053 邪気に満ちた来訪者
ミュエル視点
陽が登り始め、一日の中盤に差し掛かった頃。
朝食兼早めの昼食を終えた私は、キッチンで料理の下拵えをしていた。
冷凍していた鶏肉を室温に戻す待ち時間を使って、使用する野菜を刻んでいく。
赤ワインもボウルに入れておかないと。
トマトのヘタも抜かなければ。
下準備も中々大変だな。
「あれ、またお料理?」
食後の歯磨きを終えたご主人様が部屋へ戻ってきた。
ゆったりとした寝間着は早くも夏物に衣替えしていて、色々と隙が甘くなっている。
無防備を自覚していないのが少しだけ心配だ。
ただ、その姿を拝見できるのは私だけなので何の問題も無いんだが。
「ああ、今日は時間をかけて煮込み料理を作ろうと思う」
長時間に渡る料理らしいので、夕飯に出す為には早い時刻から調理に取り掛かる必要がある。
「おおー!みゅんみゅんもうシェフだよ!凄い!」
「ご主人様が料理を教えてくれたおかげだ」
そうだ。
メイドとしての仕事ができるようになったのは、ご主人様が手取り足取り一から教えてくれたから。
料理の技術が上達したのも、料理を好きになれたのも、あなたがいてくれたから。
「……けどね、うーん、言いにくいんだけど、えーっと」
「どうした?何でも言ってくれ。嫌いな食材があるのなら抜くぞ?」
「いやぁ、今日ってさ、この前買ったお洋服の受取日なんだけど……どうしよっか」
……あ。
……。
……あ。
完全に忘れていた。
失態中の失態だ。
善意で用意してくれた私の服を受け取りに行くという今日。
そんな大切な日を失念していたなんて、最低だ。
ポカポカと自分の頭を軽く叩く。
「すまない……忘れていた」
「ごめんね、わたしも昨日の内に確認するべきだったよ。
うーん……。
うん、わたしが受け取りに行くよ。
みゅんみゅんはお料理してていいからね」
「いや、でも、そういう訳には」
「いいのいいの!もう料理始めちゃってるんだし!
これは主従関係じゃなくてさ、その、友達というか親友というか……と、とにかくみゅんみゅんとエリゼじゃなくて、ミュエルさんとエリゼの平等的な立場で服を取りに行くってことだから、全然気にしなくて良いんだからね!」
うぅ、本当に最悪だ。
従者失格だ。
こんな立場逆転があっていいわけがない。
でも、ご主人様は気にするなと言ってくれている。
そして、今だけはメイドとしての私ではなく、ミュエルとしての私と接してくれている。
ずるいな、ほんと。
きっとこの人はこれからもそう言って私を都度都度助けてくれるんだと思う。
私が失敗をした時に限って、目線を合わせてくれるんだ。
こんなに優しいの、ずるいよ。
「分かった、お願いする……ありがとう」
一応メイドとしてではなく、一人の女として返事をしてみたが伝わっただろうか。
「はい!エリゼちゃんにお任せあれ!」
そう言うと、ご主人様は部屋を出て自室に戻った。
それから数十分、外出用の衣服へと着替えやメイクなどの身支度を済ませた彼女は、玄関へと移動した。
「じゃあ行ってくるね!
帰ってきたらファッションショーでもしてもらおうかな」
「それだけで良いのか?
……その、お礼としてご主人様の願いなら、ある程度叶えてあげても……いいぞ
迷惑をかけてしまったから……」
「え、じゃあ一緒にお風呂に添い寝、みゅんみゅんの爪の手入れとかもやってみたいな。
わたしの膝に寝てもらって耳掃除とかもしてあげたいし」
「ど、どれか一つにしてくれ。流石に身が持たないと思う」
それに、後半は私への褒美じゃないか。
罰という体で希望を促しているのに、本末転倒だ。
けど、本当はそれも建前。
私達の関係はもう少し進展してもいいと思う。
私からご主人様に仕掛ることができるのは恋人繋ぎぐらい。
だから、できればご主人様の方から距離を詰めてくれないかなんて思うのは、受け身すぎるだろうか。
「ふふっ、じゃあ帰ってくるまでに決めておくよ。
楽しみにしといてね、行ってきます」
「あ、ああ。気をつけて」
つくづくこの人は相手を燻らせるのが上手いと感じる。
どうしよ、私以外の女の子もこの魅惑に引っかかってしまっていたら……。
凄く不安になってきた。
よく考えればリューカやセレナがご主人様に接している際の表情がどこか和らげだった気がする。
もしかして、案外ライバルは多いのか。
やめよう、ネガティブになるのは良く無い。
変なことを考えていないでさっさとキッチンに向かわなければ。
美味しいご馳走をご主人様に食べてもらうんだから。
両頬をペチンと叩いて気合いを入れる。
二時間もしない内に帰ってくるだろうから、それに合わせて調理を進めよう。
頭の中でプランを組み立てながらキッチンへと戻った。
☆
「あわわわわわ、肉が、溶けてしまった……」
なんでぇ?
