは、私が妖という魔族だからです。
厳密には、その魂がエリゼの作り物の心に宿った状態なわけですが」
「妖?」
「ええ、妖です。魔族の一種ですね。
悲報か朗報か、私が知っている自分の情報それだけです。
それ以外の情報を全く持っていないんですよ。
ただ、エリゼを守るために召喚された魂という認識でいてください」
「魔族……。
ご主人様への想いは本物なのか。
守るという想いは、心の底からそう思っているのか?」
「もちろんですとも。
というか、守る以上に想っていますよ。
私はエリゼを愛していますから」
「なっ!?いきなり何を!?
そ、それに魔族はそういうのとは無縁だろ。
どこまでも残虐で、暴力的で、話の通じない存在のはずだ」
「どこ情報ですか、それ。
私は自分が妖であると言うこと以外は何も知らないですけど、きっと魔族とやらも基本的には人間と同じだと思いますよ。
現に私はエリゼが大好きで仕方ないんですから」
私が知っている情報と違う。
教会から教えられていたのは、魔族は例外なく悪であるということ。
少し昔、この国に現れた魔族は即座に処刑されたなんて話も聞いたことがある。
これはどういうことなんだ……。
というか、嘘だろ。
ここに来てまたライバルが増えるのか。
しかも、今度はご主人様に宿った魂と来た。
そんな零距離で心同士が隣り合わせなの、すっごくずるい。
しかも、ご主人様の体を意のままに操ることができるなんて……。
今考えるべきことじゃないな。
冷静にならないと。
「魔族も一概に悪ではないということか……。
そろそろ刀のことを教えてくれないか」
「そうでしたね。
これは妖が生まれ持って手にしている『刀』と呼ばれる特殊な武器です。
一般的な刀とは訳が違う代物で、個体別に特異能力が付属しています。
この『腹切』は、自分を殺すためだけの『刀』です。
決して他人を傷つけることはありません。
だけど、痛みや感触は残るみたいですね」
そう言うことか。
だから、盗賊の女共は傷一つつけられずにいるわけだ。
けど、その言葉が正しいのならその刀は……。
「自分を殺すための刀なのか、それは」
エリゼハートは寂しく笑う。
「はい、そうです。
本来の使い方は自決用。
でも安心してください、これをエリゼに使うことは絶対にありませんから。
……ふぅ、少し話し疲れました。
そろそろ質疑応答は終えましょう」
「いや、でもまだ聞きたいことが」
言いかけたところで、少女は両手で私の両頬を押さえ込んだ。
「な、なにを」
「つくづくわがままですね、ミュエル。
その強情さはもっと使い道があるはずですよ。
例えば、エリゼに向かって一緒に寝たいだとか、一緒にお風呂に入りたいだとか」
「お、おい!ご主人様の体でなんてこと言うんだ貴様貴様貴様!!」
「ふふっ、だいぶ緊張がほぐれてきたようですね」
変な気分だ。
見た目はご主人様だけど、口調も、性格も、思考も何もかもが異なっている。
それでも、ご主人様を感じることができる。
そして、先ほどからこの少女は何度も私の気を楽にさせようと、楽しませようと心掛けてくれている。
そのおかげか、震えていた体はいつの間にか平然を取り戻していた。
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