あれだけ気を付けていたはずなのに、一部の肉が液体化してしまった。
よく見たら、野菜もドロドロになっている。
弱火でじっくり煮込んでいるから、そんな失敗は無いと思ってたんだけど。
くっ、慢心してしまったか。
ご主人様、私はシェフにはなれないようだ。
まだ駄目駄目ポンコツでかメイドでしかいられない。
ここから軌道修正できるだろうか。
……いや、半溶けの肉と野菜がゴロゴロ入ったグロテスクなスープが出来てしまう未来しか見えない。
もう煮詰めに煮詰めて栄養満点の飲み物として提供しよう。
いやいやいや、血迷うな私。
妥協するのは良く無いし、そんな気持ち悪めの効率重視な料理にするぐらいなら、今のままの方がずっと綺麗だ。
失敗してしまったことは正直にご主人様に伝えよう。
これ以上失敗せずに完璧に調理すればなんとかなるはずだ、多分。
とりあえず、アクを取っておこう。
煮込み鍋におたまを入れたところで、屋敷の扉が開かれた音がした。
あれ、予想より早い帰りだな。
もしかして、私への罰が楽しみで即座に用事を済ませたのだろうか。
「おかえり、ご主人様」
屋敷に響き渡るぐらいに大きな声で挨拶を口にする。
ここはお隣さんという概念が存在しない場所。
街外れの森に建てられた屋敷。
どれだけ大きな音を立てても誰の迷惑にならないので、存分に愛を伝えることができる。
「あれ?」
いつもはご主人様の方から「ただいま」と言ってくれるんだけど、今回は未だに返事が無い。
……。
おかしい。
有り得ない。
あの人がそれを言い忘れるわけがない。
嫌な予感がする。
あの日と似た、どこか不穏な気配。
鍋を温めていた火を消す。
エントランスを駆ける音が聞こえる。
その足音の数がやけに多い。
想定できる人数はおよそ五人。
その中にご主人様と思われる音は存在しない。
何者かが、屋敷に入ってきている。
金品目当て強盗。
考えられるのはそれぐらいか。
何かの勘違いで入ってきた者達、廃屋を巡る不良少女達、そんな生ぬるい可能性は微塵も存在しない。
悪の匂いが、罪人の匂いが充満しているから。
吐き気さえ催してしまう輩が、この大事な家を穢している。
高速で移動しながら各部屋の扉を開けて回っているのが分かる。
そして、その騒音がキッチンへと近づいてきた。
私のすぐ側にある窓を抜ければ庭に出ることができる。
けど、この家を捨てるような真似、私にはできない。
私達の世界を守らないと。
ご主人様の家を守らないと。
けど、もう私は……何もできない。
戦うことが、できない。
それでも、守らなければ。
震える手で包丁を握る。
もう誰も傷付けることのできない私の腕。
生き物を締めることすらできない弱虫の私は、それでも刃を構える。
見据えるは部屋の出入り口。
せめてもの抵抗を用意して、私は対峙を覚悟する。
キッチンを離れて、地続きのリビングへと足を運ぶ。
間も無くして、部屋の扉が開かれた。
ブーツが床を踏む音が鮮明に聞こえる。
扉の向こうから影が入ってくる。
それを追うようにしてゆっくりと黒を纏った四人組が現れた。
背丈がバラバラなそいつらは、かなりの軽装だと見受けられる。
体型から察するに、全員女性。
私が確認できるのはそこまでだった。
首から上、個人を判別する情報として最も重要な顔がぼやけている。
ただ、実際にモヤが掛かっているのではない。
おそらくは、認識阻害の術式を展開している。
四人組の一人、最も小柄な女が私を見つけると声を上げた。
「お邪魔しまーす、それと無駄な抵抗はしないでね、元聖騎士」
こちらの素性はバレている。
ということは、計画的な犯行とみて間違いない。
「うちに何か用か、悪党ども」
私の疑問に対して応答したのは、背の高いリーダー格と思われる女だった。
「単刀直入に言おう。奪いに来た、願望器とやらを」
作りかけのビーフシチューの香りは消え失せ、鬱陶しい程の悪意に染まった空気が部屋を満たしていた。
包丁を構える手の震えは治らない。
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